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ヤクザの娘行きつけの〇〇  作者: 仙葉康大
最終章
41/50

コーヒーか牛乳か

 ぼくは少女漫画を読んだことがない。だからデートの仕方がわからない。そもそもこれはデートなのかもあやふやだ。


 駅前の噴水のへりに腰かけ、いい気持ちで冬晴れの青空を仰いでいると、しずかな足音とともに、琴刃お姉さんがやって来た。今日は日曜で学校はないはずなのに制服を着ている。やっぱりこれはデートではないのかもしれない。それならそれでいいんだ。ぼくは琴刃お姉さんとお出かけできるというだけでワクワクが止まらない。


「すみません。待ちましたか?」

「いいえ、ぼくも今来たとこですよ」


 ラブコメ漫画の主人公とヒロインがするような会話である。これはもしやデートなのではないか。


「では、行きましょうか」


 そう言ってお姉さんは歩き始めた。ぼくは横に並んで歩く。けど、手はつながない。となると、これはデートではないのかもしれない。


「もうすぐクリスマスですが、直人君はサンタさんに何かプレゼント頼みましたか?」

「はい。今年は『ドラゴンホール』全巻セットがいいとパパとママに言っておきました」

「いいですね」


 お姉さんが笑っている。それを見てぼくはとてつもない満足を覚える。


「お姉さんはサンタさんに何か頼みましたか?」

「いいえ。私は特にほしいものもないので、いいんです」


 そう答えたお姉さんの横顔はどこかさみしそうで、ぼくは胸がしめつけられる思いがした。


 ぼくたちは横断歩道をわたり、歩き、また横断歩道をわたり、駅から百メートルほど離れた場所にある百貨店のその横の、大型書店へと足を踏み入れた。今日の目当てはこの中にある。


 ぼくははやる気持ちをおさえつつ、お姉さんに先行して漫画の新刊コーナーへと急ぐ。


 表紙が全部見えるよう、平置きにされたコミックスたち。薄いビニールフィルムに包まれて、それはそこにあった。ぼくは一冊手に取り、高々とかかげて見せる。


「あった。ありましたよ、お姉さん。『メンター×メンター』の最新刊です」

「待望の三十七巻ですね」


 そう、ぼくとお姉さんはこの漫画のコミックス最新刊の発売を心待ちにしていたのだ。『メンター×メンター』はとても休載の多い漫画だ。一年に十週連載すればいい方で、数年間休載することなんてざらにある。それでも、読者は待っている。『メンター×メンター』の連載が再開するその日を。


「明日からメンターが本誌で読めるなんて夢みたいです。お姉さん、今回の連載は何週つづくと思いますか?」


 ぼくは目をきらきらさせて尋ねた。


「わかりませんが、過度な期待はしない方がいいかもしれません」


 お姉さんがこう答えるのも無理はない。『メンター×メンター』の連載は基本的に十週で終わり、再び長い休載に入る。でも、誰も作者を責めることはできない。だって誰が何と言おうとメンターは面白いのだから。


 レジでお会計を済ませ、外に出る。この後のことは何も決まっていない。ぼくはお姉さんを見上げてみる。


「この後、どうします?」

「私は行きつけの喫茶店へ行って、今日買ったメンターをさっそく読もうと思っているのですが、直人君はどうします? おウチに帰ります?」


 今、確信した。今日のこれはデートでもなんでもなかったのだ。少なくともお姉さんにとっては。ぼくは深い絶望の底に沈みながらも、なんとか気持ちを立て直し、言葉を発する。


「ぼくも一緒に行きたいです。その喫茶店に」


 お姉さんはぼくの目を見て、うなずくと、かすかに微笑んでくれた。


「では行きましょう。こっちです」


 東へ向かって歩くこと十数分。大通りから二、三本外れた、物静かな通りにお姉さんの行きつけの喫茶店はあった。ドアには、ヒイラギの葉と赤い玉と松ぼっくりなどの材料で作られた輪っかが飾られている。来週はクリスマス。それが終わったらお正月が来る。冬は楽しいことがてんこ盛りだ。でも、お姉さんと一緒にいられる今が一番だ。


 中に入ると、紺色のエプロンを着たお兄さんが「いらっしゃいませ」とうやうやしく礼をして、ぼくたちを奥の席へと案内してくれた。店内はすごく大人な雰囲気だ。家具はすべて木製で、照明は明るすぎず暗すぎず、コーヒーの匂いが漂っていて、香ばしいパンの匂いもほのかにする。


「なんでも好きなものを頼んでいいですよ」


 お姉さんがメニュー表を差し出しながら言った。こういうところに来たことのないぼくは、何を頼めばいいかまるでわからなかった。


「私は、炭火コーヒーをお願いします」

「かしこまりました」


 店員のお兄さんがぼくの方を見る。せかすような目ではない。むしろゆっくり選んでいいと言ってくれているような感じである。


「お姉さんと同じものをお願いします」


 ぼくがそう言うと、お姉さんもお兄さんも目を見開いた。


「あの、直人君は普段コーヒーとかよく飲んでいるのですか?」

「いえ。飲んだことありません」

「では、何か別のものに、えっと、ホットミルクとかどうですか?」

「いえ、お姉さんと同じものをお願いします」

「あの、でも、苦いですよ?」


 ぼくは沈黙する。もしかしてぼくはいま、とても無謀なことをしようとしているのではないか。でも、それでも、お姉さんと同じものを飲みたいんだ。


「飲んでみて、お口に合わないようでしたら、別の飲み物に変えさせていただきます」


 そう言ってくれたのは店員のお兄さんだった。


「もちろん、追加で料金をいただくようなことはありません」

「それは悪いです」ぼくは言った。

「子供が気をつかうなよ。ウチ、こう見えてけっこう繁盛してるし、それに、同じ男として君の気持もわかるから。炭火コーヒー二つ、承りました。出来上がるまで少々お待ちください」


 お兄さんは苦笑しつつ注文を繰り返し、さっそうとカウンターの方へ行ってしまった。お姉さんはそんなお兄さんをずっと目で追っていて、そのまなざしがとても真剣できれいで優しくて、ぼくは二人がただの店員と常連客という関係ではないことを悟るのだった。


 コーヒーができるまでぼくらは『メンター×メンター』を読んで過ごした。一ページ一ページが面白くて、でも、決して速くは読めない。メンターのストーリーはバカにはわからないようにできていて、ぼくたち読者も考えながら読み進めないといけなくなっている。


「あ、新刊、でてたのか」


 そんなつぶやきとともにお兄さんが炭火コーヒーを持ってきてくれた。


「お兄さんもメンター好きなんですか?」

「ああ。何回も読み返すぐらいには」

「そうだったんですか?」お姉さんも驚いている。

「あれ、言ってなかったっけ?」

「はい。言ってくれてないです」


 少しすねているような感じだ。こんなお姉さんを見るのは初めてだった。とても新鮮で見つめていると、


「直人君、一口飲んでみましょうか」


 とお姉さんが言った。ぼくはカップの中を真上からのぞきこんでみた。炭火コーヒーはどこまでも真っ黒で、まるで街灯も星空もない夜みたいだった。


 生つばを飲み込む。

 ここで引いたら男じゃない。


 ぼくは意を決してカップに口をつけた。ごくりと一口飲んだ瞬間、かつてないほどの苦みが口の中に広がり、顔をゆがめる。


「どうだ?」


 お兄さんが尋ねた。


「余裕です」とぼくが虚勢を張ってみせると、お兄さんは笑顔でうなずき、「ごゆっくり」と言ってまたカウンターへと戻って行った。


 ぼくがちびりちびりとコーヒーを飲みながら『メンター×メンター』を読み進めていくのに対し、お姉さんはすました顔でコーヒーを飲んでいて、ぼくは恐れおののいた。これが小学生と高校生の格の違いか。


 ぼくたちはほぼ同時にメンターを読み終えた。時刻は正午五分前。


「もうお昼ですし。そろそろ出ましょうか」

「え?」

「どうかしましたか?」

「いや、ちょうどお昼ですし、何か食べながら、今読み終えたメンター三十七巻について感想を言い合ったり、他にも、メンター以外のことも色々と話せたら、なんて」

「ごめんなさい。私、午後から予定が入ってまして、今日は直人君と一緒にお昼ご飯をいただくこと、できないんです」


 しびれるようなショックがぼくを襲った。


「本当にごめんなさい。また今度一緒にお出かけしましょう。そのときはたくさんお話もしましょう」

「はい。約束ですよ」

「はい。約束です」


 指切りこそしなかったが、お姉さんはちゃんとぼくの目を見てそう言ってくれた。ぼくはそのせいかとても勇気が出てきて、残っている炭火コーヒーを一気に飲み干した。うげえ。すごく苦い。


 お会計をしにレジに行くと、お姉さんはぼくの分まで払うと言って困った。ぼくはちゃんとお財布を持ってきているし、その中には千円札が三枚も入っている。だから炭火コーヒー一杯分のお代を払うことぐらいわけないのに、お姉さんは結局ぼくの分まで払ってしまった。


 やっぱり、ぼくは男として認められていないのだ。

 お店を出て、最初の曲がり角で、ぼくは立ち止った。


「すみません。ぼく、この近くに住んでる友達の家に寄ってから帰ります。だからここで」

「わかりました。また来週、塾で会いましょう」


 ぼくはお姉さんが通りの向こうに見えなくなるのを待ってから、風を切るようにきびすを返し、来た道をダッシュで引き帰した。


 ほんの数分前までいた喫茶店に再度入店すると、お兄さんが変な顔でぼくを迎えた。


「忘れ物か? 少年」


 ぼくは首を横に振る。


「ホットミルク一つお願いします」


 そう言ってまだ苦みが引かない、黒ずんだ舌を出して見せたら、お兄さんは笑ってぼくをカウンター席へと案内してくれた。


 いつかお姉さんに、今日の日のことをなつかしく話すときが来たりするんだろうか。そのときぼくはどんな人間になっているのだろうか。そんなことを考えながら、ぼくは、温かくて甘い牛乳をごくごく飲む。早く成長して、熱くて苦いコーヒーを平気な顔して飲める大人になるために。


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