答えは出ている
火口琴刃曰く、クリスマスほど人をさびしくさせる行事はない。
季節は冬。十二月。クリスマスまであと十日。
教室の暖房はよく効いていて、その適度に調節された温かな空気が原因か、本人の怠惰が原因かはわからないが、授業中だというのに寝ている生徒もちらほらと見受けられる。
俺と火口の席はもう近くではない。でも、俺たちの、浅いようでいて深い、深いようでいて浅い交流は今もなおつづいている。
チャイムが鳴り、退屈な夢がさめたように放課後が訪れた。顔に気合を入れ勇ましく部活に向かう生徒もいれば、教室に残り微笑ましく談笑する生徒もいる。俺はと言うと、鞄に教科書を詰め込み席を立つ。後方を見やると、火口琴刃が学生鞄を机の上に置いて、静かに、少しだけ視線を落として、座していた。
俺は彼女の席に近づき、机を軽くノックする。
「今日、木曜だけど、来るか?」
「はい」
「なら同じ方向だし一緒に帰るか?」
「はい」
秋に色々あって以来、俺たちはこんな調子だった。
火口は火曜と木曜はウチの喫茶店「花炭」によく来る。よく、というか、よほどのことがない限り火・木は絶対に来る。逆に他の曜日は基本来ない。土曜日の午後や日曜日に顔を出すこともあるが、それはレアケースだ。
下駄箱で上靴からスニーカーに履き替え、外に出ると、冷たい外気が頬を刺した。コートを着ていても、マフラーを巻いていても、手袋をしていても、寒いものは寒い。
校門を抜けて右へ道なりに進む。特に会話はない。火口はおしゃべりな奴ではないし、俺も無口な方だから、必然的に沈黙が生まれる。
「ねえ、今週末どっか行こうよ」
「どっかってどこだよ」
「あっくんと一緒ならどこでもいいよ」
数メートル前を歩く男女が甘ったるい会話を交わしている。
「クリスマスの夜、ちゃんと明けとけよ、お前」
「わかってる」
「そんなこと言って去年はお前、家族で過ごすとか言ってパーティー来なかったじゃん」
「だって去年はまだ君と付き合ってなかったじゃん」
後ろからはそのようなやり取りが聞こえてきた。
なんか最近、急にカップルが増えた気がする。一方、恋人がいないことを嘆く声もそこかしこから聞こえてくる。クリスマスが近いからか。みんな大変だな。俺はクリスマスも姉のもとで強制労働と決まっているから恋人を作る必要なんてない。
「そう言えば、火口はクリスマスの読書会、結局どうするか決めた?」
「いえ。実はまだ、迷っています」
「課題本の『ナインストーリーズ』は?」
「何日か前に読み返しました。やっぱりサリンジャーはいいですね」
「いいよな、サリンジャー」
火口と話していると、こんなふうに不意に嬉しくなってしまう瞬間がある。本を読むのが好きな俺は、火口の本の好みを好ましく思うし、火口も俺のことを一読書家として認めてくれている感じがする。
少し歩いて、俺はまた口を開く。
「読書会さ、定員までまだまだ余裕があるって花菜姉が言ってた。火口が来てくれたら、花菜姉は喜ぶと思う」
火口は前を向いて歩いている。が、その視線はだんだんと下がっていく。
横断歩道にさしかかった。歩行者信号は赤。俺は止まる。火口も止まる。前からも後ろからも恋人たちのおしゃべりが聞こえてくる。俺と火口はただ黙って信号が青に変わるのを待っている。
「あの」
意を決したように顔を上げ、火口がそう言ったその瞬間、信号が青に切り替わった。恋人たちは横断歩道を渡り始める。俺と火口だけを残して。
「つかぬことをお聞きしますが」
いつになくか細い声で、彼女は尋ねる。
「黒沢さんは私に、来てほしいですか? 読書会」
「俺は――」
そのときだった。一台の自転車が猛スピードで突っ込んできた。横断歩道の手前で立ち話をしている俺たちのことなど見えていないみたいに。
危ない。俺はとっさに火口の手を取り、引き寄せた。火口も体重をこちらへ預けてくれたのでスムーズに移動でき、間一髪で自転車との追突を免れた。
自転車に乗っていた男はこちらを振り返ることもせず、横断歩道を斜めに突っ切り、そのまま車道に沿って行ってしまった。
危機が去ったのを確認し、俺は吐息する。
「あの」
火口が上目遣いに俺を見た。俺はそこでようやく彼女の手を握ったままであることに気づく。
「あ、悪い」慌てて手を離す。
「いえ、助けてくれてありがとうございます」
お互い手袋をつけていたから、手の温度や感触なんてものはわからなかった。でも、俺自身の手が、胸が、首筋が、どんどん熱くなって火照っていくのは嫌と言うほど自覚できた。
――黒沢さんは私に、来てほしいですか? 読書会。
答えは出ている。
問題は、その答えを口にする勇気が俺にないことだ。




