娘の国語力
土曜日。
呼び鈴の音がした。つづいて「ごめんください」と凛とした声が聞こえた。
俺はせんべいをかじるのをやめ、玄関まで大股で急いだ。
引き戸を勢いよく引くと、制服姿の娘が立っていた。その左右に立っているのは目つきの鋭い二人の男。
「こんにちは。火口刀次の孫、火口琴刃と申します。今日からお世話になります。これはつまらないものですが、どうぞお納めください」
そう言って、手に持っていた紙袋から箱をとり出した。箱の蓋の片隅に見覚えのあるロゴマークを見つけ、俺ははっとする。それは、妻が好きだったブランドチョコのロゴマークだった。
「これはどうも、すみません。俺、いや、私が岩砕剛志です。おじい様からお話はうかがっています」
軽く挨拶をしてから、俺は護衛の二人に目を向ける。
「お互い初対面なので、道場へ行って稽古をつける前に簡単な面談をしようかと思っています。かまいませんか?」
「へい」護衛の一人が答える。「ここに着いたら、あとはあんたにすべてを任せるよう、親父から言われています。俺らは稽古が終わるまでどっか別の場所で暇をつぶしてますんで、ご心配なく」
「お心遣いどうも」
「ではお嬢、昼過ぎにまたお迎えに上がりますんで」
「はい。ありがとうございました。また、お昼過ぎに」
きちんとお辞儀をしてお礼を言っている姿を見て、やはり、義理堅い火口先生の孫なのだなと思う。
「どうぞ、こちらへ」
居間まで案内する。テレビがついていたので消し、座布団を出す。
「ちょっと座っててくれるか? お茶を持ってくる」
「おかまいなく」
俺はいったん台所にひっこみ、お茶を淹れる。湯飲み、おかき、まんじゅうをお盆にのせ、居間へ戻ろうとしたその刹那、聞こえるはずのない娘の声が心に響いた。
――パパさあ、今時の女子高生が緑茶とか飲むと思ってんの? 時代はタピオカっしょ。
娘は今日は朝早くから街中へ出かけて行った。友達と映画を見るのだと言っていたが、実際のところはよくわからない。そもそも娘が何を言っているのかさえも正確にはわかっていないのだ。
スマホ、キャッシュレス決済、5G、AI。時代は変わった。
娘も変わった。昔はあんな子ではなかった。少し勝ち気な、どこにでもいる普通の子だった。しかし最近の雷華は格好も言葉も派手だ。派手派手だ。
そんな雷華の声なき声が、女子高生に緑茶を出すなんて言語道断だと抗議してきたものだから、俺は代わりに今流行りの最新の飲み物を持っていくことにした。
黒い粒粒が入っている、乳白色の飲み物を前にして、琴刃お嬢さんはその顔に不可解を示した。
「あの、これは何ですか?」
「タピオカミルクティーだ」
透明なカップになみなみと注がれたミルクティー、中には独特な弾力のあるタピオカが何十個も。このタピオカミルクティーこそ女子高生の主食なのだと雷華から聞いている。そして、琴刃お嬢さんは女子高生だ。タピオカが嫌いなはずはないと思いお出ししたのだが、どうも様子がおかしい。まるで未知の生物に遭遇したかのように目をこらしている。
「もしかして嫌いだったか?」
「いえ、いただきます」
琴刃お嬢さんはまるで真剣勝負にでも臨むような面持ちで、タピオカミルクティーの太いストローを口にくわえた。ミルクティーと一緒にタピオカがぎゅるぎゅるとストローを昇っていく。
タピオカが口内に到達したのだろう。琴刃お嬢さんが切れ長の目を大きく開けた。
「どうかな、味の方は?」
「とてもおいしいです」
やはり雷華の言っていた通りだな。
「本格的な稽古は来週から始めようと思っている。だから今日は単なる顔合わせぐらいにおもってもらってかまわない。まずは俺から、いくつか質問してもいいかね?」
「はい」
俺は威圧的にならないよう声の出し方に注意しながら、いくつか質問をさせてもらう。年齢はいくつか、現在通っている高校はどこか、持病や服用している薬はあるか。琴刃さんはそれらの質問に明瞭に答えを返してくれる。
ふと、さっきから全然タピオカドリンクに口をつけていないことに気づく。
「俺が話してる途中でも遠慮せずタピってくれてかまわないからな」
「タピって? とはなんでしょう?」
俺は驚いた。
「タピオカを飲むことをそう言うと、娘から聞いたんだが」
「すみません。実はこのタピオカミルクティーという飲み物を飲んだのも初めてなんです。私、そういう流行には疎いもので」
「ああ、そうなのか。いや、いいんだ」
世間で何が流行っていようと流されない子もいる。ウチの娘は流されまくっているが、あれはあれですごく楽しそうだからよし。
「ウチの娘も君と同じ高校一年なんだ。あいにく今日は外に出かけて家にいない。また今度、時機を見て紹介しよう」
もし気が合えば、友達になればいい。
「さて」と俺は立ち上がる。「道場の方を案内するから、ついてきなさい」
「その前に少し、いいでしょうか?」
その目は居間の隅の仏壇へと向けられている。
「岩砕先生の奥様にもご挨拶したいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ。妻も喜ぶよ」
俺が許可を出すと、琴刃お嬢さんは足音もなく仏壇の前に移動した。座った状態で一礼し、慣れた手つきでマッチを使い、ろうそくに火をつける。その火にお線香を当てて、煙が出始めると手で仰ぎ火を消して、香炉に立てる。一連の動作は流れるようにスムーズだった。合掌し、瞑目し、
「これから岩砕先生にお世話になります、火口琴刃です。何かと迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
と言って、最後にまた一礼した。遺影の中の妻は笑っている。もし妻が生きていれば、この子にどんな言葉をかけただろうか。
その後、道場や更衣室を一通り案内して、その日の稽古もとい事前説明は終わった。
「本日はありがとうございました。また来週、同じ時間にうかがいます。失礼します」
玄関先で彼女を見送っていると、スマホが短く鳴動した。娘からLINEだ。
――友達とカラオケ中。よいちょまる。マジバイブスあがってる。マジうちらBFF。ちな今日の夕食カレーかシチューにしようと思ってるんだけど、パパ的にはどっちがよき?
すぐ返信する。
――カレーだな。
――ありよりのありでカレーってことね。了解道中膝栗毛。
琴刃お嬢さんは高校生であるにも関わらず「あざまる水産」だとか「よいちょまる」だとか「まじ卍」だとか、そういった乱れた日本語を一切使っていなかった。
我が娘の国語力が非常に心配である。




