ミックスサンドとミラノサンド
夏休みに受けた模試の結果が返ってきた。
「どういうことなの? これ」
お母様がパエリアの海老をフォークで刺して言った。
成績は急激に落ちていた。特に驚きはしなかった。だって私、この夏休み、自分から勉強したことないもの。部活もできないんじゃ、モチベーションなんて保てないわ。嫌々勉強しても知識が身に着くはずもなく、嫌々受けた模試の結果は当然のことながらふるわない。
「塾の合宿にも参加して、集中講義も受けて、どうして成績が下がるのよ」
「さあ、どうしてでしょうね」
私は淡々とパエリアを口に運ぶ。
「何か手を打たないと。このままじゃダメよ。受験に失敗してしまうわ」
「お母様、私――」
「そうだわ。家庭教師を呼びましょう」
「は?」
「今の塾があんまり合っていないのかも。とりあえず塾のない日、水曜と土日に家庭教師を呼んでみましょう」
私はフォークをお皿に叩きつけ、即座に立ち上がった。
「水曜はダメ。図書当番よ」
「私が学校に言って免除してもらいます。あなたは成績を上げることだけ考えていればいいの」
いいわけない。水曜日の琴刃さんとの時間まで奪われてしまったら、私は壊れてしまう。
「次の中間試験で学年で十位以内に入ります。だから、家庭教師は呼ばないで」
「十位以内ってあなた、それ本気なの?」
私はうなずき、食べかけのパエリアを残し、リビングを出ていこうとした。するとお母様の声が追い打ちをかけてきた。
「もし十位以内に入れなかったら、家庭教師、呼びますからね」
望むところよ。絶対十位以内に入って琴刃さんとの時間を死守してやるんだから。
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努力と結果は比例しない。
昼夜問わずの猛勉強はかつてないほど私を疲弊させた。けれど、届かなかった。
中間試験の個人成績表には、総合順位十二位とある。
「十位以内には、入れなかったわね」
成績表を見つめて、お母様が言った。
「約束通り来週から家庭教師を呼びます。いいわね?」
「はい」
そう言うしかない。私は賭けに負けたのだ。
席を立つ。
「どこ行くの? すぐ夕食よ」
「要りません」
私は自室に戻り、すぐさま座り込み、ドアを背中にワンワン泣いた。幼稚園児のように感情を爆発させて泣くしかなかった。何も食べていないのにお腹が痛い。胸も痛い。
夜通し、声と涙が涸れるまで泣きつづけ、迎えた朝。
「やっぱり、家庭教師を呼ぶのはやめたわ」
私がトーストをかじっていると、お母様がそんなことを言った。最初は空耳かと思った。けれど、違った。
「どうして?」
「だって、あなた、あんなに泣いて」
お母様にも人の心があったのだ。私はここぞとばかりにしおらしく甘えてみる。
「お母様、ありがとう。ついでにあと一つ、私のワガママを聞いてくださらない?」
「内容によるわ」
「演劇部に、戻りたいの」
お母様は深いため息をついた。
「ちゃんと勉強もがんばるのよ」
今回の件を通して一つ学んだことがある。
努力と結果は比例しない。けれど、努力をすれば情けをかけてもらえる。世界は、情けで回っているのかもれないわ。
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嬉々として演劇部に出戻った私を待ち受けていたのは、脚本家不在という問題だった。
今まで脚本は三年の山端さんという男子に任せていたのだけれど、その山端さんを含む三年生は、中間試験の前に行った定期公演をもって引退。しかし残された一、二年生のうち誰も脚本を書いたことがないという。
今日はその脚本家不在問題を何とかするための緊急ミーティングだった。演劇部の活動場所である特別教棟二階、視聴覚室の横の教室に集まった私たちに向かって、部長は有無を言わさぬ口調でこう告げた。
「皆さんには一人一作、十月の終わりまでに脚本を書いて来てもらいます」
現在、演劇部の部員は一年生七名、二年生八名の計十五名。だから全員が奇跡的に締め切りに間に合えば、十五作の脚本ができる。その中から一番いいのを選んで来月の文化祭で演じるという。
スケジュール的にもかなり厳しくなることは容易に想像できたので、無理だ、横暴だ、できっこないという声がたくさん上がったが、部長は意に介さない様子で「いいから書いてきなさい。ちなみに締め切りを破るような不届き者には今後端役しかやらせないから」と見事な専制君主ぶりを見せつけた。
部活にはげみ、塾へも行って、家に帰ってからは脚本を書く。そんな日々の忙しさはこれまで味わったことのない充実感を私にもたらした。
「もうすぐ完成しそうなのよ、脚本」
水曜日、いつもの帰り道、私は琴刃さんにそう告げた。
「読ませてください」
「前も言ったけど、私、そんなに文章上手くないわよ」
「文章の上手い下手と作品の面白さは別です」
「そう言われても、もしつまらなかったらどうするつもり? 琴刃さん、あなた責任とれるの?」
とんでもない責任転嫁に琴刃さんは笑い声をこぼす。
「先輩が心の底から誰にも読んでほしくないと、そう思っているのなら私も諦めます。でも、もし少しでも、誰かに読んでもらいたいという気持ちがあるなら、読ませてください、私に」
ああ、やっぱりダメ。琴刃さんといると体温が上がってしまう。
私はその夜、脚本を書き上げた。
木曜日に自分でも一回読み直し、誤字脱字を直し、出来上がった初稿をプリントアウトして学校に持ってきたのが金曜日。
昼休み、勇気をふりしぼって一年生の教室を訪れる。
琴刃さんは一人、席に座って本を読んでいる。あの子らしいわ。
私が教室へ入ろうとしたところで、とある男子生徒が琴刃さんに声をかけた。その男子生徒は琴刃さんの隣の席の子で、長身でさわやかな雰囲気を醸し出している。
私は入り口の戸の影に隠れながら、二人の様子を見守る。
なんなのよ、あの男。私の琴刃さんに馴れ馴れしくしすぎではないかしら。琴刃さんもそんな男にほだされてはダメ。あ、笑ったわ。今、琴刃さん、小さくだけど笑ったわ。
私は琴刃さんが自分以外のどこぞの馬の骨に笑顔を見せたのが悔しくて悔しくて、同時に、あの二人の仲がこれ以上進展するのを阻止せねばと思い立ち、満を持して教室へと足を踏み入れた。
「ちょっと失礼」
机の島と島の間を通り抜け、琴刃さんのもとに行く。琴刃さんは突然現れた私に驚いたようで、目を大きくして立ち上がる。
「先輩、どうしましたか?」
「琴刃さん、脚本ができあがったの。その、よかったら、読んで感想をお願いします」
「拝読させていただきます」
お互いにお辞儀し、それから私は、さっきまで琴刃さんと話していた下賤な男子に向かって「ごめんなさいね、お邪魔して」と笑顔で威嚇し、教室をあとにした。
翌朝、起床後すぐスマホをチェックすると、琴刃さんからメッセージが届いていて私は仰天した。
――脚本、読み終わりました。詳しい感想は会って直接言いたいです。今日、会えますか?
なんてこと。これはデートのお誘いだわ。幸い、今日は土曜日。塾も部活もない。けれど、ああ、どうしましょう。どんな服を着ていけばいいのかしら。
身だしなみを整えたり、着ていく服をああでもないこうでもないと選んだりしながら、メッセージのやり取りを重ね、私たちは昼に琴刃さん行きつけの喫茶店で落ち合うことになった。
私は、上は紺色のハートネックニット、下は金木犀のような色合いのフレアスカートという恰好をして行った。約束の時間の二十分も前に喫茶店の前に着いてしまい、立ち尽くすこと十分、琴刃さんが現れた。服は私服ではなく、学校の制服を着ている。このあと学校に行く用事でもあるのかしら。
「お待たせしました。先輩はここ、来たことありますか?」
「いいえ。初めてよ」
喫茶店の外壁はレンガ調で、入り口のそばには黒板が置いてありメニューが書かれている。今日のおすすめは「ミラノサンド」らしい。
店内に入ると、どこか見覚えのある男の店員が私たちを奥の席へと案内してくれた。
「先輩、昼ご飯もう食べました?」
「いいえ、まだよ」
「ではここで一緒に食べましょう」
私たちは炭火コーヒーと軽食のミックスサンドとミラノサンドを頼んだ。
「かしこまりました。少々おまちください」
やっぱりこの男、どこかで見たわ。あと少しで思い出せそうなのに。もどかしく思いながら店員の男を目で追っていると、
「先輩、脚本の話をしてもいいですか?」
と琴刃さんが言ったので、私は慌てて居住まいを正す。
「ええ。忌憚のない意見を聞かせて頂戴」
「面白かったです。特に主人公の言動が。具体的には――」と琴刃さんは脚本を取り出し、付箋のついたページを開き、どこがいいかを聞かせてくれた。付箋は数えきれないほどたくさんついていて、私はそれだけで涙がこぼれそうになった。
「私、このお話、好きです」
「私も琴刃さんのことがす――」
「お待たせしました。炭火コーヒーです」
私が告白しようとしたところで、よりにもよってその瞬間に、店員がコーヒーを運んできた。もうっ。空気読みなさいよ。しかも、なあに、この男。隠してるようだけど、琴刃さんへの好意がバレバレだわ。接客に現れてるのよ。私の炭火コーヒーを置く時の音と、琴刃さんの炭火コーヒーを置く時の音がまるで違うもの。ああ、いらいらするわ。なんかこういういらつき、昨日も経験したような。そこではたと気づく。この男、あの男だ。昨日の昼休み、琴刃さんと親し気に話していた要注意人物。
「あなた、お名前はなんて言うのかしら?」
「黒沢流ですけど」
「そう。黒沢さん。覚えておくわ」
私は殺意を抑え込むために深呼吸し、炭火コーヒーを一口いただいた。へえ。味は確かなようね。流石、琴刃さん行きつけのお店なだけあるわ。
軽食もすぐに来たので、私たちは脚本の改善点、推敲箇所について話し合いながら、おいしいミックスサンドとミラノサンドを分け合って食べた。
コーヒーの残りを飲み干し、一息つく。
お腹はもう、痛まない。




