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ヤクザの娘行きつけの〇〇  作者: 仙葉康大
第二章 ヤクザの娘行きつけの図書室
14/50

くそみたいな世の中

 放課後。

 今日は塾がない日だわ。しかも図書当番があるから、まだ学校にいられる。

 私は鼻歌を歌いながら、特別教棟の一階の端に位置する図書室へ向かう。


 けっこう急いできたつもりだったのだけれど、すでに席に座って本を読んでいる生徒が一名いた。真新しい上履きから察するにおそらく一年生だろう。長い黒髪、涼やかな目元、まっすぐ伸びた背筋。表情、たたずまい、雰囲気、そのすべてが凛としている。


 私は受付カウンターの中に入り、パソコンを立ち上げる。

 図書当番は原則二人で行うのだけれど、もう一人の委員はまだ来ていない。


 五分後、野球部のユニフォームを着た男子が図書室に入って来た。たしかこの人、今日私と一緒に当番をする人じゃなかったかしら。


「わるい。練習どうしても抜けられなくてさ、当番任せていいか?」

「ええ。わかりました」

「サンキュー」


 そう言って野球部男子は颯爽と走り去った、部活が忙しくても図書当番はきっちりこなすように、そう先生は言っていたけれど、現実はこんなもの。


 次第に生徒が増えてきた。私は本の貸出や返却を受け付け、その合間をぬって書架の整理を行う。

 ふう。

 一人でやるとけっこう忙しいわね。でもしょうがないわ。そう、しょうがないことなのよ。


 図書室への人の出入りも落ち着いてきた。


 私は受付カウンターに戻り、鞄から、塾で使っている漢文のテキストを取り出す。返り点をヒントに漢字だけの文を書き下し文にしていく。


 図書室のそばにはクスノキが生えていて、開け放たれている窓からは木の葉の匂いのする気持ちのいい風が入ってくる。


 勉強がひと段落ついたところでテキストの上に片頬をのせてみる。雑用、告白、当番。今日は疲れたわ。でも勉強しなくちゃ。いい成績を取らないとお母様、怒るんだもの。あら、あの子、私よりも先に図書室に来てた、あの、凛とした一年生、手にシャープペンシルを握って何か書いてるわ、ノートに。勉強してるのね。偉いわ。私も、がんばら、なく、ちゃ。


=================================================================================


「すみません。下校時間になりましたので、お目覚めになられた方がよろしいかと」


 天然水のように澄んだ声が鼓膜に届いた。私は自分が寝ていたことに気づき、あわてて顔を上げる。


 図書室には茜が差していて、私と目の前の子以外誰もいない。


「お目覚めですか?」

「ごめんなさい。私ったらうたた寝を」

「この本を借りたいのですが」


 そう言ってその子は、図書カードとともに岩波文庫の『若きウェルテルの悩み』という本をカウンターに置いた。私はバーコードリーダーとパソコンを操作し、手早く貸出作業を終える。

 本の上に「一年A組 火口琴刃」と書かれた図書カードを重ねて、手渡す。


「お待たせしました」

「ありがとうございます。窓は閉めておきました。他に、何か私に手伝えること、ありますか?」


 私の仕事なのにやってくれたのだわ。なんていい子なの。


「ありがとう。でも大丈夫よ。あとはパソコンの電源を落とすぐらいなの」


 私は火口さんの手を握り、再度お礼を言う。


「本当にありがとう。助かりました」

「いえ。では私はお先に失礼します。さようなら」

「さようなら」


 そんなふうにお別れの挨拶を言ってから数分後、私は校門の辺りでまた火口さんに会った。図書室を出たのは彼女が先だったが、私もパソコンをシャットダウンしてすぐ退室したから、校門を通過するのが一緒になったのだ。


「あら、また」


 私がそう言うと火口さんは会釈を返し、一人で歩き出した。私は後ろをついていく。どうしよう。話しかけてみたいわ。私のそんな気持ちもつゆ知らず、火口さんは前だけをむいて屹然と歩みを進める。


 歩道の幅は広く、二人並んで歩くぐらいのスペースは空いている。今のところ帰り道も同じ。けれど、何て言って話しかければいいのかしら。


 火口さんが早足になる。私も早足になる。急に彼女がこちらを振り返った。


「あの、何か?」

「あ、いや、その」


 私は決死の覚悟で言う。


「い、一緒に帰りません?」

「お気持ちは嬉しいのですが、あまり私に関わらない方がいいと思います」

「あら? どうして?」


 火口さんが視線を斜め下に向けた。


「私の親、ヤクザなんです」


 そう言えば、今年の一年生の中にヤクザの娘がいる、と誰かが言っていたような気がする。


「そういうわけなので失礼します」

「お待ちになって」


 火口さんの手首をつかみ、私は笑顔で引き止める。


「な、なんですか?」

「せっかく帰り道が同じなんですもの、やっぱり一緒に帰りましょう」


 私は彼女の横に並ぶ。


「学校にはもう慣れた?」

「いえ、あの」

「いけない。私ったら、まだ名前を名乗っていなかったわ。二年の神崎美白です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。あの――」

「本は好き? そう言えば担任の先生はどなた? 家はどのあたり?」


 質問を連発する私に、火口さんは言葉を詰まらせる。


「ごめんなさい。こんなにいっぺんに聞かれても答えられないわよね」

「どうして、私と話そうとするんですか?」


 親がヤクザなのに。彼女がそう言った気がした。けれどそんなこと、私にとってはどうでもいいことだった。


「だって今日、私に親切にしてくださったの、あなただけだったんですもの」

「親切って、図書室の窓を閉めたこと、ですか?」

「ええ」


「それだけで」と火口さんが呟いた。

「あなたにとってはささいなことだったのかもしれないけれど、私は救われたわ。だって、みんな、私に雑用押しつけるばかりなんですもの。そのせいで今日は特に心身共に疲れていたから、あなたの親切が身に沁みたわ」


 火口さんが横目で私を見る。


「先輩は、いい人すぎるんだと思います」

「そうかしら。私、こう見えて腹黒なのよ。クラスメイトや先生方や両親に対して死ねばいいのにって思うこと、よくあるもの」


 火口さんが袖を口に当てて控えめに笑う。


「私も、あります。時々ですけど」

「殺意を抱くのは自由ですものね」


 もう一度二人して笑い、私たちは歩道橋を登っていく。春の夕焼けが遠い山並みに沈んでいく。電柱、街路樹、バス停のポール、ありとあらゆるものの影が伸びていく。


「部活はどこに入るかもう決めた?」

「私はどこにも入らないと思います。先輩は何か部活に入ってらっしゃるのですか?」

「いいえ。私も帰宅部よ」


 歩道橋の階段を一段一段降りながら、私は言う。


「でも、今ね、演劇部に誘われてるの。そうだわ。火口さん、今度一緒に体験入部行ってみない?」

「すみません。それは無理です」

「演劇はお嫌い?」

「部活には入らないと、決めてますから」

「それはやっぱり、お父様がヤクザでいらっしゃるから?」


 火口さんは重くうなずく。


「先輩のように偏見なく私に接してくださる方は、そうそういません。部活内に不和を起こすぐらいなら、私は、一人で本を読んでる方がいいです」

「そう」


 駅前の大きな交差点で私たちは別れた。


 駅へ向かうサラリーマンが歩き煙草をしている。短くなった煙草を道に捨てて革靴ですりつぶし、また新しいのを口にくわえ、歩き出す。


 ほんと、くそみたいな世の中ね。


=============================================================================

 

 帰宅すると、お母様が待ちかまえていた。


「夕食、あと三十分ぐらいでできるから、それまで勉強がんばるのよ」

「はい、お母様」


 私は満面の笑みでそう答え、自分の部屋に入る。椅子に座り、机に向かう。肘を横に動かして机の上の教科書や問題集をなぎはらい、一息つく。


 さて、と、お勉強でもしましょうか。でもその前にやるべきことがあるわ。

 入部届を取り出し、一画一画、魂を刻みつけるように自分の名前を書く。


 だって私、先生から言われた雑用を嫌な顔一つせずにこなして、どうでもいい相手からの告白にも誠実に対応して、図書当番もサボらずちゃんと出て、しかもこれから何時間も勉強するんですもの。このぐらいのワガママ、許されてもいいはずよ。


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