書籍化記念番外編「赤い仔犬と月の女神」(前編)
※ツギクルブックス様より書籍化が決定致しました。
※記念に番外編など書いてみました…と言うか幕間です。
「わーっ、可愛い! どうしたのこの仔犬?」
ダンジョンから戻ってきたロックの足元に、赤い仔犬が尻尾を振りながら纏わり付いていた。
彼の怪我を神聖魔法で治癒しながらクロエが訊ねると、ロックは言いにくそうに頭を掻く。
「倒したら起き上がって、仲間になりたそうな顔でこっち見るんだよ。まあ宝箱には『赤龍の首輪』があったからこうして連れて来れたんだけど」
「何それ、ドラ…ゴンの加護!?」
『赤龍の首輪』とは、身に着けていると魔獣が大人しく言う事を聞くアイテムだ。この宿屋が魔鶏なんてものを家畜として飼えるのも、首輪のおかげだった。
「でもロック、首輪してないじゃない。それなのに懐かれてるの?」
「まあ……加護っちゃ加護だからな。これは女将さん用だよ」
首輪を指でヒュンヒュン回しながらロックが呟く。彼の養家グリンダ伯爵家は、コランダム王国の神とも言える存在に認められ、ドラゴン騎士団の団長を代々務めてきた家系だ。ロックは養子の上に、跡継ぎも生まれてお役目御免のはずなのだが、『グリンダ伯爵』の名で冒険者登録を行い、養家から出される依頼をこなす事で、ロック自身も加護の恩恵を受けられるようになっていた。
(『神』に愛された存在――それって我が国における『聖女』と同質じゃないかしら)
クロエがそう推測していると、ロックが女将に首輪を渡しながら頼み込む。
「なあ、女将さん。ここに犬小屋作っていいかな? こいつは俺に絶対服従だから人も襲わないし、ダンジョンに行く時は俺が連れて行くから」
「客室に上げる訳にはいかないし、あんたがそこまで言うならやればいいけど。餌はどうするんだい?」
「結界の外には魔獣も山賊も出るし、適当にそいつら狩るよ」
「ちょ――っと待ったぁ!!」
とんでもない事をさらりと言うロックに、クロエは思わずストップをかけていた。この仔犬が、何を狩るって!? そして食べるのか、この犬が……
「なに驚いてんだ、こいつも魔獣なんだからそれぐらいやるだろ」
「し……信じられないわ。こんなにちっちゃくて可愛いのに」
「お嬢様、こいつがこれぐらいのサイズになったのは、仲間になってからですぜ。我々と戦った時なんて、こーんなばかでかいサイズだったんですから」
サムが大袈裟に手を広げてみせる。魔獣なら、そう言う事もあるのか……それにしても、宝箱を守っていた魔犬か……パーティーメンバーの傷の具合から見て、相当の強敵のようだが。
「ん……宝箱の番犬? ま、まさかこの子、『ガルム』なの!?」
思い当たった名前にクロエが青褪める。上級者向けダンジョンはレアアイテムを護る反則的に強い魔獣が存在する。ダンジョンの攻略はラスボスを倒せばクリアと見なされるが、こっちはそれよりも強い、裏ボスとも言える存在だろう。
「なんって無茶するのよ!! それより魔水晶はどうなったの、私の依頼は!?」
「わ、悪い……こっちも養家からの依頼でレアアイテムを入手しなきゃなんなかったんだ」
ロックが冒険者をしているのは、モモを守れる強さを手に入れるためだが、同時に恩のある養家――そして加護を与える存在への義理もあるのだ。こちらの方が無理を言っている自覚はあるので、クロエは唇を噛んで引き下がった。
「なら、しょうがないけど……よく勝てたわね、ガルムに」
「それがさぁ、聞いて下さいよお嬢……ぷぷぷっ」
何を思い出したのか、キサラが噴き出している。こうして笑えるのも、無事生きて帰れたからこそなのだが。
「今の状態でもロックの斬撃と撹乱は充分素早いですけど、やっぱりガルムには全然敵わなくて。そこでロックが切り札として残していた変身を……」
「おい!」
ロックの苛立った声が続きを遮る。こんな焦ったロックを見るのは初めてで、クロエは戸惑いながら二人を見比べた。
「へ……変身? ロックが??」
「何でもねぇよ!」
「隠さなくてもいいだろ。俺はかっこいいと思うぞ」
「そうだよ、あんな……ぶふっ!」
「笑ってんじゃねぇか!!」
ロックは完全にむくれてしまったようで、仔犬の首根っこを持ったままドスドスと外へ出て行った。
「あーあ、拗ねちゃった」
「お嬢、悪いですけど犬小屋作りを手伝ってやってくれませんか」
「いいけど……ねぇ、変身って何」
聞いてもラキたちは答えてくれない。顔を見合わせて含み笑いをする三人に、クロエは首を傾げた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
宿の外に出ると、建物脇にロックが板に釘を打ち付けて小屋を作っているところだった。
「随分、手慣れているのね」
「村でも犬飼ってる家が多かったからな。…そうだ、こいつが小屋ぶっ壊さないよう『保護』かけてくんねぇか?」
「……何で女将さん、そんなおっかないガルムを飼うの許してくれたのかしら」
どう見てもおっかなさとは無縁の仔犬を見ながら、神聖魔法を小屋にかける。
「まあ、卵産ませるために魔鶏飼ってるぐらいだしな。あんたの結界に入れる時点で危険はねぇだろ」
「それは、そうだけど」
「心配なら主従契約、する?」
ロックの申し出に目を瞬かせる。詳しく聞いてみると、仲間になる魔獣は一度倒して服従させるだけでは不完全なのだとか。(ロックは付いている『加護』が規格外なので懐かれているが)名付ける事により契約で縛る。これにより主従関係は成立する。
「いいの? この子の主はロックなんでしょ?」
「俺に名付けのセンスはねぇからな。それに、シンから聞いたぞ。チャコは既にペットと主従契約を結んでるって」
(あの不良執事……!)
ロックに見えない位置で拳を握る。彼女は五年前、スラムで拾った少年に『シン』と名付け、ペットとして扱ってきた。あの頃の振る舞いは反省しているとは言え、たまにこうして、報復とも言えない地味さでちくちく突いてくる。
「はあ……分かったわ。どうせならとびっきり可愛い名前にしてあげるから」
「赤だから『ベニー』とかどうだ?」
センスがないと言いつつも、ニヤニヤしながら余計な口を挟んでくるロック。クロエはジロッと睨んで却下した。未練たらしいと思われたくない。
「言っとくけど、呼ぶのは貴方だからね? 殿下の愛称を犬に付けたのがバレて、首が飛んでも知らないから」
シンは現在、用事があって街へ下りてもらっているので、夕方までは監視から外れている。執行猶予中のクロエのそばにいれば、自然とロックたちも監視対象になってしまうのが悩みどころだった。
(それはさておき、名前どうしようかしら……ポチとかムクじゃ芸がないし、体が赤いからシロはないわよね。今は変身した姿だから、勇ましい名前は似合わないし……仔犬、こいぬかぁ)
「……メランポス」
「メランポス? 変わった名前だな」
「いいの、仔犬と言えばメランポスよ。ねー、メラちゃん」
抱き上げると嬉しそうに顔を舐めてくる仔犬――メランポス。涎まみれにされながら、クロエはふと思う。ガルムの主従契約を二人で受け持ったと言う事は、自分とロックはこの子の親も同然……
「たはーっ! なに考えてるの私ってば」
「おい、顔が赤いけどどうした? 唾液に酸でも含まれてたか?」
「怖い事言わないでよ!」
その後、シンが帰ってきた時に事情を説明したが、渋い顔をされた。
「魔獣と契約など……聖女にあるまじき事ですよ」
「聖女はモモ様がいるからいいの。戦って勝ったのはロックなんだし、ほとんど彼が主人よ」
「それで、チャコがここを離れる時にメランポスはどうするつもりですか」
「もちろん、連れて行けないからロックに引き取ってもらうわ。この宿で預かるにしても、その時は聖石による結界で邪心が鎮められるしね」
深く考えていなさそうなクロエに、シンは最大級の溜息を吐く。魔獣との主従契約は、従者に見返りがあるからこそ成り立つ危ういものだ。悪魔ではないので、さすがに魂までは要求されないだろうが、リスクを分散させると言う意味ではロックの取った行動は正しい。
(問題はお嬢様がロックと共同で主と言う扱いになった事だ。忠実な獣にとって、定める主人は一人……それが二人と言う事は、ガルムから見てロックとお嬢様は)
「そう言えば、ロックはどこへ行ったの?」
シンの思考は、クロエの問いで打ち切られる。もう日も暮れ切っており、空には満月も昇ってきている。
「メランポスの食事だって。あと、魔獣は月光浴で魔力を高めるらしいから、散歩も兼ねて」
食事……さっき言っていた狩りの事だろうか。クロエとしては、いくら賊でもメランポスが人を食べたり、それをロックがけしかけたりなど想像したくはない。
「チャコ、そろそろ入浴の時間ですが……」
「入浴……そうだ、兄さん。これから行きたい場所があるんだけど、付き合ってくれない? あ、ブローチは外してね」
監視対象自らが、監視をストップしろと不穏な事を言ってきた。シンの一存では命令には背けない、と断ろうとすると、邪悪な笑みを浮かべて彼の耳元で囁く。
「なぁに? 監視している御方は、私の入浴シーンをご所望なのかしら。シンがそう判断するのであれば、仕方ないわね」
「入浴? しかし、私に付き合えとは」
今までも監視は風呂やトイレまでは行っていない。レッドリオからも何も言われていないし、盗撮などすれば却って文句が飛んでくるだろう。
だがクロエの様子から、普通の入浴の話ではない事は明らかだった。
「外よ、結界の外にある温泉! ロックに教えてもらったの」
いつになく高いテンションで、クロエは瞳を煌めかせた。