ダーク=セレナイト②~覚えのある香り~
クロエはとにかく負けず嫌いで、何でも僕と張り合いたがった。勉強だけでなく、弓術も僕と共に師に教わったが、やはり女の細腕では上手くいかず、何度か癇癪を起こした後に改造した軽量のクロスボウを与えられた。愛人の子に後れを取る訳にはいかないと言うプライドなのだろう。だから仮の聖女として認められ、第一王子の婚約者になった時の喜びようは凄まじいものだった。聞いてもいないのに今日は殿下がああしたどうしたと報告し、パーティーがあれば頭から足の先まで気合いを入れて着飾り、プレゼントされたペットが死ねば食欲も失うほど落ち込んだ。親が決めた婚約だと言うのに、入れ込み過ぎな気もした。
だが僕は知っている。殿下の方は彼女の自慢話や他人の陰口にうんざりし、パーティーも義務を果たせばクロエの方を見ようともしない。プレゼントに至っては側近のセイに全て任せているのだと。あいつが執着すればするほど、殿下の心は離れていく。今までの恨みもあって自業自得だと、僕は溜飲を下げるのだった。
クロエが学園に入学してからほどなくして、もう一人の聖女候補と知り合った。モモと言う平民の少女は貴族間のルールには疎く、反感を持つ者たちも多かったが、物怖じしない度胸と屈託のなさは閉じられた空間だった学園に新たな風を呼び込み、信奉者を増やしていった。やがてレッドリオ殿下も彼女に興味を示すようになり、当然ながら妹は嫉妬に狂った。毎日のようにモモ嬢に関する愚痴や罵倒を聞かせられ、彼女に対抗して作った焼き菓子の毒見をさせられ、殿下にパーティーのエスコートをすっぽかされた際には無理矢理同伴させられた。
とばっちりを迷惑に思いながらも、僕もまた殿下の気持ちには同意せざるを得なかった。いくら身分は王家に相応しくとも、心が卑しい娘と結婚させられるなんてごめんだ。僕だって、どうせ妹にするならモモ嬢のような子がよかった。貴族の愛人の子になんて、生まれてきたくはなかった。
「君が、モモ=パレットか? 妹がいつも迷惑をかけているね」
ある日、僕はモモ嬢に声をかけた。クロエのした事を詫びると、貴方が謝る事じゃないと謙遜される。床にはビリビリに破かれた教科書が散乱していた。すぐに元凶に思い至って顔を顰める。次の日、僕は一年の時に使っていた教科書を、呼び出したモモ嬢に譲り渡した。
「わざわざ悪いです、こんな…」
「もう使わないし、妹が仕出かした事の弁償代わりに受け取ってくれ」
モモ嬢は最初は恐縮していたが、受け取った後は何度も頭を下げて去って行った。後日、お礼だと言ってクッキーの包みを渡される。なるほど、これがクロエが対抗していた、手作りの焼き菓子なのか。失敬して一つ食べると、素朴ながらも妹のを毒見した時とは段違いに美味だった。
「ダーク様って、もう少し怖い人かと思ってました」
「あいつの兄だからね。君にしてみれば、仕方ないと思うよ」
それから僕はクロエの後始末やフォローをする内に、モモ嬢と何度か言葉を交わすようになる。あいつの愚痴を聞いてもらう内に、自然と自分の生まれについても知られる事になる。
「私はダーク様の事、汚らわしいなんて思いません。好きな環境を選んで生まれて来れる人なんていませんよ」
「それでも…あいつの居場所に割り込んでしまったのは事実だ」
「だったらクロエ様は、こうなる原因を作った御父上に抗議すべきです! それを反論できないお兄様に八つ当たりするなんて…」
モモ嬢は本当に怖いもの知らずだ。だが胸の奥でずっと燻っていた事を代わりにズバズバ言ってくれるので、心がスッと軽くなる。文句を言う彼女を微笑ましく見つめていると、ハッとした表情をした後に懐から包みを取り出した。
「ところで今日は、ダーク様のお誕生日と聞きましたので。これ、プレゼントです」
「……? 君に話した事はあったか?」
「いえ、その……クロエ様がそう話していましたので。ダーク様は誕生パーティーがお嫌いで、やめてしまわれたのだとか」
正確には僕のためのパーティーが開かれるとクロエが癇癪を起こし、自分の時はもっと豪勢しろとごねるので面倒になって開くのを断るようになったのだ。あいつにとって今日は、父の愛人の子が生まれたと言う、忌まわしい日なのだから。
だが我が家を一歩出れば、そんな事情など意に介さない友人たちからの祝いの言葉が素直に嬉しい。しかも今年は、モモ嬢からも貰えるとは……たった一年しか学園生活を共にできないのが悔しい。
「これは……香水?」
「お店で見つけて、ダーク様に見てもらいたいなと思って買ったんです。気に入って頂けると嬉しいんですが…」
女物の香水だが、趣向を凝らしたデザインの小瓶が、ダークを思い起こさせたのだと言う。公爵家でも貰い物の酒や香水を開けずに飾ってあるので、これもインテリアの一つとして置けるだろう。だがせっかくなので、香りを確認するために蓋を開けてみる。
仄かに漂うその匂いは想像より甘ったるくはなく、包み込むような優しさで不思議と落ち着いた。この匂いをダークは知っている。ずっとずっと求めていた――忘れもしない、マゼンタ伯爵夫人と同じ香水のものだった。彼女の事はクロエの愚痴としてざっくりと話しただけだ。どんな匂いだったかなんて、モモ嬢は知りようがない。
(これは、偶然か……?)
懐かしい香りを纏い、謎めいた笑みで去っていく彼女。妹のように、実の妹などよりよっぽど、愛おしく感じていた。「私、一人っ子だったから。ダーク様のようなお兄さんのいる、クロエ様が羨ましい」と言われた時は、舞い上がるほど嬉しかった。だが近頃は、それだけじゃ足りなくなってきている。これからもずっと、共に過ごしていたい。毎年の誕生日を祝って欲しい。僕の事を、見て欲しい。
気付けばモモ嬢に対する感情は、妹や後輩に向けるものではなくなっていた。