セイ=ブルーノ④~賭けの行方~
降臨祭当日、聖女像の噴水前でミズーリと落ち合う事になっていた。同じ事を考えていた国民は多く、広場は凄い人だかりだ。ここぞとばかりに開かれた屋台も、どこも繁盛している。聖教会が建てた櫓の上では、聖女の代理人が緩やかな聖衣を着て祈りを捧げていた。頭から被ったヴェールからは、茶色いポニーテールがぴょこんと飛び出している。
今日の聖女の役割は、チャコ=ブラウンが務めていると聞いた。学園新聞のあの記事は、案の定レッドリオ殿下を怒らせたらしく、それならモモ嬢が出られない儀式はチャコ嬢に代わらせてはと、イエラオ殿下が提案したそうだ。まあ降臨祭は国民総出で騒げる年中行事であって、本物の危機を回避してくれる訳ではない。代理で充分なのだろう…今の私のように。
「お待たせしました、セイ様」
遠くから儀式を眺めていると、制服姿のミズーリが駆け寄って来る。学園ではずっと殿下かモモ嬢のそばにいたので、在学中ミズーリと過ごした事はなかった。まさか卒業してからこうして制服を着た彼女と降臨祭に来る事になろうとは。
「今日のチャコ嬢、何だか色っぽかったですわ。近くまで寄ってみます?」
「興味がない」
降臨祭を共に過ごすのも聖女の儀式も、モモが良かった。去年一緒に過ごせた時間は、ほんの僅かな時間だけだった。今頃彼女は、殿下たちと共にダンジョンの中だろうか…隣のミズーリを脳内でモモに変換しながら、私は自分を慰めた。
夕方になると、貴族たちは王城の大広間へ向かう。夜からダンスパーティーが始まるのだ。ドレスに着替えたミズーリを見て、私は呆気に取られる。以前の彼女であれば、露出度の低い寒色系の大人しめなデザインだった。それが今夜は、モモの髪を思わせる薄いピンク色のドレスだった。大胆にも肩や背中は剥き出しになり、スカートは花びらのようにふんわり広がっている。それでいて子供っぽくならないのは、所々に誂えたアクセサリーのおかげだろう。コランダム王国は宝石の国。リクーム公爵令嬢とミズーリは、良い広告塔になっていた。
「カナリア様のドレス、素敵ですわね」
大広間の真ん中で手を取り合い、くるくると踊る第二王子カップルを見守りながら、ミズーリがうっとりと呟く。モモ嬢もこれを着られたら…とは思うが、おくびにも出さずに彼女をダンスに誘う。
「君も見違えたよ。今宵の客は皆、妖精を見たと錯覚するだろうね」
「お世辞をどうもありがとうございます。貴方以外の殿方からの印象は、気になっていましたから」
実に可愛くない返しに、引っ掛かりを覚える。私以外の男の印象だと?
「お忘れですか? わたくしは貴方との婚約を解消するのですから、早急に次の候補を探さねばなりません。ですからファーストダンスが終われば、どうぞご自由になさって下さい」
冷めた眼差しを向けられ、眉間に皺が寄る。いつになく煽情的な格好だったのは、男漁りのためか。…いや、私がどうこう言う資格はない。婚約破棄を打診したのはこちらだ。…ただ、少し早いのではないかと思っただけで。私たちはまだ婚約中だろう。
「モモ嬢への愛をアピールするチャンスだと申しましたでしょう? ここにいる貴族の方々、わたくしたちの婚約が破綻している事を知っていましてよ」
「なに…!?」
戸惑う腕からするりと抜け出すと、ミズーリは次々と手を差し出す男たちの輪の中に入っていく。思わず伸ばしかけた手は、瞬時に群がって来た令嬢たちによって遮られた。
「セイ様、次はわたくしと踊って下さる?」
「いいえ、私とよ!」
「ウォーター伯爵令嬢とは家が無理矢理決めた婚約なんですってね! 禁断の愛と分かっていても貫く一途さ……素敵ですわ」
「たとえお一人になったとしても、わたくしは一生貴方の味方ですから!」
口々に勝手な事を言いながら、我先にと次のパートナーの座をもぎ取ろうとする女たち。さも理解者であるようなふりをしているが、私がモモ嬢とは結ばれない事を前提に、隣に侍ろうとしてくる……反吐が出る。
「君たち…私の実家の事情に随分と詳しいようですね」
「学園新聞に特集が組まれていましたわ。モモ嬢が一体どの殿方を選ぶのかと」
「男子生徒はセイ様の婚約が続行か解消か、賭けていましたわ。酷いですわよね」
令嬢たちは私の機嫌を取ろうと、媚びた態度で告げ口してくる。だが私は、その衝撃の内容に絶句していた。事もあろうに学園の者たちは、我々やモモ嬢の恋路を笑い者にし、あまつさえ賭け事の対象にしていたのだ!
怒りで茹ってきた頭を冷やそうと、テーブルに向かおうとすると、ちょうど給仕が飲み物を差し出す。しゅわしゅわと泡立つそれは酒のようにも見えたが、これくらいなら嗜んでいる。私は一気にそれを呷った。
(このバカバカしい宴から、早く退散しなくては)
パーティーの最中イエラオ殿下の王太子決定の知らせが発表され、会場は大いに沸いたが、誰もレッドリオ殿下の不在を気にしていない。だったらここには代理すら要らないだろう。
「これはこれは、左宰相殿の御子息。今宵は随分、召されているようですな」
バカを言え。この程度の酒、水と同じだ。
「しかし、惜しい事を。ウォーター伯爵令嬢と先程お話してきましたが、それは博識な方で。しかも大変お美しい……本当に婚約者を辞めてしまわれるおつもりか?」
婚約者じゃなくなっても、付き合いがなくなる訳じゃない。あれは、優秀なビジネスパートナーだ。
「いえね、息子が以前から彼女に……ですから今回の件はチャンスだと燃え上がっておりまして」
ミズーリは、そんなにモテるのか。モモ嬢なら分かるが、あの人形令嬢が……まあ、最近はそうでもないが。
視線を向けると、ミズーリは輝くような笑顔で一人の令息とステップを踏んでいた。ふわりと広がるピンクのドレスはモモを思わせ、相手の男のぱっとしない風貌、乱れた髪は、ここのところクロエ嬢の周りをうろちょろしていた、幼馴染みと言う――
「……っ!!」
世界が揺れた。体中が熱い。何だこれは……周りがざわついているが気にならない。
「セイ様、どうなされたのですか? 気分が優れないのでしたら……あっ」
ミズーリの声がどこか遠い。にもかかわらず、彼女の細い手首の感触がこの手の中にあった。気付けばどう戻ってきたのか、彼女と寝室にいた。ミズーリは私をベッドに横たえ、胸元を寛げようとする。極めて事務的なその手付きが、もどかしかった。離れようとする手を逃がすまいと掴むと、振り返ったその姿に息を飲む。
『誰にでもそのような振る舞いは、お控え下さい』
マスミ様だった。ミズーリだと思ってベッドに引き込んでしまった事に仰天する。…いや待て、ミズーリならいいのか? 今は彼女と婚約破棄するために動いている訳で、その間は女として見てはいけない約束だ。
『好きになってしまったのなら、仕方ないですよ』
マスミ様の髪が黒から桃色に変わり、モモ嬢の姿になる。ああ…君だったのか。この腕の中に抱きしめる事を、ずっと夢見ていた。君を、私だけのものにしたい。君がいればもう、何も要らない…
『セイ様』
顔を上げた彼女は、ミズーリだった。目に涙を溜めてこちらに訴えかけるように見つめている。
(結局、君は誰なんだ…)
頭がくらくらする。腕の中の女の髪が、目まぐるしく変わる。おかしい、こんな酒の酔い方はした事がない。それにこの匂い……
『わたくしでは、いけませんか』
『わたくしには魅力がありませんか』
『わたくしはつまらない女ですか』
『セイ様が好き…マスミ様を愛するセイ様も、モモ嬢を愛するセイ様も、多くの女性と遊び歩くセイ様も…わたくしを決して愛さないセイ様を、ずっとずっとお慕いしてきました』
『けれどわたくしだって傷付きもします。わたくしは人形じゃない、女なのです。貴方を愛する一人の…』
女の声に、女の体に包み込まれる。本能で、手が動いた。意識はそこで途切れた。
次の日、まだはっきりしない頭を押さえて起き上がる。ぼんやりと部屋を見回す内、だんだん血の気が引いてきて、嫌でも覚醒した。
私は、何一つ身に着けていなかった。脱ぎ散らかした服は、ベッドの周りに散乱している。それに重なるように、妖精のような桃色のドレスも――
(昨日、何があった…!?)
ファーストダンスを終えてからの記憶があやふやだ。確かあの後、学園新聞に好き勝手書かれて生徒たちに笑い者にされている事に憤り、喉を潤すために酒を受け取ったのだった。妙な香りのする酒だった。それに、どこかで嗅いだような…
「う、んん…」
隣のシーツの塊が、もぞもぞ動いている。ドキリとした。私は昨夜…この中にいる者と……
シーツの隙間から、輝くような空色の髪が流れ落ちた。





