セイ=ブルーノ③~ビジネスパートナー~
「まず状況を整理しましょう。そもそもわたくしたちが婚約したのは、外国との同盟を強化するため。これは第二王子も同様ですが、ウォーター伯爵家の場合ですとやはり貿易関係でしょうか」
ミズーリは今までのぼんやりとした様子は鳴りを潜め、きびきびと手にした書類を捲る。婚約中の男女が部屋に二人きりだと言うのに、実に色気がなかった。
「第二王子の婚約者…コランダム王国か? あそこは確か、竜と呼ばれる幻獣…それに、クリスタルの産地だったか」
「カラフレア王国としてはそちらが目的でしょうが……コランダム王国側の事情としては、防衛でしょうね。我が国の聖女の力は、通常魔法による結界とは桁違いですから」
あの国周辺は昔から小競り合いが多い。もしも戦争なんて事態になれば我が国が、モモ嬢が巻き込まれる可能性がある。だがミズーリが言うには、そうならないためにウォーター伯爵家を通じて他国とも連携を取り、外交と経済の力で戦争を回避するのだそうだ。
「わたくしたちの婚約には、そうした事情があったのですよ」
「では万が一モモ嬢がコランダム王国まで遠征、なんて事態にならないようにするためには、我々はどうしても結婚しなければならないのか」
「いえ、そうとも限りません」
ウォーター伯爵家に役職と権限を与えれば、必ずしもブルーノ公爵家との婚姻の必要はなくなる、とミズーリは考えている。戦争も可能性の話であり、すぐに起きる訳ではない。ただ事が起きてから呑気に段階を踏んでいては、手遅れになる可能性があるのだ。
「ですからまずは経済面で実績を上げ、今の内に緊急時にも即座に動ける法律を通しておくのです。我々は表向きは婚約者ではありますが、今後はビジネスパートナーとしてお付き合いしていきましょう」
「あ、ああ…」
さっと差し出された手を反射的に握る。「女として見ない」とは婚約破棄のための絶対条件だった。言われずともセイは今まで一度たりとも婚約者に性的触れ合いはしてこなかった。遊びで付き合うのとは違い、決められた婚約者と関係を持てば、婚前交渉と見なされ非常に面倒だ。とは言え、例えば手の甲にキスをしたり社交辞令で褒めたり手紙を出したりはした。それらも一切やめるのかと聞けば、「同性の友人の場合で考えればよろしいのです」と返された。
(そう言えばミズーリの方は、私をどう見ているのだろう)
ふと、これまで気にも留めて来なかった彼女の気持ちが気になった。最初から愛さないと公言し、これは政略結婚だと念を押して伝えてきた私。ミズーリはその全てを、文句一つ言わずに受け入れてきた。それは自分と言うものがないようにしか見えなかったのだが、今はこうして私の気持ちを尊重し、婚約破棄の準備に向けて計画を練っている。自分を蔑ろにし、他に女を作って遊んでいたような男のためにだ。
「散々傷付けておいて……最低な男だと軽蔑しないのか」
ぽつりと漏らした声に書類から顔を上げた彼女は、何を今更と溜息を吐いた。
「わたくしに対する気遣いは無用です。女扱いはしない約束でしたよね?」
「…これもダメなのか」
「同性のご学友が相手なら、貴方は気にしたりしないでしょう? さあ、この話題はもうお終い。お茶を淹れましょう。この茶葉はコランダム王国特産で、輸入許可待ちの一品なんです」
完全に商人としての顔になるミズーリに、拍子抜けする。このまま婚約者ではなくなったとしても、彼女は今まで通りの態度を崩さないだろう。いやむしろ、吹っ切った事でより良い関係を築こうとさえしている。もしかしたら縛り付けていたのはミズーリではなく、私の方だったのではと思うと、何とも苦い思いと共に味が口内に広がる。
「…変わった風味だな。初めて味わうが悪くない」
「でしょう? 効能は体力と魔力の同時回復。優秀な魔法薬師の煎じたポーションと同レベルですよね。その名も『ドラゴンの糞』」
「ブッ!! ゲホッゲホ…ッ」
「ふふ、びっくりしました? まあ商品名はインパクトを狙っていますが、実際にはその糞を養分に育つ特殊な薬草ですよ。…ふ、土に分解された竜の排泄物から、硝酸ドラコニウムなる物質が…最近、発見されまして、その作用により…ウフフッ」
お茶を噴いてしまった私の反応に、堪え切れずに身を震わせるミズーリ。彼女が笑ったところなど、出会って以来一度も見た事がない。クスクス笑い声を上げるミズーリの手から、零さないようカップを取り上げると、ぽかんとこちらを見つめてきた。
「君、ちゃんと可愛く笑えるじゃないか」
「…婚約破棄する気、あります?」
返答は、可愛くなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ミズーリはまだ学園在学中だが、左宰相を補佐する外交官となるべく、目下勉学に励んでいた。と言うか私の妻になるにしても、夫婦共々兄上を支えるべく最初から選んでいた道だったらしい。如何にも堅物だと思ったが、今回の婚約破棄を始め、策を弄する方が性に合っているらしい。
「昔から悪戯が好きで……成功した時の驚いた顔を見るのが好きなんです。そもそも商売とは化かし合いなんですよ。外交もある意味、そうですよね」
「意外な一面を見た……正直、君は人形のように自我がないのかと」
「ふふ、騙されたでしょう?」
あれからミズーリは、婚約者の責務と言う建前で私の部屋に足繁く通っていた。甘い口説き文句も触れ合いもないが、今までよりもずっと親密に言葉を交わしている。家族はその事を歓迎してはいるものの、婚約を白紙にするのには難色を示し、特にダークが騒動を起こしてからはますます難しくなっていた。
「レッドリオ殿下の婚約者が不在となり、モモ嬢がどう動くか未だ決まっていないのが痛い。王太子がイエラオ殿下にほぼ内定してからは、私にも第一王子との繋がりを切れとの圧力がかかっている」
「その事なんですが、セイ様。学園新聞にこんな記事が」
そう言って差し出された記事には、断罪後のクロエ嬢や我等監視組の詳細がぎっしり書かれていた。論調はクロエ嬢に同情的で、学園内でも殿下を始め、有力者の息子たちばかりに声をかけるモモ嬢を良く思わない生徒が多かったと締め括られていた。
「記者はチャコ=ブラウン!? バカな…彼女はモモ嬢の親友じゃないか。イエラオ殿下に袖の下を握らされたのか?」
私の記憶では、彼女もまた私に靡かない女生徒の一人だった。正確に言えば、愛想笑いは返すし気軽に話しかけてくるが、一線を引いている。まあ根っからの新聞記者なのだろう。だが二人はいつも一緒に行動して、仲が良さげに見えた。決して親友を貶めるような記事を書くとは思えなかったのだが。
「迫害に対する断罪も済み、婚約も解消された今、改めて事実関係を見直しましょうって事のようですね」
「まさか君も、モモ嬢が我々を篭絡していると思っているのか?」
「さあ? わたくしには関係ありませんから、どうでもいいです」
関係ないと言われてカッとなるが、確かに婚約者としては考慮すべき問題ではあるが、自分たちはまさに、その婚約を解消するために動いているのだ。無事それが叶えばミズーリは正真正銘、モモとは何の繋がりもないと言えるだろう。考えるのは、私の役目だ。
「ではセイ様、そのモモ嬢を如何に愛しているかをアピールするチャンスとして、降臨祭のダンスパーティーに参加して頂きます」
「…これも、イエラオ殿下の御命令か」
現在、私たちはクロエ嬢が魔女化する疑いを確かめるため、ダンジョン攻略によるレベル上げの最中にある。聖女としては降臨祭の参加も大事だが、モモの言う通り魔女の覚醒が近いのならば、それも放置しておけない。
「それはレッドリオ殿下も憂慮されていたようで。ですから当日はモモ嬢たちは引き続きダンジョン攻略、セイ様は殿下の代理として参加するようにと」
「な…っ、はあ…仕方ないか」
「うふふ、式典の準備は我がウォーター伯爵家に一任されておりますの。コランダム王国の輸入品を一気にお披露目できますわね。あちらの最新流行のドレスを着て行きますので、セイ様踊って頂けますか?」
「……楽しそうだな、君は」
呑気に降臨祭に想いを馳せるミズーリを揶揄してやれば、満面の笑みを浮かべて。
「ええ、貴方の婚約者としての、最後のダンスパーティーですもの」
それは喜びか、惜しんでいるのか。百戦錬磨の恋の達人でも、判別不能だった。





