269:きっかけ作り
そこから三日間、私はリハビリに励んだ。体の力はだいぶ戻ってきていて、簡単な手伝いならできるようになっていた。そうなると張り切るのがクララで、宿屋の厨房を借りて私とお菓子作りをまたやりたいと言ってきた。こうなると特に断る理由はない。
「そうそう、上手ですよ」
「と言っても以前習った通りなんですけど」
ど忘れしていたものの、私はクララからクッキーの作り方を教わっている。何故か壊滅的な出来になってしまうのだけれど……そこまで不器用なのだと思い知らされ悲しくなる。
「こういう時は、好きな人の事を考えながら作れば、自然とおいしくなるものですよ」
「それも前に言っていたわね」
あの時はレッドリオ殿下に食べてもらおうと躍起になっていた。さすがに消し炭を食べさせる訳にはいかなかったけれど、気持ちの押し付けだったと今は思う。それにしても、心持ちを変えるだけでクララのアドバイスがスルスル頭に入ってくる。腕が上がらないのは、反発心のせいもあるかも。
「……クロエ様、不躾ですがひょっとして、好きな殿方の事でも考えていました?」
「えっ!?」
ボールに入れた溶かしバターと格闘していた手を止める。図星を突いたと確信したクララは、パッと顔を輝かせた。
「そうですか、クロエ様にもようやくそのお気持ちが!」
「え、ちょっと待って……何が『ようやく』なの?」
私がレッドリオ殿下に恋焦がれていたのは、クララも知っていたはずだ。何のために疎んじていたクララにわざわざお菓子作りを習っていたと?
「恋の形は人それぞれですから、これが正解だと教える事はとても難しいのです。もちろん、クロエ様がレッドリオ殿下を婚約者として慕う気持ちが偽物だったとは思いません。ただ……先ほどの貴女のお顔から、誰かを想って心を痛めているようでしたので」
鋭いわね……伊達に公爵家跡取りのハートを射止めただけあって、恋に関しては私よりずっと先輩だわ。どうしよう……仮にも義母に向かって、婚約者でも何でもない相手についての相談なんてしていいのかしら?
「恋かどうかは置いといて、顔を合わせ辛い人がいるのよ。このままじゃ良くないって分かってるんだけれど、切り出す勇気がなくて……」
「クロエ様は私やダーク、旦那様とも心を通わせる事ができたじゃありませんか。だからきっと大丈夫です」
そりゃあ確執があったとは言え、家族ですから。それと同じようにはいかないと思うのよね……
溜息を吐く私に、クララはクスッと笑ってオーブンの準備をする。
「それじゃあ、クッキーを少しばかり多めに焼きましょうか。私たち家族の分と、その人へのきっかけ作りに。そろそろ王都に戻らなければいけませんから、これ以上アドバイスはしてあげられないけれど」
「! そう、ですよね……」
お父様は一足先に王都に戻った。本来ならだらだらと山奥の宿屋に押しかけてくる余裕なんてない。クララやミズーリ嬢、それにダイ様の家族たちも昼頃にはペガサスの馬車で帰還する事になっていた。
それは、彼も同じだろう。私が一歩を踏み出せないのは、いつでも会えるという甘えがあるからだ。後で後悔しないためにも、理由は何だっていいから話に行かなきゃ。
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