イエラオ=キース=カラフレア⑱~婚約者は男前~
イエラオ編最終話です。長らくお付き合い頂きありがとうございました。
次回から本編エピローグが始まります。
「イエラオ殿下、ご無沙汰しており……きゃっ!」
「カナリア、会いたかった!」
隣国から来た馬車(馬ではなく走竜だけど。乗り心地悪くないのかな?)から降り立った愛しい婚約者に、僕は辛抱できずに抱き着いた。ふわりと香水の匂いがして、僕が誕生日にあげたものだと気付いて嬉しくなる。
十六歳になったカナリアは、最早お嬢さんではなく立派なレディーだと言えたけど、以前のように不安になる事はなかった。身長差ができあがって、余裕ができたからだろうか。
「もう、殿下がご覧になってますよ!」
「ははは、君たちの仲睦まじさは、我が国でも有名だからな」
続いて苦笑いしながら顔を出したのは、サフィール王太子殿下。今年の降臨祭にご招待したのだ。目的はシンに会わせるためだが、今はまだ明かせない。将来、数少ない王族の一員としてお役に立てればと思っている。
「私はこれから国王陛下に挨拶に伺うが。カナリアはどうする?」
「王立学園の案内をしたいと思うのですが。お借りしてよろしいでしょうか?」
「いいのですか? ぜひ行きたいです!」
「降臨祭の準備中で授業はないけどね」
王太子と別れた後、僕らは学園に向かい校舎見学のための手続きをした。この間ずっと手を繋いでいたので注目されていたけれど、僕が婚約者を溺愛しているのは学園でも知れ渡っているので「あれが、例の…」という生温かい視線だった。
「ふわぁ~、ほんとに『ゲーム』とおんなじ! わたくしもここに通いたかったですわ」
「今からでも来なよ。兄上が婚約者と通えるの、ずっと羨ましかったんだから」
兄上は嫌がってたけどね。クロエ嬢はあの人にとって、束縛の象徴だったから。ネクタイを弄っていると、それに気付いたカナリアが頬を染めたので、ニヤッとして上着から引き抜く。
「あっ、そのネクタイ……」
「ありがとね。これ、すっごく気に入ってるんだ」
誕生日に彼女から贈られた、鳥の刺繍がされたネクタイ。学園の生徒で婚約者がいる令嬢は、ネクタイに自ら刺繍してプレゼントする風習がある。ダイルートでヒロインがダイのネクタイをダメにした際、刺繍して返すと好感度が爆上がりするんだっけ。モモ嬢はグリンダ伯爵狙いだから、普通に繕ってたけどね。(それでも喜んでるダイ、『ゲーム』よりチョロくないか?)
カナリアは以前の降臨祭でクロエ嬢から学校指定の制服の店を聞き出し、ネクタイを取り寄せたのだとか。いじらしいなぁ……
「カナリアも香水、つけてくれてるんだね。リクエストされた時は安物だったから意外だったよ」
「なに言ってるんですか、『カナリア草の香水』と言えば三年時にキース君から贈られる誕生日プレゼント! 前世でプレイした時は欲しくて欲しくてたまらなかったんですからね! あと婚約者の名前が『カナリア』だって判明するのも、この時だけなんですよ? まさに二人のメモリアルじゃないですか」
興奮して力説するカナリア。でも『ゲーム』のキースがあげた相手って、モモ嬢でしょ? せいぜい兄がお世話になってますとか、生徒会の前会長の御機嫌取りとか、それくらいの意味しかないと思うけれど。まあ婚約者の名前が入ってる商品だから、それなりに気に入ってはいたんだろうな。
「カナリア草と言えば、前世いた異世界のものとは同じ名前でも全然違うんで、初めて知った時は驚きました。向こうでは鳥の餌になるから付けられた名前なんですけど、こっちは本当に見た目が鳥そっくりなんですよね。草笛にすると鳴き声みたいな音が出るし、匂いも爽やかな甘さと言うか……毒はないし、もしかしたらこの世界のカナリア草も食べられるのかも?」
少し前を歩くカナリアの髪は、これまた誕生日プレゼントのリボンとヘアピンで髪をまとめているので、ピアスをつけた耳のあたりもスッキリ出ている。うなじから仄かに香る匂いに、思わず言葉が口から滑り落ちていた。
「そうだね、食べたい」
「やだー、あはは! キース様が食べてどうするんですか、鳥の餌の話ですよ。そうだ、この間バロメッツのローブの在庫が大量に残ってるって言ってましたよね」
やばい、ここ最近の疲れで欲望が駄々漏れになってる……焦って口を塞ぐ僕に気付かず、カナリアは話題を変えた。入学式の後に行われた悪役令嬢たちとのお茶会で、シィラに国内産業を守る事の大切さを説かれた僕は、その事もカナリアに伝えていた。
「実は『コランダム王国』のゲームでは、バロメッツのローブはレアアイテムなんです。生産もされておらず、技術を受け継ぐ職人も絶えてしまって……魔導ローブの上位互換で、ダメージフィールド無効の優れものなんですけどね。という訳で、半分くらいこちらで買い取らせて頂けないかと」
「本当!? 助かるよ。でもいいの? 五万着って結構な値段するんだけど」
「いや、いくら安いからって帝国産を十万着も買っちゃったんですか? ムーンライト侯爵には『安物買いの銭失い』って言葉を教えておいた方がいいですよ」
う、耳が痛い……結局はそれで職人たちの信用を失って、技術が失われたんだしなあ。ちなみに何故帝国が大量生産できるのかと言えば、そもそも製造方法が違う。原材料は魔界蜘蛛のエキスに羊毛を浸して作られるのだが、これだと耐久性が低く魔法抵抗も二年と持たない……つまり消耗品なのだ。もっとも、瘴気の濃い地域に長期間滞在する機会自体がないので、値段も安いし充分なのかもしれないが。
がっくり肩を落とす僕を、カナリアはクスクス笑って覗き込む。上目遣い可愛い。
「今年の誕生日プレゼントは、バロメッツのローブにして下さい。降臨祭のダンスパーティーではミズーリ様とコランダム王国ブランドのドレスを披露する事になっていますし、わたくし、魔導ローブの広告塔もやってもいいですよ」
「カナリア……」
ぎゅーんと愛おしさでどうにかなりそうになる。ここまでしてもらって、応えられなきゃ男じゃない。一方で、彼女の好意に何もかも委ねてしまいたいとも思ってしまう。内に渦巻く抱え込んだ闇も……
(でも、ダメだ。カナリアには背負わせたくない。見せたくないんだ、こんな僕を……)
しばらく沈黙が続く中、誤魔化すようにその辺の扉を開けると、そこは保健室だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さっきから変な汗が止まらない。所在なく丸椅子に腰かける僕をよそに、カナリアは散弾銃のように『ゲーム』語りを続けている。
「セイ様はモモさんへの想いが本気だと示すために、売り上げ勝負の間は一切、異性として扱わないと誓うんですよ。だけど一つの目標に向かって心を通わせる男女、何も起こらないはずもなく……徹夜で寝不足だったところをクロエ様の妨害で転倒し、気を失ったモモ様を保健室に運ぶセイ様。当然、二人きり!
途中でモモさんは目を覚まし、何かされたんじゃないかとドキドキするんですけど、結局何もなかったんですよね。それはそれで魅力がないのかって複雑になりますよね?
『危うく理性の箍が外れかけましたけどね。ここで意識のない君から勝手に奪えば、二度と心は預けてもらえない……商人は信頼が第一ですから。
だけどもし、勝負に勝って認めてもらえたその時は……』
あの女殺しで不誠実が服着て歩いていたセイ様がですよ? 本命だからこそ手が出せない……くう!」
僕は遠い目をしていた。何が悲しくて婚約者のセイ様愛を聞かされなきゃならないんだろうか。いや『ゲーム』の話だし、その中でも僕推しだって知ってるけども。何か面白くないんだよな……
立ち上がる僕に何かを感じ取ったのか、カナリアが小芝居を打ち切って目を丸くする。僕は彼女に近付き、肩をトンと軽く押した。後ろには、モモ嬢が寝ていたというベッド。ポスンと座らされた彼女に圧し掛かり、耳元で囁く。
「カナリア、保健室で好きな子と二人きりって、まさに今そんな状況なんだけど……誘ってるの?」
「へぇ? ……いえっ、そんなつもり、じゃっ」
唐突に現状を理解して真っ赤になるカナリアに、僕はプッと噴き出した。これで欠片も意識されてなければ、男として立つ瀬がない。以前、僕の部屋のベッドでも同じ事があったけれど、僕もカナリアもまだ子供だった。今はあの頃よりお互い成長したからこそ、迂闊な行動は控えるべきだろう。
「分かってるって。あんまり長居すると怪しまれるから、そろそろ出よう」
「あ、キース様……」
呼び止めかけたカナリアに構わず、扉に手をかけるが、開かない。まさかカナリア、鍵を……意外と大胆だな。まあ僕には効かないけど。
「『開錠魔法』! ……?」
魔法でこじ開けようとするが、反応がない。首を傾げながらも何度か唱えるが、うんともすんとも言わなかった。これは……見た事もない魔法で、僕たちは閉じ込められている?
「無駄です。『空間魔法』は本来なら今から五十年後に開発される技術。魔法で作り上げた大きな箱の中と外で時間の流れを自由に変えられます。敵に使えば発狂、味方に使えば体力全回復にできる、百年後のリクーム公爵――わたくしたちの子孫の特殊スキルです」
僕は扉との格闘を諦め、カナリアの方を振り返る。ついさっきまでの狼狽えようは綺麗に拭い去られていた。見透かすような宝石の瞳が、僕をじっと見つめている。
「カナリア、こんな魔法が使えたんだ?」
「もしかしたらキース様の血だった可能性もありましたけど、魔法研究や開発はうちの方が数段進んでいます。結果、前世の知識チートにより、時代を五十年先取りさせてもらいました。コランダム王国がわたくしを手離さない理由が、お分かりになりましたか?」
カナリアの魔力では現実時間五分の間に一日分だけ閉じ込めておくのが限界だそうで、こちらのラスボス戦には役に立てそうにもない(させるつもりもないが)との事だけど、応用すれば様々な用途に利用できるのは確かだった。魔法陣が必要な『静寂魔法』よりも迅速に有力者同士の秘密の会合場所も用意できるし、凶悪犯の足止めだって可能だ。
「……で、僕をここに足止めする事に何の意味があるの?」
「キース様、ブレスレットをしていますよね。それを外して下さい」
袖から出ないよう注意していたのに、見破られている。反射的に、手首を押さえた。
「誕生日にいただいたこのリボンも魔道具なので、受付で申請したんですけれど、その時にキース様の所持品が書かれていたのも見てしまいました。
『エルフの宝珠』の他に、『認識阻害魔法のブレスレット』……レッドリオルートでお義兄様がモモさんとのお忍びデートで使っていたアイテムです。つまり貴方の今の姿は偽り……そうなんでしょう?」
全く、王家の秘宝がこうもあっさり看破されるなんて、『ゲーム』知識は厄介だな……僕は溜息を吐き出すと、おどけたように仰々しく頭を下げた。
「貴女を騙す形になってしまい申し訳ございません、リクーム公爵令嬢。私は第二王子の懐刀、ジョン=ブリアン。本日はイエラオ殿下の影武者として、貴女のエスコートを任されております」
「キース様、本気で怒りますよ?」
婚約者と影武者の区別もつかないと思われているのか、と、カナリアは目を細める。まあ、さっき思いっきり抱き着いたし、『ゲーム』の話は平気でするし、挙句に保健室に二人きりなんて、影武者と言えど僕が許すはずがない。
「本当ならここに閉じ込めた時点で、魔法を無効化する事だってできたんです。だけどわたくしは……キース様の意思で教えて欲しかった。隠し事をされるほど、わたくしは頼りないですか?」
そう言って眉を下げ、沈んだ声を出されるとダメだった。嫌われたくないし、傷付きたくもない。だけどそれ以上に、君を傷付けるのが怖かったんだ。
ブレスレットを弄り、パチンと魔力を遮断すると、周囲が一瞬ブレて偽りの姿が剥がれ落ちていく。暴かれた僕の今の姿に、カナリアの見開かれた瞳からぶわっと涙が溢れ出した。駆け寄ってきて、強く抱きしめられる。
「どうしてっ、どぉして一人で背負い込むの……うぇっ、ごれはっわだぐじがいいだじだごどなどに″ぃ!!」
「何言ってるのか分かんないよカナリア」
「えううぅぅ、ぎーずざばどばがぁぁ!!」
ぎゅうぎゅうと苦しいほどの抱擁に、体よりも心が締め付けられている。今朝、鏡に映っていた僕はあまりにも酷い有り様だった。ここのところ、まともに眠れておらず、隈が酷い。食事も取ってはいるのだが、粘土を噛みしめているようで苦痛だった。
人って短期間でこんなにやつれてしまうものなんだ……思考だけが変わらず呑気で思わず笑ってしまうが、鏡の中の笑顔は引き攣っている。心配するサンドに口止めしてもらい、シンに使うためのテスト用に持ち出していた認識阻害魔法のブレスレットで何とか誤魔化していたけれど、気付く人には気付かれていたようだ。
「泣かないで……ごめんよカナリア。クロエ嬢とモモ嬢のどちらか……いや、二人共犠牲にするなんて悪魔の所業に、君を巻き込みたくなかった。君にこの国の闇に触れさせて、汚したくなかったから」
「グスッ、ぎぜい、犠牲にしてるのはっお二人だけじゃなくて、キース様御自身もです! ヒック、わたくじは、貴方の婚約者じゃないですか……っ」
「うん、でもこれは僕が……歴代の王たちが決めてきた事なんだ。それがどれだけ非道で、時代錯誤だと分かっていても、大勢の犠牲を払ってまでしがらみを断ち切る決断から逃れてきたツケだ。君には何の責任もないんだよ」
「ぞっ、ず……そんな事言わないで」
ハンカチで涙を拭ってあげると、まだ目は真っ赤に泣き腫らしていたけれど、強い眼差しを向けられる。無理矢理嗚咽を飲み込んで止めたカナリアは、ピシャリと打つ勢いで両手で頬を挟み覗き込んできた。
「キース様、国を背負うのは一人ではありません。男と女が手を取り合い、国の歴史に綿々と紡がれる一つの系譜こそが王なのです。貴方にとってわたくしは、ただ綺麗に飾られるだけ、守られるだけのお姫様ですか?
……前世であたしが『ゲーム』のキース君にこれだけ惹かれたのはね、見た目が好みだったってだけじゃない。ヒロインが色んなタイプの攻略対象に寄り添って救う度に、ずっと思ってた。
『どうしてキース君の事は助けてあげないの?』
って。
だってそうでしょう? レッドリオ殿下と同じ悩みを、キース君が持っていないはずないじゃない! あたしだったら……わたくしならお力になれる、それができると思って、嬉しかったのに」
首に噛り付きながら、自分より高い位置にある僕の頭に手を伸ばし、撫でてくれるカナリア。僕は申し訳なくて、一緒に涙を流した。国が滅亡すると不安がっていたカナリアに信じて欲しかったのに、そんなカナリアを信じてあげられなかった。彼女にしてみれば、酷い裏切りだっただろう。傷を隠して、偽りの笑顔だけを向けられるのは。
「ごめん……僕は君の王子様になりたかった。一人で空回って、かっこ悪いったらないよ」
「男の人ってそうゆうとこあるよね。痩せ我慢がかっこいいってやつ?」
カナリアに男の人と呼ばれて、胸が高鳴る。涙でボロボロの顔で向き合えば、どちらともなく笑い出して、重ねた唇はしょっぱかった。ふと、保健室に二人きりで閉じ込められている今の状況に、今更ながら緊張が襲ってくる。
「ねえカナリア、もう空間魔法は解除していいんじゃない? 本当に一日中、ここにいなきゃダメなの?」
「あー……それがですね。先程お手洗いで失礼した時に、化粧室でチャコさんから『イエラオ殿下がお疲れなんじゃないか』とご相談を受けまして。ゆっくり寝て頂く機会を窺っていたのです。だから解除の条件は『キース様の隈が綺麗に取れる事』です」
「は??」
チャコ嬢、そんな場所でいつの間に。と言うか、僕の隈が取れるまで出られないって? そんな事……
「という訳でキース様、寝て下さい」
「いやいや、ちょっと待ってよ」
ベッドに誘おうとするカナリアを、慌てて止める。彼女に見られているのに、一人で呑気にグースカ眠れる訳がない。二人きりというこの状況で、完全に目は冴えてしまっている。
ここはカナリアに認識してもらうために、ちょっと脅した方がいいかな?
「男が好きな女の子と一日中閉じ込められて、寝るだけで終わると思う? カナリアの事だから『キース様はそんな事しない』って思ってるのかもしれないけど、ついさっき君に箍を外されて、理性も限界きてるからね。当分眠れそうにないよ」
「……」
セイみたいな台詞を言ってしまっているが、実際にストレスで睡眠不足と食欲不振が振り切った結果、生きるために体がもう一つの欲望に忠実になっている。慰めて欲しいという甘えを、僕はやけくそで挑発に使った。
「それとも、カナリアも一緒に寝てくれるの?」
「いいですよ」
「ほら、やっぱり……えっ、いいの!?」
まさか承諾されるとは思わず、ぎょっとしている間にカナリアはブーツを脱いでベッドに上がった。
「最終的に寝て下さるのであれば、何でもいいです」
「カナリア、君さぁ……」
「来ないのですか? でしたらわたくし一人でも寝ますので」
ヘアピンとリボンを解くと、美しい金髪が流れ落ちる。時が緩やかになっても外からの光は彼女の髪をキラキラと照らし、思わず見惚れてしまった。だが目の前でスポンと靴下を脱がれるとさすがに焦る。
「待って、カナリア! どこまで脱ぐ気!?」
「とりあえず楽な格好はしておきたいです。あ、眠くなりました?」
「心臓が爆発しそうなんだけど……」
スカートから覗く素足が目に毒だ。だけど……カナリアが気を遣ってくれているのは分かる。これ以上彼女に恥をかかせる訳にはいかなかった。
僕は上着を椅子の上に放り出すと、靴を脱いでベッドに上がった。首元を緩めるためにカナリアの指がネクタイにかかり、解き出す。……さっきから男前過ぎない?
僕ばっかり緊張しているようで悔しかったけど、なかなか解き終わらないのを不審に思い、彼女の手元に視線を落とすと、その指は震えていた。俯いた髪の隙間から覗く耳が赤い。カナリアも、緊張していたのだ。
湧き上がる衝動で、ベッドが軋んだ。耳に髪をかけ露わになったピアスにキスをすると、カナリアの体が大きく跳ねる。
「好きだよ、カナリア。僕の生まれたこの国と同じぐらい、君を愛してる」
「はい……わたくしも、キース様とこの国が大好き」
真っ赤になりながらも受け入れようとする健気な婚約者の首筋に顔を埋めると、仄かに甘いカナリア草の匂いに包まれ――
ブツンと何かが切れる音がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
保健室の扉の前で、チャコ嬢と新聞部顧問が対峙していた。
「ブラウン、お前こんなところで何やってんだ。誰かいるのか?」
「おっと先生、追及は野暮ってものですぜ」
中を覗き込もうとする顧問を何とか通せんぼするチャコ嬢。
ちょうどその時、僕とカナリアは扉をガラッと開けて保健室から出てきた。
「やあ、チャコ嬢にヴェルデ先生」
「おー、第二王子……と、そっちのお嬢さんは噂の婚約者か。一体ここで……少しやつれたんじゃないか?」
僕の顔を見たヴェルデ先生は、僅かに眉根を寄せた。
「そうですか? 顔色悪いですか?」
「いや、顔色は特に……むしろ何か艶々してないか? まさか神聖なる学び舎で悪い事してたんじゃないだろうな?」
「えー、悪い事って何ですか? 僕、子供だから分かんなーい」
先生からの詰問をへらへらと躱している後ろで、チャコ嬢が腰を擦っているカナリアを問い詰めている。
「で、実際のところどうなんです? 大人の階段上っちゃったんですか?」
「いえ、特に何も……丸一日、爆睡してました」
「はぁ!? イエラオ殿下、もう十五でしょう? セイ様なんかねぇ……」
「セイ様と比べちゃダメでしょう。キース様は、キース様なんですから」
何だか僕がお子ちゃまみたいに話してるけど、別に怖気づいて据え膳食わなかった訳じゃない。意識してなかっただけで心身共に、ほんと――に疲弊し切っていたのだ。あの時切れたのは、理性じゃなくて意識だった。
そしてたっぷり睡眠をとった後に目が覚めてからは、保健室に常備されている新品のタオルと洗顔セットを拝借して身繕いをし、間食用のおやつで空腹を満たしていたら、魔法が解除されたのだ。
だから僕は今、相変わらず子供のままではあるのだけど。非常に残念ではあるけれど。
「本当に何もなかったのか? ちょっと見ない間に、一皮むけた感じがするんだが……気のせいか?」
「『男子三日会わざれば刮目して見よ』ですよ、ヴェルデ先生」
しつこく追及しようとする先生と僕の間に、カナリアが割り込んできた。ヴェルデ先生も一応攻略できるためか、彼女の愛想はいい。むむ……
「三日どころか、昨日会ったばかりなんだが……良さげな事言うお嬢さんだな。あんたが将来の王妃やってくれるんなら、カラフレア王国も安泰だな」
「将来と言えば先生、魔薬の販売ルートがあれば今の内に潰しておきたいんです。蛇の道は蛇って事で、マフィアに聞いてみようと思うんですけど、誰か知り合いはいませんか?」
「し、知らん知らん! 教師の俺が知ってる訳ないだろ!」
出席簿で追い払う仕種をする先生に、僕たちは笑った。
僕は今や、純粋な子供だった頃には戻れない。だけど、たとえ悪魔になってしまっても、君がいてくれるのなら……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
降臨祭のダンスパーティーが終わった後、カナリアと短い挨拶を交わす。僕はすぐにクロエ嬢を送り届け、その後で兄上たちと合流しなければならないし、カナリアは王太子と帰国だ。また長らく会えなくなる。
「きっと、大丈夫ですよ。彼女なら」
たったそれだけの言葉の中に、カナリアが今のクロエ嬢と話して何かを確信したのだろうと感じた。君がそう言うのであれば、僕はクロエ嬢を信じよう。そのために裏で走り回る事くらい、お安い御用だ。
(さぁ、ここからが新しい神話の始まりだ。君たちはどんな役柄で舞台に立つのかな?)
※ツギクルブックス様より書籍版、電子版が発売中です。
(自作PV→https://youtu.be/MH-fwoiSxfY)
※書籍情報は活動報告にて随時更新していきます。





