80:転生者たち
その姿は、さながら聖母のようでも、女騎士のようでもあった。魔女に乗っ取られ、最早斬るしかなくなった幼馴染みを、助けると言い切ったクロエを、ロックは呆けて見つめている。
「助かる……のか? あいつはもう、消えてしまったって――」
「それは彼女の自己申告よね? 確かに、人一人分の人生の記憶が加わる訳だもの。それまでの自分がどうだったか、思い出せなくなったとしても無理ないわ。だけど、完全に失われた訳ではないの。例えば……お菓子の作り方とか」
言われて、いつもモモから差し入れをされていた焼き菓子の味が蘇る。そうだ、あの素朴な味。故郷の母親に教わったんだと言っていた。村近くの森で拾った木の実や、花びらを塩漬けにしたものを練り込むのが、代々伝わっている製法なんだとか。
それに孤児院の子供たちと遊んであげている時は、随分と手慣れていた。村にいた頃を思い出して懐かしい、と言う言葉自体は嘘であっても、体は覚えていたのだろう。
「恐らく今のモモにとって大事なのは、『ゲームに役に立つ情報』かどうかなんじゃないかしら。私だって、以前の記憶を全て引き継いでいる訳じゃないもの」
「えっ!?」
聞き捨てならないその言葉に、誰もが驚愕した。そう、断罪後に別人のように変わってしまったクロエの謎は、結局謎のまま残っていた。もしかするとクロエもまた、モモと同じ――
「やっぱり転生者なのね……貴女も」
クロエと対峙する魔女は、愛らしい容貌を憎々しげに歪め、黒髪を一層ぐねぐねと地に這わせて威嚇した。
「そうなるわね。思い出したのは、断罪されたあの時からだけど」
「こんなの反則だわ、悪役令嬢が役目を放り出して隠しキャラを落とすなんて!! 私の苦労を返してよ!!」
理不尽な言い掛かりを付けるモモに、クロエは僅かに顔を引き攣らせる。
「記憶が戻った以上は、魔女化は避けるに決まっているでしょう? それに、隠しキャラってロックの事じゃない。わざわざ一番難しいルートを狙わなくても、村に帰ればその内会えたはずよ」
「だって、グリンダ伯爵の正体なんて私、知らなかった! あのゲームでは難易度高過ぎて、素顔が見れる真のエンディングにまで辿り着けなかったし! だから慎重に事を進めて、伯爵の出現条件を満たしてたのに!! 隠しルートをクリアしてるからってずるいわよ!!」
言っている意味は分からないが、勝手な言い分であるのには違いない。が、モモの剣幕に誰も口を挟めなかった。「ここはゲームの世界じゃない」と諭そうにも、彼女は人の話を聞きそうにない。どこまでも自分中心に世界が動いていると、信じているのだ。
やがて大きく溜息を吐き出したクロエは、そんなモモの言うゲームとやらの話に付き合う事にしたようだ。
「隠しルートはプレイしたけど、最後にモモがグリンダ伯爵を追いかけるエンディングまで。その先の真のエンディングは、私も見れていないの」
「嘘よ!! それじゃ、どうしてロックがグリンダ伯爵だって知ってるのよ!? ネットでも情報が錯綜して、クリアした人じゃなきゃ正体に辿り着けなかったのに……」
二人の女が自分の事で揉めている……にもかかわらず、当事者のロックは置いてきぼりにされていた。彼女たちが語る『グリンダ伯爵』が、どうにも自分とはかけ離れている。もちろんモモの前に出る時は、意図的に別人を装う気でいたようだが。
「ロック、貴方言ってたわよね。モモのお母さんが手紙を出しても、返事が返ってこないって」
「あ、ああ……三ヶ月くらいで学業が忙しいって返事を最後に」
それまでモモと怒鳴り合っていたクロエが急に話を振ってきたので、我に返ったロックが戸惑いながらも答える。それに頷くと、クロエは何事かと身構えるモモに向き直り、懇切丁寧に説明してやった。
「ロックがグリンダ伯爵である証拠は、ゲーム内でも語られているのよ。もちろん、隠しルートじゃなくね。休日は必ず届いた手紙を読んで、返事を出すの。三ヶ月過ぎたあたりから、ロックが伯爵家に引き取られた話が出てくるわ」
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