プロローグ
私は何者にも成れない。
皆が当たり前のように歯車となって社会に溶け込んでいく中、私だけが歯車にさえ成れずに取り残されている。
何者かに成ろうと努力はしてみたものの、何をしても凡人以上の才覚は無く、心の内に闇を募らせるばかりだった。
特に何か切っ掛けがあった訳ではない。ふと、思い立っただけだった。一日に数本しか運行されないような列車に乗り、一日に数人も降りないような駅で降りる。車通りも無い林道を歩き、辿り着いたのは山奥のダムだった。
ダムの水位は連日の雨で満水に近い状態で、透明度は低く、例え人が沈んでいたとしても気付かれ難いだろう。
そして遂に、湖に身を投じてしまった。そこには一切の躊躇いも無く、足に括り付けた重りに引かれ、湖の底まで沈んで往く。
来世には、素晴らしい人生を送れるといいな。そう願いながら、暗い湖の底に沈んで往く。
・・・
「・・・?」
気が付けば、見知らぬ森の木陰で眠っていた。辺りには、見慣れない不思議な植物が生えていて、とてもこの世の風景とは思えなかった。
(ここはどこ・・・?もしかして、天国?)
いいえ、湖に身を投じた私が、天国になんて行けるはずがない。そんなことは、私自身が一番分かっている。
ここがどこなのか調べるためにも、起き上がり周囲を散策する。地形は至って平坦で、小川が近くに流れていた。小川に沿って進めば、きっと町があるはず。町に出られれば、何か分かるかもしれない。そう考えて、小川の流れに沿って歩くことにした。
暫く小川に沿って歩いていると、大きな、何とも形容し難い生き物が目に入った。
(何だろう、あの生き物は・・・。)
興味本位で観察していると、その生き物と目が合ってしまった。その瞬間、その生き物は此方に向かって走り出した。直感的に、私を襲いに来た、ということが分かった。しかし、今更死ぬことに対して恐怖を覚えるような事もなく、ただじっと、その走り迫る生き物を眺めていた。
私を殺そうとするその姿勢は、正しく獣と呼ぶに相応しい。振り上げられた腕が、私目掛けて振り下ろされる。私は静かに目を閉じ、運命に身を委ねる。
(・・・。)
「うぉぉぉおおおおっっっ!!」
唐突に、雄叫びのような声が聞こえた。目を開けると、目の前で獣の腕が宙を舞っていた。横から剣を持った男が現れ、獣の腕を切り落としたのだ。
「君!大丈夫か!?今助ける!!」
そう言うと、男は反撃してきた獣の首を、いとも容易く刎ねる。その鮮やかな剣捌きに、獣は断末魔さえ発せなかった。
「なぜ森の中を一人で・・・もしや、君、転生者か!?」
「転生者・・・?」
「取り敢えず森を抜けよう、ここは危険だ。この先に町があるから、そこで話そう。」
そう言って私の手を引っ張り走り出した。唐突のことで頭の処理が追い付いていないが、握られた手の温もりに、えも言われぬ不快感を覚えた。今すぐにでもこの手を振り払い、この男の顔を殴りたくなる衝動に駆られたが、町に連れて行ってくれるのであれば、今は我慢するしかない。殴りたい衝動を抑え、町を目指して森を駆け抜ける。
・・・
三十分程走り続け、漸く森を抜けた。
「ハァ・・・ハァ・・・此処まで来れば安心だ・・・。あの丘の上に、町がある・・・。」
息切れしながらそう言うと、男は手を離してくれた。その行動に、正直ホッとした。あのまま繋がれていたら、きっと全力で殴っていた。
「ハァ・・・驚いた・・・君、体力あるんだね・・・。」
そういえば、あんなに走ったのに疲れを感じない。普段の私は二分も走れないのに、今日は三十分も続けて走ることが出来た。
「自覚がないのかい?だとしたら、それも能力の一つかも知れないな。さて、一息着いたし、町まで歩こう!」
何か良く分からない事を言ってるけど、取り敢えず町まで歩こう。
暫く歩き、漸く町にたどり着いた。町は丘の上の平な部分に広がっていて、その周りを高い塀で囲まれている。辺りは草原が広がっていて見晴らしが良く、守りやすい砦の様な町だ。町の中は活気があり、多くの人が歩いている。
「そうだな・・・あの飯屋で話をしよう。」
そう言って連れて行かれたのは、町の大衆食堂のような食事処だ。お腹も空いてきていたので丁度よかった。
・・・
「さて、落ち着いた所で、話をしよう。君は、一度死んだのか?」
出された水を飲み干し男が尋ねる。
「確証はないけど、たぶん。湖に重りを括って沈んだから、助かる事はないと思う。」
それを聞いて、男は驚いた表情をする。
「ということは、君は自殺したのか!?珍しいな、大抵はトラックに引かれた、雷に打たれた、とかなのに。自殺でも転生してこれるのか・・・。」
自殺した人が転生してくるのは珍しいらしい。
「転生者なら何かしらの能力を持っているはずだ。君はどんな能力なんだ?」
「知らないわよ、そんなの。来たばかりだし。それに、能力って何?」
「能力っていうのは、転生者が持つ特殊な力のことだ。基本的に水・火・風・土・雷の五つの属性と、無属性に分かれてる。ちなみに、俺は風属性だ。」
「じゃあ、私もその内のどれかってこと?」
「かもしれん。さっきの走りから、恐らく君は無属性じゃないかな?無属性の中には、身体強化を持つ超人化があって、さっきの無尽蔵の体力もその内の一つだと思う。無属性は範囲が広いから、色々な魔法があって俺も把握しきれていない。」
なんか嫌な力を手に入れてしまったのかもしれない。
「まあ、まだ分からんか。ごく稀に、光・闇といった珍しい属性を持った転生者もいる。過去には、全属性を持った転生者なんかもいたらしい。」
それはまさに、チート能力だ。きっと世界を引っ掻き回したに違いない。でも、私には関係無い話だ。
話をしている間に、食事が運ばれてきた。見た目は普通の肉だが、この世界のどんな生き物の肉なのかは想像がつかない。
「そういえば、名前聞いてないな。俺も名乗ってないし。・・・俺の名は、モール!よろしくな!!」
「私は・・・。」
名乗ることを躊躇う。違う世界に来たというのに、前世と同じ名前を使うのに抵抗を感じたからだ。また、何者にも成れない自分になってしまう。それだけは避けたかった。
「・・・私は、マリー・ゴールド。マリーって呼んで。」
咄嗟に思い付いたのは生前好きだった花の名前だ。この世界にマリーゴールドが咲いているとは思えないし、名前としての違和感も少ないから大丈夫だろう。取り敢えず、お腹も空いたし食事を頂きましょう。
・・・
「この後はどうするつもりだ?」
食事を終えて一息ついた所でモールが尋ねてきた。
「どうするって言われても・・・特に思い付かないわ。」
「だとしたら、まず王都に向かうと良い。この世界で一番の大国、リリウム王国の中心都市だ。だがその前に、自分の能力くらいは把握しておいた方が良い。町の外で練習しよう。」
店を後にして町の出口を目指す。途中、モールが何かの建物に立ち寄ってから町を出た。
町の外は多少の起伏はあるが目立った山は無く、見渡す限り一面が草原になっていてる。その中に一本の線のように真っすぐ引かれた街道があり、それを進めば王都に着くらしい。
「さて、この辺にしようか。」
町を出てある程度進んだ道の脇に出る。この辺は他と比べて平坦なため練習には丁度良い。
「能力については、実際に発動させてみないとどんな属性なのかさえ判別することはできない。発動の仕方は・・・言葉にしづらいんだが・・・なんかこう、体の内側から力を解き放つような・・・そんなイメージだ。」
モールは身振り手振りで教えようとしてくるが、ざっくりしすぎてよく分からない。取り敢えず、目をつむり、イメージをふくらませる。
(・・・内側から、力を、解き放つ・・・。)
自分の内側にあるものといったら、一つしか思い浮かばない。
薄々感付いてはいた。ただ、それは私の過去そのものだ。あまり気持ちの良いモノではない。
でも、それが力になるのであれば。それで私が変われるならば。
ならば、それも利用して生きよう。この世界で、新しい私になるために。
(・・・私の能力は、"闇"だ。)
「どうだ、マr・・・!?・・・うわぁ!!」
私の中から黒い何かが溢れ出す。これがきっと、闇なのだろう。その闇は草原の草を呑み込み、瞬く間に広がっていく。
(まだ、制御が上手く出来ないな。・・・あっ。)
闇にモールが呑み込まれてしまった。さすがに、これはまずい。
(こう・・・かな?)
何となく、自分の力が分かってきた。闇の中に、呑み込んだ草があるのが分かる。その中に、モールの姿も確認できた。何とか闇を戻し、モールを吐き出す。
「ハァ・・・ハァ・・・マリー、凄い能力だな・・・。」
モールは凄い汗を流しながら地面に突っ伏す。
「・・・マリー、今後は人を呑み込むな。あの空間はヤバいぞ・・・。上も下も、右も左も無い、何も見えないし自分の声さえ聞こえない・・・。あそこには一分もいたら気が狂う・・・。」
(これは人にも使えそうね。)
呑み込んでしまった草を吐き出しながら、そんなことを考える。この力を制御出来れば、どんなモノでも持ち運びが出来る。これは便利だな。また獣に襲われても、呑み込んでしまえば良い。
「フゥ・・・落ち着いてきた・・・。」
モールはそう言って立ち上がるが、まだ足が震えている。平衡感覚が掴めていないみたいだ。
「うん、マリー、君は完全に闇属性だね。それに、相当の魔力量だ。これは、魔力レベルも俺より高いかも知れないな・・・。」
「魔力レベルって何?」
「そう言えば説明してなかったね。魔力レベルっていうのは、所謂その人の強さの指標みたいなものだ。この世界で一番弱いとされている魔物のゴブリンを魔力レベル1として、相対的に決められた指標だ。ちなみに、俺のレベルは66で、マリーを襲っていたウルフベアは、この辺りでは結構強いレベル40。」
あの獣は、ウルフベア、と言うのね。今思い返せば、確かに狼と熊を混ぜたような姿だった。名付けた人も、きっと似たような世界から来たのかもしれない。
「それじゃあ、王都まで行こうか。」
足の震えも治まり、真っすぐ歩けるようになったモールが歩き出す。ただ、その前に気になることがあった。
「あなたは、仕事とかは大丈夫なの?あの町の人なんじゃないの?」
モールはきょとんとした顔をするが、すぐに理解して口を開く。
「ああ、実はこれも仕事の内の一つなんだ。俺の職業は勇者だからな。」
「勇者?」
「勇者と言えば聞こえが良いが、要はリリウム王国の兵士だ。有事以外は国内の町に常駐して警備や護衛、君みたいな転生者の保護をしている。常駐している勇者は何名か居るし、王都に向かう旨は伝えてあるから安心して。」
兵士という名前より、勇者という名前にした方が人を集めやすいのかも知れない。異世界に転生したら、そういうのに憧れる人も多いと思うし。
「だから、取り敢えず王都まで案内するよ。道中で危険なのは魔物だけじゃない。特に、女性だと狙われやすいからな。」
力を得た人間がどんな行動を起こすかわからない。この世界では、魔物より人間の方が恐ろしいのかもしれない。素直にモールの案内に従って王都を目指す。この世界なら、私は何者かに成れるかもしれない。