とある悪女6
「カール様!今日も持ってきましたよ。」
「お、悪いな。いつも助かる。」
「ちょっと待ってくださいね。…ぷは。はいどうぞ。」
「…もう毒味はしなくても良いと言ってるだろ。」
「そう言うわけにはいきません!貴族の方に飲み物をお渡しするのですから、毒が入っていないと証明するのは当然のことです。」
「貴族の常識も知らないくせにそこだけはやけにこだわるんだな…」
「ふふん。カール様に変な物なんて飲ませられませんから!」
カールは苦笑しながらソフィアから水筒を受け取り、それを飲み干した。空の水筒を返すと、カールは木陰のベンチに座っていたソフィアの隣に腰かけた。
「いつも差し入れを持ってきてもらってすまない。負担にはなっていないか?」
「大丈夫ですよ!私が好きでやっている事なんですから。それに、私の作ったものをカール様に飲んで欲しいんです!」
「そうか…。」
カールは愛らしく微笑んだソフィアの頭をそっと撫でた。最後に滑らかな栗色の髪をつつっと梳かすと、手を離した。ソフィアはそれを頬を少し赤くしながらも受け入れた。
「ふふ。」
「何がおかしい?」
「まさかカール様とこんな風に隣り合わせで座ってお話しする日が来るとは思いませんでした。」
「ああ…そうだな。あの時は高圧的な態度をとって悪かったな。お前に悪意がない事はこの数ヶ月で良くわかった。お前が何も考えていないこともな。」
「今の言葉の方が酷いですよ!まったく、私だって色々と考えているんですからね。」
「ほう。例えばどんな?」
「カール様に喜んでもらうには、どうしたら良いか、とか…」
「…」
「ご、ごほん。とにかく、私だっていつも考えなしな訳じゃないんですからね!」
「あ、ああ。」
この数ヶ月、ソフィアは毎日の様に鍛錬するカールの元を訪ねた。次第に、ソフィアのいない日は何か物足りなく感じる様になり、カールはソフィアの為に鍛錬時間を放課後に固定した。
意外と頭の良かったソフィアは、今では学力も追いつき、アダルヘルム達との勉強会を必要としなくなっていた。そしてその暇を、ソフィアはカールとの密会とも呼べる時間に費やす様になった。
この時間以外、カールはソフィアに冷たい。ソフィアもまた、アダルヘルムやパウロスと親しくする間は、カールと目を合わせることすらしなかった。二人だけの、秘密の時間。この時間だけ、二人は素直にお互いの気持ちを伝えることができる。この限られた逢瀬の刺激に、カールはすっかりハマってしまっていた。初めて好きになった女性。その人が自分の気持ちを素直に受け入れてくれるのだから、こんなに幸せなことはない。カールはもはやアダルヘルムに対する罪悪感すら感じることはなかった。カールはただただ、ソフィアに夢中だった。
カールはそっとソフィアの手を握った。ピクリと肩を震わせたソフィアは、しかし抵抗することなくそれを受け入れた。
「カ、カール様…あの、」
「ソフィア…この時間は、俺の宝だ。」
「カール様…」
カールはソフィアの瞳に吸い寄せられるように顔を近付け、彼女の柔らかな唇にそっと口付けを落とした。ソフィアは顔を真っ赤にしながらも、目も閉じる事なく、それを受け入れた。カールが顔を離しソフィアの顔を見ると、その目には涙が溜まっていた。
「ソフィア…」
「ち、違うんです、これはその、嬉しくて…。私の気持ちが、カール様に届いたんだなって思って、」
「ソフィア…好きだ。愛してる。俺の孤独を埋めてくれたお前と、ずっと一緒に過ごしたい。」
「カール様…」
「ソフィア、本当のことを聞かせてくれ。殿下やパウロスの事はどう思っているんだ。」
「…正直言うと、戸惑っています。お友達のつもりで接していたつもりなんですけど、きっと私が何か勘違いをされる様な言動をしたんですね。でもこの国の王太子とその側近候補にそんな事は言えなくて…。カール様を裏切っている様な気がして、いつも罪悪感でいっぱいです。」
「俺の事は気にするな。お前の気持ちがわかっていれば、それで充分だ。」
「でも、こんな不誠実なままでは、カール様の物には、とてもなれません…。」
「っ、俺は、お前と一緒になる為なら側近候補を降りたって良い。」
「!そんな、いけませんカール様!アダルヘルム様の側近になることが幼い頃からの夢だったのでしょう?その為に親しい人も作らずに…」
「最近の殿下は自分を律する事も忘れ、お前に夢中だ。生徒会の仕事を放棄してまでお前に会いに行くんだ。まだ公務は真面目に行なっているが、もう殿下は俺が敬愛していた以前の殿下ではない。」
「でも、でも…」
「今までがおかしかったんだ。殿下は誰にも心開かず、パウロスは愛慕の眼差しで殿下を見つめ、俺はそんな二人を守るべく孤独を選んだ。皆、一方通行で独りよがりだったんだ。こんな状態で正しい主従関係が築ける訳もない。いつかは綻びる。そしてそれが、今だったと言うだけだ。」
「カール様…」
「今すぐ答えを出せと言うわけではない。お前が学園を卒業するまでに、考えておいて欲しいんだ。もしお前が殿下の隣を選んだとしても、俺は何も言わない。ただ、殿下の側でそれを見守らせてもらう。」
「…将来どうするなんて、まだ考えたこともありません。ただ…この時間が、ずっと続けば良いのにって、そう何度思ったか分かりません。私にとっても、この時間は宝物なのです…」
「ソフィア…」
誰もいない校舎裏の一角で、二人はまた唇を重ねた。