とある侍女1
「ローゼリア、貴方の身の回りのお世話をするヨハナよ。侍女の中で一番若い子を選んだから、仲良くなれると思うわ。働き者のいい子よ。」
「ヨハナと申します。これから身の回りのお世話をさせて頂きます。よろしくお願い致します、ローゼリアお嬢様。」
「ふふ、堅いわね、ヨハナ。緊張しているの?我が家の大事な一人娘だけど、いつもの様に接してくれればきっとすぐに打ち解けるわ。ローゼリアはとっても賢くていい子なの。」
「よろしく、ヨハナ!」
「ローゼリアの生まれは男爵家よね?侍女が付いたことはあって?」
「ないです。」
「最初はなれないかもしれないけど、ヨハナが教えてくれるわ。」
「はい!」
表面上は和やかな対面。ヨハナは優しげな眼差しをローゼリアに向けていたが、その瞳の薄皮一枚隔てた向こうに、嫉妬や憎悪の感情がある事にローゼリアは気付いた。しかし内心どう思っていようときちんと世話をしてくれるのならば問題はないであろうと、ローゼリアは見なかった事にした。
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ヨハナを連れ自室に戻ったローゼリアは、「これからよろしくね、ヨハナ」と改めて口にした。するとヨハナは、先程まで取り繕っていたはずの笑顔の仮面ををすっかり脱ぎ捨て、無表情で会釈をするのみであった。
あらあら。
しかしローゼリアもこの程度で腹を立てるような狭量さは持ち合わせていなかった。
「じゃあちょっと休憩するから、お茶を入れてくれる?」
「かしこまりました。」
無愛想なその態度は如何なものとして、一応仕事する気はあるようだ。しかしあのような顔で四六時中仕えられるなど、普通の幼子ならばかなりの精神的負担となるだろう。
ことり。静かに置かれたティーカップからは上品な香りが立ち上がる。カップとポットのみを配膳すると、これで仕事は終わりとばかりにヨハナは一礼し、居室に設置されている使用人の控えの部屋に入っていった。
ローゼリアはサロンでラウレンティアとお茶を共にした時、砂糖とミルクを入れた。ヨハナもそれは見ていたはずだ。そしてテーブルの端には存在感のない小さなベル。本来であるならば使用人を呼ぶときはこのベルを鳴らすが、侍女の付いたことのない5歳児ならば、このベルの意味に気がつかないであろう。ローゼリアはそう結論付け、ヨハナを呼ぶ事にした。
勿論マナー通りにベルを鳴らせばこれ以上は何も問題は起きなかったのだが、いかんせん彼女は暇を持て余した女神である。生まれて初めて直接向けられた負の感情は、彼女にとって良い刺激であった。
「ヨハナ?ヨハナー?」
軽く声を上げてもヨハナは出てこない。
ローゼリアは席を立ち、使用人の部屋の扉の前で再び名前を呼んだ。
「ねえ、ヨハナ。」
かちゃりと扉が開き、出てきたのは気怠げな表情をした彼女の侍女。しかし顔にはしてやったりと書いてあった。
「お嬢様、使用人を呼ぶときはあちらのベルを鳴らすのです。声を上げて使用人の名を呼ぶなどはしたのうございます。」
「そうなの?ごめんなさい、知らなかったわ。あのね、砂糖とミルクが欲しかったの。」
「申し訳ありません、失念しておりました。奥様はいつもお使いにならないものですから。しかし、これくらい公爵令嬢ならば知っていて当然のことです。貴方の年頃の上位貴族の令嬢方は皆出来ておりますよ。
私は侍女をしておりますが、伯爵家の出です。12の頃より6年間、奥様に仕えさせて頂きました。あなたより余程、マナーを知っております。お嬢様は一から礼儀作法を見直された方が宜しいですわね。奥様にもそうお伝えしておきます。」
やはり面白いことになった。素直にベルを鳴らさず、男爵家出身の5歳児として振舞ってみて正解だった。矮小なる人間に向けられる可愛らしい悪意の、なんと美味な事か。
「ご、ごめんなさい…」
小さくなった振りをして、ローゼリアは新しい玩具が手に入ったと歓喜した。
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ヨハナ=アーベライン、18歳。アーベライン伯爵家の一人娘。6年前、両親揃って馬車の事故にて他界。その後、当主の座は叔父が継ぎ、居場所のなくなったヨハナはシュバルツ公爵家に行儀見習いとして入る。娘が欲しかったラウレンティアはヨハナを歓迎し、主人と使用人の立場は弁えながらも、ヨハナを可愛がっていた。他の侍女達からも、公爵夫人のお気に入りとして一目置かれていた。
そこに現れた愛らしい幼女。突然できた本当の「娘」に、ヨハナの女主人は大層喜び、彼女の「お気に入り」だったヨハナを、年が近いからという理由だけで彼女の専属から外し、ローゼリアに付けた。公爵家の一人娘、才能に溢れ容姿端麗。他の侍女達は皆、ローゼリアに好意的であった。彼女の専属侍女となったヨハナは、皆に羨ましがられた。
それでもヨハナは、彼女の居場所を、娘としての立場を奪ったローゼリアが憎らしかった。
許容範囲内で彼女に嫌がらせをし、彼女の幸せに少しでも水を差す事に決めた。ローゼリアを「見た目だけの我儘令嬢」に仕立て上げるべく、彼女の悪評を撒くことにした。ラウレンティアも、まだ良く知らない幼女の言葉より、6年付き従ったお気に入りの侍女の言葉を信じるだろう。ヨハナはそう思った。