王太子の初恋2
「ま、また会ったな。」
「あ、で、殿下!偶然ですね。こんな所でどうしたんですか?」
「お前こそ…こんな所で何をしている。誰かを待っている様にも見えないが。」
「え?いやあ、えへへ…」
その日、アダルヘルムは少し一人になりたいと側近候補達と別れ、人目のない校舎裏を訪れていた。一人になりたいというのも本心であったが、態々校舎裏にまで足を運んだのはソフィアと偶然会うことを期待しての事だ。
彼女には気の合う友人はいない。貴族令嬢達からは卑しい平民と目の敵にされ、数少ない平民の特待生からは貴族と関わるなど恐れ多いと遠巻きにされ、ソフィアはどちらの輪にも入れず孤独であった。彼女は貴族達の目に止まらない様、人気のない所を好む様になった。空き教室、校舎裏、放課後の図書室。それを知ったアダルヘルムは、時間が空けばそれらの場所に足を運んだ。
「それで、何をしていたんだ。」
「えっと…一人に、なりたくて。私、友達がいないんです。平民だった頃は沢山いたんですけど、貴族になった途端、離れていきました。かといって平民出の私が他の貴族の方達と仲良くできるわけもなくて。結局どちらでもない私はどちらの輪にも入れないんです。こんな事になるなら、平民のままで良かった…。お母さんはすごく喜んでるから、そんな事言えないんですけど。」
「…」
「あっ、こ、こんな事、王子様に言うことではなかったですよね、すみません。」
「いや、いい。私も…一人になりに来た。」
「え、殿下も、ですか?」
「私は常に期待され、注目を浴びている。偶には他人の目から離れ、私自身として過ごしたいと思うこともある。王太子たるもの、人前で休むわけにもいかないからな。」
「殿下みたいな立派な方でも、そう思う時があるんですね…。」
アダルヘルムは自分の発した言葉に驚いた。人々の目から逃れたいなどと思ったことはなかったはずだ。しかし彼女の話を聞き、つい彼女に話を合わせる様に言ってしまった。そして口にしてみて初めて気がついた。それは曲がれもない本心であると。
「殿下は、とてもご立派な方です。王太子様としていつも頑張っていて…。でも、王子様だって、たまには休みたくなる時もありますよね。同じ人間なんですもの。」
「同じ、人間…。」
「はい。だから、休んだっていいと思いますよ。」
同じ人間。当たり前のことなのに、言われて初めて知ったような気がした。彼を取り巻く環境は、彼をただの人間として過ごすことを許さない。この国の王太子。それ以外の何者でもなかった。
「名前で…」
「え?」
「名前で呼んでくれ。アダルヘルムと。初めて会った時はそう呼んでいただろう。」
「で、でも、名前で呼ぶなど不敬だと、教わりました。あの時は申し訳ありませんでした。私、知らなくて。」
「私が許しているのだから他の者に不敬だなどと言わせるつもりはない。」
「で、では…アダルヘルム、殿下…」
「殿下もいらない。」
「アダルヘルム、様?」
「それでいい。」
アダルヘルムはうわべだけではなく、心からの笑みを浮かべた。いつも打算に満ちて生きてきた彼は、どのタイミングで微笑めば人は喜ぶのかを常に計算して表情を作ってきた。本当に笑ったのなど、何年振りか。アダルヘルムは自分でも気づかないうちに凝り固まっていた心が、解されていくのを感じた。
ソフィアはアダルヘルムの優しい微笑みに一瞬見惚れた後、はっと我に帰り赤い頬のまま口を開いた。
「で、では、私の事も是非ソフィーと呼んでください!昔いた友達は皆そう呼んでいました。今は誰も呼んでくれない名です。」
「ソ、ソフィー…。」
「はい!」
「ソフィー。良い名だな。」
「ありがとうございます、えへへ。」
ソフィアは自ら言い出した事にも関わらず、アダルヘルムに愛称で呼ばれ赤かった頬を更に赤く染めた。
「っと、そろそろ戻らなくては。」
「あ、お忙しいのに引き止めてしまってすみませんでした。」
「いや、良い。声をかけたのは私だ。…その、また見かけたら声をかけても良いだろうか。」
「!!も、勿論です!私達、お友達じゃないですか!」
「友達、か…」
友達。生まれて初めて出来た友達。今はまだそれで良い。アダルヘルムには幼い頃より決まった婚約者がいる。隣国との関係を強化するためにも必要不可欠な繋がりだ。オディリアを裏切るわけにはいかない。王たる者、いずれは側室や妾を娶る必要もあるだろうが、それは正妃と婚姻を果たした後の話だ。今彼女と恋仲にでもなれば、百年かけ築き上げた隣国との絆に傷をつける事になる。アダルヘルムは恋心を押し隠し、ソフィアとの友人関係を受け入れた。
「では、またな、ソフィー。」
「はい、また!アダルヘルム様!」
ソフィアの満面の笑みに見送られながら、アダルヘルムは後ろ髪を引かれる思いで校舎裏から去った。
「…ふふ、またね、アダルヘルム様…。」
小さくなっていくアダルヘルムの姿を見送りながら、ソフィアは再びそう呟いた。その声には先程までの可憐で純真無垢な少女の面影はなかった。誰も居なくなった校舎裏に一人佇む少女の、醜く歪んだ笑みを誰も見ることはなかった。