若き戦闘姫ラウレンティア
出会いは15年前、アルドリックが30、ラウレンティアが18の頃であった。当時宰相補佐の地位にあったアルドリックは、魔境の森の守り手であるバーナー子爵の領地を視察に訪れていた。
「これはようこそおいでくださいました、シュバルツ公爵閣下。あなた様のような方に態々お越し頂くなど…至極光栄にございます。」
「よい。ここ数年、魔境の森から少数ではあるが魔獣が溢れ出ているとの報告を受けた。まだ人的被害は出ていないが、問題が大きくなる前に森の様子を見させてもらいたい。」
「それは、大変申し訳なく…。恐らく魔獣討伐を精力的に行なっていた私の娘が学園入学のためこの地を離れたのが原因かと。ですが彼女も今年で卒業し領地に戻ってきております。直に落ち着くでしょう。」
「成る程な。しかし一人欠けた程度で守りが薄くなるのは問題だな。どちらにせよ、森への進入許可を頂きたい。」
「はっ。恐れながら、バーナー家の者以外が森に入る際にはこちらの誓約書にサインをして頂いております。」
バーナー家当主のキーランドが差し出した契約書には、どのような地位の者であろうとも、バーナー家は護衛しない事、森での生死は保証しかねる事、森の中で起きた事は全て自己責任であるという事が記されていた。
「なんと無礼な!公爵閣下であらせられるぞ!」
「静まれ。当然の措置だ。魔境の守り手となれる程の実力を持つのはバーナー家直系のみと聞く。我々に人員をさけば、守りも手薄になろう。」
「ご理解頂きありがとうございます。して、森には入られますか?」
「予定は変更しない。本日より森の調査を始める。」
「御意に。護衛はお付け出来ませぬが、丁度件の娘が森にて魔獣討伐を行なっております。彼女と合流すれば、安全性も上がりましょう。」
「心配なされるな、バーナー子爵。王国騎士団の者を数名連れて来ている。彼らと共に調査を行う。」
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「何も閣下御自ら危険な森に入らなくても宜しいのでは?我々騎士団の者のみで調査もできます。」
「王より直々に調査を命じられている。命令を違う事は出来ない。」
「ですが…」
「何、死んだらそれまでさ。無能の私の代わりなど幾らでもいる、そうだろう?」
「そ、そのような事は…」
この時期のアルドリックはどんなに努力を重ねても生活魔法しか使うことのできない己の才の無さに絶望していた。魔法が使えないのなら政務の面で国を支えようと決意しここまで来たが、周りからの憐憫や侮蔑の視線は消える事はなかった。魔法の使えない自分が魔境の森に入るなど、護衛を連れていても自殺行為だ。しかしここで死んでも構わないとアルドリックは思っていた。
「兎に角私も森に入るが、足手纏いであることは自覚している。お前達も命を粗末にするなよ。」
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「はあ…ラウレンティアと合流すれば確かに安全だが…あいつ王都から帰ってきてからずっと森に入り浸っている。学園で結婚相手が見つからなかったから荒れてるんだよなあ…」
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アルドリック一行が森に入って数刻。
「ここまでは弱い魔獣しか出てきませんでしたね。我々でも十分対処出来ましたが、ここより奥は危険な魔獣も生息しているとのことです。索敵魔法をかけさせてはおりますが、十分にご注意を、閣下。」
「分かった。特に異変もないようだな。この先を慎重に調査し、問題がなければ日暮れまでには戻ろう。」
「畏まりました。」
森の浅層に出てくる魔獣は王都周辺に出没するものと大差なく、騎士団の面々は危なげなく討伐を行っていった。アルドリックも鎧を身に付け帯剣してはいるが、それを一度も抜くことはなかった。
一行が向かった森の奥地は木々が生い茂り、陽の光が殆ど遮られ夜のように暗かった。アルドリック達は魔獣を警戒して灯を付けずに、暗闇の中を慎重に進んだ。
騎士の一人が索敵魔法を常時展開していたにも関わらず、背後から闇に溶け忍び寄る魔獣の気配に誰も気づくことはなかった。魔獣は、音もなく後方の騎士に近付き、身体をしならせその首に食らいつかんと駆け出した。
「ま、魔獣だ!」
「馬鹿な!」
彼らが魔獣の存在に気がついた時には、既にその牙は騎士の首に触れんとしていた。
「『ホーリーランス』」
鈴を鳴らすような可憐な声が呪文を発した瞬間、魔獣の頭部に光の槍が突き抜けた。爆散した頭部の血や肉片をもろに浴びながら、死を覚悟した騎士はその場にへたり込んだ。
「それはシャドウウルフ。索敵魔法には引っかかりませんわ。そして気配を断ってしまえば私の事も感知することは出来ませんわ。この森で魔法を過信していると直ぐに死にますわよ?騎士団の方々。」
優しげな顔立ちに、しかしその眼には好戦的な色を乗せながら一人の少女が暗闇から姿を現した。腰までの長い金髪を一つに束ね、狂気すら孕んだその瞳はエメラルドグリーン。何故か袖が肘のところで破れているカットソーにショートパンツ。膝までの編み上げブーツに、腰のベルトには短剣が一本のみ。豊かな胸を軽鎧に押し込んでいる以外は至って軽装であった。重装備で挑んでいる騎士団の面々と比べるとその異様さが際立つが、その服装よりもアルドリック達は他の事に意識を持っていかれていた。
彼女は元々の服の色が判別できなくなるまでに血濡れであったのだ。美しい髪や顔には乾いた血飛沫がこびり付き、露出した手足も血液を乱暴に拭った跡がある。
その異様な光景に一瞬思考停止した面々であったが、いち早く回復したアルドリックが声を発した。
「あなたのおかげで命拾いをした。礼を言う。それと…あなたはどこか怪我をしているのか?その姿を見るに傷は大きいでしょう。ポーションは余分に持ってきているから、よかったら使ってくれ。」
「あら、ご心配なく。私は擦り傷一つ負っていませんし、これはほとんど返り血ですわ。」
「そ、そうか…」
「それよりも、あなた方は本日起こしの予定の視察団の方々では?ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私バーナー家が長女のラウレンティアと申します。森の奥地は先程の様な強い魔物も多く生息しますわ。よろしければ私がご案内いたしましょうか?」
「私は宰相補佐のアルドリック=シュバルツだ。その提案、ありがたく受け入れよう。」
「まあ、公爵様御自ら森の調査を行なっていましたの!?公爵家当主ともあろうものが危険すぎますわ、契約書はきちんとお読みになって?」
「危険は承知の上だ。無能の私が死んだとしても誰も困らない。」
「まあ…では魔力を持たずにその頭脳だけで宰相補佐の地位にまで上り詰めたと言う話は本当だったのですね。」
ラウレンティアの少々失礼な物言いに、しかし騎士団の面々はその血濡れの姿に気圧され何も言えないでいた。
「か、閣下。その様な無礼な少女に護衛など頼まずとも私共があなた様をお守りします。」
「まあ、私は道案内を申し出ただけですわ。その様に仰るのならどうぞあなた方で対処なさって?魔獣との戦いに慣れていない王都民など、直ぐに魔獣の餌となりましょう。全ては自己責任でしてよ?」
「落ち着け、お前達。ラウレンティア嬢、私達だけではこの奥地は心許ない。是非ご同行願いたい。」
「勿論ですわ。」