表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花のお江戸の烏ども  作者: サーラ
4/9

朝倉道場三羽烏・大騒動!③

――――― 35 ―――――


「さぁて、町の衆!」

 かわら版屋のダミ声が高らかに響き渡った。

「先日、吉本町の水茶屋で年増女が殺された事件はご存じか! 年増といったとて、これがまた、むしゃぶりつきたくなるようなイ~イ女だ。下手人は滅法腕の立つ浪人者よ! この浪人、現場ですぐさまお縄を頂戴したってえこったが…おっと、ねーさん、安心すんなぁまだ早い。お縄んなったのはいいが、この人殺しの下手人が先夜、牢を破って逃げ出したってえから大変だ! 南町奉行山城長門守様の大失態! 上様の御前にてご老中に面罵されたというが嘘か真か…詳しいこたぁ、この中に書いてある。さあっ! 買った、買ったぁ」

 かわら版屋の口上を合図に町行く人々が皆足をとめ、興味津々の顔つきでかわら版屋を取り囲んだ。


「何だい、何だい、どうしたい」

「へェ~。あのお奉行様のご子息がねえ~」

 わいわいがやがやと、感に堪えたような町場の女将の声が、やけに耳の底に残るような気がした。


「一枚、貰おう」

 ぬっと深編み笠の侍が文銭をつきつける。

「へい! まいど」

 かわら版屋のダミ声が威勢よく答えると、侍はひったくるようにかわら版を持っていった。

 手にしたそれに目をやると、


『山城長門守様、失脚か!?』


 大きな文字のセンセーショナルな見出し文句があった。

 かわら版の記事の中には孝広の脱走が城中でまで取り沙汰され、数馬に破牢の手助けをした嫌疑がかかっていると…露骨に臭わせている。数馬本人の人柄を知っている者であれば到底、考えもしないことだ。

「早いな」

 かわら版に目を走らせた侍がぽつりと呟いた。

「いや、早すぎるか」

 ニュースソースを疑いたくなる程早いと、この男は言っているのである。


 深編み笠、萌黄色の小袖に袴ばき、浪人とも思えぬこの侍はかわら版をぽいと投げ捨てると、今来た道を戻っていった。




――――― 36 ―――――


 妙蓮寺孝広の足取りは重い。


 この男にしては珍しくも着流し姿ではない。

 さっぱりとした萌黄色の小袖に、袴ばきという出で立ちで、しかも、深編み笠。ようやく逃亡者としての自覚が出てきたものと見える。衣装一式、腰に差した刀まで虎太郎のところから持ち出してきたものだ。

 いつもと違う姿に顔見知りの者が通りすがっても、知らぬ振りで気付かぬ様子であった。その笠の中の顔つきも、いつもの人懐こいところがなく、何事かを思い詰めていた。

 笠に手をやり、ふと見上げた空は明るく冴え渡り、薄荷飴のような薄雲がたゆとうていた。

「もし、仮に、かぁ…」

 その呟きはこの世の誰にも聞かれることはなかった。

 重い足取りが歩くこの道は麹町、旗本屋敷の立ち並ぶ一角である。

 とある屋敷の門前で孝広は足をとめた。左隣りの屋敷を一瞥し、しかめた顔をさらに険しくする。左隣りは数馬の実家であった。

 ドンドン

 孝広が山代長門守の私邸の門を叩くと、小者が出てきて、

「数馬はおるか?」

 との孝広の言葉に対して、慇懃に応対した。

 それでも、孝広が編み笠を少し上げて顔を見せると、途端に馴れた様子になり、数馬の居場所を教えてくれた。

「よい。庭から回ろう」

 屋敷内の者に声をかけようとした小者を制して、孝広は小さくぼそりと呟いた。

「左様でございますか、それでは、へえ」

 にこりと笑う彼に、深編み笠の孝広は何故か痛痒いような表情で頷き返した。

 孝広が数馬の部屋へ庭から回り込んで訪ねていった頃、表では、


(はて? 藤堂の若様、いつもなら『数馬殿』とお呼びなのだがな)

 小者が呟いていた。




「数馬、数馬」

 庭から深編み笠の侍が声をかけると、数馬は読みかけの書から目を離し、

「?…孝広!? おまえ、孝広だな!」

 思わず庭先へ駆け降りてきた。

「一体、今まで何処へ行っていたのだ、おまえ。心配していたのだぞ」

 勢い込む彼に孝広は曖昧に答え、

「さぁな。ま、よい所さ」

「女の所か?」

 数馬の苦い声に、にっこりと否定も肯定もしない。

「それより、分かったか?」

「ああ。おまえの思うた通りであった。殺されていた女、店の者が覚えていたが、二人連れで来たそうだ。町人の男とな、どうも素人女ではないようだ」

 これは前に牢屋へ数馬達がやってきた時に調べてくれるように、孝広が頼んだものである。

「やはり覚えていたろう。いい女だったからな」

 ゴホン

 数馬の咳払いに孝広がぺろりと舌を出す。

「おまえの方は騒ぎが起こるまで誰も見た者はなかった」

 これは当然である。孝広の話通りならば、彼は茶屋へ入ったのではなく、運び込まれた筈なのである。

「傷は? 女の」

「鋭い刃物による刺し傷。…うむ。匕首のようなのではないかな」

「刀傷ではなかった、と…」

 孝広が呟いた。彼の刀には血曇り一つ浮いていなかったのだから、当然そうなる筈である。その刀も牢の中へ置いてきた。調べに当たった役人がよっぽどの間抜けでないかぎりはそのことに気がついていることだろう。

 呟いた後で孝広は沈黙した。何事かを考え込んでいる。

「孝広、これよりどうする? 江口新八にでも言って調べ直させれば…」

「数馬、女の身許は?」

「…うむ。いや、まだだ。しかし、見ろ」

 と言って数馬が懐より取り出したのは、一本のかんざしであった。上等な、美しい拵えでこれも玄人風である。

「おまえが刺されたと言うていた場所へ行ってみたのだが、これがな」

「ああ、そう…あの女のだよ」

「これから何か分かるのではないかな、珍しい細工だし」

「うん、まあ、気の長い話さ」

「孝広?」

「………」

 数馬はもう一度、呼び掛けてみた。これよりどうするつもりなのか、と。すると、孝広は顔を上げ意外な言葉を発した。

「数馬、頼みがある。俺を山代殿に会わせてはくれぬか? そっと」

「孝広?」

 数馬のその不思議そうな顔から視線を外し、

「頼むよ」

 小さく呟いた。




――――― 37 ―――――


 数馬と連れ立って南町奉行所へ向かった孝広は、今度は笠をとる必要もなかった。彼のガイドは、奉行の住まう役宅内に入る時でさえ、顔パスである。

「や、数馬様。お珍しいですな」

 中間が出てきてそう挨拶したくらいだ。

 二人は黙々と歩いた。数馬は何も聞かない。孝広は何も言わない。

 南町奉行、山代長門守忠之の下へ近づくのに、二人はわざわざ庭から入った。孝広がそうして欲しいと言ったからである。お尋ね者としては当然の気の働きであったろうか。

 長門守がよい具合に廊下に出てくる。

「養父上…」

 数馬がそっと呼びかけた。

「ん…おお、これは数馬殿ではないか。如何致した、そのような所から?」

 山代長門守は、町奉行という職がピタリとくるような温厚な人物であった。

「実は、その、お話が…。会わせたい者がおりまして」

 後ろめたさからなのか、やけに歯切れが悪い。これではまるで好きな女を親父に紹介する台詞だろうにと孝広は思うのだが、数馬は一向に気付かないらしい。

「ほう…? どなたかな?」

 長門守の言葉に、数馬が木戸の向こうに引っ込んだかと思うと、出てこなくなった。


「数馬殿?」

 その声に応えて姿を現したのは、怪しげな深編み笠の浪人である。

「?」

 孝広は、訝しげな長門守の前でゆっくりと顎に掛かった紐を解いた。結わえた紐を解き、笠を取る。少しでもこの瞬間を遅らせたいような、それこそ緩慢な動作であった。

 笠を取り、孝広が頭を下げた。

 木戸の裏側では、数馬が孝広の当て身を喰らって大の字に伸びている。

「おお、隆良殿ではないか。お父上はご壮健かな?」

 それは数馬の実兄の名であった。数馬の父とこの山代忠之は竹馬の友。気安く声をかける。孝広は一瞬、沈黙してから、

「…お初にお目にかかります。私が御貴殿の探しておられる、妙蓮寺孝広と申す」

「!?」

 ハッと驚いて見直せば、確かに藤堂家の嫡子、隆良とは違うようである。

 だが、成程。これならば、取調べに当たった同心の江口新八が、『人を殺すような者に思えませぬ』としきりに繰り返した筈である。人品卑しからぬ立ち居振る舞い。数馬の話では剣術も相当に遣うそうな。中々に立派な青年であるらしく見える。


 だが―――


 それにしても…


(似ている)

 藤堂隆良に似過ぎているのである。

 山代長門守忠之はひどく不安な面持ちで、その青年の視線に応じた。得体の知れぬ不安がイカの墨のようにドス黒く長門守の胸を塗り込め、このような気持ちは町奉行職就任以来、初めてのことである。

「…そうです」

 がっちりと視線を絡めたまま、彼は言った。

「その通り、長門守殿の思うた通りです。私は…藤堂隆良とともに産まれた男です」

 ガクンと熱い鉄杭を脳天から突き込まれたようなショックを感じて長門守は、

「はぁ」

 と太く長い溜息を吐き洩した。

 己の片割れを一度として見たことのない孝広には分からなかったであろうが、彼のその顔と姿は、長門守から彼の台詞を疑おうという気すら奪っていた。

「それを、その事を数馬殿は…?」

 問いかけながら長門守は、二十年も昔のあの時のことを、今ではもうはっきりと思い出していた。

「数馬? そこで…」

 孝広は振り返りながら顎をしゃくり、

「当て身を喰らって寝転んでいる奴のことでしたら、ええ、存じませんとも」

 そう答えた。

 もちろん、この青年は知らないのであろう。あの日あの時、隆良と孝広、二人の赤子の選択を、悪魔の選択を行ったのがこの山城忠之であったとは、もちろん知らないに違いない。彼らの立場はあくまでも、江戸の治安を守る町奉行と、殺人破牢の大罪人もしくは無実の罪を着せられた不運な青年、の筈だった。だがしかし、気分的には脅喝者と被脅喝者といった立たずまいである。


 十数年前、山城長門守の友人の家に待ち望んだ嫡子が誕生した。

 それも二人。

 山城忠之の竹馬の友・藤堂隆信が望んだ嫡子は、ただ一人であったものを。

 双子は嫌われるというのが武家社会での通例である。縁起を担いだものなのか、それとも跡目争いを忌避したものなのか。ともあれ、生まれてきた運命の子らにとっては、はなはだ迷惑な話であった。

 赤子達の父母、藤堂隆信も奥方もそのような悪例には乗るまいと一時は堅く決心したものの、家臣一同が伏して頼み、迷信深い女どもは青くなって震え、親友の山代忠之の判断を聞くと、若い父母にしても他に選ぶ道はなかった。

 闇から闇へと。   

 一人は旗本藤堂家の嫡子として、一人は何処とも知れぬ町屋へ。その赤子を選んでくれと、山代忠之は藤堂隆信に泣いて頼まれたのである。これ程、嫌な役目があろうか。だがもちろん、実の父母に実の子を選べるわけもなかった。将来(さき)のことなど何一つ分からぬ捨ててしまう子を選べとは、藤堂にしろ山代にしろ男泣きに泣いたものであった。

 とはいえ、それはもう十数年前のこと。

 旗本藤堂家に双子が生まれ、山代が片方を選んで、人を頼み何処かへ捨てさせた。

 何処とも知れぬ、それを行った者ももうこの世にはいない。その者はしばらくして山代家を辞し、行方知れずとなった。父母もなく、妻も腹の子とともに亡くしたその男は、どこぞで浪人として生き浪人として死んだのだと風の便りに聞いた。


 どこかの寺でみなしごを引き取り育てていた、とも―――


 だが、ただそれだけのことである。長門守にとってはすでに昔の話であった。たとえ終生忘れ得ぬ忌まわしい記憶として心に残ったであろうとも。

 しかし、一方で〈物〉扱いに選ばれて捨てられた無辜の赤子にとっては、まさにその時から事件(人生)は始まっていたのである。孝広には、生涯最期の時まで、ドラマは終わらないに違いない。何しろこうして、長き日々を隔てた両者が如何にもドラマチックに再会しているのであるから。

「それで…貴公…」

 言葉に詰まって長門守が再び言った時、彼はそれでも、目の前にいるこの青年が牢の中から己の身の上を公言せずにいただけでもマシであると思っていた。沈黙した数秒の間に、彼は過去の記憶とともに、藤堂家の名のためにはこの青年の方を切る決心をしていたのである。孝広は再び選択されたのだった。

 けれど、長門守のそんな決意を知ってか知らぬでか孝広は、

「何の。御身に差し支えあるようなことは申しませぬ。拙者、これより名乗り出ようかと思ってござれば…」

 そう言った。

「名乗り出られる!?」

「左様」

 長門守は段々と頭の中が混乱してきて、

「では…では…私にどうしろと…?」

 いよいよ被脅喝者らしい顔つきとなった。

「別に何も。申し上げたきことは一つ。御貴殿にはただ黙って拙者に裁きを申し渡して下されば……〈流罪〉なり〈下死人〉なりとお好きに。まあ〈斬罪〉はご勘弁願いたいが」

 にっこりと孝広は言った。下死人も斬罪も斬首刑に違いはないが下死人は牢内で、斬罪は公開処刑(顔がさらされる)となる。

 自分が来た理由を長門守が理解したと見て取って孝広、

「では、また後刻、まみえましょう。御免」

 くるりと身を翻し、表門へと向かっていった。為す術も、かける言葉さえも失って、長門守は感激に胸塞がれていた。

 出生の秘事を守るためであれば無実の罪を引き被るも辞さないというこの青年には、藤堂の家名に泥を塗り、山代に対して無理難題(町奉行に対して科人を見逃せと)を持ち掛けて……彼には脅喝者となっていい正当な理由があったにもかかわらず。


 孝広は去りゆこうとした瞬間、

 ピタリ

 と足をとめた。板戸の向こうの人影がゆっくりとこちらへ姿を見せる。

「数馬!?」

 孝広の、驚いて、悲しげで、悔やむような気持ちの綯い交ぜになった声であった。当て身をくらわせておいたのだが、どうやら数馬の体力を甘く見ていたようだ。

「…数馬。おまえ…」

 『話を聞いていたのか』とは、言うまでもない。数馬の顔を見れば一目で分かる。

 一方、孝広はと見れば、こちらも数馬とそっくり同じ表情。こうして見ると、成程、孝広と数馬もまたよく似ている。孝広は今まさに進退極まったとでもいうところであった。

(嫌なのだ)

 嫌いなのである。こういう愁嘆場に居合わせるのが、彼は青虫よりも芋虫よりも、何よりも大嫌いなのであった。だから、この瞬間を回避したいからこそ、彼は無実の罪さえ引きかぶる決心をしたというのに。

「あ~、何だ、その…」

 こんなに見苦しい様子の孝広は滅多に見られない。ジタバタと意味もなく暴れて言いよどむ。孝広という男、プライドの高さだけなら余人に引けは取らぬ。此奴の負けず嫌いには、かの佐々木虎太郎さえ兜を脱ぐだろう。

 ダンッ!

 と地面を踏み蹴ると、孝広は口の中で呟いた。何か、『ッきしょォ!』とでも言ったようである。それから再び顔を上げ、

「つまり…そういうわけだから…数馬、後ァ頼んだぞ」

 孝広は言うなり、足速にとうとう逃げ出していった。

 『後を頼む』と?

 一体、何を頼むと言うのだろう。傷ついた表情でいた数馬だが、

「ま、まっ、待て! おいっ」

 慌てて孝広を追いかけようとした。

「数馬殿」

「はっ!?」

 長門守である。じっと、孝広の様子を窺っていた彼だが、出し抜けにこんなことを言い出した。

「数馬殿。追って、妙蓮寺殿にお伝えしなさい。妙蓮寺殿の容疑は極めて濃厚なれど、決め手となるような確たる証拠に欠け、またさらに不審の点も二・三あるにつき、一時放しと致す。尚、来たる十七日の白州に出頭致するよう申しつくる。…数馬殿、行って伝えてきなさい」

「は…あ…えっ? ええ、ああ、はい!」

 しばらく返事をしなかった数馬、やっと口を開いたと思いきや、

「必ず、必ず申し伝えます!!」

 ついぞない強い口調で言ったものだった。





まだ続いてます。

無駄に細切れで多くなりそうな予感が……

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ