二回目の恋
以前投稿した「影武者の娘」に登場した、顔の地味な男性の登場する話です。
前作を読まずとも、この作品だけでも分かる内容にしました。
令和元年8月28日(水)
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「お父様! 私の社交デビューのエスコート、ゴウディ様が引き受けて下さったのよ!」
「ゴウディって、マイルの友人の、あの侯爵家の息子かい?」
父はすっかり私のエスコート相手を務める気でいたのか、ゴウディ様の名前を聞き、複雑な表情を作る。
私は自然とにやける締まらない顔で、その場でくるりと、身をひるがえす。
「大丈夫よ、お父様。ちゃんと約束通り、お父様とも踊るから」
そんな私を見つめながら、父はあごひげを撫でた。
◇◇◇◇◇
今年デビュタントの私は、ついに今夜、大人の仲間入りを果たす。
駄目元で兄、マイルの長年の友人であるゴウディ様に、はしたなくもエスコートをお願いすると、引き受けて下さった。
ゴウディ様と私が初めて出会ったのは、十歳の春。
父と同じく眉尻が下がり、たれ目である兄、マイルとは真反対の、猫のように吊り上がった目の持ち主である、美しい顔立ちのゴウディ様に、私は一目ぼれした。
以来兄の元をゴウディ様が訪れて来るたび、まだデビュタント前の友人の妹という立場を利用し、なにかと彼に接していた。
記念すべきデビューの日を、今も大好きな初恋の彼にエスコートしてもらえるなんて! こんな幸せなことって、あるかしら!
「お嬢様、本当によろしいのですか? やはり大切なデビューなのですから、デビュタント用のドレスをお召しになられるべきでは……」
「これでいいの! 天国のお母様が着ていたドレスだもの。着ているだけで、お母様に守られているようで、心強いしね」
亡き母のドレスでデビューを迎えようと、ずっと前から決めていた。
確かにデザインは古いけれど、それでも上質な布で作られたドレスは、輝きが失われた訳ではない。あの日見た亡き母のように、きっと私も美しくしてくれるに違いない。
「おお……! お前もいつの間にか、こんなに成長したのだな……。うんうん、よく似合っている。あいつもこの場にいたら、どんなに喜んだことか……」
支度の終えた私を見て、父は薄っすらと涙を浮かべるが、兄はというと……。
「地味というか、ださいというか……。デビュタントでそんなドレスを着ている令嬢なんて、普通いないぞ?」
「あら、お兄様。お母様のドレスにけちを付けるの?」
「デザインが古臭いだろ……。ゴウディがエスコートするし、相手のことも考えるべきじゃないか?」
「ゴウディ様? ゴウディ様はお兄様と違って、優しいもの。きっと似合っていると言って下さるわ」
「そういう意味ではなくて……」
浮かれていた私は、ちっとも兄の言う意味を理解しようとしなかった。
その意味を思い知ったのは、数刻後のこと……。
◇◇◇◇◇
デビューを迎える子息、息女はパーティーが始まる前に、別間に集められる。
そこに並び、一人一人、国王に名を呼ばれる。名を呼ばれた者は一人ずつ、その場で陛下と王族の皆様に向け、礼をする。
ただこれだけで、私たちは大人の仲間入りを果たした。
上手くお辞儀できただろうかと、後から不安に襲われる。友人たちと互いに慰めあっていると、気持ちは落ちついてきて、次第にパーティーへ思いを馳せていく。
これからゴウディ様と合流、パーティー会場の間へ向かい……。それから音楽が流れれば彼とダンスを踊り……。
私の胸は、期待と喜びで膨らむ。
「今年のデビュタント、どう思う?」
友人たちと長い廊下を歩いていると、バルコニーから男性方の会話が聞こえてきた。
「ねえ、私たちのことではなくて?」
ひそりと一人が言えば、私たちは興味津々と物陰に隠れ、会話を盗み聞くことにした。
「今年は可愛い子が多いな」
一人の男性の言葉に、私たちは声を出さず手を取って喜ぶ。
「去年は見た目が残念な奴が多かったからな。今年は当たりだよ」
……この声、お兄様? まさかと、軽く頭を振る。
後から思えば、最初から盗み聞きなんて止めておけば良かった。そうすれば誰も傷つかなかった。いや、なにも知らないでいられたのに。
幸い、誰も兄の声と気がついていない。友人たちの様子を盗み見ると、昨年お姉様がデビューを迎えていた友人が、悔しそうに俯く。
「ああ。でも、いくら見た目が良くても、あれはないな」
ぷっ。と一人が吹き出す。
「お前もかわいそうにな、ゴウディ。あんな恰好をした女をエスコートしないとは」
ゴウディ様? ゴウディ様もバルコニーにいるの?
私たちの位置から、バルコニーは見えない。だが次に聞こえてきた声は、間違いなくゴウディ様のものだった。
「全くだよ。友人の妹だから仕方なくエスコートを引き受けた俺の身を、考えてほしいものだ。あんな野暮ったいドレスを着ると分かっていたら、最初から断っていたさ」
……ゴウディ様?
陛下に会う前、顔を合わせた時は、笑顔で似合っていると言ってくれたじゃない……。
「死んだ母親の形見かなんか知らないが、俺が恥をかくと思わなかったのかね。これだから子どもは困る」
「俺は止めたんだけどな。父上と本人だけがご機嫌で、困ったものだよ」
……やはり兄も一緒にいる。私の体は冷たくなっていく。
「ゴウディ、今夜は子守を頑張れよ」
「なあ、変わってくれないか?」
「あんな野暮ったい女、お願いされてもごめんだね」
はっはっはっはっはっ。複数人の、愉快そうに笑う声が聞こえる。
「それで? どの女を抱きたいと思った?」
「今年は侯爵家の娘だな。あの胸の大きさ、見たか? はちきれんばかりだ」
「たわわに実ったよなぁ。俺、絶対にダンスを申し込むと決めているんだ。ダンスで密着すれば、あの胸の弾力を味わえるってもんだ」
自分のことだと分かった友人が、顔を赤くし、さっと胸を隠すように手を胸の辺りに運ぶ。
今年のデビュタントの中で、確かに彼女のバストが一番大きい。大きいけれど……。
じわりと彼女の目に涙が浮かぶ。
胸のことで嫌な思いを経験していると知っている私たちは慰めるよう、肩を抱いたり、頭を撫でる。
「……私、今夜はダンスを踊らない……」
「でも、デビューを迎えた者は全員踊るしきたりなのよ……?」
「お父様と踊るわ」
私たちが聞いていると知らない兄たちは、なおも盛り上がる。
「野暮ったい娘はゴウディに任せるよ。良かったな、今夜はお前が彼女を独占だ」
「冗談は止めてくれよ。一曲踊ったら、すぐにお役御免で離れるさ。俺まで野暮ったいと思われるのは、勘弁ならん」
今度は私が俯く。
それから彼らのデビュタントで盛り上がる会話は、若い娘には聞くに耐えない内容だった。
私たちは誰が言い出した訳でもなく、黙ってその場を離れ、浮かない顔で会場へ向かう。
一人で会場入りした私を見つけるなり、お父様がなにごとかと、心配そうな顔で駆けつけて来る。
友人たちも似たり寄ったりの状況だ。
胸の大きな友人アンは、誰ともダンスを踊りたくないと言い、ご両親が困り顔になっている。
私たちのデビューは、散々だった。
◇◇◇◇◇
一晩明け、昨夜のことを思い返すと暗い気持ちになる。
結局アンは父親と踊ると、その後は誰にダンスを申し込まれても泣いて嫌がり、調子が悪いようだからと理由をつけ、早々に帰った。
兄とゴウディ様たちの会話は、私たちの心を重く沈めた。そして深く傷つけた。
大人になる洗礼にしては、苦く嫌な出来事。初恋さえも色褪せ、嫌な思い出に変わる。
それから私はゴウディ様が家を訪れても、彼と顔を合わせないようにした。
兄に久しぶりに三人で一緒にお茶をしようと誘われても、大人の仲間入りをした以上、未婚の男女が必要以上に親しくするのは良くないと断る。
あれ以来、兄を見る目も変わった。あんな会話に参加し、私たちを品定めしているのだから、仕方ないだろう。
◇◇◇◇◇
恋をすれば美しくなる。そんな言葉をどこかで聞いたことがある。それは失恋も当てはまるらしい。
「ティアン、綺麗になったわね」
デビューから一年過ぎ、夜会で会った父の妹である叔母が、急にそんなことを言ってきた。
「……そう、かしら?」
毎日鏡で見慣れているせいか、自分では変化があったようには思えない。
「ええ。恋でもしているのかしら?」
答えを期待する叔母の言葉に表情を曇らせ、首を振る。
それだけで失恋したと察したのだろう。叔母はそれ以上、その話題を振ることはなかった。
そしてなぜかこの頃から、ゴウディ様がおかしな行動を取るようになる。
◇◇◇◇◇
パーティーで会えば顔見知りだから、挨拶を交わすだけ。デビュー後の一年間はそんな調子だったのに、最近やたらとダンスに誘われる。
断る言い訳が浮かばす、仕方なく踊ることが数回続くと……。
「デビューの時と見違えるほど、綺麗になったね」
突然ダンスの最中にそんなことを言われ、鳥肌が立った。
なにを企んでいるのやら。初心な小娘の反応を見て、後で笑い物にするつもりなのか。優しそうに微笑まれても、裏がありそうで気持ち悪い。
私は曖昧な笑みを返すだけに留めた。
◇◇◇◇◇
「ゴウディから預かってきたぞ」
さらに奇妙なことに、ある日、兄が大きな箱を抱えて帰ってくる。
誕生日でもないのに、この大きなリボンがかかっている箱は、なに?
恐る恐るリボンをほどき、蓋を開けてみると……。
中には一着のドレスが収められていた。
「………………」
「いい贈り物じゃないか」
兄は嬉しそうに言うが、ちっとも嬉しくない。どんな魂胆があるのか、分かったものではない。
隠すことなく顔をしかめるが、追討ちをかけるように、兄がとんでもないことを口にする。
「次の公爵家のパーティー、ゴウディも呼ばれているんだ。お前も行くと聞いて、エスコートしたいと言われたから、受けておいたぞ。ゴウディも喜ぶから、そのドレスを着て行けばいい」
「お兄様、勝手に返事をしたの⁉」
「どうしたんだ。お前、ゴウディを気に入っていたじゃないか。なにが問題ある?」
「気に入っていたって……。昔の話よ、今は違うわ」
吐き捨てるように言うと、兄とドレスを居間に置き去りにし、部屋に戻った。
◇◇◇◇◇
仮病を使い、パーティーを欠席しようとするが、お父様に見破られ、出席することに……。
「なんでゴウディからの贈り物を着ていないんだ」
呆れた口調の兄の目に映るのは、お母様の残してくれたドレスを着た私。
兄とゴウディ様には、もったいなくて袖を通すことができないと、適当に誤魔化す。二人ともそれで一応は納得してくれた。
この晩はデビューの夜と違い、踊った後もゴウディ様は離れない。それどころか、ずっと腰に手を回されてもおり、その手を振り払って今すぐ逃げたかった。
「まさかティアン嬢が、こんなに美しくなるとはな」
にやにやと下卑た笑いを浮かべ近づいてくる、とある子息にゴウディ様は、なぜか自慢顔で、『昔からティアンは美しい女の子だったよ』と答える。
以前の私ならその言葉で、天にも昇る気持ちになっただろう。だが今の私には、吐き気のする言葉にしかならない。
どうやってゴウディ様から逃げようかと考えていると、会場が騒がしくなる。
「まあ、殿下だわ!」
「遅くなってすまない。皆、中座することはない。どうぞそのまま楽しんでくれ」
にこやかに殿下が言えば、中断した音楽も再び奏で始める。人々の歓談も再開される。
殿下は主催者の公爵へと真っ直ぐ挨拶に向かう。そんな殿下の後ろを歩いている人は……。
王子の側近、チジャン様だ。
法務大臣の息子で、非常に有能で真面目な人だが、とにかく見た目が地味な方。結婚相手として申し分のない方のはずなのに、地味というだけの理由で、女性が群がることはない人。
そう考えれば、女だって男のことを陰で評価しているわ。だけど私は兄たちのように、誰が聞いているとも知れぬ場所で、あんな会話を交わさない。それが彼らと違う所。
王子が現れたことで場が騒然とし、ゴウディ様の意識も王子へ向かった隙に、彼から離れる。
公爵への挨拶を終えたチジャン様が、胃の辺りを押さえていることに気がつく。
ひょっとして……。水の入ったグラスを持って、急いでチジャン様のもとへ向かう。
「チジャン様、どうぞ。お水ですわ」
「ありがとうございます」
辛そうなチジャン様は、それでも無理やり笑みを浮かべ、グラスを受け取る。
体調が悪いのなら、無理をしなくても……。私は初めて会話を交わす彼が心配になる。胃を押さえる姿が、母を思い出させたから。
「胃薬を飲みたかったので、助かります」
「チジャン様が胃の辺りを押さえていらっしゃったので、ひょっとしてはと思いまして……。大丈夫ですか? 辛いようでしたら無理をせず、あちらの椅子でお休みになられては……」
「薬を飲めば大丈夫ですよ、慣れていますし。ただの胃痛ですから。えっと、オリアン侯爵のお嬢様……」
「はい、ティアンです」
「申し遅れました。ご存知のようですが、私はファヌーン侯爵の息子、チジャンです」
地味な顔をしたチジャン様が、また無理に笑みを浮かべる。
それから胃薬を飲まれ、ようやく安心したように息を吐く。
「本当に助かりました。どうにもこういう場は未だに苦手でして、それで胃が痛くなったようです」
おどけた口調の彼の言葉に、私もいたずらを企んでいるような顔で答える。
「実は私も、こういう場が苦手なのです」
視線を合わせ、二人同時に笑う。
柔らかい雰囲気で、居心地のいい人だ。人はよく彼を地味だと言うけれど、そうは思えない。
眼差しは穏やかで温かみを持ちながら、力強さを感じるほど真っ直ぐだし。
それにおどける遊び心も、持ち合わせている。とても魅力的な方だわ。
「そのドレス……」
「……若い者にしては、地味とお思いですか?」
「いいえ。昔、我が家でパーティーを開いた際、亡きオリアン侯爵夫人が着られていたと記憶していたので、懐かしく思って。……お母様のことを、今でも大切に思われているのですね。お母様はティアン様がドレスを美しく着こなされ、さぞ喜んでいるでしょう」
「…………っ!」
お母様のことを覚えていてくれ、お母様のことを考えてくれている。
こんなに嬉しい言葉をかけてくれるなんて……。私の心が温もりで満たされていく。
「どうでしょう。お知り合いになれた記念に、私と一曲、踊ってくれませんか?」
「光栄ですが……。胃は大丈夫ですか?」
「薬を飲んだので、大丈夫ですよ」
今度は無理やりではない笑顔を向けられ、私も笑顔で頷くと、彼の手を取った。
◇◇◇◇◇
翌朝、朝食を終え仕事に出かけようとしたお父様に、意を決し伝える。
「お父様! チジャン様には、婚約者がいらっしゃいませんよね⁉」
「あ、ああ。そう聞いているが……。ティアン、まさかと思うが……」
ぽっと赤らめた顔を隠すよう、両手を頬に当てる。
「……趣味が良くなったな……」
「なにか言って、お父様?」
ぼそりと父がなにか言うが、あまりに小さく聞き取れなかった。
「いや、その……。分かった。彼なら私も異論ない。ファヌーン法務大臣と話してみよう」
「ありがとう、お父様! 急いでくださいね。昨日初めてお話をしましたが、本当にお優しく、お母様のことも覚えてらして、素敵な方なの。私、あんなに嬉しいことはなかったわ」
朝食を取るため席についていた兄が私たちの会話を聞き、目を丸くする。
「父さん! ゴウディからの結婚の申し込みを断っていながら、どうして今回は受けるんだ!」
「ゴウディ様から結婚の申し込み⁉ 冗談でしょう⁉ お父様、絶対に断って下さい! お母様のドレスを野暮ったいと言う男となんて、結婚したくないわ! しかも彼、アンの胸を大きいとか揉みたいとか話していたのよ⁉ けだものよ! 絶対に嫌!」
「ティアン、なんてことを言うんだ! ゴウディがどれだけお前のことを想っていると……っ」
「お前たち、もういい年なんだから、少しは落ちつかんか。ああ、仕事に遅れる! 私はもう出かけるぞ!」
父が仕事へ向かい二人になると、兄からゴウディ様が、私との結婚を何度もお父様に申し込んでいると聞かされた。
「なんで⁉ どうして私なの⁉」
「年をおうごとにお前が綺麗になり、惚れたそうだ。あのドレスも、そういう意味があり……」
「そんなドレスを勝手に受け取って、私に渡してきたの⁉」
もしあのドレスを着ていたら、結婚の申し込みを受け入れますという返事になっていた。もしもの事態を思い、ぞっとする。
「どうして勝手なことをするの! 私の気持ちも考えず……! やっぱりお兄様は、あのゴウディ様の友人なだけあるわね、最低よ!」
「なんで嫌がる。ゴウディは跡継ぎで身分もあり、相手として申し分ないじゃないか。それなのに父さんも、お前も……」
「きっとお父様は、ゴウディ様の悪評をご存知なのよ! 大きな声で女性の胸を揉みたいとか言う変態だとね! お兄様は彼と同類だから、それがどれだけ最低なのか、分からないでしょうけれど」
「変態⁉ いつ私がそんな話を、お前の前でした!」
「デビューの日、お兄様たちがバルコニーで交わした会話を聞いたのよ! デビュタントの娘を、嫌らしく品定めしている会話をね!」
「あ、あれは……っ。……そうか、最近私たちを避けている気はしていたが……」
がっくりと兄は肩を落とすが、すぐにきりっと真面目に作った顔を上げる。
「確かに私たちも愚かだった時はある。だが今は違う。どうか信じてくれ」
「信じられる訳ないでしょう⁉」
私の叫びは、屋敷中に響くほどだった。
◇◇◇◇◇
その晩、父が笑顔で帰宅する。
「喜べ、ティアン。実はファヌーン大臣に呼ばれてな。なんとチジャン殿が、お前との結婚を希望されているそうだ」
「本当⁉」
「どうして⁉」
またも兄妹で意見が割れるが、父は気にしない。
「昨晩のパーティーで、水を欲していた所に、お前がグラスを渡したそうじゃないか。それに亡き母親を大切にしている優しい人柄に興味を持たれたそうだ」
私はそれを聞き、両手を組んで、きゃあきゃあ喜んだ。
対する兄は、ゴウディになんて言おうと、暗く項垂れた。
◇◇◇◇◇
「婚約直後に国を離れることになり、本当に申し訳ありません」
翌日から王子の結婚相手を迎えに異国へ向かうと言うのに、チジャン様は父と私のもとを訪れると、頭を下げてきた。
「大事な国務です、気にする必要はありませんわ。ねえ、お父様」
「娘の言う通りです。出立する前日で忙しい中、挨拶に来ていただけるだけで嬉しく、貴方の人柄が分かるというもの。娘を嫁がせる相手にふさわしいと、改めて安心しました」
「恐縮です」
見送る時は父が気を使い、二人きりにしてくれる。
「チジャン様、これを」
購入した、何種類もの胃薬が入った袋を渡す。
「胃に効くというお薬を集めました。でも……。飲みすぎは却って体に悪いと言いますから、飲みすぎないよう、お気をつけて下さい。あと、長旅に向かわれるので、お守りです」
旅行のお守りも渡す。
「こんなに沢山……。ありがとうございます」
「………………」
じっと彼の顔を見る。
異国への道中、本当に無事だろうか。自国から出たことのない私は、不安で仕方ない。
そんな私の気持ちが伝わったのか、心配ないと彼は微笑む。
「大丈夫です。行き先も道中も、穏やかな国ばかりですから」
そして片手で贈り物を全て抱えると、空いた片手で私の手を握って来る。
「貴女のことです。お母様が着られた花嫁衣裳も、大切に仕舞われているのでしょう?」
「はい」
急にどうしたのだろう。なんの話かと不思議に思うと……。
「私は必ず帰って来ます。帰ってきたら、その花嫁衣装に似合う、私の結婚式で着る服を、二人で選びに行きましょう」
「チジャン様……」
あまりの感動に、目が潤んでしまう。
まだチジャン様には、伝えていなかったのに……。
お母様が着られた花嫁衣裳を身につけ、私も花嫁になりたいという夢があることを……。
その考えを見破られており、恥ずかしいやら嬉しいやら。
それでも自然と喜びから、笑みが広がる。
今度は、私の見る目は間違っていなかった。
「ええ、ええ。ありがとうございます。チジャン様の服を必ず、二人で選びましょう。お帰りになる日を私、楽しみに待っています」
私の気持ちや家族を大切に思ってくれる人に出会え、なんと幸せなことか……。
デビューは散々だったけれど、あの出来事がなければ、チジャン様の良さに気がつかなかっただろう。
それから私はチジャン様が帰ってくる日まで、毎日教会へ足を運ぶ。
どうかチジャン様が無事に、元気に帰って来られますようにと、祈るために。
お読み下さり、ありがとうございます。
ありがたいことに前回、チジャンを気に入って下さった方がいらっしゃいまして、それで当初は続編などは考えていませんでしたが、いつか書けたらいいなと、たまに思い出していました。
でも浮かぶ内容はどれも私の中で納得できず、没!没!没!と、チジャンが登場するという意味では、お蔵入りばかりでした。
なにか新作……。一つ連載終えたから、新作……。
そう考えていた時に、ふと初恋がダメになって、次に恋する人と結ばれる女の子はどうかと思い浮かび、あれこれ考えていると、あれ?この話、チジャンが相手役だとしっくりくるなと、私の中で納得できまして……。
胃が痛む描写も絡めることができ、なんとかなったかなと。
時間軸としては、この作品から「影武者の娘」に繋がります。
シリーズで書いたのはこれが初めてなので、ご満足頂けるか不安ですが、少しでも読まれた皆様が楽しむことができたら幸いです。