149話
昨日ヴィルに自分の正体がばれてしまった。
そうでなくとも自分の軽率さのせいで人一人殺しかけたことに対する罪悪感で死にそうだったのに、余計に自分の心に圧がかかる。
「クッソ……。めちゃくちゃいい朝じゃん」
俺の心はぐちゃぐちゃでまとまり無くてこんなにもよどんでいるのに、宿の窓から見える塩湖の水面は凪いでいて、相も変わらず美しい空を映している。
「……俺、ヴィルのことは結構好きだったんだけどなぁ」
ヴィルが俺に母上の面影を見つけた時、何でもないふりをすればよかった。できればよかった。
でも数日一緒に過ごした後だし、何なら夜の塩湖で面と向かった一対一で話し合った後だったから、俺がぼろを出さない限りばれないと思ってしまった。
だからこそ気を抜いていた。心を許してしまっていた。だから咄嗟に反応できずに逃げてしまった。従兄の俺を嫌悪する表情に傷ついた。
あぁ、ここでも俺は『ライモンド』ではなく『七番目の王子』なのかと。
幼い頃ジャン兄様を助けるために南の庭園で爆発を起こした頃の、俺を化け物か腫物のように扱う周囲の視線とそれが重なった。
どうしようもないほどマリアに会いたくなった。
「……自分が弱くて嫌になる」
これじゃ泣いて、前髪を伸ばして目を隠し、マリアに抱きしめてもらった幼い自分のまんまだな。
あの頃と比べて成長したと思ったのに、何も変わってない。
よく眠れなかったからかじくじくと鈍く痛む目頭を揉んで、鈍い思考をはっきりさせようと頭を振った。
ひとまず、どんなに嫌だと言ってもオッキデンスに着くまであと数日。ヴィルとは一緒に行動せざるを得ないのだ。
……もっとも、今も俺の護衛についているであろうホフレの部下に頼めば一人行動できないこともないんだろうけど。
でも、ここで逃げてはいけないと思う。俺が今後もヴィルと対等に話がしたいのなら。
ふーっと長く長く息を吐き、肺の中の空気をすべて出す。
それからぐっと一度呼吸を止めてから深く息を吸い込んだ。
「……だいじょうぶ」
髪を染め、メガネをかけて、鏡を見る。
うん。いつもの俺だ。
「おう、坊主! おはよぅ!」
「おはようございます、セフェリノさん。すみません、ギリギリになって。昨日あまり眠れなくて。お待たせしました」
気持ちを切り替えようとしたけど、結局臆病風に吹かれてヴィルと顔を合わせるのをギリギリまで伸ばした結果。俺はわざと朝食も食べずに出発ギリギリになってから宿を出た。
ちょうど俺を呼びに来たのか、部屋を出て宿の階段を下りている途中でセフェリノさんに出会った。
「いんや。昨日は坊主もびっくりしただろうし気にすんな。朝飯は食いっぱぐれたんだろぉ? ほれ、これ食えよ」
「ありがとうございます」
手渡されたのは紙に包まれたサンドウィッチで、後で馬車で食べようと自分のカバンに仕舞った。
「少年、昨日は災難だったね。大丈夫かい?」
「イバニェス伯、ありがとうございます。もう大丈夫です。昨日はご心配をおかけしました」
「もうちょっと休めたらよかったんだけど、アタシたちもボウヤや皇太子殿下をちゃぁんとオッキデンスに送り届けなきゃいけないから」
「いえ、俺は本当に大丈夫なんで。気にしないでください、バレンティナさん」
昨日ひどく取り乱したからか、イバニェス伯含めたオッキデンスの大人たち三人は俺を公爵家の後見を得ている貴族ではなく、一人の子供として扱ってくれるらしい。
無理はしなくていいと言外に俺を気遣う三人の言葉と態度にホッと体から力を抜いた。
ふと、宿の前に停まった馬車を見て嫌な予感がした。
昨日まではみんなで幌馬車に乗るために荷物をぱんぱんに積み込んでいた馬車から荷物が降ろされ、そこにヴィルが乗り込んでいたのだ。
やはり『ライ』とは仲良くできても『ライモンド』とは仲良くする気はない、ってことかな? あぁ、それはとても寂しいことだけれども、俺が『ライモンド』である限りしょうがないことだ。
先に乗り込んだセフェリノさんたちに続いて俺も幌馬車に乗り込もうとした時、目の前にスッとアメットさんが腕を出して俺を止める。
「申し訳ありませんが、昨日の件でヴィルヘルム様がライ様と二人で話がしたいそうです」
「は……、ヴィル、様が?」
「はい。他でもない、『殿下』がお話しを望まれています」
直接的な言葉は避けているが、それでも『ライモンド』との対話を望んでいるという内容にびくりと体が固まる。
そりゃそうだよな。従兄殿にバレたんなら、その側近のアメットさんやウルリカさんにバレていないはずがない。
心臓がキシキシと嫌な音を立てて早鐘を打つ。あぁ、いやだ。
今まで王宮で俺を見ずに『ライモンド』としてしか見てこない貴族に会った時はこんなに動揺しなかったのに。
「……わかりました」
貴族としての仮面をかぶってにこやかに笑い従兄殿の乗る馬車へ向かう。アメットさんが扉を開いてくれるのでそれを待ち、それから乗り込む。
「……おはようございます」
「……」
一応朝の挨拶をしたものの、帰ってきたのは無言の視線。それにツキリと心が痛むができるだけ表に出さないように彼の正面に座る。
やおら動き出した馬車に揺られ、主に俺の胃が痛い旅が始まった。
何を問い詰められるのかとドキドキしていたのだが、俺の思いとは裏腹に従兄殿はずっと黙って何やら手元の資料に目を落としている。
あれ? これ俺が胃を痛めつつ一緒に馬車に乗る必要ありました?
何とも腑に落ちないが、俺は何もすることはないので開き直ってセフェリノさんに貰ったサンドウィッチをカバンから取り出してかぶりつく。
ぱさぱさのパンにしなびた野菜。それに昨日のカニの身をほぐしたものが挟まっている。
うーん、カニの身はともかくあまりおいしくない。でもこれがサルムルトの常識で普通の食事だと言うのだから、この国の貧しさがわかるというものだ。
それにしても、俺が不意にサンドウィッチを食べだしたら従兄殿が訝し気な表情でこちらを見てきたのが愉快だったな。俺の胃を痛めたんだからこれくらい許してほしいものだ。
しばらく互いに好きにしていると、次第に相手のことが気にならなくなってきたので視線を窓の外に向ける。
ずっと緊張状態でいるとか疲れない? 緊張感に慣れたとも言うけど。
今まで幌馬車に乗っていたからか風を感じたくて窓を開くと、心地のいい風が吹き込んできて、俺の長い前髪を揺らす。
従兄殿が持つ資料も風で揺れたようで、もの言いたげな視線を感じるけどもわざと気付かないふりをする。
というか、なんの会話もないんだけど、従兄殿はなんの用事で俺をこっちの馬車に呼んだわけ?
俺の正体に対して何を言うでもなく、昨日のアレルギーの話をするでもなく。ただただ黙って一緒の馬車に乗る意味とは?
まあ考えてもしょうがないんだけど。
風で吹かれる髪をかき上げ、そういえばと思い直す。どうせ俺の正体がばれているのなら邪魔な眼鏡を外してもいいのでは?
目の色を隠すために眼鏡をかけてはいるが、俺自身としては眼鏡ってあんまり好きじゃないんだよなー。
裸眼でちゃんと見えるし、戦ってる時とかに外れそうになるし、水に濡れると鬱陶しいし。
馬車に乗っている間だけでも外しておこうと眼鏡をとると、今度こそ従兄殿が信じられないと言わんばかりの視線を向けてきた。
心外だ。そんな表情される理由がない。
そもそも『ライモンド』と話したいって言ってきたのお前の方じゃん。
何か? と問いかけるように笑顔の仮面を向けると、もの言いたげにキュッと眉根を寄せはしたが結局口を引き結んで再び資料に目を落としてしまった。
いや、本当になんで俺と一緒に馬車に乗りたかったわけ?




