144話
「そうですか……、そのようなことが」
「幸いライの迅速な対応とアメットの治癒魔法で死人は出なかった」
宿の部屋でことの顛末を話すヴィルとイバニェス伯爵の言葉を聞きながら、俺はずっとなんで食物アレルギーのことを忘れていたのかという後悔の念に駆られていた。
今回は、すぐそばに治癒魔法の仕えるアメットさんがいた。
でも、もし彼がいなかったら? あの人は死んでいたかもしれない。
そんなことを考えるたびにずっと心臓は嫌な音を立て全身ざわつき、思考がぐるぐる回って吐き気がする。
「………ボウヤ、大丈夫?」
「ヴァ、レンティナさん……。あの、はい。俺は、はい。大丈夫です」
「……ウルリカ、ライを休ませろ」
「はい」
椅子に座った俺の背をヴァレンティナさんが撫で、ウルリカさんが目の前に紅茶を置いてくれた。
ティーカップに手を伸ばすと、自分の手が小刻みに震えているのが目に入って苦く笑う。
カップの中の紅茶を飲むと、その温かさにようやくフッと体から力が抜けた気がした。
「…………ライ。アレルギーとやらについて話せるか」
俺がようやく少し落ち着いたことでヴィルがそう話しかけてきた。
「ん、ごめん。あと、ありがとう」
「いや、構わない」
緊張から妙に乾いた喉を潤すようにもう一度紅茶を口に運んでからふー、っと長く長く息を吐く。
「ん、おっけ。えっと、何から話したらいいかな。えっと、そもそも人の体の仕組みとかってどこまでわかってる?」
「どこまで、と言われましても。浅学で申し訳ありませんが、毒を含んでいるわけでもない食べ物が人によっては害になる、ということ自体が理解ができておりませんので、なんとも」
「私もイバニェス伯とほとんどかわらない」
「あー、じゃあ、根本的なところからですね。えっと、人体にはそもそも基本機能として免疫っていう機能が備わってるんです。外から病原菌、風邪や病の素が体内に侵入したときに、その素を殺そうとするんです。で、例えばその原因が熱に弱ければ発熱して体内の菌を殺したり、喉に異物があれば咳を、鼻に異常があれば鼻水が、目から涙が、みたいに人が意図してなくても人体は反射的に原因を排除しようとします」
そこまで話して、一度話を聞くみんなの顔を伺う。
「……で、人体が常に正常に動いてくれたらいいんですけど、たまに誤作動を起こすことがあります。 普段しっかりしてる人でもやらかしちゃうことってあるでしょ? 決済書にサインを忘れる。 いつもかけてる眼鏡をどこかに置き忘れる。何もないところでつまずいちゃう。たまにならいいんですけど、そうじゃなくて、ある特定の分野だけどうしてもできない人もいる。どうしても数字が苦手とか、運動神経が悪いとか、絵を描いたらとんでもない絵しか描けないとか。そういう人の個性と同じように、人によってはどうしても免疫がうまく作動しない人がいるんです。そういう人は毒でも何でもない食べ物を『この体には必要ない』って判断して、それを何とかしようと自分で自分の体を傷つける。 そういうのをアレルギーっていいます」
厳密には違うかもしれないけど専門的なことは話せないし、なんとかアレルギーを知らない人に簡単にわかりやすく説明しようとするとこんな言葉になってしまった。
幸いヴィルやイバニェス伯爵はなんとなく理解してくれたようでぎゅっと眉根を寄せて考え込んでいる。
「ライ、それは、大人だけでなく子供も同じか」
「むしろ子供の体の方が重篤な症状を引き起こす場合もあります」
前世で、何の病気が流行った時だったか。免疫含め体の反射機能が落ちた老人よりも、若い子供の方が過剰反応を起こして症状が重篤化しやすいとか聞いたことがある。
俺のその言葉に、ヴィルはさらに眉根を寄せた。
「ライ、先ほど私は君に聞いたな。それは、パンもか、と」
そういえば、混乱の中カニの他にもよく聞くアレルギー源を口走った際にそんなことを聞かれた気がする。 前世では表示義務が課せられていた七品目の内にもちろん小麦は含まれているのでこくりと頷いた。
それに、ヴィルだけではなくイバニェス伯爵の顔色もザッと悪くなった。
「え、っと……」
何か悪いことでも言っただろうかと混乱する俺に、珍しくウルリカさんが口を開いた。
「……オルトネク様。私には五つ離れた弟がいました」
「え、あ、はい……」
急になんの話だろうかといまいち意図がつかめない俺に、ウルリカさんは震える自身の手を白くなるほどぎゅっと握りしめてさらに口を開く。
「ですが、もうすぐ乳離れをするかという頃、弟は死にました」
「は………、」
「弟の初めて食べた食事は、パン粥です」
その言葉に、ぎゅっと心臓が締め付けられたような気がした。
ウルリカさんの言葉に何も言葉を紡げずにいる俺に、ヴィルがゆっくり口を開く。
「………五大国の内、多種族からなるノトス以外の四国における主食はなんだと思う」
「米か、パン……」
ほとんどかすれた声でそう答えると、イバニェス伯爵も重々しくうなずいた。
「……どの国であっても、乳幼児の死亡率は高いです。もちろん、少年の言うアレルギーが原因でないこともあるでしょうが、それでもその内の何パーセントかは、あなたの言うアレルギーが原因だと、言えるのではないですか?」
ヴィルとイバニェス伯爵の重い声が、震える手を握りしめたウルリカさんの視線が、どうしようもなく俺を責め立てているような気がして呼吸が浅くなる。
「ライ、君はなぜ騎士科に所属している」
不意にそう俺に問いかけたヴィルの言葉にびくりと体が跳ねた。
「なぜ、留学先にオッキデンスを選んだ」
思考がまとまらない。じっとりと表皮に嫌な汗をかき、胃のあたりがひっくり返りそうなほど気もちが悪い。
正面を見ていられなくて思わず視線を落とした俺を咎めるようにヴィルの無感情な声が俺を呼ぶ。
「ライ」
あぁ、だめだ。
息が苦しい。
小説4巻が2月3日に発売されます。
Amazonなどに書影も反映されましたので、よろしければ大変顔のいいライくんのお姿をご査収ください。
大変顔のいいジャン兄様も登場します。




