13話
「では参りますよ。」
そう言ってキュリロス師匠がアーチの中に足を踏み入れた。
壁に触れる直前までそこにガラスの壁が見えているわけだから、すり抜けるとわかっていてもガラスの壁に触れる直前にぎゅっと目をつむった。
しかし訪れたのはもちろん固いガラスに触れる感覚ではなく、頬に触れるひやりとした冷気だ。
パッと反射的に目を開けて、俺はその光景に見ほれた。
「いちめんまっしろだ。」
一面の銀世界。
ガラス越しに感じる冷気から予想はしていたが、実際に目にすると感動せざるをえない。
外からも見えていた木々は氷でできていた。
それは、樹氷のように氷に覆われているという意味ではなく、正しい意味で氷でできているのだ。
それは一見すると、水晶華の樹版のようにも見えるのだが、枝の先からそのままつららが下がっているのを見る限り、やはり水晶でできている水晶華とは違う美しさだ。
しかも雪には一切汚れが含まれていないのか、その影は青い。
しかしよくよくその雪原を見てみれば、雪の下から寒色の花が顔をのぞかせていた。
「あのはな………。」
どこか見覚えのある花に、手に握っていたあの桔梗に似た花に視線を落とす。
すると先ほどまでピンクと黄色だったその花の色が白に変わっていた。
「その花は温度で色を変える。だから寒いスィエーヴィルでは青や紫といった寒色の花しか咲かない。」
徐々に外気によって冷やされたチオエージの花が薄く青く色づく。
「ここは寒い。この先に小屋がある。」
さくさくと雪を踏みしめながらベルトランド兄様とキュリロス師匠が白銀の世界を歩いていく。
「ベルトランドにいさま。このきはなんというのですか?」
「それはリヴァオート。単に樹氷と呼ぶものもいるが、樹氷とリヴァオートは違う。その差はなんだと思う。」
「じゅひょうはこおりやしもでおおわれたただのきで、リヴァオートはそもそもがこおりでつくられたものですか?」
「その通り。やはり思った通り君は他の者たちよりも賢いらしい。ぜひその頭脳を学園で発揮してもらいたいものだ。」
「がくえん、ですか?」
依然キュリロス師匠に抱えられたままの俺とベルトランド兄様の視線は大体同じだ。
これが抱っこされているからだとは言え、久しぶりに大人の視線で話ができることは素直に嬉しい。
舌足らずな自分の話し方だけがいささか不満だが、変に子ども扱いしないベルトランド兄様と話すことも楽しい。
「続きは中で話すぞ。」
そう言われて視線をベルトランド兄様から進行方向へと移すと、そこにはとてもじゃないが小屋とは呼べないレンガ造りの屋敷があった。
「こ、や…………?」
「そうだ。あの小屋だ。中で私の従者が紅茶を用意しているはずだ。」
この五年でだいぶん部屋の広さとかその他もろもろ王族暮らしに慣れてきたと思ったのだが、さすがに日本の一軒家に相当する大きさの洋館を小屋と呼ぶようにはなれない。
俺と生粋の王族とではやはり価値観にかなりの差があるらしかった。
「キュリロスもいい加減シャツ一枚だと寒いだろう。早く中に入るぞ。」
ベルトランド兄様の言葉にキュリロス師匠の格好を思い出した俺がバッとキュリロス師匠の方を見た。
「いえ、私には毛がありますので。むしろライモンド殿下を抱えさせていただいている分暖かいですよ。」
にこりと微笑むキュリロス師匠はやはりかっこいい。
(ベルトランド兄様曰く)小屋に入るとすぐにキュリロス師匠は俺を地面におろしてくれた。
ほんとに必要以上に子供扱いしないキュリロス師匠は理想の男性像だ。
毛皮があるとはいっても、唯一外気にさらされていた俺の頬がこんなに冷えているのに寒くないはずがない。
しかしそれをおくびにも出さないキュリロス師匠。
獣人の猫族の美的感覚はわからないが、きりっとした瞳にピンと伸びた猫ひげ。
なかなかのイケメンなのではないだろうか。
あれ?じゃあキュリロス師匠って完璧なのでは?
知ってた。
俺が改めてキュリロス師匠のパーフェクトっぷりにうなっているうちにベルトランド兄様に促されテラスへと足を運ぶ。
もちろんこの極寒の空間でテラスなんて正気の沙汰ではないが、それはこのガラスのドームと同じ原理で、この屋敷の中には全くと言っていいほど冷気が感じられない。
ぬくぬくのテラスから見える雪景色。
その白い世界に彩るのはチオエージの蒼や紫。雪の影のアクアブルー。雪とは違った白い煌めきを持つ光を受けたリヴァオートとその純度の高い氷が作り出す青。
単純な色味なだけに、それがひどく美しい。
この雪景色を見ながら暖かい紅茶を飲むのはなかなかに贅沢ではないだろうか。
「さて、本題に入るが。どうやってあの規模の爆発を発生させた。」
「みずがすいじょうきになるときのたいせきさでばくはつをおこしました。」
「水蒸気………?なら使った魔法は水を生み出す魔法と熱魔法か………?」
「せいかくにはたいきちゅうのみずをあつめるまほうです。」
「ほお?大気中の水か。考えたことはなかったが、確かにあり得ない話ではない。なぜ空気の中に水があると?」
ベルトランド兄様の言葉におや?と首をかしげる。
どうやらこの世界では空気に水が含まれているのは一般的な考えではないらしい。
「ふっとうしたみずからすいじょうきがでるでしょう?しばらくひにかけつづけたらなべのなかのみずはなくなります。ならそのみずがどこにいったのかはかんがえるまでもありません。むからゆうはうみだせないし、ゆうがかってにむになるなんてこともないでしょう?」
無から有を作り出すことはそれこそ魔法を使わない限りできない。
逆に言えば、すでに有るもの、存在しているものを完全に無に還すこともできはしないのだ。
「…………それだけの現象から空気中に水分が含まれていることを予測したのか。」
正確には現代日本の理科の授業で習っただけなのだが。
だけどそんなこと言えないのでもっともらしいことを言えば、ベルトランド兄様はひどく感心したようだった。
「やはり、お前をマヤ様の元で燻ぶらせておくのは勿体ない。ライモンド、私と一緒に学園に来ないか?」




