12話
ベルトランド兄様に導かれるまま北の庭園に足を踏み入れる。
もちろんベルトランド兄様が言っていた通り、庭園から見える青い空と一面に咲き誇るピンクと黄色の花々も美しいのだが、目を引くのは庭園のちょうど中央に建つガラスのドームだ。
うっすら見える中にはどうやら木々が生えているようなのだが、はっきりとその詳細まではわからない。
「この花を見るのは初めてか?」
そう言ってベルトランド兄様が足元のピンクと黄色の花を一本ずつ手折る。
花の形は桔梗によく似たその花。
しかし茎の高さは人の足首から高くともふくらはぎ辺りまでの高さだ。
もちろん東の庭園と南の庭園しか訪れたことのない俺はその花の名前も知るはずもなく、首を左右に振る。
「チオエージという名の花でな。この暖かな色合いはスィエーヴィルでは見ることができない。」
そのままベルトランド兄様は俺にその花を渡してきた。
「にいさま?」
「持っていなさい。」
そう言うと兄様はすたすたとガラスのドームへと足を進める。
「ベルトランド殿下。ライモンド殿下。私はここでお待ちしております。」
ガラスのドームの前でそう言ってキュリロス師匠が頭を下げる。
「いや、キュリロス。お前も中に入れ。決して無関係ではないぞ。」
と、なにやらキュリロス師匠とベルトランド兄様が話をしているが、俺は改めて近くで見たガラスのドームに視線を奪われた。
分厚いガラスでできたそのドームの中は、不明瞭ながら白と青で彩られている。
そっとガラスに手を寄せると、少し離れた位置でもひやりと冷気が感じられた。
「つめたい。」
ガラスに触れた手から伝わる冷たさにぽつりと言葉を漏らした。
「ライモンド殿下は寒いのは初めてでしたな。」
先ほどまでベルトランド兄様と話していたキュリロス師匠が俺の言葉を拾ってそう言った。
「さむい?」
確かに生まれてこの方寒さと言うのはあまり感じたことがない。
どうやらこの世界では日本のように季節による気候の変動が少ないらしい。
というより、魔法と言うものが世界の摂理に影響を与えているようだ。
暖かい国はずっと暖かいし、寒い国はずっと寒いままだ。
その気候の境目は区画で綺麗に分かれている。
例えば非常に気温の高い砂漠の国のすぐ隣が湿地帯であったり、温暖な気候のすぐ隣が体の芯まで凍えさせるような極寒の地であったりする。
まるで見える国境線のように、その境目は薄い魔力のベールで仕切られているのだ。
魔法のベールをひとつ超えれば今まで40度以上あった外気温がマイナスまで振り切れる。
マリアとキュリロス師匠の話でしか聞いたことはないが、いつか自分の目でその魔法のベールを超える瞬間を見てみたい。
そして、このチェントロ王国は一年中雨の降らない国で一年を通して温暖な気候だ。
暑くもなく寒くもない。
なので、生まれてこの方気温について不快感を覚えたことは一度もない。
「聞くよりも体感が一番だ。中に入るぞ。」
そう言ってベルトランド兄様が他の壁の部分とは違い、まるで金色の蔦のような模様でアーチを描く壁に近寄る。
しかしガラスの壁にただ金の蔦が描かれているだけで、扉のように開きそうな気配もない。
どうやって入るのか小首をかしげていると、ベルトランド兄様がそのアーチの描かれた壁に手を伸ばす。
「……………………まほうみたいだ。」
思わず俺がそうつぶやいたのは仕方のないことだろう。
だってベルトランド兄様の伸ばした手は、先ほどの俺とは違いガラスの壁に阻まれることなくそのままドームの中へと貫通したのだ。
ぽかんと口を開き、しかし目をキラキラと輝かせているだろう俺の手をキュリロス師匠に握られる。
もちろん俺と視線を合わせるようにしゃがんでくれてだ。
「ライモンド殿下。中は少々冷えます。私は毛皮がありますゆえ私に触れていれば多少なりとも暖かいと思うのですが、抱き上げてもよろしいですかな?」
「よろしいです!むしろおねがいします!」
「ええ。では、失礼いたします。」
余談だが、プレートアーマーを着るのは王宮の警備をする衛兵だけなので、最初に会った日以降ほとんど俺の身辺警護と剣術指南しか請け負っていないキュリロス師匠は普段軍服を着ている。
そもそも俺と初めて会った時にプレートアーマーを着ていたのだって、たまたまはやり病で警備兵が足りなかったからだ。
確か今年二十九歳だというキュリロス師匠は二十三歳でチェントロ王国に来て、二十五歳の時にはすでに騎士団の団長になり、さらにその翌年からは王族に剣術を教える指南役を仰せつかったという。
話を戻すが、普段軍服を着ているということはもちろん今もその軍服を着ているというわけだ。
黒い生地でできた軍服のジャケットを脱いだキュリロス師匠はその軍服で俺を包んで抱えあげた。
そのままキュリロス師匠の普段は隠されている白いシャツの胸元に頬を寄せると、守るようにぎゅっと抱き寄せてくれた。
ひぇぇ。かっこいい。