記憶喪失×騎士編 5章
「入れ」
言いながら、大男は意識が虚ろだったヨベルを投げ入れた。
「がッ――」
元々大きな傷を負っているのだ。地面に叩き付けられた彼は、苦しそうに顔を歪ませる。
「ヨベルっ!」
自分を抑えていた兵を振り払うと、彼を追いかけるようにして自ら牢の中へと入る。
ガシャン――。
後ろから、鉄の柵が大きな音を立てて占められる。
そしてカシャという音と共に鍵が閉められ、ここまで私達を連行してきた兵は安心したように去っていく。
「………」
地面は冷たく、湿っていた。それでもかまわずに私は両膝をつき、倒れ込んでいた彼を抱え起こす。
「ヨベル、しっかりして、ヨベル…っ」
「っ……ソラン、様……」
彼の意識は、まだあったのだ。重たそうな瞼を上げ、そこから覗く細い銀の瞳が、私を見つめていた。
「待って。今、手当てをするから」
もう、出来るかどうかの話ではない。
やるのだ。
私は彼の着ていたシャツを広げ、その下にあった傷口に目を向ける。
――白い肌を、染め上げるようにして赤は広がっていた。
「………ヨベ、ル」
その惨状を見て、私は言葉を失った。ここまで連れてこられた数時間の間に、腹と右胸の刺し傷はどちらも酷く化膿していた。幸い、敵のナイフの入りは浅かったようで、どうにかまだ一命をとりとめている状態なのだ。
しかし、これは…。
刺された直後ならともかく、今この場でどうにか処置ができるものではなかった。
布を巻き付けるにしても、まずは消毒しなければ危険な状態なのだ。
――どうすれば。
戸惑っていると、不意に彼と目が合った。
「……ここは」
すると、枯れたような声を彼が放つ。
「ここは、どこなのですか……?」
意識が朦朧としているのだろう。私を見つめながら、彼は聞いてくる。
「……牢よ。それも――私たちが見捨てた、王宮の地下みたい」
「………っ」
ヨベルは息をのんで、表情を少し歪ませた。連れ去られた時のことまでは覚えているようだ。
「笑っちゃうよね……結局、森を抜けたところで馬車に押し込まれ――連れ戻されちゃった」
「………」
自分を嘲笑するかの如くの一言に応えることなく、ヨベルは少しだけ、目を閉じる。
「……ヨベル?」
「――ソラン様、今から言うことを、よく…、聞いてください」
途切れ途切れの息で、彼は言葉を紡ぐ。
「う、うん」
彼の真剣な瞳を見て、私は大人しくその言葉の続きを待った。
…想像するなんてできなかったのだろう。
続く言葉が、如何に絶望的なものかなど。
それこそ、世界が音を立てて崩れるような。
そんな絶望が。
「私は、恐らく――」
――今宵を越すことができません。
その言葉は、音として認識することはできても、意味を理解することができなかった。
否…、脳が受け取ることを拒否したのだ。
「――どういう、意味」
「………」
「ねぇ、どういう意味なの」
必死な険相で彼に食いつく。すると彼は、少し穏やかな表情になって、優しい声で続ける。
「分かるんです。私は、医学に関しては精通していますから、今、自分の身体がどんな状況にあるのか……。正直――まだ生きているのが、奇跡のようなものです。最期に貴女と言葉を交わせる時間を…、与えられて…、良かった」
それを聞いて、言葉の全てを失ってしまった。まるで時に置いて行かれたかのように、私の身体は動かなくなってしまう。
しかし、そんな私に構わず、彼は時間が惜しいとでも言うかのように、必死に言葉を紡ぎ続ける。
「ソラン様……ここが王宮だというのであれば、……まだ、貴女が助かる可能性は、あります。私が死んだら――恐らく、彼らは死体を運び出すために、ドアを……開けると、思います。その時……隙を見つけて、逃げ出してください。……今から、伝える場所まで。隠れ部屋が……あるの、です」
…。
嫌…。
聞きたくない。
彼が死ぬ前提の話など、聞きたくはない。
「そこで、ドライアルと……副長のドライアルと連絡を……ッ。――げほっ」
話の途中で、彼が苦しそうに一つ、咳をする。
大量の血が、地面に吐き出される。
「――それ以上、喋らないで」
それは、自分でも驚くほどの、低い声だった。
きっと、安静にしなければならなかったのだ。それなのに、彼が無理に言葉を紡ぐのだから、容態が今以上に悪化してしまうのだろう。
「……ですが」
「お願いだから…ッ!」
叫びながら、彼の身体を抱きしめる。
――彼が、どこかへ行ってしまわないように。
意味のないことだとは分かっていても、やめることはできなかった。
こうでもしなければ、自分が狂ってしまいそうだ。
そして、同時に。
気づくことがあった。
――とても、冷たかったのだ。
まるで、その命の灯が失われかけているかのように。
「………」
つかさず、自分が来ている上着を脱いで彼の身体にかけ直す。そしてその上から、せめて自分の体温で温めようと彼をもう一度抱きしめる。
「………ソラン様、…服、が……」
元々来ていたドレスは胸口が大きく引き裂かれていて、腕の中の彼の頬には素肌が当たっていた。
「いいの、ヨベルなら」
「!………っ」
私の言葉に、彼は何故か一瞬驚いたように顔を引き攣らせ……そして、まるで何かを諦めたかのように、まるで私に身体を預けるかのように、胸に顔を埋める。
「……ここは、暖かい……」
呟くようにして、彼は少しだけ微笑んだ。
――まるで、彼女の腕の中で死ねるのであれば、幸せだとでも言うかのように――。
*
どうしてこうなった。
繰り返し、自分に問いてきた質問だ。
――私のせい。
私が、刺されそうになったから。
私が、自分勝手に動いたから。
私が、捻挫なんてしたから。
私が、彼の傍にいたから。
私に、……力がなかったから。
終わりなく自分を責める中で、一つだけ、疑問に思ったことがあった。
――私に力がないのは、本当だろうか。
彼が言うには、私は強かったのだ。
なんでもできて、その剣技は美しかったのだという。
俄かに信じられないが…、もし、本当だとしたら。
彼を癒す力を、かつての私は持っていたのではないのだろうか。
――治癒する、力…。
どうしてか、その言葉が頭から離れない。必死に考えるが、なにかが引っかかっているように出てこない。
――記憶。
そう、間違いない。
その引っ掛かりは記憶なのだ。
――思い出せ。
思い出すんだ、自分が何者なのか。
今までは認めるのが恐ろしかった。
王族だとか英雄だとか、そんなことを言われて、素直に認めることができなかった。
そんなに大きな力なんて、持ちたくはない。
できることなら、誰にも称えられることなく、誰にも敵意を向けられることなく、――平和に、暮らしたい。
だが、それではいけないのだ。
私は思い出さなければ。私が思い出さなければ。
私は、私が持っている手段を取り返す必要がある。
大きな力は、成したいことがあるときの手段となる。
どんなに恐ろしくても、どんなに辛くても。
取り返したいものがあるのならば、私は私の記憶を認めなければならない。
私は、ヨベルを奪われることを許さない――。
「――っ!!!」
突如、脳内に流れ込んでくる大量の情報。
「あ……あ……っ」
気が狂いそうになった。それは決して綺麗なものばかりでなく――絶望と、痛み…悲しみに塗れたものであった。
しかし、今は。
今は、受け入れなければならない。
――なんのことはない、今まで記憶を取り戻せなかったのは、自分の身体が、脳がある意味拒否していただけなのだ。
ヨベルがどんなに話して聞かせても、馴染み深い場所に連れて言ってくれても思い出せなかったのは、思い出せなかったからではない。思い出したくなかったのだ。
――馬鹿野郎。
私は、なんて自分勝手なのだろうか。
こんなちっぽけな記憶にさえ耐える自信を失い、自分の心を守るためだけに、――こんな、彼が致命傷になるまで追い込んだというのか。
「……ヨベル」
今までとはどこか違う、凛々しい声で彼の名を口にした。
「クリスタルは、どこ?」
「――っ!」
紡がれたその固有名詞に、腕の中の彼は微かに、目を見開いたのだ。
「ソラン、様……まさか――」
「いいから、どこだと聞いている。時間がない」
自分が記憶を取り戻したことに、彼はなんとなく察したようだった。
「……ウンリア様のは、彼女と共に、行方不明、です。ソラン様の分も、空間転移されたときには、既になく……」
「なら、一番近いのは本体か」
「!……ソラン様、何を」
「ヨベル、これだけは言っておく。――死ぬな。今晩中に、貴方に治癒魔法をかける。だから諦めないで」
強い口調で、彼にそれだけ伝える。
「ソラン様……記憶が」
「……力までは取り戻せていない。こっちは別に封印されているみたい。…けど」
す
意識を集中させて、両手を彼の傷口の上にかざす。
「――水龍ッ」
叫ぶと、手先に水が現れ、それは彼の傷口の奥まで流れ込む。
そして。
「が――っ」
その水が溶けることのない氷となると共に、まるで身体を貫かれたかのような痛みが彼を襲ったのだろうか、彼が苦しそうな声を上げる。
「……ごめんね。でも、これしか今は、貴方の傷が広がるのを防ぐ手段がない」
腕の中で荒い呼吸を整え、ヨベルは文句を言うどころか、笑ったのだ。
「ソラン様……神龍の力を、いつからこんなに、使いこなせるようになったのですか……」
「ちょっと色々、ね」
誤魔化すように話を流すと、牢の柵の外へと視線を向ける。
「――ヨベル、一芝居打つから、協力して」
「…芝居、ですか?」
「ええ。……貴方の言った通りよ。貴方が死ねば彼らは死体を回収しに鍵を開けると思う。けれども何も――本当に死ななくてもいいとは思わない?」
そう言って、私は自信気に笑って見せたのだ。




