記憶喪失×騎士編 4章
「………ん?」
ぼんやりとした視界に、複数人の男が映り込む。
「よぉ、やっと起きたか。意識のないやつを襲うのはあんまり楽しくないからよぉ、待ってたんだぜ。お前はなかなかの上玉だ。野郎全員で楽しんだ後は、金持ちに高く売り飛ばしてやらぁ。運が良ければそれなりの生活ができるぜ。はっはっはっ!」
何を言っているのか、よく分からなかった。
意識がまだはっきりとしない。頭がずんずんするのだ。
――頭?そういえば私は、頭を殴られて……。
「っ!」
一気に、眠気が冷めていく。そして同時に、自分の状況を理解する。
――山小屋の壁に打ち込んだ拘束具に、両手を広げた状態で縛られ……服が大きく破かれているというもの。
「まったくだな!自分から近寄ってきたのに、俺たちが何者か知ったとたんに抵抗するときた。仕方ないから殴って気絶させたわけだ。まぁ、抵抗する女の方がやりがいがあるってもんだがな!」
「ボスさんよぉ、今回はオイラにも順番は回ってくるんだろうなぁ」
「おう!いいぜ、商品として傷つけない限りは全部目を瞑ってやろう」
――言葉が、出なかった。
目と耳が、自分が今どんな状況かを正確に教えてくれるのだが、それを脳が上手く受け付けてくれない。
自分は、攻めてきた軍団に会いに行ったのだ。それが、どうも盗賊団と思しき一団と出会ってしまい…。
「それじゃあ早速、俺からいただきますぜっ!!」
近づいてきた男が、もともと大きく開いた胸口を掴み、大きく切り裂く。
嫌。
やめて…っ。
記憶をなくしてから、自分の身体が自分のものであると認めることに多少の抵抗はずっと感じていた。
しかし、それとこれとは別の話なのだ。
彼の手が、つかさずに私の肌に触れる。
「嫌…っ!」
……信じられないほどに、憎悪を感じた。
これでは全く違うのだ。ヨベルがドレスの裾を破り捨てたときとは…。
――ヨベル。
一度考えつくと、もう頭に残ってその名は離れなかった。
「ほらほら、もっといい声で泣け!叫べ!それが楽しいだろうが!」
涙が、止まらなかった。
自分は、なんて愚かだったのだろうか。
これでは、彼を助けられるかもしれないという望みも…。
「あああっ」
痛い。
痛い。身体が?心が?
もう、何も考えたくない。
もし、もし叶うのならば。
――ヨベル。
ヨベル、もう一度、貴方に会いたい。
会って、……謝りたいんだ。
ダンッ
突如部屋に響いた轟音に、歓声を上げていた男共は静まり一斉に振り返った。
そこには――美しい、銀色の騎士が立っていた。
「………」
これは、幻覚、なのだろうか。
もう、決して会うことのできない、彼を、脳が勝手に…。
それとも――。
「――せ」
銀色の騎士は、前髪で表情を隠したまま、何かを呟いた。
部屋中の男共は、始めこそ慌てたが、ドアを吹き飛ばした彼が一人だということを知ると、不敵な笑みを浮かべる。
「兄ちゃんよぉ、迷子になっちゃったかな?ここは兄ちゃんの家じゃねーんだぞ。あ、それもともしかしてあれかなぁ、そこに展示されてる商品、兄ちゃんのもんだったりするのか?」
「その汚らわしい手を離せつってんだろッ!!!」
言葉と共に、風が吹いた。
否、それは強く踏み込んだヨベルが、巻き起こした衝撃波。
「ぐああああ」
瞬時に、自分の身体を撫でまわしていた男が、吹き飛ぶようにして剣に捌かれる。
「………ヨベ、ル」
信じられない思いで、目の前に現れた彼を見た。
すると、彼は体勢を立て直すと同時に少し、こちらに目をやった。美しい銀色の瞳を。
「……!」
――ああ、自分は一体、その瞳にはどのように映ったのだろうか。
汚らわしい娘?
愚かなる王族?
だが、それ以上に、そうだとしても。
彼に会えて、嬉しかったのだ……。
「――鍵を持っているのは、どなたですか」
鍵というのが、恐らく自分の両手を捉えている鎖の鍵のことだと、瞬時に気づくことができなかった。
――彼は、まだ、こんな私を助けようというのだろうか。
「てめぇ!よくもウチのモンを…!全員武器を取れ、その頭をかち割ってやるっ!!」
部屋にいた男共が一斉にそれぞれの武器をとり、ヨベルに斬りかかる。
「はっ、喧嘩を売ったことを後悔するんだな!俺達は伊達にこの森で生きてきたわけじゃねぇ!カルデリア帝国にも、森の向こうのベルドにだって知られてる盗賊団だぜ?名もないてめぇ如きが勝てる相手じゃねーんだよ!」
「――黙れ」
ヨベルが剣を振る度に、血を流し男が一人倒れていく。
ヨベルの様子も、いつもとは違っていたのだ。
いつもは局部を狙い、動きを封印するにとどめる剣術であったのに、今は乱暴な…それでいて隙のない大胆な動きで相手を圧倒しているのだ。
「ふ、ふざけているのか!これだけの名だたる盗賊に対し、お前みたいな名無しがっ!!」
「――鍵はどこだと聞いてるんです。あと私は名無しではありません。ーーカルデリア王家親衛隊隊長、ヨベル=ベズニードル」
「……っ!」
「そして、貴様らは決して手を出してはいけないソラン様に恥をかかせた」
「お、おい、か、囲め!こ、こいつを――ぐぉおおお!!」
躊躇いもなく、彼はまた一人、盗賊を斬り捨てる。
もはや、彼を止めることは出来ないのだろう。部屋にいた盗賊達は次々と倒れ、残り3人となっていた。
「ですから、鍵を出せと、聞こえなかったのですか」
「ば、バケモノ…」
残りの盗賊は、もう勝てないと、どこかで分かっていたことだろう。
そして、転機は起こった。
「うわああああ!!全部、この女のせいだッ!!」
ヨベルが鍵の在処を聞き出そうとした時、彼から離れていた男が一人、叫びだしたのだ。
ナイフを構え、全速力で――私に向けて。
「っ!」
抗おうと身体に力を入れても、両手を縛る鎖が音を立てるだけで身体は動かせない。
――ここで、死ぬのだろうか。
だとすれば、これは自業自得。
愚かな選択をした自分に、相応しい結末なのかもしれない。
グサッ
刃物が体内にめり込む、鈍い音がした。
「………」
自分の身体は、どこも痛くはない。
ぽたっ、ぽたっ。
血が流れ落ちる音。染まっていく――白。
「ヨベルッ!!」
刃物が自分の身体に届く直前、それを庇ってくれたのは――彼の肉体だった。
剣で弾く余裕もなかったのだろう。縛られている自分を押しのけることもできず――彼はせめて盾になる選択しか出来なかったのだ。
「ぐ…ごほっ」
血を吐いたかと思うと、それでも反撃の機会を窺おうとしたのか、右手に持つ剣を震わせながら上げる。
「し、しねぇええ!!」
それに気づいた男は、瞬時にヨベルの腹に刺さっていたナイフを抜き、彼の右胸それを突き立てる。
「ぐああああっ」
彼の悲鳴が響き渡る。衝動で右手の剣を落とす。白い服が、どんどん赤に染まっていく。
「ふ、ふははっはははっ!み、見たかよ!やったぜ、皆を殺った野郎を仕留めたぞ!」
震えた手で武器を離すと、男は振り向いて、残りの二人に対して勝利を宣言した。
その時だった。
「おい、馬鹿野郎!後ろッ!!」
そうリーダーらしき男の声が響くも虚しく。
「うわあああ!?」
男は背後から、心臓をナイフ――ヨベルが自分の右胸から抜いたもの――で一突きされていた。
「っ……まだ、鍵の在処が……」
辛そうに声を紡ぎだすヨベルの身体からは、血が止まらず溢れ続けている。それにも構わずに、彼は力が入らない身体を叩き起こし、ナイフを構えなおす。そして――、
「ふざけんなてめぇ!!」
「死にやがれ!!」
一斉に襲い掛かる最後の二人の盗賊相手に、それを振りかざす。
男の斧をよけ、その懐へ一刺し。同時に迫るの男の剣を左手で掴む。
「なっ――!」
「……鍵は、その首にあるものなのですね」
血塗れになった左手に構わず、同じくリーダー格の男の心臓に一刺し。
そして、首についてある鍵のペンダントをもぎ取ると、――部屋の中で立っているのは、ヨベル一人だけとなる。
「……ごほっ、が…」
彼は咳をするたびに、大量の血を吐き出す。
しかしそれでも、ふらつく身体を引きずるようにして、自分の元まで歩み寄る。
「ヨベ、ル……」
気を抜けばすぐにでも意識を持っていかれそうな顔をしながらも、彼はしっかりと、手にした鍵で、私の両手の束縛を解いてくれたのだ。
そして、一安心したかのように、その身体は崩れ落ちる。
「ヨベルっ!」
束縛が解かれた両手で、倒れ込む彼の身体を支える。するとすぐに、両手が血に染まっていくのだ。
「ソラン様――申し訳ございません。私がついていながら、貴女にこのような……」
私の乱れていた服をせめて整えるかのように手を添える彼だったが、そんなことは今どうでもいい。
いや、先程までは確かに、気持ち悪さに耐えられないくらいであったが、今は何よりも――。
「ヨベル……血が、貴方の血が止まらない」
先程とは別の感情で、泣きだしそうになっていた。腕に抱えた彼は、苦しそうな表情をしていて、荒い呼吸を繰り返していたのだ。
「……いいの、です。貴女さえ無事なのであれば……」
「ヨベル――っ」
服がはだけることさえ気にせずに必死に、彼の傷口に手を添えるが、それは殆ど何の意味もなしていない。自分には傷の手当の仕方が分からないのだ。昔の自分なら何か知っていたのかもしれないが、今は何も思い出せない。
「――確かに、これは…すぐに血を止めないと、少し、まずいかもしれません」
まるで他人事のように、彼は初めて自分の状況を見極める。
――そして、最悪のタイミングで、彼の勘は外の変化を察したのだ。
――くっ。
重たい身体をどうにかして叩き起こし、遠ざかりそうだった意識を無理に呼び戻し、五感を最大限に研ぎ澄ます。
「ヨベル?」
「しっ――追手が、すぐそこまで来ています」
「っ!?」
――そんな。
ソランは、言葉にならない言葉を飲み込み、胸が苦しかった。
自分が一人で探そうと考えていた追手。それが、よりによってこんな時に……こんな、理不尽の時に。
――ああ。違う。
この状況を作ったのは私なのだ。
自分勝手に行動して、盗賊に捕まり…。
それでも助けに来てくれた彼を、危険にさらして…。
終いには、こんな。
「ここを出ましょう。とにかくすぐに、出来る限り離れなければ」
怪我を手当てする時間さえ許されず、彼はふらつく身体で立ち上がる。
「ヨベル、私は……」
「行きましょう。ここに居ては二人とも囚われるだけです。早く」
私の手を引き、地面に落ちていた自分の剣を拾うと、ぐらつきながらも門に向かう。
門前に最初に捨て置いたのだろうか、彼が元々所有していた白い上着を拾うと、上半身服がはだけていた私に被せる。
「すみません、時間がありません。このまま行きましょう」
――こんな時になってまで、彼は私に配慮してくれているのだ。
「…ヨベル」
彼の名を呼ぶことしか出来なかった私は、彼の上着に胸を隠し、手を引かれるままに森の中へ再び進んでいくのだった。
*
――追いつかれるのは、時間の問題だ。
万全の状態のヨベルだったならばともかく、木々の影を移動するごとに幹に思いっきりもたれかからなければ立っていられないような状況で、片足を捻挫した女を一人連れての 逃走など、笑えるほどに酷いものだった。
痛む身体、失われそうな意識を如何に叩き起こそうと、それで稼げる距離など最初からなかったようなものだ。
「ごほっ……はぁ……あ」
彼は咳き込むとまた、それなりの血を吐き出す。内臓を傷つかれているのだろう、息をするたびに痛むようで、彼はその度に苦しそうな表情をしながらも、前に進む足を止めない。荒い呼吸を繰り返される。
「ヨベル!ヨベルお願い、これ以上無理をしないでっ」
「……きて、います。追手は今、すぐ、後ろまで……。は、やく、しなければ……っ」
言葉にならないような言葉を、息も絶え絶えに紡ぎだし、彼はまだ諦めないとでも言うかのように、ぎゅっと自分の手を握る力を強くする。
「でも、これ以上は貴方の身体が……!」
限界だったのだ、彼は既に。
手当の時間すら与えられず、傷口をさらしたまま、ここまで森の中を駆けてきたのだ。
休ませなければいけない。
――けれども。
ここで逃げることをやめたからといって、彼は助かるのだろうか。
否、彼が言うように、すぐに捕まり殺されるのだろう。
「……っ」
誰のせいだ。
こうなったのは一体、誰のせいだというのだ。
――愚かなことをした、私だ。
そしてそんな私を、彼はまだ大事に、大切に守り抜こうとしてくれている。
やりきれなかった。
そして、――ついにその時は訪れたのだ。
「見つけたぞ!カルデリアの王族だ!」
大きな声と共に、大量のフードを被った兵が自分たちを追い越し、進路を塞ぐようにして立つ。
「くっ!」
ヨベルが歯を食いしばって振り向くが、同じように後を追いかけてきたフードの兵が、自分達を包囲するようにして広がっていた。
――その数、百以上だろう。
「武器を捨てろ、貴様らに勝ち目はないっ!」
指揮官らしき者がそう告げる。
……負傷した騎士ひとりと、走ることさえままならない女。言われなくたって、勝ち目など初めからなかったのだ。
「……ソラン様は、渡しません……」
この期に及んでまだ、彼は武器を握る手に力を籠め、もう片方の手で私を庇うようにして前に出て、ろくに立つことさえできないというのに武器を構える。
――彼はまだ、戦うつもりなのだ。
恐らくは、勝てないと分かっていても、彼は命が燃え尽きるその瞬間まで、私を守ろうとするのだ。
敵の指揮官が、剣悪そうにヨベルを一瞥すると、左手を軽く上げ口を小さく開こうとした。
――殺せ。
その言葉が響くのだろう。
だめ。
その音が響く前に、私は全力で叫んだのだった。
「やめてッ!!」
叫びながら、ヨベルの腕を掴んで離さない。
そう――敵に対してではなく、彼に対して叫んだ言葉なのだ。
「お願い、武器を捨てて!!これ以上はもうやめてっ!!」
それは、言葉というよりも悲鳴に近かった。
彼は一瞬戸惑ったが、自分の前に立ちふさがった私――泣きじゃくる私の姿――を見て、歯を食いしばる。そして――、
カラン――。
彼の右手から剣が落ちたのだ。
「………捉えろ」
それを見て、指揮官は先程口にしようとしていた言葉とは異なる言葉を紡いだ。
――あのままでは、彼は今この瞬間にも、殺されていただろうから。
少しだけ、ほんの少しだけ安堵していると、すぐに駆け寄ってきた兵たちによって拘束されることとなった。
「ソラン様っ」
後ろに引かれるようにして彼と引き離された私を、追いかけるように彼は手を伸ばした。
しかし。
「が――ッ」
棍棒で殴られ、ただでさえ大怪我を負っている彼は膝から崩れ落ちる。
「ヨベル!?ヨベルっ!」
彼はそのままフードの者たちに抑え込まれる。
「お願い、彼は怪我をしているの。乱暴なことはやめて…っ」
必死に叫ぶが、その声を聞く者は一人たりともおらず、兵達は脅威と捉えたヨベルに対し、彼の戦意を完全に殺すように暴力を加える。
「やめて!ねぇ、やめてっ!!」
自分の声が届くことはなく、ヨベルがぐったりするのを見届けると、満足したかのように彼らは初めて手を止める。
「よし、二人とも連れ去れ。情報によるとその男は王家親衛隊隊長だ。とりあえず一緒に牢屋にぶち込んでおけ」
そう指示を出すと、指揮官は身をひるがえした。
「……ヨベ、ル……」
傷つき倒れた彼の身体を大男が抱き起し、肩にかける。このまま一緒に連れ去るつもりなのだろう。
――ああ。
自分はとっくに絶望の中にいた。
変わらずに、ひたすら希望をもたらしてくれていた彼が、今ここで倒れたのだ。
――もう、何も、考えられない……。
自分を拘束する人々が動き、どこかに向かうようであったが、私はただ静かに、足の痛みに耐えながらついていくことしか出来なかった。




