記憶喪失×騎士編 1章
「捜索隊、ただいま帰還しました」
部下が一礼するのに構わず、駆け寄り彼の肩を掴む。
「何か情報は」
「!……も、申し訳ありませんヨベル様。何も…」
「よく考えてください。どこか見落とした箇所は」
「――隊長さん」
焦りの中での会話を妨げたのは、軽く愉快な口調だった。
「見苦しいんだけど、やめてもらえないかな?」
「…ドライアル。あなたは、女王陛下が心配ではないのですか!?」
内心憤りを感じたヨベルが怒鳴るが、それに何一つ微笑みを崩さず男は続ける。
「女王さんの失踪の件については何も問題はないんだよ。向こうは欲しいものが手に入るまで、彼女に危害を加えることはないんだから」
「ドライアル、あなたは……っ」
失礼極まりない発言にヨベルが眉をひそめるが、そのとき。窓の外が光ったのだ。
「今のは…!」
「……魔法陣に見えたよ。隊長さん、どうやら彼女が来てくれたようだね」
彼が言い終わらないうちに、ヨベルは王宮の階段を駆け下りていった。
*
――来て下さった。
ヨベルは内心、かなり嬉しかった。こんな事態だというのに、しかしこんな事態のときはいつも彼女が――ソラン様が帰ってきてくれることに、喜びさえ感じていた。
「――ソラン様!」
この世界であの術式――空間転移の術式が扱えるものなど彼女しかいないのだ。この角の向こうにいるはずの彼女を、ヨベルは笑顔で出迎えようとしていた。
そう、角を曲がるまでは。
「……っ!」
――新緑の芝生の上で、赤い血が染みた服を全身に纏った少女が倒れていた。
「ソラン様ッ!?」
形相を変えて駆け寄り、彼女の手を取り脈を確認する。
「……良かった」
脈はあったものの、彼女の手はかなり冷えていた。激しい戦闘があったのか、皮がむけるくらいに剣を握りしめていた跡があった。
「ソラン様……一体、何が」
何が貴女の身に起きたのか…。自身のシャツを破り応急処置を施しながら、歯を食いしばった。
*
――見覚えのない、シャンデリアがあった。
「………ん」
どうも自分は、どこかふかふかのベッドに寝かされているようだ。
手を動かそうとすると、自分の右手を、誰かが握っていることに気づく。
「ソラン……様っ」
「……?」
目を向けると、そこには白い礼服を纏った男が立っていた。特徴は――そう、美しい銀色の髪と瞳。どこか人間離れしたその整った容姿を、思いっきり歪ませて彼は目を潤わせながらも笑っていた。
「良かったです……。傷だらけで裏庭に倒れている貴女を見たときは、本当に心臓が止まるかと思いました」
嬉しそうに、彼は私を見つめて離れない。どこか耐えられなくなって、起き上がろうとした。
「……うっ」
身体を起こそうと少し力を入れただけなのに、脇腹から腰の後ろまでに鋭い痛みが走る。
「ソラン様!…まだ、傷が塞がっておりません。どうか安静に」
「………」
――傷?どうして私は、傷を負っているの?
「…その、申し訳ありません。貴女がこんなことになるまで、私は何も知らなくて。それにウンリア様も……」
男は何か言いかけて、思い止まるようにして口をつぐんだ。
「なんでもありません。今はとにかく、傷を癒してください、ソラン様」
「………」
「……ソラン、様?いかがなさいましたか。…どこか、痛みますか?」
聞かれて、なんと答えればいいのか分からなかった。そうでなくとも分からないことが多すぎる。――だから、とりあえず一番初めに思いついたことを聞いてみることにする。
「……その、ソランって、……私の名前?」
「は………?」
男は言葉を失ったように硬直した。…そして、視線を泳がせて、震えた声で私に言う。
「……ソラン様、からかわないでください」
「………」
からかいなどでは、ないのだけれども。どうやらちゃんとした答えは得られなかったようだ。
「――一つだけ、聞いても宜しいでしょうか」
「………」
どうすればいいのか分からなかった。ただ、何も言わずにいると、彼はそのまま言葉を続けてくれた。
「私のこと、覚えておられますか?」
「………」
「…ソラン様?」
彼の銀色の瞳が、何を期待してか私のことを捉えて離さなかった。けれども、どれだけ頭を回転させても、答えを導きだせそうにはない。
「――ごめんなさい。貴方のことも、自分自身のことも……何も思い出せないの」
*
――私のこと、覚えておられますか?
そう口にしたのは、目の前にいる彼女があまりにも、警戒と戸惑いを含めた目線を自分に向けるからだった。
王家親衛隊隊長である、彼女の身を一番近くで守るべきはずの自分に対して、まるで敵対するように警戒の眼差しを向けるのは一体なぜなのか…。
――ごめんなさい。
続く彼女の言葉は、あまりにも衝撃的だった。
全てを、忘れてしまったのだろうか。
自分がこの国の王族であることも、英雄であることも、…私と過ごした、日々のことも。
たまらなく胸が痛かった。彼女を心配して?彼女の境遇を憐れんで?
――違う。
そう、私はただ、彼女に忘れられてしまうことが恐ろしいほどに怖く、耐えられなかったのだ。
「………あの」
「――はい、なんでしょうか」
彼女が言葉を発する。以前と変わらない声で。
しかし、以前のような自信たっぷりで我儘なことは一切言わなくなってしまった。
「どうして、みんなは、私を見ると頭を下げるの…?」
彼女とは今、王宮内の廊下を歩いているのだ。みんなというのは見回りの兵士や給仕のメイドなどのことであろう。
「以前もお伝えした通りに、貴女がこの国の王族だからです」
「………」
彼女は納得いったともとれない表情で、それ以上問い詰めるのをやめてしまった。
困らせたのだろうか、追い詰めてしまってはいないか。
まるで彼女に翻弄されるように次々と感情を突き動かされながらも、親衛隊隊長としての威厳を保ちつつ彼女に宮中を案内する。そして、たどり着いた場所は――
「こちらになります、ソラン様」
「ここは…?」
「闘技場となります。主に、宮中の警備兵が訓練を行う場所となっております」
そこは、開けた場所となっており、地面は多少の衝撃で壊れないような硬さをもって平らに設置されている。辺りには訓練用の木盾や木刀が置いてあり、防具も借りようと思えば可能であった。
この場所に彼女を連れてきた理由――彼女に剣を振ってもらったら、何か思い出してもらえるのではないかという試みなのだ。
彼女の身の傷は完治とは言えなくともそれなりに回復傾向にあり、身体を動かすことに支障はない。ここ数日間で、彼女と共通の記憶をいくつか持ち掛けるのだけれども、どれも彼女の反応は希薄であった。
というか、そもそも話のスケールが飛びすぎていたようで、彼女は理解することも難しい、といったように頭をかしげるのだ。
――貴女は王族で、国を救った勇者なのです。
そんなことを話されても、確かに飲み込むほうが難しいのだろう。終いにはクリスタルなどといった国家機密まで晒しても、彼女は何一つ思い出せなかったようだ。
ならばと、思いついた試みがこれだ。
身体が覚えているだろう剣技の数々を引き出せば、何かしらの記憶を引っ張ってこれるのではないのだろうか。そう考えて、彼女を闘技場へ案内したのだ。
「こちらの木刀をお持ちください」
そう言って、二本取った木刀のうちの一本を渡す。
「う、うん…」
戸惑った表情になりながらも彼女はこれを受け取る。
「大丈夫です。貴女は剣姫とも謳われているお方。貴女にとっての剣とは、まるで身体の一部のような存在なんでしょう」
そう後押ししておくが、どうも彼女には理解できなかったようで…。
いいでしょう、後は実践あるのみ。
「こちらから攻撃を仕掛けてみますので、対応してみてください」
模擬戦で、自分が彼女に勝てたことなどただの一度もないのだ。記憶喪失の状態だからといって、鍛えられた身体に刻み込まれた感覚、技術までもがなくなることはないだろう。
闘技場の周りには休憩中の兵士や、先に来て訓練していた者たちが見学している。彼らにとって、親衛隊隊長ヨベル=ベズニードルと剣姫ソラン=ベランテランの模擬戦ほど、目を引くものはないのだろう。
それはそうだ。いつもは人目がつかない真夜中に、彼女が気まぐれでたまに自分の訓練相手をしてくれる程度なのだ。
――哀れに負けるのはいただけませんね。いくら記憶喪失といえど、相手はソラン様。本気を出さなくては、瞬殺されてしまうでしょう。
そう考えて、規範そのものの洗礼された構えをとる。
「いきますよ、遠慮はいりません!」
戸惑いからか、彼女が未だ構えていないことが気になったが、攻撃を開始すれば対応してくれるだろうと考え、そのまま踏み込んだ。
……。
………。
結局、勝負は一瞬で決したのだった。
彼女の首めがけて斬りこんだ最初の一撃に、彼女はなんの反応もしなかったのだ。
避けることも、剣で防ぐこともせずに。
癖もなにもない、真っ向からの一撃。彼女が対応できないはずがない。
――それなのに、繰り出した剣先はしっかりと、彼女の首筋をとらえて――。
寸止めしなければ、木刀といえど彼女は大怪我することになったのだろう。
「……ソラン、様?」
殺気を放つのをやめて、一体どうしたのかと問おうとすると…。
「……うっ……あ」
「っ!」
彼女が、泣いていたのだ。
「そ、ソラン様、申し訳ございません。その、私は――」
弁明しようと彼女の肩に触れるが、そのとき一瞬だけ、ぴくんと彼女の身体は跳ねた。
――私を、怖がっているのですか?
信じられなかった。あの恐ろしく強かったソラン様が、である。
「……全員、仕事に戻ってください。訓練予定だった者も中止とします。こちらの闘技場は、夜まで私が貸し切ります、それまでは誰も近づかないよう人払いしてください」
見学をしようとしていた兵士たちに向けて、そう命令した。
彼らにはソラン様の涙までは見えていないだろうが、どうも異変は察したらしい。これ以上噂を広められるのも癪なので、人払いすることにしたのだ。
そう、なぜなら、
実際に剣を向けて感じだのだが。
彼女はもしかすると、剣士としての素質を全て失っているのかもしれない――。
*
その後、彼女を怖がらせないように自分は武器を持たずに、彼女に剣を振ってもらったのだが。
結果は悲惨なものだった。
自分はともかく、一兵士にすら足りていないのだ。
あの伝説の剣姫が、本当に、ただの人間と変わらなくなってしまった。
「……ごめんね」
「ソラン様が謝るようなことではありません。私こそ、知らずに剣を向けてしまって――ご無礼を、お許しください」
夕食を終え、彼女の寝室まで送り届けたヨベルは、初めて彼女の身の安全を心配した。
「…ソラン様、本日より、私も門番となって宜しいでしょうか」
「え?」
「今までは、貴女がこの城に置いて最強だと信じて疑わなかったのです。ですが、どうも今はそうではなく――。…心配なのです。もう二度と、自分のいないところで、貴女が傷つくなんて」
素直な気持ちだった。それに対し、彼女は少し考え込んで、
「その、聞きたいんだけど…。私って、なにか、危険な状態だったりするの?」
「……それは」
一瞬戸惑うが、覚悟を決めて話すことにした。
「ソラン様の妹君でもあられます方、現女王のウンリア様が行方不明なのです。ただいま、親衛隊含め情報部が全力で探しておりますが…未だに。そこへ負傷したソラン様が転移なされた。何かがこの国で起こっているとしか考えられません」
「…そうなのね」
「……不安、でしょうか」
「――正直、今でも信じられるものじゃない。私が王族?狙われている?…みんな、私なんかに頭を下げて。本当に、どうしたらいいのか分からないの」
「…申し訳ございません」
「貴方もよ。…どうしていつもそんなに謝るの?貴方はいっぱい私のことを考えてくれている。私の記憶を見つけようとしてくれる。それなのに、いつも辛そうにして、自分を責めて…」
「!も、申し訳ございません」
「ほら、今も」
「あ…」
「あはは、…変な人」
――いつも謝ってばっかり。
それは、彼女が私に言う口癖だったのだ。それを話す彼女に、どこか昔の彼女が重ねて見えて。
「――ソラン様。貴女は間違いなく、ソラン=ベランテラン様です。確かに、私は一度にたくさんのことを話して貴女を混乱させてしまったかもしれませんが、貴女は私の敬愛するソラン様なのです。そして、私は王家親衛隊隊長。……大丈夫です、この名に懸けて、命に代えましても貴女のことをお守りする――それが私、ヨベル=ベズニードルなのです」
「……ヨベル」
「やっと、名前を呼んでくださるようになりましたね」
そう言うと、彼女は少し赤くなって、目を逸らした。
「その……ヨベルみたいな強くて、美しい人が、私なんかに跪いて……それで」
「そんな。……私は以前、貴女に救われた者なのです。貴女がいなければ私は生きていることも、存在価値さえありませんでした。ですから、もっと自信をお持ちになってください。貴女は王族に相応しいお方なのです。記憶を取り戻すその日まで、どうか胸を張ってください」
「……分かったわ」