002
行けども行けども、薄暗い森の中。
これは、もしかしなくとも、森の奥へ奥へと迷い込んでしまっているだろうか。
戻るべき?
「いや。ここまできたら、進むも戻るもたいして変わらんだろう。だから、このまま進もう。うむ」
俺は敵に遭遇しないよう、【気配遮断】【物音遮断】の魔法スキルをかけ直した。
これで、魔物側から気づかれる事はまずない。
ただし自分より高レベルの魔物の場合は、気づかれる可能性が高くなるけど、やらないよりはマシだ。
マップを見る。
左寄りに蛇行した道がマッピングされている。
途中何度か分かれ道があり、その都度左の道を選択したせいだ。分かれ道があってどうにも判断つきかねた場合、とりあえず左に行く事にしている。
しかし、ずいぶん歩いた。
マップ名の欄を見る。
不明、と表示されている。
俺は暗澹たる思いで、無情な文字を眺めた。
「本当に、どこなんだよここは……」
草を慌ただしくかき分ける音がした。
俺は思わずびくりと肩を揺らし、腰を低くした。
ざざざ、と何かが草むらを走っている。
魔物か!?
俺は武器を装備して戦闘モードに切り替えてから、木陰に身を寄せた。
低レベルの魔物なら、隠れていれば気づかれる事はない。はずだ。
ざっ、と何かが二つ、街道に転がりでてきた。
ふわふわとした、ものが。
「──へ?」
幼い子供が二人。
道の中央に、手を繋いでちょこんと立っていた。
コピーアンドペーストしたかのように、姿形は全く同じ。
ふわふわした茶色いおかっぱ頭には、ふかふかした手触りよさそうな大きな茶色い犬耳。
左側の子の左耳だけに、丸い黒いブチ。
右側の子の右耳だけに、丸い黒いブチ。
背後で揺れる、大きなふさふさの茶色いしっぽ。
まるで鏡合わせのようにして、革製の旅鞄をたすき掛けにかけ、お揃いのキュロットと革製のサンダル、フード付のポンチョを着ている。
6歳くらいの子供サイズの、獣耳の双子の少女たち。
け、
ケモノ耳、きたあああああ──!
少女たちが勢い良く、俺のいる方の木陰へ顔を向けた。
え、俺、声に出てた? それとも心の声が大きすぎた?
「やっぱり人!」
「やっぱり人!」
「匂い、した!」
「匂い、した!」
──匂い?
「匂いだって!?」
俺は血の気が引いた。
もしかしてここ、匂いの設定もあるのか!?
じゃあ【匂い遮断】の魔法スキルとかもあるんじゃないか!? それならば、【気配遮断】と【物音遮断】だけじゃヤバいんじゃ!? 匂いに敏感なモンスターには見つかってしまう確率が高くなる。
は、と気づく。
そういえば、一番最初に、木や草や土の匂いがした。
したじゃないか。
あまりにも当たり前すぎて、気づきもしなかった。
俺は息を呑んだ。
あまりにもリアルすぎて怖い。なに、ここ。現実じゃないのに。
ないよな?
双子が飛び跳ねる。
「冒険者?」
「冒険者?」
「え? ま、まあ、そうだけど」
「お前、ちょっと来る! 助ける!」
「お前、ちょっと来る! 助ける!」
畳みかける可愛いリフレイン。
まあなんにせよ、よかった。この子たちは、魔物じゃない。
「ええと、君たちは……」
双子に両腕をがしっと掴まれた。
「「お願い、助ける!」」
ドルビーサラウンド。
「助ける? 君たちをかい?」
双子が首を振る。
「「違う! 灰色の竜のお兄さん!」」
「灰色の、竜のお兄さん?」
「「こっち!」」
「え、ちょっと!」
俺は腕を引かれるまま、脇の草むらに引きずり込まれた。
腕を引かれるまま走る事約10分。
「ちょ、ど、どこまで走るの?」
「「もう少し!」」
「もう少し、って──」
鼓膜が破れそうなほどの鋭い咆哮が聞こえた。
脳がかき混ぜられるような振動。
地を震わす獣の咆哮が、長々と森全体に響き渡った。
俺と双子は、同時に耳を押さえてしゃがみこんだ。
「な、なんだあれ!?」
普通の獣の咆哮じゃない。咆哮の振動で、木々が、草が、騒めく。聞く者を全て萎縮させ、震え上がらせるような、獰猛な声。
それは、まるで──
──ボスモンスターのような。
「ま、まさかね……」
俺の両脇に身をぴったり寄せる双子の犬耳は、完全に後ろに伏せってしまい、ぷるぷると震えていた。大きな瞳には、零れんばかりの涙を溜めている。
だというのに、咆哮が収まるやいなや、双子は決死の覚悟をした表情で立ち上がった。
「「急ぐ!」」
双子がまた俺の両腕を掴む。震える小さな手で。
「い、急ぐって」
「「灰色の竜のお兄さん、食べられる!」」
道端の草むらに、灰色の血痕を発見した。
「血? じゃないか。体液?」
双子が鼻をならし、駆け出す。俺もその後を追う。
双子が立ち止まった先に──
灰色の鈍い光を放つ、大きな腕が、一本落ちていた。
わざわざ凶悪に見えるように仕上げたのだと言わんばかりの、恐ろしい片腕だった。
腕を覆う鈍色の鱗に似た甲殻は、刃こぼれしそうなほどに厚く硬い。爪は大きく、肉食系の大型爬虫類のように太く鋭い。
肘の辺りで分断された傷跡は、もぎ取られたようにぐちゃぐちゃとしている。
もぎ取られた……?
吐きそうになった。あまり見ないでおこう。
「なにこれ。も、モンスターの腕……?」
双子が仲良く腕を拾って抱え上げた。大事そうに。
「「違う! これ、お兄さんの腕!」」
「お兄さんの腕……?」
君たちの言う、お兄さんって、一体どんなヤツですか。
明らかに、人ではない気がするんですけど。
亜人種系なのかもしれない。
現在までに実装されている亜人種は、この双子のような【犬人族】、【猫人族】、所謂エルフっぽい【エルファーシ】、角が頭に生えている鬼っぽい【ゴルドオール】の4つだ。
新たに新種族でも導入されたのだろうか。
硬い鱗があるから、竜人族、とか?
双子も、竜のお兄さん、と言っていたし。
それにしては、この腕……かなり、凶悪なんですけど。どうみても、邪悪系なんですけど。禍々しさ大爆発なんですけど。
再び咆哮。
俺と双子は耳を押さえてしゃがみ込む。
「な、なあ。君たちのお兄さん、って」
双子は恐る恐る草むらから顔を出して、震える耳をぴん、とたてて辺りを見回し始めた。
「いた!」
「いた、あそこ!」
双子の指が指し示す場所に目を移す。
背の高い草むらの中、グレーなものがちらりと見えた。
「「お願い、お前、助ける!」」
「わ、分かったよ。わかったから、腕を放してくれるかい?」
双子はほっと安堵した表情で、俺の腕を解放してくれた。
子供に頼られたら、大人としては答えてやらねばなるまい。それが大人の責任と義務だ。
「その腕、俺に渡してくれる?」
はい、と双子が差し出す。
灰色の体液にまみれた不気味な腕を、俺は受け取った。俺は小さく呻いた。
ずっしりと重い。どう見ても、なんとかデーモンのような腕にみえる。10kgはあるかもしれない。所持重量限界をオーバーしていたら、移動にマイナス補正がかかっていたかもしれない。
俺は双子に俺と同じ補助魔法をかけてやり、意を決して、グレーのものが見え隠れする場所に向かって、草むらを駈けた。
いた。
岩の陰に。
なんとかデーモンのようなものが、座り込んでいる。
こ、怖ぇえええええぇ!
ちょ、マジで怖いんですけど!
竜人族、じゃないよこれ!?
何の種族!?
俺より二回りは大きい。一応、人型はしている。ただ──
全身は灰色の硬そうな鱗で覆われ、手と足には太くて鋭い爪。
頭には角、口からは金属板もばりばり割りそうな牙が無数に並んでいる。
双子が言ったように、竜のようにみえなくもない。
本当に、モンスターじゃないんですね? と俺は双子に聞きたかったが聞けなかった。
耳を伏せ、しっぽを内側に丸め、小さな身体を震わし、潤んだ期待の眼差しが二組、俺を見つめている。これに抗える奴がいるだろうか。
いや、ない。
俺は吹けば飛びそうな勇気をどうにかかき集めて、なんとかデーモンのようなお兄さんに声をかけた。
「だ、だだ、だだだ大丈夫、です、か?」
どもってしまった。失敗した。
お兄さんが、ぎょっとした表情で俺を見た。
俺もぎょっとして身を引く。
ぎょっとした表情、と思わず表現したが、ぎょっとしたようにみえたのだ。確かに。
縦に割れたグレーの瞳が見開かれてこちらを向く。子供なら泣き出しそうなレベルの怖さだ。でも、俺、大人だからね。ここで叫んだら、子供が見てる手前恥ずかしいからね。ちょっと声でちゃったけどね。
「お前は……」
しゃべった!
言葉が通じるようだ。
よかった。会話が成立するなら、なんとかなる。
「通りすがりの冒険者です。この双子に助けてくれと頼まれまして」
お兄さんがぎょろりと双子を見る。ぎゃああ怖すぎる。泣きそう。
「おまえら! 逃げろ、と言っただろうが!」
「「だ、だって!」」
双子は、とんでもない事に、このデーモンお兄さんに懐いているようだ。一体どういう関係なんだ。まさか、生き餌……て訳でもないか。なんだろう。どっちかというと、まるで家族のような……
家族?
いや、ないないない。種族違うし。
とにかく、このまま怒らせとくのも危険な気がして、俺は勇気を奮い立たせて間に割って入った。
「ま、まあまあ、あなたが心配だったんですよ」
お兄さんがまた不思議そうに俺を見る。
「……お前、俺が怖くない、のか?」
「いや、怖いに決まっ……いやいや、まあ、最初はものすごく怖かったけど、しゃべってみると普通なので、まあ、なんとか平気かな……うん」
「あ? そ、そうなのか?」
お兄さんが戸惑っている。どうやらお兄さんも自分の姿を気にしているようだ。
首をかしげている姿がなんだか不似合いでおかしくて、俺は少し笑ってしまった。なんだ、普通じゃないか。姿は怖いけど。悪い人?じゃなさそうだ。双子も懐いているようだし。姿は怖いけど。
「腕を治すから、じっとしててくれ」
俺は持っていた重い腕を、デーモン……違った、お兄さんの千切れた腕の付け根にあてた。
しかし。
たしか、プレイヤーの身体パーツの欠損って、ゲームになかったよな。
こちらのゲームにはあるって事か。俺は背筋が寒くなった。CEROの規制はどうなってんだ。そんなリアルいらない。スプラッタもあまり得意ではない。
「【完全なる元素組成修復】」
僧侶系なら、全回復は【大いなる奇跡】という魔法スキルになるが、俺は魔導学者なので、こちらのほうになる。レベル80の僧侶で7回、レベル80の魔導学者で8回かけられるほどのMP消費量だ。
お兄さんの腕がついた。
「どう?」
くっついた腕を回し、鋭い爪のついた手を握ったり開いたりしている。
「……なんともない。ありがとう。助かった」
「いえいえ。どういたしまして」
「しかし、すごいな。こんな上位魔法、初めてみた」
「そうか?」
まあ、俺の職は一応レアだから、魔法スキルも特殊で、効果は同じでもあまりみたことないエフェクトがかかるからなあ。
双子が俺に突進してきた。
鳩尾にクリーンヒットして、俺は呻いた。
「ぐほあっ……なにし、」
双子が、耳をひくつかせながら俺にしがみついてきた。
「きた! アイツの匂い、近づいてる!」
「きた! アイツの足音、近づいてる!」
「アイツ?」
お兄さんが舌打ちした。
「くそ。もう嗅ぎつけてきたのか……これは、どうやっても逃げられないってことか……」
お兄さんが立ち上がる。でかい。頭四つ分くらい背が高い。
うん。やっぱり、泣く子も黙る某デーモンみたいですね。尾もトゲが並んでいて凶悪です。
「アイツって、何?」
お兄さんが俺を見下ろす。
「この森のボスモンスターのようだな、どうやら」
「ぼす」
やっぱりか!
嫌な予感はしてたんだ!
なんか、咆哮が普通じゃねえもんな!
「一度エンカウントすると、もう逃げられんようだ。どこまでも執拗に追いかけてくる。まさか、ボスモンスターが森の中をうろうろしてるとは思わなかった……」
「うろうろしてたんか!」
まさかのボスランダムエンカウント!? なにその神経すり減りそうなへビィなエリア!
「も、森からでれば……」
「ここから森の出口まで走って、追いつかれなければいいがな。ヤツはでかい図体をしているくせに、やたらと俊敏だ。鼻も利く。遠くに見えたと思ったら、あっという間に目の前にいる」
げ。
そんなに早いなら、運動系スキル捨ててる魔道士系の俺なんて、あっという間に追いつかれてしまう。
「戦うしかないってことか?」
「まあ、そうなるな。だから、俺が戦ってる間にチビたちを逃がそうとしたんだが……」
双子が飛び跳ねて怒る。
「「一緒に戦う! 怖くない!」」
ボス戦を1人でやろうとしたのか。なんて無謀な。
お兄さんが俺をすまなそうに見る。すまなそうな気がした。そんな雰囲気。見た目が怖いから、なんだか分かり難いが。
「出会ってすぐにすまないが、このチビ共連れて森から出てくれないか。頼む」
「俺、地図ないから出口わからないよ」
「チビ共がマッピングしてる。誘導してもらえ」
「あんたはどうするんだ?」
「俺は、アイツの足止めをする。だから──」
「1人でか。無理だよ」
「だが、そうするしかない」
俺は考えて、やっぱり言うことにした。
「これはあんたが弱いから言うんじゃないぞ。すげえ怖……じゃなかった強そうだし。でも、もし、あんたがすぐに倒されたら、俺たちはすぐに追いつかれてやられてしまうだろう。1人で戦う気なら、その確率は決して低くない」
お兄さんが口ごもった。
「だが!」
「俺も戦う。冒険者登録してるよな?」
信じられない事に、お兄さんの腕には幅広の皮紐に金属製のタグが打ち付けられたバングルがついていた。
冒険者証だ。
どんな腕の太さにも関係なくフィットする驚きのフリーサイズ仕様。ごつごつトゲトゲとしたお兄さんの腕にもぴったりフィット。
「あ、ああ」
なら簡単だ。
「てことで、あんたのパーティーに俺を入れて。──ほら早く! 急いで!」
パーティメンバーに入れば、発動中のクエストに強制参加という形をとれる。他にも、パーティを組む恩恵は大きい。広域攻撃魔法を放った時に巻き込まない、というのが一番大きい恩恵だ。このゲーム、単なる共闘だと、自力で範囲外に避けてもらうしかない。
お兄さんは俺があまりにも急かすので、仕方なく冒険者バングルに付いている丸くくりぬかれた液晶画面みたいな部分を二度叩いた。
「【解錠】」
お兄さんの前にA4程度のウインドウが開く。鋭い爪で器用に操作している。紙だったら絶対破ってるよな。
「【パーティメンバー募集】、お前名前は?」
「【宵月】」
「……対象者指定【宵月】」
ポーン、と音がして、俺のバングルにある丸い部分が点滅している。
なるほど。バーチャルになると、こんな感じになるのか。
俺もお兄さんを真似て、丸い部分を叩いてみる。
「【解錠】?」
「……なんで疑問系なんだ」
「まあ気にするな」
冒険者証のウィンドウメニューが空中に開いた。上のほうに、新規情報が水色に強調表示されている。
『ジェイス・センバーより【パーティメンバー募集】の申請が入っています。承諾しますか?』
俺は【はい】を押した。
「おお。できた」
冒険者ウインドウのパーティメンバーの欄に名が連なっている。
パーティ名 蒼銀の風
リーダー ジェイス・センバー
メンバー レフト
ライト
宵月
ん?
左、右?
「……レフト、ライト」
「はい!」
「はい!」
左ブチの子、右ブチの子と順番に挙手し、元気に返事をした。
俺は目頭を押さえた。
「……お前、なんて名前つけてんだ! 女の子なのに可哀想だろ! もっと考えてやれよ!」
「俺じゃねえよ!」
また咆哮。
近い。
ジェイスが冒険者証を消しながら、驚いたように俺を見て目を開いた。いや、だから怖いから目を開くのやめて。
「お前、レベル96なのか! しかも【魔導学者】って……聞いた事がない」
「レアな職業だからなあ。偶然クラスチェンジアイテムが手に入ってな。でもこのクラス、魔道士系としての能力値は凄いんだけど……」
それはもう、どんな魔道士系クラスの追随も許さないほどに。魔術師系では最強なんじゃなかろうか、この嘘のような神ステータス。但し──唯一のネックが。
「HPがチビ共並だな。VITなんて──」
「言うなよ! 分かれよ! 俺があえて言わなかったんだから!」
森の奥で、木がなぎ倒されて吹き飛ぶのが見えた。
もうもうと立ち上る土煙の中に目を凝らすと、草むらの向うに、木の背丈と同じくらいの、赤黒い巨体な──
兎が立ち上がっていた。
紅く光る、吊り上がった四つの大きな目。
口端からは大量のよだれが垂れ、真っ赤な口内にはびっしりと並んだ牙が見える。
牙は赤黒く変色しており、ここからも分かるほどに鋭利だ。
爪も明らかに草食動物のものではない。肉食動物系だ。捕食する為に太く長く曲がっており、突き刺す為の先端は鋭い。
嘗ては白くてふわふわしていたであろう体毛は、口元と両手と腹の辺りを中心にして赤黒く斑に染まっている。今に至るまで喰い殺してきたものの返り血だろうか。見る者の背筋を凍らせるには十分な効果を発している。
なにこのホラー系兎。
怖すぎる。
「兎!? ちょっと、あんなホラーな兎、初めて見たんだけど!?」
「血塗られた野兎【ブラッディ・ヘア】。話では、昼間は寝ているはずなんだが……」
兎が跳ねてきた。紅いよだれを垂らしながら。
うう、夢に見そうだ。
「来るぞ! 下がれ!」
ジェイスが前衛に移動しながら指示を飛ばす。
双子は隊列の中央に。
俺は最後衛に移動しながら、暝闇の書を構えた。ページがぱらぱらとめくれ出し、足下には魔方陣が現れ、詠唱モードになる。
俺は【良く使う魔法リスト】を呼び出す。理を解し者は10個登録できる。ちなみに普通の魔道士は5個。戦闘中に魔法リストをだらだらとスクロールして探さなくてもいいので、とても便利な機能だ。俺はその中の一つを選んだ。
「足止めする! ──我、アイテールを通し土の元素へ干渉」
ページの上に光りでなぞったような正六面体が浮かび、くるくると回る。呪文のスペルがすらりと口からでてきて驚く。
なんだこれ。選択したら、スペルはオートなのか。
「砂塵よ集積し、硬き固体として再変成せよ──【石化】」
凶悪兎の足下の地面から、土が爆発的に盛り上がった。
兎の足を取り込みながら収縮し、石となって固まっていく。
【石化】は詠唱が短く、且つ拘束時間のそこそこ長い、使い勝手の良い足止め用魔法スキルだ。これでしばらくは足止めができるだろう。何らかの足止めをしては、詠唱。基本だ。詠唱中に攻撃されたらマジで泣けてくるから。
「お前、詠唱早すぎないか!?」
詠唱短縮スキル、マックスのレベル100ですから。
「今のうちに強化魔法かける! 我、アイテールを通し、対象素体を構成する全ての元素へ干渉せん」
正6面体が消え、今度は複雑に組み合わさった図形が光で描かれる。
「【アイテールの再照射による素体補強】」
複雑な図形が、眩い光を放つ。
光はパーティ全体に降り注いだ。
「なんだそれは?」
「攻撃・防御・命中率・素早さとかいろいろアップする。全パラメータを一時的に1.5倍する。全員にかけたから、今のうちに畳みかけよう!」
「「畳みかけよう!」」
双子がショートボウを同時に撃った。同時撃ちか。なるほど。ダメージのプラス補正がつく。
ジェイスが凶悪兎に鋭い爪で殴りかかる。
凶悪兎の右腕が飛んだ。
うまく部分破壊できたようだ。強化魔法かけたとはいえ、すごい攻撃力だな。三回の連撃で、片腕一つふっ飛ばした。
いける。
これなら勝てる気がする。
【解析】スキルで、ボスのHPがボスの頭の上に表示されているのが見える。
さっきので、15分の1程度削られていた。
「15分の1、HPが削れた! これなら頑張れば俺らだけでもいけるかもしれない!」
「おう!」
ジェイスの攻撃の隙間を縫って、俺が風系の攻撃魔法を放ち、双子が連射で追撃する。ジェイスが攻撃している間に、俺が全員を回復。
もう、三十分以上は経過しただろうか。
攻撃と回復を何度も何度も繰り返していると、
凶悪兎が、断末魔の咆哮を上げて、倒れた。
勝利のファンファーレ。
「……た、倒した、のか……?」
「……みたい、だな」
全員で顔を見合わせる。
「や」
「「や」」
「やったー!」
「うわっ」
俺と双子はジェイスに抱きついた。
結局、夜までに森を抜ける事はできなかった。
勝利したとは言え、やはりボス戦に、相当時間がかかってしまっていた。
無理に進むより、街道の途中にある野営ポイントで一晩越すことにする。まあ、ボスも倒したので大丈夫だろう。
ランダムエンカウントのボスがいるエリアで野営なんて、恐ろしすぎて絶対できない。不意打ちなんてくらった日には、阿鼻糾喚の惨劇が目に浮かぶ。
俺は腰の後ろにぶら下げるタイプの旅鞄を開けた。
ウィンドウが鞄の上に開く。
俺は中に入っている物のリストをスクロールした。
なるほど。選べっていうことか。
胸をなで下ろす。四次元ポケット仕様に感謝する。鞄の中に、湯気のでてる血のついた肉とか剥いだ皮とか牙とか食材とか武器とか防具とかごっちゃり詰め込まれていたらどうしようかと思った。
持ってる食材から、たき火を利用して簡単な食事を作ろう。
ソロでやってる事のほうが多かったので、食材は結構持ち歩いているのだ。レシピも豊富だ。調理ランクSSのレベル9なので、大抵のものは作れる。
調理ランクは下から、E、D、C、B、A S、SS、SSSとあり、各100レベルずつ。あまり料理効果に頼らない人は、Cくらいまでで止まっている人が多い。
しかし調理は奥深い。侮ってはいけないのだ。美味く作れれば、それだけ調理効果が期待できる。HP30%アップとか、VITアップとか、防御力アップとかな!
あの時の苦労が思い出され、俺は心の中で涙を拭った。
それに、ここでも空腹システムはしっかり引き継がれているようだ。腹が減った。食べなければ倒れてしまう気がする。
しかし。
調理道具と、新鮮な野菜と、保存状態のとても良い干し肉と、良く冷えた牛乳瓶と、バターと、小麦粉と、各種スパイスを鞄から取りだし、手に取って、俺ははたと考え込んだ。というか、途方にくれた。どうしろと。え、まさかのセルフ調理?
いや、まてよ。
取り出した食材をまた鞄に戻す。
メニューから調理スキルを呼び出す。
レシピを選択。
レシピが表示された。
必要な道具と食材が目の前に現れた。
脳が瞬時に理解した。
「……作れってことですか」
手がシェフのように動きます。
双子が正座し、星がきらきらと輝き飛ぶ両目で見つめてくる。俺は湯気の立つ鍋の中をかき混ぜながら耐える。時々かき混ぜながら、あと三分で完成だ。
「さっきの兎の肉、使う?」
「使う?」
さっきの凶悪兎からは、いろいろな新素材がとれた。その中に、あろうことか【血塗られた野兎の腿肉】が五つも……
「……使わない。売る」
「「ええ──! なんで──!?」」
「だって、気持ち悪かったじゃんか、あのホラー兎! 絶対腹壊すって! 呪われるって!」
なんと責められようと、絶対食いたくない。ていうか触りたくない。いかに食材ランクが高かろうと、生理的に無理だ。アレは。
「美味しい干し肉と新鮮野菜のクリームスープ作ってやるから。な? それより、ジェイス遅いな」
荷物を拾ってくる、とジェイスが言って森の奥へ入っていって、30分。
草むらが揺れた。
帰ってきたようだ。
「お帰り……て、お前、誰」
そこには、頭にざっくりと黒い布を巻き、機能重視のポケットが沢山ついた黒いコートを羽織った、20代後半の男が立っていた。
重量感のある大きな剣を背負っている。
背が俺の頭二つ分高く、ほどよく筋肉がついている均整のとれた身体。
ばざばさとした灰色の髪に、灰色の瞳。
やや尖った耳。焼けた肌。
目つきの鋭い、クール系の整った顔立ち。
くそ、イケメンか! 求めてないから! 俺はかわいい女の子に会いたい! ボンキュボンのダイナマイトボディ美女でも可!
「俺だ」
男がぶっきらぼうに答える。
「【俺】っていう名前の人は知りません」
「だから、俺だ」
だから俺って誰だよ。
ふざけてんのか。喧嘩なら買……わないが。万事話し合いで解決しよう。平和が一番。いや、まてよ。もしかして。
「【オレ】っていう名前なのか?」
カフェ・オレみたいな。
「違うわ! ジェイスだ!」
「説明を求める」
俺は完成したほかほかスープを双子に渡し、ジェイスだと主張する男にも、とりあえずスープをよそいながら胡乱げに見あげた。気配や仕草からなんとなくだが、あの灰色凶悪デーモンジェイスとこの人間ジェイス(仮)が同じな感じがするから、おそらく信じられないが同一な気はするが──
「あの姿から今の姿が結びつかない」
人間ジェイス(仮)は、眉間に皺を寄せながら唸る。犯罪者をみるような不審な視線に耐えられなくなったのか、ぶすり、とした表情で口を開いた。
「……俺は【半竜人】だ。」
「はんりゅうびと? 【半竜人】? ──ああ!」
俺は思い出した。
脳内のモンスターリストを繰る。
【半竜人】
竜と人の間に生まれた、禁断の落とし胤。
竜は本来、生まれながらにして各属性に則した《色》をもって生まれてくる。
けれど、人の血が混じると竜の血が濁り、灰色になるという。その姿も、本来の竜の姿も、本来の人の姿もとれず、禍々しき異形となる。
竜の血が入っているため、強大な力を持つ。
力の強い者であればあるほど完璧な人型に変化することが可能な為、ひとたび人の中に紛れてしまえば見つけだす事は難しい。
但し、人型を完璧にとれる者ほど、恐るべき攻撃力・防御力・身体能力を持つ。
よほど腕に自信のある冒険者でなければ、互角に戦う事すらできないだろう。
〜モンスターリストNo.865より〜
て、モンスターじゃねえか!
俺は口から飛び出そうになる言葉を飲み込んだ。
「な、納得した。でも、よく冒険者登録できたな?」
「人と変わらないくらいに【変化】できるからな」
よほど腕に自信のある冒険者でなければ、互角に戦う事すらできない感じですか。そうですか。
俺はスープをジェイスに差し出した。
ジェイスが不思議そうにこちらを見返す。
「早く受け取れ」
「あ、ああ」
俺は自分の皿にスープをよそう。こういう場合、匂いがあるのはいいな。美味しそうだ。
俺は両手を合わせた。
「いただきます」
「「いただきます!」」
「……ちょ、おい、ちょっと待て。何か他に言う事ないのか?」
「食べる前には、いただきます、だろ。他になにかあるのか?」
「いや、そうじゃなくてだな」
「なんだよ」
スープをすくって口に含む。クリームの甘味が程よく、自分で作って言うのもなんだが、これすげえ美味い。
「──【パーティ脱退申請】しないのか?」
「は? なんで?」
「俺と一緒でいいのか?」
「お前いないとだめじゃん。前衛お前。中衛チビたち。後衛俺。パーティとしては、なかなか良いバランスじゃね?」
「いや、だから」
「まさかお前、俺追い出そうとしてる? 俺に1人で行けっていうのか! 右も左も分からない俺にむかって!」
「そうじゃなくて! ていうか右も左もわからんのかお前」
「わからん。だから俺を街まで連れていってくれると、とても助かる」
ジェイスが不思議そうな顔をした。
「わからんって……お前、どこから来たんだ?」
「わからん。途中から記憶があやふやで、はっきりしないんだ」
「……記憶喪失か?」
記憶喪失か。説明するとややこしくなるから、とりあえずそういう事にしておくことにしよう。
「……みたい、かな?」
ジェイスはがりがりと前髪をかき回した。
「わかった。街まで一緒にいこう。お前がそれでいいなら……」
俺はほっとした。
「うん。ありがとう」
「「わーい! 小さいほうの青いお兄さん、一緒! うれしい!」」
「小さいほうって言うな!」
恐ろしい事に、俺の外見は『宵月』ではなかった。
色を除けば、全てがリアルと同じ容姿になっていたのだ。
どういうことだ。
今の俺は、バリバリ行きます的な30代の、均整のとれた、すらりとした長身の青年姿ではない。
調理している時、鍋に張った水面をみて、俺は言葉を失った。
そこには、生まれてこのかた飽きるほど見慣れた顔。よく高校生と間違われる童顔。低い鼻。跳ねたくせっ毛。
その色違い版が映っていたのだ。まるで2Pカラー版俺だ。
そしてあろうことか。
……リアル低身長まで戻っていた。
俺は心の中で泣いた。