027
結局。
俺は、元魔導書探索本部に出戻ってきた。
帰還の最終日。
ロッソが言うには、俺が造った元の世界への帰還専用扉は、一番最後に俺が扉をくぐってから、一日経っても二日経っても消える事なく会議室に残ったままだったらしい。
扉の扱いに困ったロッソは、とりあえず部屋の片隅に置いておいた。万一にも誰かが戻ってきたら、と思い、倉庫に仕舞い込むのも、廃棄するにも躊躇われたらしい。
まさかお前が戻ってくるとは思わなかったぜ、と開口一番大笑いされた。
笑い事ではまったくない。
取りあえずロッソは殴っておいた。
帰還の扉はというと、俺が閉めたと同時に、これにて任務終了、とでも言うかのようにあっさりと煙のようにかき消えた。
三冊の魔導書は、あのいけ好かない男に返した、と言ったら、それがいい、とロッソも同意してくれた。
* * *
俺は旅支度を終えると、本部の玄関まで見送りに来たロッソに挨拶した。
本部は現在、【新世界探索本部】と名を替えている。
残った冒険者達の互助会みたいなギルドとなったようだ。ギルドマスターは満場一致でロッソとなった。
ロッソが腕を組み、名残惜しそうに唸った。
「本当に、行っちまうのか? お前と俺とスティングがいるなら、パーティ再結成するのも悪かあないと思ったんだけどよ」
「悪いな。俺はまだ【蒼銀の風】のメンバーだから」
「リセットされてんのに?」
俺は笑って頷いた。
そうなのだ。
帰還の扉をくぐった時点で、【蒼銀の風】のメンバーリストから、宵月の名前が消えたらしい。キャラクター消失による、強制脱退という扱いになったようだ。
「スティングの野郎も、宵月がいないからって【蒼銀の風】を脱退したあと、またふらふらどっか行っちまったしよ。まったく。どうしてこう、うちは我が道を行く野郎ばっかりなんだ!」
「はは。それを言うなら、お前もだろ」
「うるせい!」
ロッソにゲンコツで頭を殴られた。ひどい。真実を伝えただけなのに。
「1人で大丈夫か?」
「ああ」
現在の俺は無所属である。
再びソロからの再スタートである。
「宵月。もし、あいつらに追いつけないようなら、本部に戻ってこい。人海戦術で探してやるから。あと、時々は顔を出しにこいよな」
「うん。そうするよ。ありがとう、ロッソ」
俺はロッソ達に礼を言い、本部を後にした。
ウェイフェアパレスを出て、なだらかな草原の中を歩く。
懐かしい。
ゲームを始めたばかりの初心者が、初めてモンスターと戦うエリアだ。楽勝だと思っていた野ネズミ3匹にタコ殴りにされたのは、塩辛い思い出だ。
青空が、どこまでも広がっている。大小の白い綿雲がぷかりぷかりと浮かんで流れていく。
ジェイス達が、本部を後にして3日。
そう遠くには行っていないはずだ。
まずは、きっと冒険者ギルドに顔を出しているだろうから、受付のお姉さんに聞いてみよう。
「あ」
俺は思い出した。
「そうだ。そういえば、アレがあったじゃないか」
超便利なアイテムが。
おもむろに、ポケットに手を突っ込む。
指先に、ひんやりとした、硬いものが触れた。
そこにある物を握ってポケットから取り出すと、空にかざした。
青く縁取られた銀色の鱗。
「ジェイスーー! レフーー! ライーー!」
俺は息を大きく吸い込むと、鱗を握り込んで名を呼んだ。
まるで返事でもしているかのように、ほんのりと、鱗が一瞬、内側から光った。
アイツは、呼べば分かる、と言っていた。
気が付いてくれるだろうか。
気がついてくれたらいいなあ。
俺は空を見上げた。
結局のところ、俺は、帰れなかった。
でも、本当は。
心の片隅で、そうなるんじゃないかって思ってて、その可能性の高さが怖くて、蓋をしてぐるぐる巻きにして沈めて、無かった事にしようとして。
三冊の魔導書を手にしたとき、ああこれは、その未来についても考えておかないといけないな、と諦めにも似た境地で思い直した。
何があっても動揺しないように。
その時が来ても、格好悪く泣きわめかないように。
決定的な事実を確認してしまったら、嫌が応にも納得できる。
だから、どうしても自分の目で、確認しておきたかった。
魔道書を手放してからは、あの時の記憶はとてもあいまいだ。
思い出そうとしても霞がかかったように、はっきりとは思い出せない。
あの場所は、膨大な、数多の世界の情報の残滓が渦を巻いていて、俺の頭が処理しきれないのだと思う。
あの、どこでもあり、どこでもない場所。
世界と世界の隙間。
ただ、あの場所で、魔道書の力をつかって、兄さん達を少しだけ、視ることができたのは僥倖だ。
声は届かない。
でも、何か伝えておかなければ、と俺は必死になって、連絡手段を考えた。
そして、あのいけすかない野郎が使っていた連絡手段を思い出した。
メールだ。
とにかく、兄さんたちに、連絡しておきたかった。
兄さん達の記憶から【俺】が消えたまま、っていうのも嫌だった。
たとえそこに、別の【俺】がいるのだとしても。
魔導書の力を使って、メッセージだけは送る事ができただけでも、よかったと思う。
ふと、名前を呼ばれた気がして、空を見上げる。
雲間に、青銀色に光る影が見えた。
風に乗って、もう一度、微かに俺を呼ぶ声が聴こえた。
俺は笑みを浮かべ、力一杯、両手を上げて振った。
林の中に、青みがかった銀色の光が降りる。
ちび達が駆けてくるのが見えた。
その後ろに青銀色の背のばか高い男も。
猛スピードで。
「おーおおおおおおちょっと待てーーー! ストップストップ! 止まれ!」
ぶつかる!!
「ぐほあっ」
ぶつかりました。
倒れました。
後頭部を打ちました。息が一瞬止まりました。
お前ら、俺を殺す気か。なんかデジャヴ! デジャヴなんですけど!
「しかも痛えええええ!! お前ら離れろ! 抱きつくな! ていうか首絞めるな痛い! 苦しい! 体が痛い!」
「……帰ってきたんだな」
「「青いお兄さん、かえって、かえってきたよおおうわあああああん!」」
俺は咳込みながら、体の力を抜いた。
抵抗は無駄だと悟った。
「おう。──つーか。まあ、帰れなかったんだけどな」
「……そうか」
「うん」
「おかえり」
「……うん」
さて。
また1から交渉しなければいけなくなった。
俺は、ずっしりと重くて広い背中を数回叩いた。
つうか、重い! つぶれる! いい加減はやくどけ!
「おい。ジェイス。あのな、悪いけどさ、お前今更何言ってんのって感じだけどさ、できたら、また、俺をお前らのパーティに入れてくれないかな。前衛のお前、中衛のチビたち、後衛の俺が入ったら、バランスいいと思うんだけど、どうかな。今度は絶対途中で抜けたりしないからさ。誓う。頼むよ」
ジェイスが小さく笑う。
「いいのか」
「うん。頼むわ、てか、お願いします。なんなら俺の秘蔵の最高級レインボーマスクメーロンDXワインを1本譲ってやってもいい」
「だからお前はもう少し食から離れろ」
ジェイスはチビ達を両脇にぶらさげた俺を軽々と抱き起こして立たせると、腕の冒険者用バングルを操作した。相も変わらずの馬鹿力だ。
冒険者証のウィンドウメニューが空中に開いた。上のほうに、新規情報が水色に強調表示されている。
『ジェイス・センバーより【パーティメンバー募集】の申請が入っています。承諾しますか?』
俺は【はい】を押した。
冒険者ウインドウのパーティメンバーの欄に、俺の名がまた加わった。
パーティ名 蒼銀の風
リーダー ジェイス・センバー
メンバー レフト
ライト
宵月
「てことで、またよろしく頼むわ」
「ああ」
「「わああい、青いお兄さん、頼む、よろしく!」」
双子が俺にぶら下がったまま、飛び跳ねた。
俺はレフとライに振り回されるままメリーゴーラウンドの如くクルクル回って、そして重さと動きに耐えられず、再び倒れた。
後頭部を強く打った。
「痛ええ!」
×× ──
──メールが一通届いています。
[ 差出人 与一
兄さん、玲奈、来奈。
諸事情により、しばらく家に帰れなくなりました。
玲奈と来奈には、上手く伝えておいてくれたら助かります。
本当に、ごめんなさい。
心配はしないで下さい。
こちらでも友人や仲間がいます。
独りじゃないから。
なんとかやっていけると思う。]
兄は、信号待ちの車の中で携帯のメールを見て、首をかしげた。
「与一……?」
与一。
与一は、今、たしかーー
弟の事を思い出そうとして、急に記憶にもやがかかったようになり、ぼんやりとして、すぐに思い出せなかった。
俺の弟は──
……ああ、そうだ。確か……海外、そう、海外に行ったんだ。
──兄さん。俺、ちょっと長い間、外国へ旅行に行こうかと思ってるんだけど。家は大丈夫かな
──旅行? そんなに長いのか?
──多分。いろんなとこ行くと思うから
そう、言ってた。
俺としたことが。どうして、忘れてしまっていたのだろうか。
時折、記憶が混濁してくることがある。
与一にしばらく会っていないからなのか、思い出そうとすると特に。
夢で見た記憶と、現実の記憶が混ざって、どちらも本当の記憶のように感じてしまい──
俺はじわりと痛み出した頭を強く振った。
「……相当、疲れているのかもしれないな」
歳のせいだとは、思いたくない。
帰れなくなった、というのは、どういうことだろう。
そういえば、友人も一緒だ、とも行っていたな。
心配はするな、と言っていったが──
兄はメールの続きに目を落とす。
[例え、メールが届かなくても、心配しないでいいよ。
俺は元気だから。
便りがないのは元気な証拠っていうだろ?
兄さんもたまにはゆっくり休みながら仕事しろよ。仕事好きもほどほどに。
玲奈と来奈にもよろしく伝えておいてくれ。
ちゃんと宿題はしてから、遊びなさいって!
それじゃあ、
また]
そこでメールは終わっていた。
「また……」
与一は、いま、どこにいるのだろう。
どこへ行ったんだったか──
再び思考に霞がかかってきて、兄は頭を振った。
なんだか眩暈がする。今日は本当に、早く寝たほうがいいかもしれない。
クラクションをならされ、はっとして兄は顔を上げた。
いつの間にか青信号になっていた。
その先には、現実味がないほどに純色で美しい、青いグラデーションを描く空が広がっている。
また──
また、と書かれていた。
ならば、これで終わりじゃないってこと。
そうだよな、与一……?
早く買い物して家に帰って、ゆっくりメールを返信して、それから──
兄はアクセルを踏んで、車を走り出させた。




