001
──第十二レベル管理者権限にてアクセスします
──選択したデータを『虚空』サーバナンバー48000より、『虚空』サーバナンバー84000へ位相転移開始します
……なんだそれ。
俺は、船酔いにも似た吐き気をこらえながら唸った。
脳内に響く《音》は、言葉のような、音楽のような、耳鳴りのような、形容し難いものだった。
音。
高い音。
低い音。
今にも消え入りそうに小さな音。
他をかき消しそうに大きな音。
軽やかな音。
重苦しい音。
音。
音。
音。
音の洪水。
頭が、割れそうだ。
《音》の意味が分かるようで分からない。気持ち悪い。頭が痛い。記憶されているあらゆる知識を総動員して、脳が必死になって《言葉》に変換しようとしている感じがする。検索。修正。近似値へ置換。変換。演算。そしてまた検索。
頭が、処理に追いつかない。パンクしそうだ。
……
──エラー
──位相転移許容量オーバーです
──1個体分のデータが超過しています
1個体分を選択し、転移先を再指定してください
「あ、しまった」
頭の中であの青年の声が反響した。
え、何? なんなの?
「ううん、やっぱり転移可能質量越えてしまったら、はじき飛ばされてしまうんだね。少しのオーバーならいけると思ったんだけどなあ。やっぱり君のデータ分だけ、同じ場所には転移できないみたいだ」
え、何が?
──実行取り消しは、移送中データ量が多い為できません
「あらら」
──1個体分のデータ削除は可能です
削除しますか?
え、何? 削除? それ、まさか俺の事じゃないよね? まさかとは思うが俺の事だったらやめてくれ!
「大丈夫大丈夫、削除はしないよ。私のせいだからね。仕方ない。ちょっと外れに落ちるけど、いい?」
いいも悪いも、言ってる意味がわからないんですけど!
それに頭が割れるように痛いんですけど! 鼻血出てない俺!?
「出てない出てない。ああ、そうだ。無理に《音》を聞こうとしないほうがいいよ。君の情報処理機能が過負荷ではじけてしまうから」
うげ! 何それコワイ! 早く言ってくれ!
……
──指定完了しました
──位相転移再実行します
「よしオッケー。では、宵月君。よい旅を」
冗談でもいうように軽いノリの挨拶。
ふざけんな。
と文句を言う暇もなく、再度、俺の意識は再び遠のいた。
* * *
閉じた瞼の向こうに、揺れる微かな光を感じた。
頬に当たる微かな風。
揺れて擦れる木々の葉のさざめき。
鳥の囀り。
木や草の青い香り。
土の香り。
知らない獣の遠吠え。
しっとりとした湿り気のある空気。
俺は立っている──ようだった。
靴底を通して、ごつごつした地面を感じる。
恐る恐る目を開けてみた。
眼前に広がるのは、鬱蒼とした森だった。
車一台がぎりぎり通れるくらいの細い街道の真ん中に、俺は立っていた。
街道、というよりは獣道と呼んでも差し支えないくらいに荒れている。長く踏みしめられたために土が硬くなり、単にそこだけ草が生えてないだけのような。
「……なにこれ」
何が一体どうなった。
下を向いた時、視界の端に、濃紺色のローブの裾が見えた。濃紺地に銀糸と金糸の文様が織られた重厚なローブ。見覚えがある。ものすごく。
「ネビュラーローブ……」
まさかと思い、頭に手をやる。
帽子だ。低い円筒形の。銀細工の羽飾り。そこから銀糸の飾り紐が三本流れて房になっている。
恐る恐る両耳に触れると、【星雲石のカフス(魔力増強)】と【星雲石のピアス(魔法効果増強)】が一つずつついていた。
間違いない。
これは、【宵月】が身に付けていた装備だ。
落ちつけ、俺。
「ゆ、ゆゆゆっくり考えろ、俺。ま、ままままず、始めから思い出せ、俺」
ボス戦で死んで。
フリーズして強制ログアウトして、再起動して。
変な男に遇って。
招待された(行き先は不明)。
無理やり連れていかれて(攫われて?)。
現在に至る──
「で。ここ、何処?」
心臓の音がさっきから非常に煩い。暑くもないのに流れる額の汗を、手の甲でぬぐう。
これは、噂に聞く、バーチャルでマッシブリーでマルチプレイでオンラインなヤツですか。
それにしては、ものすごくリアルです。額の汗が気持ち悪いです。鳥肌も立ってるのを感じます。
「──あ! そうか。ゲームなら!」
ログアウトがあるじゃないか!
そうしようすぐしようさっそくしよう。
俺はメニュー画面を探した。
視界の右上端に白っぽい四角が見えた。なんだこれ。半透明なウィンドウが右上にふわりと浮かんでいる。不自然だ。でもよかった。見覚えのあるメニューが並んでいた。
「あった! これか!」
なんだかよく分からないが、意思でカーソルが動かせるようだ。見たいと思った項目にカーソルが移動していく。ちょっと癖がある。慣れるまでに時間がかかりそうだ。どうにかメインメニューをスクロールして一番下……
予想した通り、期待した項目が消えていた。
「ログアウトがないじゃないか!」
そんなテンプレはいりません!
ログアウトがあった場所には、【オラクル】という項目が追加されていた。
「なんだこれ……オラクル?」
ご丁寧にも、項目の末尾に付いているヒントマークも再現されている。
「ええと、どうやってクリックするんだ?」
浮かんだ文字を指で触ろうとしたが、すかすかと空をきる。え、なにこれ。どうすればいいんだ。焦る。
駄目元で、クリック!、と念じてみた。
ヒントマークがクリックできた。
説明のポップアップウインドウが開く。
あ、そういうことですか。
念じればクリックできるようだ。脳波と連動してるのか? なにそのハイテク技術。
説明書きには、こう書かれてあった。
『オラクル:選ばれた者だけが使用できる特別項目。神様との直通回線。神様と話が出来ます。留守番電話サービス付。神様不在時、あとからかけ直します。また、神様の御都合により、着信拒否される場合があります。あしからずご了承下さい』
「着信拒否ってなんだよ! ちょ、最近の神様って、携帯的なものもってんの!?」
それはそれですごいが、ものすごくシュールだ。
「……でも、まあ、やってみるか……」
神様ならゲームマスターってことだ。自分を神様って言うなんて、なんて痛いヤツなんだ。まあどんなに痛々しいヤツでもゲームマスターなら、頼んだらログアウトさせてくれるかもしれない。
俺はオラクルをクリックした。
呼び出しのコール音。
五回目のコールで、音声に切り替わった。
『こちらは神様直通回線です。お客様のお掛けになった番号は、神霊波の届かない場所にいらっしゃるか、アイテール源が入っていないため掛かりません。後ほどお掛け直し頂くか、ピーという発信音の後に、留守番電話サービスに接続します。メッセージを三分以内でお話しください』
「届かないのかよ! ていうか電波……じゃなくて神霊波て、何!? アイテール源で何!? 何か電源ぽい感じのもの!?」
携帯電話だったら、投げていたかもしれない。
ピーという発信音が鳴った。
なんか、もう、つっこみすぎて、疲れた。
「……すみません。宵月です。お聞きしたい事が山ほどあるので、気づいたら、折り返しお電話下さい」
俺はオラクルを切った。
「あ! そうだ!」
俺はメニューからフレンドリストを呼び出した。
誰かいれば、何か話が聞けるかもしれない。
空っぽの枠が表示された。
「え、ない!? うそ!?」
フレンドリストは、クリアされてしまっていた。しかも、メールもチャット機能も消えている。
「どういうことだよ……」
──まさか、俺1人ってことはない、よな?
俺はぞっとした。足下から震えが走る。
俺は頭を強くふった。
やめよう。その件は後回しだ。
とにかく、まずはこの森をでなければ。夜になる前に出たほうがいい気がする。すごくする。システムが同じなら、朝昼晩がある。そして、夜は特に強いモンスターが出没する。
加えて、見覚えの全くない景色。
これがゲームだと過程するなら、新規エリアに違いない。何のモンスターが出てくるか分からない。情報収集もしないまま、迂闊に進むのは自殺行為だ。
「戻ろう」
戻って、とにかく近くの街に行こう。街なら、【冒険者協会】という名のインフォメーションセンターがある。考えるのはそれからだ。
マップ表示機能をオンにする。
目の前の斜め右下に。方眼状に緑の線が走った半透明の正方形が表示された。
拡大ボタンを押す。
空中に、A1用紙ほどに拡大された。
マップは、地図を購入するか、宝箱から得るか、拾うかなどして手に入れていれば、地図に記載されている範囲は全表示される。前のシステムを踏襲しているならその仕様のはずだ。地図を手に入れてなければ、踏破した場所がオートマッピングされていく。
俺は目の前が暗くなるのを感じた。
何も描かれていない方眼紙のような地図の中央に、自分の位置を表す緑の三角マークが1つだけ点滅表示されている。その周囲五マス程度が、道を示す黄土色に小さく塗りつぶされている。
「俺が立ってる場所しか、埋まってねえじゃねえか!」
これじゃ出口がわからない!
どうする。
前の道へ行くか、後ろの道へ行くか。
気分的には、なんとなく、後ろの道が出口に繋がっている感じがする。
「よ、よし。後ろの道にしよう」
俺は俺の勘を信じる事にした。
この後、俺は、思い込み、とはいかに恐ろしいものか、という事を実感する事になるとも知らず。