018
サンクティ皇国を出て、街道を馬車を走らせること3日。
この辺りまでくると、周囲の景色は、すっかり雪景色だ。
「わあ! 雪!」
「雪!」
馬車の座席に膝立ちになり、窓ガラスに貼り付いて、レフとライがはしゃいでいる。耳と尻尾が、楽しげに振れている。なんだか、状況を忘れて遠足にきた気分になってくる。
雪原地帯への直前の補給地点であるスノフェザは、北欧っぽい雪景色の中、三角屋根の建物が並ぶ町だ。
マーシフェル教団の最北端の教区でもあり、極寒の修業場でもあるので、町を見渡せる小山の上に、石造りの、古城のような教会が建っている。
その下には、修道院や旅の巡礼者の宿舎も併設されており、寄せ集まって積み上り、まるで陸上のモンサンミッシェルみたいな風情をみせている。
そして、ここにはセントニコルという、サンタクロースっぽい隠しNPCもいる。
赤と白のストライプのスーツに赤いシルクハットをかぶり、ハート型のサングラスをかけ、葉巻をくわえた、丸いフォルムのイカした爺さんだ。もし会えたら、非常にレアなアイテムが貰える。らしい。残念な事に、私はまだ会った事がないので、話でしか聞いた事はない。リアルラックがね。問題でね。悲しい。
眼前に広がるのは、そんな美しい──
「え、廃虚?」
そこには、夕焼けの中、戦闘の傷跡があちこちに残る、やや荒れた街並みが広がっていた。遠くの小高い山の上に建っている教会周辺はぼろぼろで、ほぼ全ての建物が崩れ、見るも無残な崩れ具合だ。
唯一残った鐘楼だけが、寂しげにぽつりと立っている。
隣でロッソが盛大な溜め息を付いた。
「一年前かな。【双頭の雪狼】にやられちまったんだとよ。そう、スティングから報告を受けている」
「【双頭の雪狼】……? って、あの雪山にいるボスじゃないのか?」
俺は遥か遠くに聳える、一際高く聳える白い峰を指さした。
双頭の雪狼。
多くの魔狼と魔物を従え、万年雪に覆われた山の頂上を根城にしている。
所謂、決まった範囲外には絶対にでない、いけば必ずその場所にいる、固定ボスというやつだ。
ボスのエリアにいて、ファースとアタックをするまで、何もしてこないし、その場からも動かない。
というか、ボスのエリアから出てくることなど絶対に、100パーセント、ない
システム上。
だから、山を降りてくるなんて事も、絶対にありえない。
はず。
「まさか、山を降りてきたっていうのか? 雪山のボスが? そんな事ありえるのか?」
ロッソが煙草を噛みしめながら、唸った。
「ああ。そうだ。ボスがエリア外にでるなんて、絶対にありえない。だがよ、宵月。この世界は、時々──いや、結構頻繁に、俺たちの知ってる知識が通用しねえ時があるからな。動かないはずのボスが、動く事もあるんだろうよ。お前も、ゲーム内の知識は過信しねえ方がいいぞ」
「そうだな……」
少し離れた所で、俺たちと同じように雪山を眺めていたスティングが振り向いた。いつものようにゆらゆらと身体を揺らしながら。
「なんでかねえ。アイツ、雪山から降りない固定ボスのはずだったのにねえ。人里に降りてきちゃったのよ。魔物の大群率いてさ。神官長でもある王女様と神官達の命がけの結界で、なんとかこの小さな城下町の外までは追い出したけど。どっかの強い魔物に、あいつ等追い出されちゃったのかねえ」
「どっかの強い魔物……」
既存の固定ボスを追い出すほどの、強い魔物一一
俺の脳裏に、18枚羽の銀竜が思い浮かびかけ──すぐに頭を振った。
まさか。
まさかね。
でも──
「さてさて。今日は一泊して、明日の早朝に出発するんだったっけ? もう夕方だし、俺様は休ませてもらうことにするよ〜。それじゃ、皆さん。お疲れさまでした〜」
スティングはひらひらと手を振ると、町の中へさっさと歩いていってしまった。
「あ、おい、スティング!」
ロッソが頭をかきむしった。
「ったく、あいつは! ふらふら勝手に動きやがって!」
「「ま、まあまあ。波間のわかめって言われてる奴だから……町中は、大丈夫なのか?」
「ああ。残ってる町の奴等の話によると、この町の中だけは強力な魔除けの結界が張ってあるらしい。だから、魔物は入ってこれねえんだ。魔物以外は、出入りできる結界だから、俺らに関しては問題ねえ。ただ、教会区内は、結界範囲外みてえなんだ。壊滅状態の教会区は捨てて、町だけに結界を張ったんだろうな。だから、教会区には近づくんじゃねんぞ」
「わかった」
ロージーが、双子の前にしゃがみこみ、頭を撫でながら微笑んだ。
「ですから、レフちゃんライちゃんも。行ってはダメですよ?」
「「うん! 行く、しない!」」
「じゃあ、お前ら。今日は解散だ。適当に宿をとって休め。明日の午前6時、ここに集合だ。以上!」
ういーす、了解です、という了承の声があちこちであがった。
皆が、ぞろぞろと町中に入っていく。
「……ジェイス?」
ジェイスがついてきていない事に気付いて、振り返った。
ジェイスは、まだ町の入り口の前に、立ったままだった。
「どうしたんだ? 行こう」
ジェイスは静かに首を横に振ると、手招きをした。
俺と双子は、首をかしげながら戻る。
「町中だけは、強力な魔除けの結界が張ってあって、安全なんだってさ。早く宿をとって温かいものでも飲もう」
「「温かいもの、飲む!」」
ジェイスは目を細めて、何かを探るように、町を見渡した。
「……そうだな。確かに、神聖系の防御結界が張ってあるみたいだ。それも──相当強力なのが」
「わかるのか?」
「ああ。魔物の侵入を完全に防ぐ、神聖系の大規模防御結界だな。この町全体を包んでる。小物程度なら、触れたら最後、張り巡らされた神文の浄化力で、一瞬にして消し飛ぶだろう」
「なら、安心じゃねえか。ほら、早くいこう」
ジェイスが、困ったように苦笑した。
「だから、俺は、入れない」
「なんで」
「忘れたか?」
あ、と俺は口元を押さえた。
思い出した。
ジェイスは、【半竜人】。
モンスターリストの、ナンバー865に載っている。
モンスター。
もしかして、魔物にカテゴライズされているから、結界が反応してしまうのか。
「大丈夫だ。俺は、人と違って、寒さ暑さに強い。適当に、町の外の廃屋を使わせてもらう事にするさ」
「ちょ、ちょっとまてよ。何か、何か方法が──」
「無理だろうな。これほど強力で大規模な結界を見たのは、初めてだ。離れてても、肌がビリビリする。おそらく、触れたら最後、全身火傷じゃすまないだろうな。【変化】でごまかせるほど、これは易しくはない」
「「灰色のお兄さん……入る、できない?」」
レフとライが、泣きそうな顔をしてジェイスを見上げた。
ジェイスは、静かに笑みを浮かべながら、頭をなでた。
「お前ら、外をあまりうろうろするなよ。ちゃんと、宵月の傍にいろ。それから、早く寝ろ」
「「う、うん……」」
「じゃあな」
「ジェイス、待っ」
ジェイスはひらりと手を振ると、俺が止める間もなく、崩れかけた壁の向こうに姿を消した。
「「……灰色のお兄さん、行っちゃった……」」
半竜人は、魔物のカテゴリに入っている。
誰だよ、モンスター枠に入れた奴。抗議だ。クレームだ。苦情窓口はどこだ。
だって、姿だけが違うだけで、中味は、人と変わらないのに。
もう、新種族でいいじゃないか。
そうしたら、こんな結界なんて気にする事なく──
「宵月様? どうされました?」
背後で、ロージーに呼ばれて、心臓がはねた。
近づいてきてたのに気付かなかった。
いまの、聞かれてないよな?
「あら、ジェイス様はどちらへ?」
「……そ、外、見回りしてくるって!」
聞かれていないようだ。よかった。
「まあ」
遠くでロッソが、うがあああ、と吠えた。
「ったく! どいつもこいつも! ソロプレイみたく好き勝手動きやがって! 今回は団体行動だって言ってんだろうがこん畜生ども!」
* * *
町中には、生き残った人々が、日々復興に従事しながら細々と生活していた。
何が起こるかわからないので念のためにパーティごとに纏まって、町に3件ある宿屋に泊まることにした。
俺と双子とロージーとスティング、それからロッソ率いる【風見鶏】は同じ宿屋に。
雪の重みに耐えれるような鋭角的な尖った屋根と、大きな煙突、木と石と土壁を厚く組み合わせた、北欧風の絵本にでもでてきそうな、ちょっとメルヘンチックな、暖かみのある宿屋だ。
夕食の後、スティングに呼び止められる。
「宵月君〜。ロッソに見回り頼まれちゃったんだけど、一緒に行ってくれない? 1人じゃさすがに心細くってさ〜」
スティングが両腕を胸元でクロスして肩を抱き、くねくねと身体を揺らす。
「ちょ、ぎゃあ寄ってくんな! やめ! きもい! わかったよ! 見回りぐらい、一緒に行ってやるよ」
スティングのレベルだったら、何かあっても対処できるだろうけど。用心にこしたことはないだろうしな。
「チビ共寝かしつけた後でよければ」
スティングが両手を叩いて、へらりと笑った。
「全然オッケー! さぁすが、宵月君! 優しいね〜」
城の近くまでくると、流石の俺でも寒気がした。
確かに、何かがいる気配がする。
明かりの消えた城は、まるで肝試しにでてくる古城のようだ。
どんよりと重く暗い夜空に、いびつな形の城がそびえ立っている。
ぼろぼろの城壁。
破れた旗や、カーテンがひらめいている。
「……魔物、町の方に出てきたりしないのかな」
「大丈夫っしょ。なんせ、姫君たちの張った捨て身の最強結界があるからね。どんな魔物も、結界に焼かれて、町の中に入ってくる事はできないさ〜」
「そうか……」
「あれ〜? 宵月君? なんで暗くなってんの? それとも、怖くなった?」
「阿呆! そんなことあるか!」
スティングがにんまり笑んだ。
「じゃあちょっと、中を調査してみない〜?」
「はあ?」
「城の中。どんな感じになってるのか……気になるデショ?」
「何言ってんだよ。勝手なことは──」
「大丈夫大丈夫、確認だけだし! 見たら帰るだけだし! それにさあ、この感じ。ボスいそうじゃね? それだったら、俺らで倒してあげたら、町の人も喜ぶよ〜。結界もいらなくなるかも?」
「結界……」
結界がなくなれば、ジェイスも町に入れるようになる。
ボスを倒して、魔物を追い払って、結界が必要なくなれば。
そうしたら。
「ていうかさ、結界も永遠じゃないからさ。風化して、実はすこしずつ、力が弱まってるんだよね。町の人が安心して暮らせるように、少しでも俺らがなんとかしてあげたら、良いと思うんだよ」
「なんか、スティングが、まともな事を言っている……」
「失礼な! 俺様はいつだって、まともで紳士よ!」
確かに、もしもまだ【双頭の雪狼】がいたとしても、俺たちのレベルで5PTもあれば倒せる。
はずだ。
雪狼が、前のゲームのステータスと同じならば。
なら、もしまだいるというのなら、倒してあげたほうがいいかもしれない。
こちらのレベル上げにもなる。
少しでもレベルの底上げはしておいて損はない。
ジェイスも街に入れる。
俺は頷いた。
「……わかった。少しだけ、調査してみよう」
「ふふふ〜。宵月君なら、そう言ってくれると思ったよ」
屋根の崩れた城内は、廊下の其処此処に雪の吹き溜まりができていた。
肌を刺すように寒い。吐く息が白い。
「……なんか、異常に寒くないか?」
「だね〜。氷結系の魔物が沢山いるからじゃないかな〜。氷の女王みたいな」
「凍らせるやつ?」
「そうそう。お城とか凍っててさ。そんで、氷の城にとらわれた少女を、少年が助けにいくんだよね」
「逆だろそれ。ていうか、お前が童話か。似合わないな」
「ま! 失礼ね〜」
手持ちの携帯ランプをそれぞれ持ち、暗い城内を足音を立てないよう静かに歩く。音と気配を遮断する術をかけてはいるが、用心はしたほうがいい。
「でも、なんで雪山から動かないはずのボスが降りてきたんだろうな」
「さあねえ。追い出されたんじゃない? まるで、逃げるようにやってきたから」
俺はスティングを見た。スティングは廊下の先の暗闇を見つめている。
「お前の報告って、ロッソが言ってたけど。調査にでもきたのか?」
「ん〜? あれ、俺言ってないっけ? 俺が放り込まれた場所、この王国なんだ〜」
「え、そうだったのか!」
俺は慌ててメニューを開き、パーティメンバーの情報を確認した。
スティングの出身地の欄には、ノスフェザ、と入っていた。
「なんか俺様だけ雪原に落とされてさ〜。死にかけてたところを、狩りの最中だった美しくも勇ましき姫君に助けられたんだよね。なんてドラマティック!」
「そうかよ」
スティングの目が、懐かしそうに細められた。
「皆、本当にいい人たちでさ〜。よそ者の俺にも優しかった。ずっといればいいよ、って言ってくれたんだ。何処にも──向こうの世界ですら居場所のなかったこの俺に。やっと。居場所が。暖かい。いてもいいよ、って。ただいま、おかえり、って、抱きしめて、言ってもらえる場所が──できると思ったのになあ」
スティングが自嘲気味に微笑む。
「なんでだろうね。虚構の中ですら、居場所が与えられないなんてさ。やっぱ、罰が当たってるのかなあ?」
「罰?」
「そう。俺、元悪者集団の1人だからね」
「悪者?」
スティングが、おどけるように両手を上げる。
「お金のない人たちから、お金や土地を巻き上げる。騙して居場所を奪う。いろいろ。そんな悪〜いお仕事。してましたー!」
「え。ちょ、」
何いきなりリアルのカミングアウトしてんだ。
やめて。しかも不穏。内容が不穏すぎるんですけど。
スティングが、固まっている俺を笑った。
「あははは宵月君、なんて顔してんの。元、っていったでしょ? 今はほら、善良な冒険者だから!」
「善良……」
「ああっそんな疑わしい目で俺をみないで! ドキドキしちゃう!」
「ドキドキすんな! この変態!」
いつもながら、こいつの話は、どこまで本当でどこまで嘘か、よくわからん。
「……上手くやるだけ、俺の居場所が確実になるんだ。オヤジが生ませた子供は俺以外にも沢山いたし、俺なんていてもいなくてもいい感じだったし。下手うちゃ殴られ蹴られ、ゴミ扱いで殺されそうになるし、生きてくのに必死だったんだよねえ。うんうん」
「いや、そんな、しみじみ言われても」
不穏すぎて相づちすらうてないんですけど。
スティングが、俺を見下ろして、微かな笑みを零した。
「宵月君は、もんのすご〜く暖かい場所で育ったんだろうねえ。……分かるわあ」
「そ」
「あ、到着〜」
俺たちは、いつの間にか、大きな両開きの扉の前にきていた。
「さてさて。この奥が、謁見の間だよ〜。かつては雪みたいに白い石が敷き詰められて、きらきらして、とても綺麗な場所だった」
「そうなのか……」
スティングが、音を立てないように注意しながら扉を少し押し開けた。
人1人分くらいの隙間から、二人でそっと覗いてみる。
かつては白い石で造られた大広間は、柱も壁もひびが入ってしまっていた。赤い絨毯は茶色に変色し、破れている。
割れた窓から風が吹き込んでいるが、何一つ動くものはない。
凍っていた。
全てのものが。
冷凍庫の中のように。
背中を、どん、と押された。
俺はつんのめりながら、中に身を躍らす。
背後で扉が閉まった。