016
サンクティ皇国。
創世女神サンクティーリアを信奉する、神聖国家だ。
国花である白いスカシユリに似た白い花、ノーブルフェザーが咲き乱れる、美しい国。
賢者輩出の国、と語り継がれているように、学問国家としても有名で、国立大学、東大陸一の蔵書と謳われる王立大図書館、魔導研究所、歴史資料館、博物館、古書街、など、学ぶ者にとっては夢のような国でもある。
馬車を飛ばして2日。
俺たちは物資を調達するべく、ここで1泊して、翌日早朝に雪原に向かう事にした。
ここから北へ上っていけば、雪原地帯に入る。
サンクティの街は雪原地帯へ向かう前に立ち寄る最後の補給地でもある。だからか、防寒対策の各種装備、道具類が、ウェイフェア・パレスよりも充実している。冒険者は皆、ここで十分に装備を調えてから出発するのが通例だ。
「さあ! 宵月様! 私たちも買い出しにいきましょう!」
ロージーが元気いっぱいに挙手し、俺の腕を掴んだ。
「行ってらー。買い出しよろしくー☆ 俺は宿で寝てるわー」
スティングは一番後ろで立ち止まり、ワカメが揺れるようにひらひらと手を振った。だらしなく垂れたネクタイもゆらゆらと揺れている。
「お前な」
「だってさー、買い物なんて皆でぞろぞろ行ってもしょうがないでしょ? パーティの主戦力は、休める時に休んどかないと、いざという時真価が発揮できないからねー。ロージーちゃんとのデートはとても魅力的だけどー」
何だかんだと言ってるが、用はさぼりたいだけだろ。
隣に立つジェイスに顔を向けた。
相変わらず、その顔に笑顔はない。まあ、もとから愛想が良いほうではないけれど、ここ最近は無愛想に拍車がかかっている。そして、あれ以来・・・・俺と目を合わせようとしない。まだ怒ってるのか。大の大人がいい加減しつこいぞ。
「さて。ジェイスはどうする?」
ジェイスはすい、と目をそらすと、北の方を向いてしまった。
「……俺は寄るところがある。買い出しに3人もいらないだろ」
それだけ言うと、ジェイスは人ごみの中に消えていった。
「本当、宵月君何したのー? なんか相当、怒ってるっぽいよー」
「そうですね。あとでちゃんとお話されたほうがいいかもしれませんね」
「……わかってるよ」
何がそんなに気に入らないんだか、俺にはわからん。
お前にデメリットなんてないはずなのに。
防具屋で、アクセサリ類を眺めていたら、良いのを見つけた。
ノーブルフェザーの白い花飾りがついた、薄紅色の髪留め。
運良く、同じ物が2つある。
手に取って眺めてみるふりをして、こっそり【アイテム精査】する。
水・風・闇属性耐性35%アップとでた。偽物じゃなく、ちゃんと本物だ。
1つ、6000シェル。
高いが、買えない値段でもない。が。
俺が購入を悩んでいると、ロージーがやってきた。
なんだか目をキラキラさせて。
「宵月様。何をご覧になっているんです?」
「いや、これ、ちょっと良いかなって」
「そうですね! 私、すごく可愛いと思います!」
ロージーがこぶしを握りしめて力説した。じゃあ買ってこよう。
「あれ、宵月様。おんなじ物は2つもいりませんよ?」
「2つじゃないと、喧嘩になるだろ?」
「そんな、私、喧嘩なんか致しません!」
「いや、レフとライは確かに仲いいけど、お土産が一つだったら、さすがにマズイだろ」
「え? レフちゃんとライちゃんのお土産なんですか……?」
他になにがあるんだ。
買ってくる、と言った手前、買ってこんとマズイだろう。年長者としての信用問題に関わる。
なんだかロージーの目が怖かったので、俺は早足で店の奥に移動した。
「宵月様は、いいお兄さんなんでしょうね。同じように妹さんがおられるんです?」
気持ちを切り替えたらしいロージーが、小首をかしげて微笑んだ。
「ああ。丁度、歳もおんなじくらいのチビが2人。でも、俺より兄さんの方がすごいよ。本当、なんでもできる超人みたいな奴だから」
「お兄さんもおられるんですね?」
「歳が6つ離れてるけどな」
「ふふ。じゃあ、ジェイスさんと丁度同じくらいでしょうか」
「……そうだな」
顔を上げると、小さな格子窓からは、賑やかな大通りがみえた。
幼子をあやす若い夫婦。楽しげに店を覗く少女たち。よそ見ばかりする小さな弟妹の手を引く、旅装束の青年。
──今頃、兄さん達はどうしているだろうか。
「宵月様?」
「──いや、なんでもない」
微妙に低空飛行になりかけた気分を変える為に、上の棚に目を移してみる。
そこには、面の布の上に、首飾り類が並べてあった。
良さそうなのを見つけた。白い糸で複雑に織り込まれた紐に、文様の書かれたタグが付いた首飾り。【アイテム精査】をかける。
《一度だけ、致命傷のダメージを緩和します》とでた。
成程。これはいいかもしれない。
値段は20000シェル。
そうですか。お値段もぎょっとするほどいいですね。
俺はそれを手に取った。
「宵月様。お買い上げですか?」
「うん。ジェイスにやろうかと思って。あいつ前衛だし。スティングには買ってやらん。よくさぼって姿を消すからな」
「まあ」
ロージーが可笑しそうに笑った。薄桃色の髪がふわりと揺れる。
これだけみれば、確かにファンクラブもできるかもしれない。ただ一度でも一緒に戦えば、幻想は吹き飛ぶはずだ。
血まみれのグローブで、楽しそうに魔物を殴り殺していくメイドなんて、一度見たら忘れられない光景だ。
まあ、そのまま幻想が吹き飛ばない猛者たちも──大勢いるにはいるけれど。
露店のサンドイッチで昼食をすまし、俺たちはサンクティ国立図書館に向かった。ロージーも調べるのを手伝ってくれるようだ。
地上3階建て、地下3階。角を曲がって正門に辿り着くのに、10分ぐらい歩いたきがする。あれ、こんなに広かったっけここ?
3メートルはありそうな重厚な門は開いており、門の両脇には武装した頑丈そうな門番が直立不動で道行く人を睨んでいる。
右側の無愛想な門番が、接客する皆無の険しい表情のまま、ガントレットをはめた手を、俺の前に差し出した。
「──身分証明書の提示をお願い致します」
俺は冒険者証バングルを見せた。
「冒険者No.00345800 ロージー様。No.0028769I 宵月様。確認致しました。どうぞお通り下さい」
「どうも」
「失礼致します」
「──あ、宵月君とロージーちゃんだー! 宵月君ー! よーいーづーきーくーん! おーい、おーい!」
誰だ、天下の大通りで俺の名前を連呼する、恥ずかしい奴は。
振り返りたくないが、これ以上大声で呼ばれるのも避けたいがため、俺は仕方なく振り返った。
「……あ、スティング様ですね」
やっぱりか。
黒緑色のワカメ頭のひょろりとした男が、通りを歩く人々の注目を浴びながら、満面の笑顔で手を振って走ってくる。光を反射する白い歯がイラっとする。全力で他人の振りがしたい。してもいいだろうか。
「宵月君! こんなところまで来てまだお勉強──ぐほおっ」
俺は【ボディブロー】を放った。攻撃判定はない。ジェスチャーだ。綺麗に決まった。ワカメ頭が地面に沈む。
「スティング。大通りで、俺の名前を、連呼するな」
「ひ、ひどいよ宵月君……」
「スティング様。今まで何処に行ってらっしゃったんです?」
スーツの埃を払いながら、スティングがぶつぶつ文句をいいながら立ち上がる。
「俺ー? 昼寝してー、ぶらぶらしてー、女の子達にナンパされてー、一緒にご飯食べてた」
「なあ、殴っていい? 殴っていいか? 殴っても良いよな?」
「はい。殴っても宜しいかと存じます」
「よ、宵月君……ロージーちゃん……笑顔が怖い……」
ロージーが微笑みを浮かべながら手を鳴らした。スティングが俺たちから2歩ほど離れた。まったく。
「俺は調べ物だ」
「調べ物?」
「3冊の魔導書について。ロッソが、聞くよりも実際に自分で調べてみたほうがいいだろうって」
「ふうん?」
「そういうわけだから……」
「これにて失礼致します」
俺たちは門に足を向けた。
スティングが後ろをついてくる。まさかついてくる気か。
「じゃあ、俺も行こーと。なんか面白そうだしー」
「あのな。面白くないと思うぞお前には」
「宵月君と行ったら、なんか新しい発見があるかもしれない!」
「ああもう、大きな声だすな! 静かにしてろよ!」
「宵月様! ご安心下さい! スティング様が騒いだら、ロージーが責任を持って沈めますから!」
ロージーが腕を鳴らした。
「ろ、ロージーちゃん……静めます、の間違いだよね……?」
「同じ事です」
「ち、違うううう! 大きく違うよおおお!」
騒ぐ二人から視線を外し、門番を見ると、刺し殺しそうな視線を目が合った。
慌てて目をそらす。
不安だ。
とてつもなく不安だ。
俺1人で来たほうが、もしかしてよかったんじゃないだろうか。
俺は、まだ言い合っている二人を見て、大きく溜め息をついた。
さすが、王立図書館というだけあって、床から天井まで埋め尽くすほどの書架が立ち並んでいた。
中央には、受付カウンターがあり、三階まで吹き抜けとなっている。
本の保存のため、照明はそんなに明るくはない。
見渡す限りの、本。本。本。
中央からは放射線状に通路がのびており、書棚が奥の方まで並んでいる。
1体どのくらいの蔵書があるのだろうか。
恐ろしい数だろうというのだけは、分かる。
受付の円形カウンターには、眼鏡美人な司書のお姉さんが5人、事務作業を黙々としていた。
「あの、すみません」
「はい。なんでしょう?」
お姉さんが顔を上げて、小首をかしげた。書類にペンを走らせながら。すげえ。ブラインドタッチならぬ、ブラインド筆記だ。ここにもプロがいる。
「本を探しているんですけど」
「はい。どのような本をお探しですか?」
「魔導書に関する本を探しています」
「わかりました。検索のキーワードをお教え下さい」
司書のお姉さんが、机の上の、ディスプレイのような石版を叩いた。文字が走る。検索画面のようだ。
「キーワードは、【魂魄の書】、【炎躯の書】、【暝闇の書】。白、赤、黒の魔導書。神が創りし3つの試練の塔。天への赤き塔。天への白き塔。天への黒き塔。とりあえず、このどれかに引っかかる本は、どこにありますか?」
「少々お待ち下さいませ」
お姉さんが、キーボードの様なものを物凄い早さで叩き始めた。画面に流れるように文字が書き込まれている。
お姉さんがエンターを押す。
画面は、真っ黒だった。
お姉さんが、うむむう、と眉根を寄せて唸った。
「どうしました?」
「……申し訳ございません。お客様がおっしゃったキーワードに引っかかる本が、当図書館には一冊も存在しないようです」
「一冊も?」
「はい」
ロージーとスティングが、横から身を乗り出した。
「一冊もないんですか?」
「一冊もないの〜?」
「は、はい。こんなことは、初めてです。当図書館は、見つからぬ本などないと言われるくらいの、東大陸一の蔵書量を誇っております。お探しの本が1冊もない、なんてことは、私の記憶の中では、初めてです」
成程。
やっぱり、表には置いてないのか。
俺は鞄を漁って、銀色の腕輪を取り出した。
ロッソから借りた、サンクティ皇国騎士団の紋章入りの腕輪だ。
「では、最奥の書庫で、探してくれませんか?」
腕輪を見せる。
紋章を見るなり、お姉さんの顔が強ばった。
「ロッソ、という名前を伝えていただければ、分かるかと思うのですが。それか、俺も騎士団のシーリアス、という方に面識があります。俺の名前は、宵月、と言います」
俺は金色のバッチとり出し、お姉さんに差し出した。
バッジには、十字と太陽と花と尾の長い鳥を組み合わせた、上品な紋章。
お姉さんが、強ばった表情のまま、何度も頷いた。
「わ、わかりました。図書館長をお呼び致しますので、もうしばらくお待ち下さい」
司書のお姉さんは、隣のお姉さんに小声で何かを伝えた。隣のお姉さんも強ばった表情で頷き、席を立つと、廊下を小走りに歩いて行った。
「宵月様? 何をなさるおつもりですか?」
「多分、俺たちが探してる本は、表には置いてない。予想通りだった。だから、最奥の書庫で探してもらう」
「最奥の書庫、ですか?」
「そう。──表に出してはいけない本を収めてる場所」
10分ほど待たされて、奥からやや背の曲がった仙人のような風貌の老人が現れた。
真っ白な眉毛と鼻髭と顎髭で、顔がよく見得ない。
白い上位をきているので、余計にそうみえる。あとは杖を持って雲に乗ったら完璧だ。
「……ほおほお。サンクティ皇国騎士団の関係者の方ですか」
「はい。シーリアスという女性騎士と面識があります。確認をとって頂いても構いません」
「いえ、確認はとらせていただきました」
じいさん、仕事早え!
「奥書庫の閲覧を許可いたします。こちらへどうぞ」
仙人図書館長の後について、俺たちは地下4階へ移動した。
奥の書庫は、古書独特の乾いた香りがした。
光の魔法設備が整っているのか、天井の明かりが仄かに灯る。光は本にとって毒なので、あんまり明るくはない。其処此処に薄暗い闇が凝っている。
「……さて。お客様。どのような御本をお探しで?」
「白赤黒3冊の魔導書に関するものを」
「ほおほお。了解致しました」
仙人……ちがった、図書館長は静かに奥の闇に消えると、数分後、音もなく現れた。
机の上に、一冊の古びた本を置く。
恐ろしく古い本だった。
表紙の装丁は元々は赤かったのだろうが、色あせて土色に変色してしまっている。触れたらぼろぼろとはがれ落ちそうだ。
「……1000年前の、ショージという大賢者が記したといわれている伝記です。強力な呪いの魔術が掛かっている為、最奥書庫にて保管されておりました」
「せ、1000年前!?」
三人同時にハモってしまった。ついでに顔も見合わせる。どういうことだ。
「強力な呪い……?」
「ひええ。読んだら最後、呪いにかかっちゃうとか?」
「いえ。廃棄したり、破損しようとすると、発動する呪いです。ですので、くれぐれも破ったりされませんようお願い致します」
怖ええ。
と、とにかく読んでみよう。
ページの端は風化して、下手に扱うと崩れそうだ。
俺は恐る恐るページをめくった。
[──私はショージ。職業は大賢者。
この本を妄想の伝記だと感じた者は、即刻閉じよ。
この本には術をかけてある。
狂人の書として焼く愚か者は、恐ろしい呪いを身に受けるだろう。
この本は、真実を記したものである。
私を信じられる者だけ、読み進めて欲しい。
私はこの書を、次代の冒険者に伝える為に記すことにした。
もし志を同じくし、この本を手に取る者がいたのなら、皆に伝えて欲しい。
そして、私たちのできなかった事を、どうか成し遂げて欲しい──]
[私の本当の名前は、夏宮庄司。
黒本と呼ばれる【暝闇の書】の所持者だ。
白本【魂魄の書】の所持者は、トゥインクル。職業は大司祭。本名はシェリー・ウェント。
赤本【炎躯の書】の所持者は、ゼット。職業は狩人。本名は徳田真。
皆、グラナシエールの創世β版プレイヤーだ]
[我々は偶然にも3冊の魔導書をそれぞれ持ち寄り、オラクルが起動したことを確認した]
[神と名乗る者に、集めた褒美に1つだけ願いを叶えてやろう、と言われた。
我々は願った。
皆を元の世界に帰して欲しい、と。
神は願いを叶えた。
確かに叶えた。
だが──]
[我々は、また、此処に連れ戻されてしまった。
我々は、再度オラクルを起動しようと試みたが、だめだった。
3冊の魔導書が揃って初めて起動する項目だったようだ。
3冊の魔導書は、今となってはもう、我々の手にはない。
願いを叶えると同時に、どこかへ消えうせてしまった。
この世界の何処をさがしても、《天への塔》は見つけ出せなかった。
いや。
我々は、その事実を避けるように誰も口にしなかったが、本当は、誰もが感じていた。
《天への塔》は。
私たちの世界の、【グラナシエールの創世】というゲームの中にしか、存在しないのかもしれないと──]
[次代の冒険者よ。
神の試練は、塔の最上階へ辿り着いて終わりなのではない。
三冊が揃って初めて、試練を受ける資格を得るということなのだ。
願い事をする時は、よく考えて唱えること。
願いを叶えるに値するか、そこで最後の判定が下ることになる。
言葉という神の叡知の一部を得た我々が、叡知を得るに値するのかを。
よって、よく考えて、決断せよ。
神との言質の取り合いに自信がないのなら、唱えるのを止める事もまた、1つの選択だろう。
3冊の書は、《神の領域》と繋がっている。
よって、そこから情報を引き出す事も可能だ。
但し。
これは大変危険な方法である。
よく考えて利用し、自分が壊れぬよう注意して情報を引き出すこと。
でなくば。
私のように、齢22年で壊れることになろう──]
俺は額の冷や汗を拭った。
なんだ、これ。
ロージーが、小声で尋ねてきた。
「……グラナシエールの創世β版というのは──私たちが参加させていただいていたゲームの、プロトタイプですよね?」
俺は頷いた。
β版も、10年ほどサービスが続いていた。
ただ、β版は正規版サービス前の検証的なものだったので、誰でも参加できる訳ではなく、抽選で選ばれた人しか参加できなかった。
「うん。俺たちは正規版からの参加者。β版の世界から、1000年後の世界。それが正規版として配信された」
スティングが頭の後ろで手を組んで髪をかき混ぜた。
「あーもー。だめだめー、俺様そういうの超苦手ー。じゃあ、結局どーゆーこと? この庄司って奴は1000年前の人?」
「あのな。んなわけないだろ。β版のプレイヤーだ。ここの時間軸と俺たちの世界の時間軸は違う。むこうでは俺たちと同じ時間と時代を生きてても、こちらに連れて来られた時間と時代が違う、ということだ」
「ふーん。ナルホド〜」
相づちが適当すぎる。分かってないな、こいつ。
ロージーが、胸の前で手祈るようにを組んだ。
「じゃあ、この方達は──」
俺は言葉に詰まった。
1000年前。
そこから普通に、この世界で暮らさねばならなくなったとしたら。
この、ゲームとそっくりな疑似世界には、寿命が存在する。
ユートも、そう言っていた。
長く生きても、人族で100年。
レタスの種族である、最長命のエルファーシでさえ300年だ。
「もー流石に生きてないねえ」
「スティング!」
スティングは肩をすくめてみせた。
ロージーを見ると、瞳が泣きそうに揺らいでいた。俺は震えるロージーの肩を軽く叩いた。
「庄司さんって、いい人だな。こうして、俺たちに情報を残してくれたんだ。感謝して、活用させてもらおう」
俺たちには、もう1000年前の彼らに、手を差し伸べてあげることはできない。なら、意思を継いでやることが、せめてもの、俺たちにしてあげられること。
ロージーは目元の涙を拭って、微笑んだ。
「宵月様……。はい。そうですね。ロージー、頑張ります!」
「お爺さん……じゃなかった、館長。この本、持ち出しできますか?」
「申し訳ないですが、この書庫にある本は、全て門外不出ですので」
予想通りの返答が返ってきた。
「わかりました。では──内容を写し取って帰ることは、可能ですか?」
「写し取る?」
「はい。この本の内容を、どうしても、一言一句、覚えておきたいんです」
「ほう?」
仙人館長が、白いヒゲをひとなでした。
「お願いします。この本を読まれたことがあるのなら、貴方には、虚言と妄想ばかりの、意味不明な言葉の羅列だったはずです。ですが、これは、俺にとっては、ものすごく意味のある言葉の羅列なんです」
「貴方には、意味のある内容と?」
「はい」
「ふむ。確かに、その本の内容は意味不明でした。狂人の妄想が綴られた呪いの本。けれど、貴方がその狂人の本に価値を見いだしたと言われるのなら──本も喜ぶことでしょう」
館長は、白いヒゲを揺らして笑った。
「いいでしょう。凶悪な呪いさえ付いてなければ、破棄されるであろう本ですからな」
「館長……」
許可を貰ったので、白紙の魔導書にコピーを取らせてもらう事にした。
高レベルの魔道士系なら、誰もが持ってる【魔導書複製】スキルだ。
複製できない魔導書もあるけど。【暝闇の書】のようなイベントで取得できる特殊な魔導書や、そして【アルグリフィの魔導書】みたいな、高レベル魔導書などは、やっぱり複製は出来ない。
使いどころとしては、中レベル魔導書を複製して売る、くらいだろう。
ショージの本は、複製できた。もしかしたら、後から来る冒険者の為に、複製できるようにしておいてくれたのかもしれない。
破棄されないように強力な呪いだけはかけて。
コピー後、本を仙人……いや、図書館長に返した。白紙の魔導書と、スキルを持っていてよかった。
「面白い魔術をお持ちですなあ」
「いえ、技能スキルです」
「成程」
図書館長は、ほおほおと笑った。
「では、もうよろしいでしょうかな。遙か遠き異国の、冒険者様方」
館長を見ると、面白そうに目が煌めいている。気がした。
遙か遠き異国の、とわざわざ付ける当り。
仙人館長、恐るべし。
この爺さん、どこまで気づいて、分かっているのだろうか。
「不思議な異国のお話を、ゆっくり聞かせていただきたい所ですが」
「申し訳ございません。先を急いでおりますので」
「そうですか。残念ですなあ。では、またこちらに立ち寄られた時にでも。美味しいお茶と菓子をご用意して、お待ちしておりますので。是非お立ち寄りください」
ほおほお、と爺さんが笑う。
「はい。機会がありましたら。では。ありがとうございました」
俺はにっこりと微笑んで、丁寧にお辞儀をした。
図書館の外に出ると、もう夕暮れ時だった。
空が、東の端から少しずつ、藍色に染まってきている。
行き交う人の顔も、輪郭がぼんやりとして見える。
こういうの、逢う魔が時っていうんだっけ。
人も疎らで。
「──宵月様。つけられてるようです」
ロージーが、前を向いたまま小さい声で言った。
「え!?」