011
スターリィコーストを出発して、街道を走る定期馬車に乗ること1日。
翌日の早朝。
朝のすがすがしい空気の中。
木立が生い茂る、峠の入り口に到着した。
脇の草むらには、
【竜の通り道】
と書かれた、古びた標識が若干斜め気味に突き刺さっている。
この峠を越えれば、東大陸の中央エリアだ。
まだまだ駆け出しの魔道士時代──西エリアに行く前に、この辺りでよくレベル上げをした。
【ワイルドブラックゴート】という山羊の突撃に何度もあって、よく死んだなあ。
山羊のくせになんであんなに強いんだ。あいつは悪魔の化身だ。黒いし。
行動の読めない、あの無表情な横一文字の瞳孔。いつ突撃してくるかもわからない恐怖。
でも経験値がそこそこ入るから、びくびくしながら山の中を探して回ってた。
大きな岩がごろごろしている山道を登る。
目の前には、山の頂上が見えている。
あそこへ辿り着ければ、あとは下るだけだ。
綿飴を適当に千切って投げたような雲が、地表すれすれを流れていく。
空は穏やかな青。
小さな高山植物の花が、あちらこちらに咲いている。
レフとライが道端の変わった色の花を見つけては、楽しそうに駆けていく。
のどかだ。
ハイキング日和だ。
さて、弁当をどこで広げようか。
本日は豪華5段重弁当です。超特急で作りました。下は野菜料理から始まり、具入りおにぎり、肉料理、果てはデザートまで。しかもスープ付き。食べると各種ステータスアップ、全属性耐性アップ、そしてなによりHP40%アップします。俺の、HPが、4000越えるよ! 一時的にだけど!
それにしても。
「……出ないな」
ここに来るまで、竜の影さえ見ていない。
「いんやー。問題の場所は、もうすぐですから」
隊列の最後尾を歩いているスティングが、頭の後ろで手を組みながら言った。
俺の前をちょろちょろしていた双子が立ち止まった。鼻を上にむけて、すんすんと嗅いでいる。
「どうした?」
「「血のにおい、する」」
「血?」
地面すれすれを漂う雲の向こうに、目を凝らす。
大きな岩の側に、人影が見えた。
人!?
走って近寄ってみると、岩の影に隠れるように、女性が倒れていた。
右腕と左足はもがれ、おびただしい血が周囲を濡らしている。
ジェイスが抱き起こす。
赤い短めのマントを付け、詰め襟の礼装に身を包み、レイピアが脇に落ちているところをみると、騎士のようだ。長いプラチナブロンドは、べっとりと赤く染まっている。肩から胸にかけての裂傷も酷い。
呼吸が浅い。早く回復しなければ、間に合わない。
「だ、大丈夫ですか!」
女性が苦しそうに呻き、薄く目を開けた。
「助け……。竜……が……2体……もいる、なんて……聞いてな……」
「今、助けますから」
俺は詳細不明な皮でできた表紙の魔導書をとりだした。
【アルグリフィの研究書】。
理を解し者専用武器。
上位元素を研究しすぎて発狂した研究者の本。
死したのちも、研究意欲に燃えており、本に取り憑いて、自身の研究の続きをしてくれる者を待っているという。
表装の皮は、アルグリフィ本人の皮だと──
いや、止めよう。これ以上は怖いから。触われなくなるから。
俺は魔導書を手に持ち、回復の魔法スキルを女性にかけるべく、構えた。とにかく、まずはHPを回復しなければ。
「我、アイテールを通して、天の元素に干渉──」
「宵月君ー。もう、止めといたほうがいいって」
スティングがやってきて、上から女性を覗き込んだ。
「この人を回復しても、利き腕やられてるから、戦えないよ。これから、対2枚羽竜戦が控えてんだからさ、MPは温存しといたほうがいいって絶対」
女性が目を見開いた。スティングを視界に収めて、怒りの形相に変わる。
「きさま……! 助けを呼びに、戻ったのじゃなかったのか……! お前が、早く戻らない所為で、騎士団の皆は……!」
「あらら死んじゃった? 全滅? ごめんねー。早く戻ろうとは思ってたんだけど
なー間に合わなかったかー」
「なにを……!」
スティングが笑う。本気じゃないのがみえみえの、軽い笑み。
「【アイテールの補填】」
女性が淡い光に包まれる。HPが全快した。
「右腕と左足はどこですか?」
あれば、【完全なる元素組成修復】でくっつけることが可能だ。すでにジェイスで実証済みである。
女性が俯いた。
「……喰われてしまった」
「そうですか……」
じゃあ、この女性は……
「大丈夫だ。街に戻って、《魔導医術院》に連れて行けば、失った手足は再生してもらえるだろう」
ジェイスが岩壁に女性をもたれさせながら、言った。そうか。よかった。そんな方法があるなんて知らなかった。魔導医術院か。覚えておこう。
「但し、莫大なお金がかかるけどねー」
「スティング!」
スティングがやれやれと大げさに肩をすくめる。しょうがないな、とでも言いたげに、口角を上げた。
「宵月君は優しいからねー。まあまあ、どうせゲームのNPCなんだから。そう難しく考えずに、さ。いちいち気にしてたらキリがないよー?」
NPC?
「なに言ってんだ! そんな事……だって、みんな、悩んだり、迷ったり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、してるだろ!」
「AI、すごいよねえ」
「AIじゃないだろ!」
「だって、これはゲームじゃないか」
「ゲームじゃ……!」
ない、とは、続けられなかった。
だって、ゲームじゃなかったら……ここは何だ。
現実だとも、非現実だともいえない、この歪な感じ。
なんだろう。考えると、気持ち悪くなる。
どこか、不完全な世界。
ベータ版的な感じが漂う、疑似世界。
まるで。
手探りで、創りたての世界を試行錯誤しているような──
ばさり、と大きな羽音が上空から聞こえた。
見上げる。
天頂に太陽があった。丁度正午だ。目を細めてみると、その中に2体の影。
「「竜、来る!」」
「──くるぞ! 離れろ!」
直滑降に降りてくる、2枚の羽を持つ水色の身体。
ジェイスの指示に、我に返った俺は慌てて飛び退いた。
俺たちがいた場所に、土煙があがる。
そこには、体長3メートルはありそうな、飛竜が1体、着地していた。
凄まじい衝撃と風圧が襲い、吹き飛ばされそうになりながらも何とか耐える。
岩が崩れ、石と土が舞い上がった。
「でかい……」
2枚羽の竜は、想像以上に、間近で見ると大きかった。
見上げるほどの大きさに、一瞬息を飲む。
くすんだ水色の鱗と、縦に割れた瞳。
爬虫類系独特の、毛の無い翼。
鼻筋の長い顔。
長い首。
大きく翼をひろげた姿は、5メートル以上はある。
なんてことだ!
大変な事態が起こってしまった……
「大変だ……!」
「どうした!?」
「お昼の弁当、食ってない……!」
ジェイスが少しよろけた。
「……お前な。後で、食え!」
「後じゃ意味ないだろ! くそ! 強化魔法かける!」
唱え終わると、光が全員に降り注ぐ。
俺は竜の色を確認した。
水色。風属性の竜だ。
風は無効。
竜が羽を広げて咆哮を上げた。羽を広げたら5、6メートルはある。
1体が、大きな爪を広げて浮上し、滑空してきた。
ジェイスが重剣で受け止める。竜の爪と重剣が擦れて軋む。力が拮抗している為、外から見れば、まるで静止しているかのように見えた。
「なあ!? ちょっと、2枚羽竜を、重剣で止めるって……なにそれ、ありえねえー! 宵月君、あの人、何者?」
「無駄口叩いてないで、今のうちに攻撃しろ! レフ、ライ、羽狙え!」
「羽!」
「狙う!」
強化された矢は竜の羽を突き抜けた。
無数の穴が羽に開いていく。竜はジェイスから一旦離れ、羽ばたきを数回繰り返す。穴の開いた羽は風を通すばかりで、身体を浮き上がらせない。飛べないと気づいた竜は、猛然と地を蹴って走ってきた。
「ジェイス!」
「俺は大丈夫だ! それより、もう1体がそっちへ行った!」
上空を旋回していた残りの1体が、こちらへ向かって滑空してきた。
丁度俺たちを挟み撃ちにする形で。
「わかった。レフ、ライ、ジェイスに向かってくる奴の足狙え!」
「レフ、足、狙う!」
「ライ、足、狙う!」
俺はジェイスたちに背を向けて、滑空してくる竜を見据えた。
「我、アイテールを通して、天の元素に干渉」
魔導書の上で、正12面体が回る。
「光を集積し、数多の槍と成し降り注がん──【流星槍】」
無数の光の筋が、上空から降り注いだ。降り注ぐ光の槍は竜の身体を切り裂き、羽に次々と穴が開いていく。
しかし、スピードは落ちたものの、滑空は止まらなかった。
「あ、あれ?」
なんでだ。
2枚羽竜なら、これで落ちてたはずなのに。
視界に魔導書が映る。
俺は気づいた。
「魔導書、いつものじゃなかったんだった──!」
黒本は見せないほうがいいと言われて、持ち替えたんだった!
魔法スキルの威力が、黒本【暝闇の書】脅威のプラス50パーセント補正から、プラス30に落ちてるのを忘れていた。
やばい。これはやばい。
次の詠唱が間に合うか。
「我、──」
「宵月君、ちょっと動かないでね」
いつのまにか、俺の斜め後ろにスティングが立っていた。赤フチメガネをかけ、ロングバレル化したマシンピストルを構えている。
スティング愛用の赤フチメガネは、実は高性能なズーム機能を備えたスコープだ。そしてスティング本人の、撃ち抜く正確無比な技術。【赤眼鏡のスナイパー】の通り名は、伊達ではない。
ただ、本人はこの通り名は好きではないらしい。もっとオシャレで格好良いのがいい!とは本人談だ。赤い弾丸のラブハート☆ゲッター、とかが良いらしい。すまん、俺にはお前の趣味が全く理解できない。
2発の銃声。
それは竜の両目にクリティカルヒットし、バランスを崩した竜は、地面に墜落した。
「宵月君、とどめ」
俺は慌ててもう一度【流星槍】を唱えた。
1体が戦闘不能になったのを確認し、ジェイスの方へ走る。
そこには、全身血に濡れたジェイスと、首を飛ばされた竜が倒れていた。
俺は悲鳴を上げ、スティングは赤フチメガネを頭に戻し、口笛を吹いた。
「いやー、お兄さんすごいね! 1人で倒しちゃったんだ」
俺は急いでジェイスに駆けよった。お前、全身血まみれで、よく平然と立ってられるな。夢にみたらどうしてくれる。
「だ、だだだ大丈夫か? 今すぐ回復を……」
「いや、必要ない。全部、返り血だ」
べったりとジェイスの全身を濡らしている、血。
地面に滴り落ちる液体を見て、俺はぞっとして、血の気が引いた。
俺たちには、死に戻りがあるけど、ジェイス達には、ない。
だから、死んだら、そこで終わりなのだ。
もし、さっき飛竜を倒せずに、ジェイス達が死ぬような怪我を負ってしまっていたら──
俺は浮かびかけた最悪の展開を振り払うべく、頭を振った。
「……宵月?」
「な、なんでもない。竜の爪とか、早く回収しとこう」
あの魔道士の少女の言葉が、思い出される。
あなた達と違って、私たちにやり直しはないのよ、と。
それはつまり──
──ジェイスたちにも、やり直しはないのだ。
* * *
日が暮れかける中、俺たちは下り坂の山道を急いだ。
スターリィコーストにも【魔導医術院】はあるらしいが、ここまで来たら、行くも戻るも同じくらいの距離だ。
それなら山を降りて定期馬車に乗り、次の街ウェイフェア・パレスへ行ったほうがいい。
女性騎士も目的地はウェイフェア・パレスらしく、できれば先を急ぎたいと言うので、俺たちは進む事にした。
ジェイスに背負われ、女性騎士はしきりに恐縮しまくっていた。
「本当に、申し訳ない。命を救ってもらった上、運んでもらうなど……」
「まあまあ。人の親切は感謝して受け取っときなさいよー」
女性騎士は首だけめいっぱい巡らし、最後尾にいるスティングを睨んだ。
「お前には感謝などしない!」
「えーなんでー? ちゃんと戻ってきてあげたじゃないのー」
「遅過ぎだ! 腕の立つ冒険者を連れて来る、といって隊列を抜けて、3日が過ぎた……お前がもっと急いで冒険者を呼んできていれば、ガロ隊長、ライサー、コリウスは……!」
女性騎士が悔しげに唇を噛んだ。
3日持ちこたえるのは、確かに無理だろう。
「スティング……」
スティングが、やれやれと肩をすくめた。
「だって、しょうがないでしょ。全滅するのが分かり切った状況で、仲良く死にましょうなんて、バカみたいじゃん? なら、可能性にかけてみてもいいんじゃないかな〜って思って」
「貴様、何が可能性だ! 見捨てたも同然じゃないか!」
「え〜無茶言うなあ。俺、これでも結構急いだのよ? 街から街へ移動する【転移門】もなくなってるから、足と馬車でさあ」
スティングは額に手を当てて首を振り、大げさに溜め息を付いた。
【転移門】
一度訪れた街や国で、【通行許可証】を3000シェルで購入すれば、自由に行き来できるようになる。
この世界には、それもなくなっていた。
お陰様で、どこへ行くにも自力でいかなければいけなくなってしまった。
スティングは確かに急いだのだろう。
でも、全滅目前の依頼者たちをさっさと置いていくのもどうかとは思うが。
こいつ、妙にスーパードライな所あるからな。
「何をぬけぬけと……!」
「それにさあ。冒険者を俺1人しか雇わなかったのは、おたくらでしょ? 『竜がいるという話を恐れて、無法者の力を借りるなど騎士の名折れだ!』とか何とか言っちゃって。俺は最初に聞いたよね? 2枚羽の竜は強いけど、おたくら自信あるの?って。そしたら胸張って、『もちろんだ! 竜如き、私の剣にかかれば恐るるに足らず! 貴様は竜の情報だけ我らに提供すればいいのだ!』って言ってたよね? 隊長さんが」
女性騎士が言葉に詰まる。
「私と、コリウスは進言したのだ! 我々は、竜と直接戦闘をしたことがない。だから、無事、書簡を届ける為にも、竜討伐の経験がある冒険者を数人雇ったほうがいい、と……」
「説得できなかったんだから、無意味だよねー」
「貴様!」
こいつら、山降りるまで延々と喧嘩する気か。
「はい、そこまで。背中で喧嘩しない。スティングも煽るな」
「「喧嘩、ダメ! よくない!」」
「あ。も、申し訳ない!」
「へーへー」
女性騎士が赤くなって小さくなった。スティングは素知らぬ顔だ。まったく。
「それに、呑気に弁当作ってた俺も悪いしな」
「そ、それは! こいつが話してなかったから、仕方のない事だ! 貴殿のせいではない」
「うんうん。そうそう」
「貴様は、口を開くな! いらいらする!」
「ああもう。いい加減にしろ!」