010
西大陸を出港して、30日目。
一度はムンク顔の巨大魚に襲われたものの、その後は特に何事もなく。
東大陸のスターリィコースト港に到着した。
タラップを降りる。
青い空と、日差しが眩しい。
古巣に、ホームグラウンドに、ようやく到着した。
長かった……
走馬灯のように今までの苦労が脳裏をよぎり、俺は目頭を押さえた。
タラップの下では、マゼンダとセオが待っていた。
降りてきた冒険者パーティに、【依頼達成通知書】を渡している。
これを冒険者協会に持っていくと、報酬金や報酬アイテムと交換してくれるのだ。
「【蒼銀の風】のみんなも、お疲れ様! ありがとう、すごく助かったわ! これで往路の護衛任務は完了よ」
マゼンダから、ジェイスが【依頼達成通知書】を受け取った。
「本当に助かったわ。できれば、復路の護衛も是非お願いしたいところだけど。1ヶ月後に、今度は【西大陸までの護衛】を依頼掲示板に貼り出しとくから、よければお願いね!」
「ああ。またよろしくな!」
俺たちはマゼンダに手を振って、別れた。
* * *
スターリィ・コースト。
煌めく星々をちりばめたような美しい海岸線。
桟橋を降りると、そこはまるで水上に浮いた街。
水路が至る所に流れ、木々や花々が茂り、水鳥がいたるところで遊んでいます。
そう、そこはまるでいつかの映画で見た、美しき水の都を思い出させる風景でした。
水路にはあちこちに橋が架かっており、橋の下を、色とりどりの小舟が行き交っています。
小舟には荷物を運ぶ商人を始め、買い物にいく夫人、船遊びを楽しむ貴族の子息子女、等々、様々な人々が利用しています。
そして。
見た記憶もない優雅な街並み。
そして、俺の知らない街です。
何故だ。
旅慣れた東大陸のはずなのに。
俺は立ち止まり、呆然と、360度、街並みを眺めた。
「……こんな街、あの時はなかった……」
かつて遊んでいた東大陸・西エリアのこの場所には、こんなに大きな街はなかった。
あったのは、小さな漁船や商船が寄港する、のんびりした港町。
そんな小さな港町から、こんな大きな港街へ設定変更って、どういう事だ。
新規追加なのか? それとも、こちらがオリジナルなのか?
「──おーい! おーい! そこの人おおおおお! 待ってよ〜!」
何だ。
軽いというか、気が抜ける印象を与える、男の声が聞こえた。
人込みの中、誰かが恥ずかしげもなく大声で誰かを呼んでいる。
呼ばれた奴は恥ずかしいだろうな。
「ちょっと〜! 待ってったらああ〜! そこの、青い人おおお!」
青い人?
俺も含めた通行人たちが首を巡らした。
おい。知り合いなら早く答えてやれよ。それとも恥ずかしいのか。そうだろうな。恥ずかしかろう。俺だったら全力で他人の振りする。
「違う違ーう! そこの青いお兄さんだってば〜!」
青いお兄さん。
なんだか一斉に皆の視線が俺に向かってきた。
え。なに。嫌すぎる。まさか。違うと思いたいけど──
「……俺?」
思わず呟いて、立ち止まってしまった。しまった。
「そうそーう!」
背後から、誰かが慌ただしく駆けてくる。
振り返りたくなかったが振り返ってみると、人ごみから若干抜きんでた、黒緑色のもじゃもじゃした頭が近づいてくるのが見えた。
高く上げた両腕が左右にゆらゆら揺れている。なんだか全体的にとてもワカメっぽい。
人の流れから押し出されるように現れたのは、ひょろりと背の高い男だった。
塵よりも軽そうな雰囲気の男だった。
ワカメ頭に赤フチメガネをのせ、黒いスラックスに大きすぎるバックルのベルト、ピンクのシャツに黒いネクタイをだらしなく締めている。
男が嬉しそうに両手を何度も叩く。やめろ、恥ずかしい。
「ああ〜! やっぱり! 宵月君だ〜! あっれえ? でもなんか、ちょっと幼くなってない? 背も縮んじゃって、なんか高校生みた──へぶあ!」
俺は思わず【足払い】をかけてしまった。
これは【体術】スキルではなく、ジェスチャーだ。ダメージはない。リアル精神にダメージは受けるかもしれない。
ワカメ頭が地面に沈んだ。
ああ、そうだよ。キャラ作成時、顔を30歳くらいにして、背も40センチ程高く設定したさ。
「悪かったな童顔で! なんでか、俺だけ、ほぼリアルのデフォルトになってんだよ」
「あらら〜。しかし、こんなところで【ヘンプティ先生】に会えるなんて──ぐほっ!」
俺はワカメ男の腹に【ボディーブロー】を決めた。 ジェスチャーだ。
「その名を、呼ぶな。そして広めるな」
「ヘンプティ先生?」
ジェイスが尋ねてきた。俺が無言で返答を拒否していると、なにか思い当たったのか、片眉を上げた。
「ああ、HPがエンプティってことか」
思い当たらないでほしかった。
「エンプティ?」
「ヘンプティ?」
双子が跳ねる。
「やめろおおお、覚えなくていいから! 忘れるんだ!」
「あっれ〜? 可愛いねえ! 双子の犬っ子? 宵月君、子供できちゃったの──ぶふお!」
俺は【回し蹴り】をかけた。ワカメ頭が再び地面に沈む。
「そんなわけあるか」
「知り合いか?」
「不本意だが」
「不本意って……ひどいなあ」
ワカメ男が立ち上がって、シャツの埃を払った。
「宵月君、武闘家でもいけるんじゃないの……? ええと、どちら様?」
俺は痛むこめかみを揉みながら、ジェイスたちを紹介した。
「ふむふむ。【蒼銀の風】ね。俺はスティング。宵月君と同じパーティ【ハイジンクス】にいた、腕利きスナイパーさ。よろしくう☆」
スティングは踵を合わせて敬礼すると、ウインクを飛ばした。
「「よろしくう☆」」
双子がマネして敬礼ウインクした。
「頭、痛え……」
「ところで、宵月君! 君もこちらに連れてこられちゃったんだね〜。いつから?」
「1ヶ月くらい前、かな。お前も──」
「うん。まあね。1年くらいまえからかな?」
1年前。
丁度、スティングがぱったりとログインしなくなった頃だ。
「1年」
「そうよー、まあ1年なんて、あっという間だったけどね☆」
スティングは、あえて軽い言葉で流した。
お互い深刻な顔を突き合わせて落ち込んでも、しょうがない。
普段はふざけた事ばかりする奴だけど、こういうところは、なかなか良い性格だと思う。
ズレた眼鏡を頭に差し直し、スティングは俺の両側に目を走らせた。
「ところでこのイケメンお兄さんと、可愛い犬っ子チビちゃんたちはどうしたの?」
「仲間だ。俺は今、【蒼銀の風】っていうパーティに、入れてもらってるんだ。こいつが、リーダーのジェイス」
ジェイスは不思議な物を見るような目でスティングを見た。
まあ、こいつ基本的に変人だもんな。主に言動と行動が。
「ふむふむ」
「こっちがレフとライ」
「「はい!」」
レフとライが、元気よく手を挙げて返事をした。
「うんうん。可愛いねえ」
「俺様はスティング。腕利きの【スナイパー】さ。よろしくう〜☆」
スティングが腰に片手をあて、ピースサインで瞳を囲い、またもやウインクを飛ばした。
「あああっそんな冷えに冷えきった目で見ないで宵月君! ぞくぞくするから!」
「ぞくぞくすんあああ! この変態!」
話が進まねえ!
「そんなことより、スティング! おまえは今、どうしてるんだよ」
「俺様あ? そりゃあもちろん、日々、帰る方法を探して回ってますよ〜。宵月君は?」
「俺も。これから、ウェイフェア・パレスに行こうと思ってるんだけど。ロッソがいるよな?」
「ああ、おやっさん? いるいる。【魔導書探索本部】にいるよ」
「そうか。喜んじゃいけないけど……ロッソも来てて、よかった」
「うんうん。おやっさん、頼りになるからね〜」
俺たちは頷きあった。
ロッソは、【お宝探し隊】の前に、【ハイジンクス】というパーティに入っていた。そのサブリーダーもしていた男だ。
幸運の【ハイジンクス】。
どんな死地でも必ず最後まで生き残っているから、いつしかそう呼ばれるようになった。
俺とスティングも、2年ほど所属していた。
その頃の俺は、まだ【魔道士】をしていた。
リーダーは【クローバー】。
【魔導学者】で、かなり変わり者の男。
気ままで、のらりくらりとした困ったリーダーだったが、いざという時の指示は恐ろしく的確だった。
突然、海外に隠居しにいく宣言をして、【ハイジンクス】のリーダーを降りた。
ロッソはリーダーを継がなかった為、パーティはそこで解散となってしまった。
俺はスティングを見上げた。
「……【クローバー】は、来てないのかな」
スティングが首の後ろを掻きながら唸った。
「俺様もそう思って、探したんだけど。来てるのか、来てないのか、それすらもまだ分からないんだよねえ」
「そうか……。もし、いるなら、頼りになったんだけどなあ」
「だねえ」
「宵月君、ウェイフェア・パレスに行くんなら、丁度よかったよ。実は、俺もウェイフェア・パレスに帰るところだったんだよね〜。てなわけで、俺様も一緒に行ってもいい? この街からウェイフェア・パレスまでの間に、峠があるでしょ?」
俺は記憶のページをめくる。東大陸の地図は、遊んでいる間にだいぶ覚えた。
「ああ、《竜の通り道》か?」
《竜の通り道》は、山脈を蛇行する竜のような街道のことだ。
「そこに、【2枚羽の竜】がつがいで住み着いちゃってるみたいでさ。ソロでいくにはちょーっと厳しいんだよねー」
「2枚羽……しかも、つがいか」
竜族は、レベルごとに羽が増えていく。
人語が解せるのは、4枚羽からだ。
それ以下は、言葉も持たず、生きているものは全て食糧とみなす……モンスターに近い。
ただ、2枚羽だからといって、弱い訳ではない。
レベル40以上の冒険者のパーティで、息も絶え絶えに一体倒せるくらいなのだ。
「まあ、迂回路がないわけじゃないけどさー。2日でいけるところが、15日もかかっちゃうだろ。どうしようかなーって思ってたところに、宵月君。これはもう一緒にいくっきゃないでしょ! 宵月君と俺なら、強行突破できる!」
「いや、つがいは二人だと流石にキツイだろ。ていうか、お前、1人なのか?」
「んー? まあ、今はね。てことで、パーティに入れてくんない?」
スティングが手を合わせて拝む。
「いや、俺に拝まれても……」
パーティリーダーは、ジェイスだ。
それに、ウェイフェア・パレスに用があるのは俺だけ。
てことは、まてよ。
ここでパーティ解消、ということもありえるんじゃないか?
どうする、俺。いや、別にここまで来たら、1人でもいける気はするけど……
顎に手を当てて思案していたジェイスが、俺とスティングの視線に気づいて顔を上げた。
「俺も行こう」
「え、いいのか?」
「ああ。ここまできたら、俺もウェイフェア・パレスを見てみたい」
「「見たい!」」
「チビ共も、こう言ってるしな」
ジェイスが笑う。
俺はほっと胸をなで下ろした。
「そ、そうか」
「じゃあ、決まりってことで! ひとつ、よろしくう☆」
スティングが片目をつむった。
「「よろしくう☆」」
「レフ、ライ、真似せんでいいから! 阿呆がうつる!」
「よ、宵月君、ひどい」