赤い瞳
桔音とフィニアはその場を直ぐに移動した。如何にフィニアが強くても、如何に桔音の意識が自身のステータスに追い付いたとはいっても、蜂の大群に襲われれば多勢に無勢。巣が近くにある可能性を捨てきれない以上、この場に留まるのは得策ではないと考えたのだ。
それに桔音としても、蜂の針を防げたからといって先日の狼や大蜘蛛のような相手の攻撃を生身で受け止められるほど防御力が高いとは思えないのだ。正直な所怖いものは怖い、そう何度も攻撃を受けたいとは思わない。
「あとどれくらいかな……」
「うーん、見た感じ最初の1/3くらいじゃないかなっ」
「残り10kmか、そこそこ来たね……このまま行けば夕方頃には着けるかな?」
「死ななければね!」
桔音とフィニアは少しづつ街に近づいていた。フィニアは蜂との戦闘後、かなり魔力を消費したらしく、現在は桔音の肩に座って魔力の回復を図っているようだ。魔力は時間と共に回復するらしく、その回復速度は人それぞれとの事。ちなみにフィニアは二時間もすれば全快出来ると言っていた。
桔音は此処までの道中、ステータスについての確認をしながら歩いていた。
『耐性』のステータスは確かめようが無かったので、『敏捷』や『筋力』のステータス確認の為に軽く走ってみたり、その辺の石を殴ってみたりした。
結果、『体力』と『敏捷』の向上もあって普段よりもちょっと速く、そして長く走れた気がした。石を殴った時は罅が少し入った程度、『耐性』のステータスのおかげか、『痛覚耐性Lv8』のおかげか、殴った拳は全く痛みを感じず、また傷めることもなかった。
「そういえばフィニアちゃん、スキルって何?」
「スキル? うーんとスキルっていうのは所謂……その人の出来ること、かなぁ?」
フィニアは知識を絞り出すように説明する。
この世界において、スキルというものはその人の持つ技能のことだ。
例えば、一般人Aが剣術を学んで一定以上の剣術を身に付けたとしよう。その場合、スキルとして『剣術』を習得する事が出来るのだ。
またスキルにはアクティブスキルとパッシブスキルがある。アクティブスキルはレベルの付いたスキル、パッシブスキルはレベルの付かないスキルだ。
この場合アクティブスキルに付くレベルというのは、そのスキルの熟練度や効果の高さのことだ。このレベルは自身のレベルやどれほど使いこなせるか、ステータスなんかも関与してくるが、上がれば確実に強力なものになる。
例として、フィニアの『火魔法Lv3』を挙げてみよう。
彼女は火魔法が使える、故に『火魔法』のスキルを習得している。そして彼女の高い魔力資質と火魔法を使いこなす技術、そして彼女の戦闘経験を踏まえて、現段階で『Lv3』という評価が付いているのだ。
このアクティブスキルについたレベル―――スキルレベルは、そういったスキル所有者の実力に沿って上がる。
まとめると、その人自身のレベルは、戦闘経験や知識を詰む事で上がり、ステータスも適性やレベルに準じて向上するが、スキルレベルはその人のレベル、ステータス、スキル熟練度、資質等によって向上するということだ。
ちなみにスキルレベルの基準はこうだ。
Lv1:初心者
Lv2:中級者
Lv3:上級者
Lv4:ベテラン級
Lv5:プロ級
Lv6:天才級
Lv7:英雄級
Lv8:勇者級
Lv9:人外級
という9段階だ。この世界において高位の実力者であってもLv7に到達出来る程の才能を持った者はそういない。一般人が死ぬほど努力しても到達出来るのは精々Lv5まで。Lv6以上はそれこそ天賦の才能をもった者だけの領域である。
「ふーん……出来ること、か……」
桔音は考える。スキルレベルの付いているものは出来ること、ということで説明は付くが、『不気味体質』や『不屈』、『威圧』といったスキルは出来ることでは説明がつかない。
「アクティブとパッシブ……なるほど、故意に発動するスキルか、常時発動型のスキルかの違いか」
「あははっ! そういうことで良いと思う!」
とりあえず桔音はスキルレベルについてなんとなく想像が付いたので、基準はまだ良く分からないが、当たらずも遠からずな所に思考を終着させた。
フィニアはスキルはスキルってことでいいや、という感じであまり深く考えないようだ。
「それにしても、『不気味体質』ってなんだよ……これ絶対虐めの原因だよ」
「でもそれどういうスキルなの?」
「知らない、不気味に思えるんじゃない?」
「きつねさん不気味じゃないけどなぁ」
桔音は『不気味体質』と『不屈』、『威圧』という自身のパッシブスキルの効果を知らない。蜂や蜘蛛の時は桔音の知らない内に怯えられていたのだが、桔音はそれを知らないのだ。
また、アクティブスキルである『ステータス鑑定』はスキルレベルが付いていない。これもまだ分からない要素だ。桔音は少し考えてみたものの、分かる筈も無かったので置いておくことにした。
「でもまぁとりあえずあの蜂程度のモンスターなら危険はなさそうだし、今までよりは安全度も上がったかな?」
「でも今のきつねさんの防御力って子供に投げ付けられた小石を防げる程度でしょ? 安全もくそも無いと思うな!」
にぱっと笑いながら、また気落ちしそうなことを言うフィニア。桔音は確かにそうだなぁと思いつつ、草木を掻き分けて歩くのだった。
◇ ◇ ◇
それから休憩交じりに結構歩いた。
疲れてきたが、ここまで魔獣に遭遇せずに来れたことは幸運だ。街までの残り距離は約3km、体力的にも精神的にも大分余裕が出て来る距離だ。なにせ9/10はやってきたということなのだから。
「あとちょっとだね」
「うん! 私の魔力も全快したし! これから幾ら魔獣が出て来ても大丈夫だよ!」
「というか、フィニアちゃんが僕を抱えて飛ぶことが出来ればいいんだけどね」
「悪いねきつねさん! 私の羽は一人用なんだ!」
「まぁ二人抱えるには羽が小さいか」
二人共精神的余裕が出てきた故か、会話も弾む。しかし周囲の警戒は怠らない。ここはまだ森の中、魔獣が出て来てもおかしくはないのだから。
「でもあれだね……お腹空いたね」
「私は食事を取らなくても生きていけるから別に……」
「………この裏切り者め」
「あははっ、酷いやきつねさん! いや……この場合酷いのは私……?」
「ほら行くよー」
「あ! 待ってよきつねさーん!」
空中で腕組みして考え始めるフィニアを置いて、桔音はさくさくと先に歩いて行く。フィニアはそれを追い掛けてひゅーんと飛んで行く。
だが、その瞬間空間に変化が起こった。
桔音の下へ向かおうとするフィニアは、背後からの衝撃で吹っ飛ばされた。
「―――っぇ!?」
「っと……!?」
飛んでくるフィニアを受け止める桔音、だが落ち付いていられたのはそれまで。フィニアを衝撃で押した現象は、それだけに収まらなかった。桔音が振りかえった先、次の瞬間―――桔音の腹の中心を何か鋭く尖ったものが勢いよく突き刺さった。
「ごっ……ふ……!?」
肺から空気が押し出され、その威力に大きく後方へと身体が吹っ飛び、地面に落ちても勢いが収まらず転がった。
「何……?」
どうやら桔音の『耐性』ステータスが幸いしたようで、鋭い何かは桔音の肉に若干突き刺さる程度で桔音に傷を負わせはしなかったようだ。
桔音は腕に力を込めて身体を起こし、自分を吹っ飛ばした相手を見る。すると、自分が先程まで居た場所には、正体不明の何かがいた。
『――――♪―――♡―――』
黒い瘴気の様なぐじゅぐじゅした塊、それが燃え盛る炎の様にそこにいた。そして、その瘴気の中―――赤い瞳が桔音を見ていた。
―――死ぬ
瞬間、桔音の頭の中に死の映像が流れ込んできた。桔音は一瞬で理解する。対峙すれば殺される、戦えば殺される、絶対的に、絶望的に、格が違いすぎる怪物、それを理解した。
心の奥底から悪寒がゾクリと身体を震わした。桔音は眼を見開いて焦るように立ち上がる。そして吹き飛ばされたせいか、足下で気絶しているフィニアを乱暴に掴みあげると、全力で走りだした。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!! 何だアレ……!」
足がもつれる、ステータスが向上したおかげでずっと速くなった足が、今は物凄く遅く感じる。背後から感じる凄まじい威圧感が少しづつ迫っているのが分かる。
怖い、怖い、怖い、死ぬ、このままじゃ死ぬ、桔音は恐怖心に駆られていた。天地が引っくり返っても勝てないと確信していた。
「―――♪―――♡―――♪」
しかも、あの怪物からは殺意が感じられない。あの怪物は桔音を殺そうと思っていないのだ、桔音を殺すようなものだと思っていないのだ、ただ何かを楽しむ様に桔音を追い掛けてくる。そして捕まったら最後、殺しているという実感もなく桔音を殺すだろう。
「なんだ……! 意味分からない……! ……はぁっ……はぁっ……!!」
呼吸が乱れ、体力も無くなって来る。精神がガリガリと削られ、桔音の瞳からは無意識に涙がこぼれていた。
「あぐっ!?」
「―――♪―――」
黒い瘴気の怪物が桔音に飛びかかり、そして桔音の背中を切り裂いた。高い『耐性』ステータスを持つ桔音の防御力は紙の様に破られ、切り裂かれた背中からはだくだくと血が出ていた。
桔音は切り裂かれたはずみで地面に倒れる。
「ぐ………うっ……!」
動こうとすると、中々上手く動かない。『痛覚耐性Lv8』のおかげで痛みはないが、身体は確実に怪我を負っているのだ、動きが阻害されるのは当然だ。
だが桔音はなんとか前のめりの体勢ながらも立ち上がり、ふらふらと逃走を続ける。黒い瘴気の怪物はそんな桔音を見て、瘴気の奥の赤い瞳を細めた。理性はないようだが、桔音に先程までとは別の興味を持ったようだった。
「ぐ………はぁ……はぁ………!」
足を一歩、一歩と前に出す度に背中の傷が痙攣して身体が倒れそうになる。また、進む度に地面に血液が付着して、自分の進んでいる道を教えている様なものだった。
だが、瘴気の怪物はそれ以降桔音を襲って来ない。ふらふらの桔音の速度は遅い、故に瘴気の怪物は既に桔音の隣にまで迫っていた。しかし、どうやら瘴気の怪物は桔音の事を観察している様にうろうろと桔音の周囲を動く。赤い瞳がずっと桔音に視線を送っていた。
「はぁ……はぁ……っ……!」
桔音はそんな怪物に対する恐怖で呼吸が更に荒くなる。気絶しそうなほどの威圧感と次の瞬間には死ぬかもしれないプレッシャー、桔音の精神は既に限界だった。
「く……う、あああああああ!!」
桔音は雄叫びなのか、叫びなのか、大きな声を上げてポケットから折れたナイフの刃の部分を取り出して振るった。だが、瘴気の怪物は軽々とそのナイフを躱す。どころか、桔音の手から奪い取った。
「なっ……!?」
「――――?―――♪―――☆」
しばらくナイフを眺めていた瘴気は、興味が失せた様にそれを投げ捨てた。そしてずいっと桔音の顔を覗き込むように近づいてくる。
「なんなんだ……こんな化け物がいるなんて……聞いてないよ……!」
「―――♪♪♪」
桔音がそう呟くと、怪物は楽しそうに赤い瞳を細めた。何か喋ったわけではないが、感情が伝わってくる。
だが桔音はその怪物を眺めながら、大分精神が落ち付いて来たのを感じる。今すぐに殺されるかもしれないが、今はまだ生きていると気を取り直す。
(………この怪物が何か分からないけど……まだ生きてる、まだ動ける……!)
桔音は自分の手の中にいるフィニアを見て、思い返す。
(しおりちゃんとの約束……守らないとね……! まだ死ねない……! 死にたくない……!)
桔音は身体の内から力が込み上げてくるのを感じた。身体が動く、傷はまだ治ってないが、抵抗なく動くようになっていた。
死に瀕して興奮しているのかもしれない、アドレナリンって奴かなぁと考えながら、身体に鞭を打つ。
桔音は気が付いていないが、これはスキル『不屈』の効果だ。精神的に生存を諦めない限り一時的にステータスの限界を越えて動くことが出来るスキル。この時桔音が『ステータス鑑定』を使っていれば分かっただろう。
◇ステータス◇
名前:薙刀桔音
性別:男 Lv.4
筋力:140(+100)
体力:160(+100)
耐性:280(+100)
敏捷:150(+100)
魔力:120(+100)
スキル『不屈』発動
◇
となっていることに。桔音は動くようになった身体で駆けだした。先程よりもずっと速く、瘴気の怪物は少し驚いた様子だった。
だが、それでも怪物は悠々と桔音の背後を追い付いてくる。『不屈』によるステータス補正が付いても、桔音は未だ怪物に及ばない。圧倒的な差がほんの少し縮まっただけで、格の差に変わりはないのだ。
「はぁ……はぁ………やっぱり……死ぬんじゃね?」
桔音は先程よりは整った息遣いで出来得る限り速く走るものの、桔音の速度に合わせて隣を並走する怪物を見てそう漏らした。
(軽口が叩けるくらい精神的には余裕が出てるけど、アドレナリンのせいだしなぁ……うわー勝てる気がしない……でもこのまま街まで逃げ切れれば……!)
桔音はそれでも先程よりも速いペースで走れていることを実感しながら、このまま街まで逃げ切る道を選んだ。怪物から感じる不気味な気配と圧倒的プレッシャーにはまいるものがあるが、それでも結局今までも相手にすれば死ぬ怪物たちを相手にしてきたのだから、いまさらもっと強い奴が出て来た所でどうということはない。
「なんて開き直ってみたりして!」
「―――――!―――♡」
桔音は急に立ち止まり、方向転換する。瘴気の怪物は勢い余って少し先まで走って立ち止まり、桔音を追うべく方向転換する。
だが、桔音は今の方向転換で少しだけ距離を稼いだ。すぐに追いつかれるだろうが、それでも距離を稼いだ。追い付かれる前に何か策を考えるべく周囲を見渡す。
「…………何もねーじゃん!?」
走りながらショックを受けた。森の中故に何も無い。策を思い付かないまま、普通に追い付かれた。
「―――♪♪―――♡」
「はぁ………このまっくろくろすけが」
「――――!」
桔音の雰囲気が変わった。立ち止まり、瘴気の怪物を睨みつける。大人しく街まで逃がしてくれる様な相手でもなさそうだし、また撒くにしても向こうの方が速い、無理そうだと判断したのだ。
「というか、街まであと約3kmじゃん……逃げるにしてはまだ遠いよ……僕何考えてんの」
「――――?」
桔音が呟きながら生きる意志を瞳に宿す。桔音の死ぬわけにはいかないという想いが、『不屈』の効果と相まって―――瘴気の怪物の狂気を上回った。
それつまり、『不気味体質』の発動条件が整ったことに他ならない。
「とりあえずやられっぱなしは趣味じゃない」
「――――?―――??」
怪物は桔音よりもずっと強い怪物だ。会ったことはないがドラゴンとかそういった種類の災害と同じ圧倒的強者だ。
だが、『不気味体質』はそういったレベルの差に関係無く作用する。実力で劣っていようが、精神的に上位に立つスキルなのだから。
「抵抗して抵抗して、死ぬ前に逃げる。掛かって来いよまっくろくろすけ!」
「―――♪」
桔音の言葉に、困惑していた怪物が喜びの感情を見せた。どうやら桔音に一層興味を持ったようだ。プレッシャーが更に大きくなった、だが精神的優位に立つ桔音には多少相手が強そうに見えただけのこと、大した効果はない。
「おりゃあ!!」
「―――☆☆」
桔音は地面に転がる石を怪物に投げ付ける。当然、怪物は避ける―――が、桔音はその瞬間に怪物の目の前まで踏み込んでいた。『不屈』によって引き上げられた速度は、怪物の思っていた速度を大きく超えた。
「隙ありッ!!」
そこへ折れたナイフの柄の部分を取り出し、残った刃の部分を横薙ぎに振るった。瘴気の中に入った刃は何かを掠る。そして瘴気から振り抜いて出て来た刃にはほんの少しだけ血がついていた。
―――イケる、攻撃は通る!
桔音がそう思った、瞬間だった。
「――――♪☆♡♪☆☆☆♡♪」
怪物が音にならない雄叫びをあげた。その雄叫びに『不気味体質』が強引に解除され、『不屈』も弾かれるように効果を喪失した。
眼を見開いて驚愕する桔音、だがその一瞬の隙が命取りだった。
「ッァ―――はッ……!?」
気が付けば、桔音は空を舞っていた。
上下左右が分からない、一瞬の出来事過ぎて何が起こったのかも分からない。ただ分かるのは、自分は森の上まで吹っ飛ばされて、空を舞っているということだけ。
そして次の瞬間、
「ごぶっ……!?」
桔音の口から血が吹き出た。赤い血が重力に従って落ちていくのが見える。そして、じわじわと腹部に走る―――痛み。
桔音がされたこと、それは瘴気の怪物による凄まじい速度で放たれたアッパー気味の攻撃が桔音の腹部を捉え、あまりの威力に桔音は空へと吹っ飛ばされたのだ。そして、その威力の高さ故に桔音の『痛覚耐性Lv8』の痛覚遮断効果を越えて桔音にダメージを与えた。
(………ああ、動かないなぁ……身体)
『不屈』も『不気味体質』も解けて、背中の傷による行動の阻害も戻って来る。高く跳ねあげられた身体が下に落ちていくのを感じながら、身体の限界を悟った。
(フィニアちゃんは………死なせたくないなぁ……)
桔音は自分の手の中のフィニアを抱きしめるようにして、地面に背中を向ける。お面を外し、フィニアと共に抱きしめた。これなら地面に衝突したとしても、お面とフィニアだけは無事で済む。
「しおりちゃん………ごめん」
そして落ちていく桔音は地面に衝突する瞬間、そう呟いて意識を失った。最後に桔音が見たものは、楽しげに落ちて来た桔音を見ていた―――赤い瞳だった。