喜劇と悲劇の主人公
なんだこれは、私の目の前に居るこの生き物は、なんだ? そもそも、この生き物は本当に『人間』か?
私、クレア・ルマールの目の前に居る少年。Hランクの冒険者、きつねのことを、私は少なからず知っていた。ミニエラにいるギルドの受付嬢である妹からの手紙で、面白い冒険者が入ってきたという知らせから、彼の話題が私に伝わっている。
曰く、彼が来てから、殺伐とした雰囲気のギルドが少し明るくなった。
曰く、話しているとちょっと変だが、面白い人。
曰く、彼が来てから、普段淡々としている先輩が表情豊かになった。
曰く、いつも問題を持ってくる人。
曰く、いつも薄ら笑いを浮かべていて、ちょっと不気味。
聞く限りでは色々と変な少年だというのは分かっていたが、それでも優しく、面白い人間だと思っていた。
なのに、目の前に居る少年はそんな優しくて面白い人格者ではない。寧ろ、人間かどうかを疑ってしまう程、精神とその感覚が狂っている。
私よりもずっと年下に見える童顔の、言ってみれば可愛らしい顔立ちの少年ではあるが、今見ればその薄ら笑いが不気味でならない。
しかも、自分よりもずっと上の権力者であるオルバ公爵を、私の頼んだこととはいえ、まるで当然の様に、なんの悪びれもなく、薄ら笑いを浮かべながら、死体すら残さず殺害した。
そしてなにより、
「うん、これで良しっと……クレアちゃん終わったよ?」
そんな気軽さで、宿題が終わった様な感覚で、人殺しの達成を報告してきたのだ。人を殺すというのは、やはりそう簡単な事態ではない。どれほどの悪人だとしても、人を殺すということはそれなりに重い罪の筈。
―――この子は、殺人の罪すら背負わないとでも言うの?
事実、オルバ公爵が傍に置いていた凶悪殺人鬼レイスですら、人殺しに関する善悪の観念位はあった。彼は殺人は悪だと知った上で、己の快楽の為に人を殺していた。
でもこの子には殺人の意識が全く無い。人を殺したという自覚すら感じられない。そんな人間が、果たして存在するの? いや、存在しても良いの?
「クレアちゃん? 顔が青褪めてるけど大丈夫? ほら、オルバ公爵は死んだんだ、悪は去ったぜ? もっと喜ぼうよ!」
「あ……ぁ…………は、はい……」
「まぁ人が死んだのに喜べる筈もないか! あはは、ごめんね」
人が一人死んだ、という実感はあるみたいだけど、私を気遣う様な台詞も、何処か感情が籠っていない。棒読みというわけではないけれど、私を気遣っているという感じは全くない。
妹よ、何故この少年を優しくて面白い人、だなんて評価を下せたの? この子は、そんな生温い器に収まる様な子じゃない。私から見れば、この子は――――死神か、もしくは人の悪意そのものよ。
「うん、それじゃ後始末は任せたよ? 一つ言っておくけど、ニコちゃん達に被害が及ばない様にしてね? ああ、あと僕にも」
「は、はい」
言われなくとも、誰が貴方の様な存在に進んで関わろうというのか。少なくとも私はこの子に関わりたくないと思っている。被害が彼に及べば、間違いなく今後私は彼に関わることになる。そしてそれは、ニコ・アークスやその父親も同様。全身全霊を賭けて、彼らを被害の及ばぬ安全地帯に送り届けて見せる。
他でもない。私と、私の目的の為に。
「うんうん、僕が公爵を殺して、クレアちゃんが後始末。役割分担がハッキリしてて僕好みだよ! それじゃ、レイラちゃん達と合流しようか。行こうリーシェちゃん」
「……ああ、そうだな」
彼はそう言って、私の横を通り、部屋を出る。その時何故だか、ひんやりとした悪寒が私の身体を包み込む。彼に対して、私の心は確実に恐怖を抱いていた。
あの殺人鬼、レイスが言っていた……『死神』という過剰表現だと思っていた言葉が、今ではしっかと納得出来る。
「それじゃクレアちゃん……後始末、頼んだよ? この街を豊かで健やかな街に変えてね、応援してるよ!」
そして彼は振り返り、薄ら笑いを潜め、純真な少年の様な笑顔でそう言った。少し前までの私なら、可愛いと思ったかもしれない。
でも、今の私には―――その笑顔が不気味なモノに見えた。
◇ ◇ ◇
「あ♪ きっつねくーん♡」
「レイラちゃん、ニコちゃんのお父さんは助けたの?」
「もっちろん! ほら、そこに転がしてあるよ?」
「転がしとくなよ。なんで拘束具付けたままなんだ」
クレアちゃんと別れて、都庁モドキを出ると、入り口の近くにレイラちゃん達がいた。ニコちゃんがレイラちゃんと手を繋いでいて、なんとなくレイラちゃんに懐いている様な雰囲気がある。ちょっと距離が近いね。
それにしても、レイラちゃんの横に拘束具を付けられたままのニコちゃんパパが転がっているのは、少し引いた。そのまま連れてきたのかよ。まぁ無事に助けられたんなら良いんだけどさ。
とりあえず、瘴気を拘束具の鍵穴に入れて、膨張させる。バギン、という音と共に拘束具が壊れた。うん、やっぱり便利だねこのスキル。
「なぁきつね、これからどうするんだ? ゴブリンキングの件もあるんだし……」
「そうだなぁ、馬車も預けたままだし、街に入られたら困るよね……一応様子を見に行こうか、いざとなればレイラちゃんの餌にしよう」
「せめてご飯って言ってよきつね君」
どうやらニコちゃんパパは気を失っている様だから、瘴気で持ち上げて運ぶことにする。どうやら瘴気で持ち上げられる重量は、使用者の筋力に準じるみたいだ。今の僕なら、大人一人くらいは持ち上げられる。
あっと、そういえばオルバ伯爵って実力のある魔法使いだったんだよね? それをぶっ殺した僕のレベルって上がったんじゃない? まぁ人間殺してレベル上がるかは知らないけど。
とりあえず、歩きながらだけど、ステータス確認っと。
◇ステータス◇
名前:薙刀桔音
性別:男 Lv34(↑33UP)
筋力:600:STOP!
体力:4210
耐性:8800
敏捷:4650
魔力:3420
【称号】
『異世界人』
『魔族に愛された者』
『魔眼保有者』
【スキル】
『痛覚無効Lv5』
『直感Lv5』
『不気味体質』
『異世界言語翻訳』
『ステータス鑑定』
『不屈』
『威圧』
『臨死体験』
『先見の魔眼Lv6』
『瘴気耐性Lv6(↑1UP)』
『瘴気適性Lv6』
『瘴気操作Lv5』
『回避術Lv1』
『見切りLv1』
【固有スキル】
『先見の魔眼』
『瘴気操作』
『初心渡り』
【PTメンバー】
トリシェ(人間)
レイラ(魔族)
ニコ(人間)
◇
わーお、随分と上がったな。どうやらオルバ公爵のレベルは随分と高かったらしい。魔法使いとして実力があったみたいだけど、戦闘経験はそうなかったのかな? 元々軍事官職に就いていたらしいし、戦闘というよりは、指揮官的な役割だったんだろう。
それにしても、耐性の伸び率が尋常じゃないな。やっぱり、初期レベルからのレベルアップは、高いレベルからレベルアップした時よりもステータスの伸び率が高いらしい。耐性だけで言えばAランクの領域じゃないかコレ。出会った頃の勇者気取りの筋力が確か、『8740』。超えたねぇ、まぁ勇者気取りは僕よりも素晴らしい才能をお持ちの様だから、恐らくあの頃よりもずっと強くなっているんだろうけどね。
でも、今なら並の攻撃ならほとんどを耐えられる訳だ。レイスだって筋力が『7820』なんだしさ。
といっても攻撃力は筋力だけじゃないけどね。そこに敏捷やスキルの攻撃力向上効果も入るから、数値だけじゃ測れない。でも、それでも筋力分の攻撃力を耐えられる時点で、そこそこ強い筈だ。
「……なんか静かじゃない? それにゴブリンキングってでかいんでしょ? なのに戦闘の音というか、声も聞こえてこないなんて変だね」
「ああ……そうだな」
「んー…………ん? きつね君、前から人が来るよ」
「え……あ、本当だ」
入り口も見えた所で、音が何も聞こえない事を怪訝に思っていると、前からふらふらと幽鬼の様に、赤い髪の青年が歩いてくるのが見えた。折れた剣を持っていて、その表情は何処か虚ろだ。見た目で言えば、新人冒険者っぽい真新しい装備をしているけど……どうしたのかな? ゴブリンキングは?
すると、青年も此方に気が付いたようで、順番に一人一人僕達を見始めた。
最初に、僕。
次に、瘴気で運ばれているニコちゃんパパ。
次に、リーシェちゃん。
次に、ニコちゃん。
そして最後に―――レイラちゃん。
順番に見終えた彼は、最後に視線を向けたレイラちゃんに目線を合わせたまま、その眼を見開いた。そして、初めて歩いた赤ん坊の様に、手を前に突き出しながら、ふらふらと近づいてくる。その足が向かう先には、レイラちゃんがいた。
段々と近づいてくる青年に、僕達は動かない。黙って彼を見ていた。
彼は、レイラちゃんの目の前までやって来ると、その胸ぐらを掴んだ。そして―――
「な、んで………なんでアンタが街の中にいんだよ!!!」
―――レイラちゃんに向かって、怒りの形相でそう叫んだ。
目は血走っており、食いしばった歯はギリギリと音を立てている。今にも砕けてしまいそうな程、歯を食いしばっているのが分かる。
「んー、何を言ってるのか全然心当たりないんだけど、何処かで会った? 会ってたらごめんね! 覚えてないや♪」
「ふざけんな! アンタ……レイラ・ヴァーミリオンだろ……Cランク冒険者の!!」
「ん、そうだけど?」
「なんで……ゴブリンキングとの戦いに参加しなかった……アンタが居れば、ゴブリンキングだって倒せただろ!!」
どうやら彼は、レイラちゃんの事を知っているらしい。というのも、Cランク冒険者としてのレイラちゃんを、だけど。
彼の言葉からして、ゴブリンキングと戦って来たところらしい。そして、決して少なくない人数の冒険者が死んだって所か? なのにレイラちゃん程の実力者が街の中に居たことが許せないってことかな。
「はぁ……やれやれ、ちょっといいかな?」
「っ……なんだお前……」
話しかけると、レイラちゃんの胸ぐらを掴んだままではあるものの、僕の方を向いてくれた。どうやら話をするだけの理性は残っているらしい。完全に頭に血が上っているわけではなさそうだ。
とりあえず、自己紹介。
「僕はきつね、レイラちゃんのパーティのリーダー? ランクはHだけどね」
「……リーダーなら、なんで街の危機に戦おうとしなかったんだ……! お前らが来てたら……あの人達は……死ななかったかもしれないんだぞ!!」
「まず聞くけど、ゴブリンキングは?」
「分からない……ただ、目覚めた時には俺以外……皆死んでた。魔獣達も、冒険者達も……!」
てことは、彼はその生き残りって訳か。なんというか、可哀想な目に遭ったみたいだね。ドンマイとしか言いようがない。言ったら殴られそうだから止めておくけどね。まぁ殴られても効かないけど。
「アンタさえ来てくれれば……!!」
彼にとって、死んだ冒険者達は余程大切な仲間だったのか、それとも単に同業者が死ぬのが嫌だったのか。
まぁそれはどうでもいいにしろ、このたらればで話すのは気に入らないなぁ。だって仕方ないことじゃないか、僕達はこの街がどうなろうとどうでもよかったし、ニコちゃんを護る方が優先順位が高かったんだから。オルバ公爵相手にあれやこれややってたんだから許して欲しいな。
「そんなこと言われても困るんだよね、それで冒険者達が生き返る訳でもないんだし」
「ッ……お前!!」
「っと……今度は僕に掴みかかるの? 確かに僕達が向かっていたら、ゴブリンキングを倒せていたんだろうとは思うよ? でもさ、それだって言い掛かりだ。戦おうという意思は自由意思だ、そして……戦わないという意思だって、人の自由じゃないか。逃げても責められることじゃないのは、君だって良く分かってるんだろう? なんてったって……君も、死んだ人達も、同じ冒険者なんだからさ」
レイラちゃんから手を離し、僕の胸ぐらを掴んで引き寄せる青年。どちらにせよ、僕には何の関係もないし、責められる謂われもない。自分の不幸を人の所為にするなよ、死ぬ覚悟もない奴が冒険者を名乗るとか、それこそ冒険者気取りだ。
魔獣との戦いは、『お遊び』じゃないんだよ。
「っ……!! ……でも!」
「君が生き残ったのは、きっと君を護ってくれる人がいたから、そして君の運が良かったからだ。他の冒険者が死んだのは、君が足を引っ張ったからで、彼らの運が悪かったからだ。そして、君が今怒り、苦しんでいるのは―――」
そう言って言葉を切り、僕は彼の胸の中央を指先で軽く突く。
「―――君が弱く、無謀だったからだ」
僕は彼の眼を見据えて、そう言った。
ホント悪役だな.....きつね君