闘争と焦燥と恐怖と
「あはっ♪」
「キヒッ!」
衝突は、一瞬だった。そして、彼我の実力差は初撃ではっきり出た。
自身に向かって全速力で迫ったレイスに対し、レイラは軽くハエを払うかのように手を振ってレイスの顔面に張り手を当てたのだ。その威力は、並の冒険者の拳よりも重く、鋭い。
突撃の勢いと、壁にぶつかった様な衝撃に一瞬意識が遠のいたレイス。ハッと気付いた時には己の身体が宙を舞っていた。直ぐに体勢を立て直して着地する、が、身体がふらついて膝を付いてしまった。
Sランクの犯罪者とSランクの魔族。同じSランクであろうが、『犯罪者』と『魔族』というのは格が違い過ぎる。犯罪者であろうが、所詮は快楽殺人鬼程度―――世界崩壊級の領域に幾ら手を伸ばそうが、空に手を伸ばす様なものなのだ。
それに、ランクが同じといってもその意味が違う。レイスのランクは彼の人間としての危険度であって、レイラのランクは全人類にとっての危険度なのだ。
「―――ッハァ……! なんだお前、女のビンタにしちゃ威力高過ぎじゃねぇか……?」
「うふふうふふふ♪ きつね君はこの程度なら平気で耐えるよ♡」
「マジか……あいつ、マジで化けモンかよ……キヒッ……クハハハハ……!! 面白れぇ、心底殺したくなるぜ……!」
「分かるよ、その気持ち♪ きつね君は面白いし、可愛いし、格好良いし、美味しいもん♡ だから好きなの♪」
レイスはこの時、自分の死を覚悟していた。
相手の実力が分からない程落ちぶれたつもりはない。目の前に居るこの女は、圧倒的に自分よりも格上だと本能が理解していた。
だが、逃げるという考えはない。馬鹿正直に、愚直に、狂気に身を任せ、剣を振るって人を殺してきた彼にとって、強者は餌だ。それも、極上の。
―――このでけぇ壁をぶっ壊したら、この腹は膨れるか?
「殺してみれば、分かんだろォ! クハハハッ!!」
だから笑った―――死んだとしたら、その時はその時だ。
殺して殺して殺して殺して殺して、何度も何度も、心臓を潰して、肺に風穴を開けて、肝臓を切り裂いて、腸を引き摺り出して、目玉を刳り抜いて、脳を潰して、筋肉を引き千切って、骨を圧し折って、四肢を捥いで、残虐の限りを尽くして人間という人間を殺し抜いて生きてきたのだ。
今更、この快感は止められない。
レイスは地面を蹴った。剣を煌めかせ、己の限界を越えようと、必死でもがく。殺せないのなら、殺せるまで成長すれば良い。この一秒の中で成長すればいい、限界など幾らでも、越えれば良い。
「っ!?」
「ッッァァァアアア゛ア゛!!!」
先程の初撃は、間違いなくレイスの全速力だった。
しかし、この二撃目は、初撃を上回る速度でレイラに肉薄してみせた。限界を越えたのだ。その狂気が、その貪欲な殺人欲が、快楽を貪る殺人鬼の本能が、彼を更なる高みへ手を掛けさせた。
その予想外の速度に驚愕し、レイラは迫りくる剣を、咄嗟に瘴気を固形化させて止めた。
―――その位置は、レイラの首寸前。
瘴気で止めなかった場合、レイスの剣はレイラの首を刎ねていただろう。一瞬遅れて、若干レイラの白髪が数本切れた。
「キャヒヒッ! あと一歩だったなぁ……!」
血走った眼を見開いて、瘴気で止められた刃を尚たたっ斬ろうと押し付けるレイスは、狂ったように笑った。理性はあるようだが、明らかに今のレイスが出せる力を大きく越えている。レイラもまた、眼を丸くしていた。
だが、
「……うふっ♪ うふふうふふふふ♪ あはぁ……♡ いいよいいよぉ♡ ぞっくぞくする!」
レイラは自分の身体を抱き締めるようにして、だらしなく笑った。赤い瞳が、爛々と煌めいている。狂気が、彼女の表情に滲み出る。そう、『赤い夜』としての狂気が。
そして次の瞬間、レイラの身体から真っ黒な瘴気が勢いよく噴き出る。まるで噴火の様に、猛々しく、死の猛威を体現する。
「クヒャヒヒッッ!!」
「貴方は不味そう♪ 不味そうだけど―――私が残さずちゃあんと食べてあげる♡」
二人の狂気が、ぶつかり合って火花を散らす。
「クハハハッ! あの眼の色が違ェガキ! アイツ一体何なんだァ!? アイツ自体もそうだが、こんな化けモン侍らせてやがるとか、マジで頭イカれてんじゃねぇの!!」
「うふふうふふふ♪ 殺させないよ、きつね君は私の♪ だって私はきつね君が大好きだもん♡」
互いに地面を蹴って、レイスの上段から振り下ろされた刃と、レイラの瘴気で作った黒いナイフが金属音を鳴らす。剣戟の音が二度、三度と繰り返される。一瞬の内に、何度も衝突する。
一見すれば互角、だがその実レイラのナイフは幾度もレイスの身体を傷付け、レイスの剣は全て防がれている。
いくら限界を越えても、実力の差は圧倒的だった。
「あはっ♪」
「ッチィ……キヒヒッ!」
剣戟の音が止まり、二人の間に距離が開く。
レイラの両手には黒いナイフが一本ずつ握られ、くるくるとジャグリングの様に弄んでいる。
対して、レイスの剣は所々欠けていた。武器にも大きな性能の差があることは明白だ。
「まだ届かねぇのかよ……クハッ! 面白ェ……!」
だが、レイスはまだ諦めない。いや、此処に来てまだ戦闘を楽しんでいた。
寧ろ、レイラの底の見えない実力に、一周回って恐怖心がなくなったのかもしれない。
「ほらほら、もうちょっと楽しませて?」
レイラは相も変わらず笑ってそう言う。レイスは冷や汗を一筋流しながらも、また地面を蹴った。
◇ ◇ ◇
一方その頃、ゴブリンキングとの戦いは熾烈を極めていた。予想していた通り、冒険者達は劣勢。未だ一人も死んではおらず、その経験と知恵を用いてゴブリンや剛拳猿を倒していたものの、やはり数の差は覆らない。
少しずつ、じりじりと冒険者達が押されていた。
「くっ……切りがねぇ……!!」
「余所見しない! はぁぁぁ!!」
「グルァアアア!!」
あの先導を切った新人冒険者に襲い掛かる狼を、女冒険者が切り払う。戦闘が始まってから背中を護り合う戦いで、誰も死んでいない現状が維持出来ているのだ。
「悪い! おおおおお!!!」
「ブガァァァァァ!!」
剣を振るう冒険者達にも、けして少なくない疲労が見える。倒した魔獣の数も、まだ五十やそこら。まだまだ勢いが止まらない魔獣達を全て倒したとしても、最後の最後にはゴブリンキングが待ち構えている。
状況は、最悪だった。
別に臆した訳ではないが、それでも決定的な何かがない以上、このままでは全滅は免れない。冒険者達の内心には、少しづつ焦燥感が募っている。
それでも、希望が無いわけではない。グランディール王国から実力ある冒険者達が応援に来てさえくれれば、この状況は一気に覆すことが出来る。
しかし、本国から此処まで、どんなに急いだとしてもおよそ五時間は掛かる。戦いを始めてからまだ一時間も経っていないのだ、それは希望とは到底言えないもの。
それでも、それしか希望がない以上、彼らに出来るのは精一杯戦う事くらいだ。街を防衛しなければならないという意思が、彼らを支えていた。
「ッ!? 皆下がれェェェ!!」
『なッ!?』
そこで、冒険者の一人が叫んだ。瞬間、その場の全員が魔獣達の変化に気付く。
―――後方にいた筈のゴブリンキングが、前に出て来ていた。
そして冒険者達が後退しようとした瞬間、ゴブリンキングの持っていた棍棒が、地面を抉る様に冒険者達を蹴散らした。
「ガッ……!!?」
「あぁ……ッ!!」
「ゴフッ……!!」
比較的前に居た数名が棍棒の攻撃に吹き飛ばされ、後方へと転がった。
まるで、塵の様に吹き飛ばされる様子を見て、全員がゴブリンキングの格の高さを思い知る。今の自分達では勝てないことを思い知る。
「っ……うああああああ!!!」
「おい待て! 落ち付け!!」
その光景に、募った焦燥感が爆発したのか、一人の冒険者が自棄になって、ゴブリンキングに向かって駆けだした。止める声が出るが、聞こえていないらしく、その冒険者は止まらない。
そして、
「フン……」
ゴブリンキングが鼻で笑う声と共に、
「――――!!」
その冒険者が、振り下ろされた棍棒に潰され……死んだ。
「な……!」
誰もが絶句した様子の中、誰かの呻きが聞こえた。
そして、棍棒をゆっくり持ち上げたゴブリンキングは、冒険者達を見下すように視線を向けると、その大きな口を開いた。
「邪魔ダ……キザマラ程度、相手ニモナラン……」
ゴブリンキングがそう言うと、絶句していた冒険者達に、他の魔獣達が一斉に襲い掛かる。ゴブリンキングに気を取られて硬直していた冒険者達は、一瞬反応が遅れた。
だが、戦闘の中ではその一瞬が命取り。狼に腕を噛み千切られ、ゴブリンに棍棒で殴られ、冒険者達の戦力が大幅に削られていく。保たれていた均衡が、一つの罅から崩壊していく。
全滅の危機が、訪れていた。
◇ ◇ ◇
一方その頃、領主の部屋では、散乱した書類と荒らされた部屋の中央。一人の少年と中年の貴族が向かい合っていた。少年の背後には剣を提げた少女もいる。
少年は薄ら笑いを浮かべ、少女は静かに展開を見守るスタンスなのか、背後に立っていた。対して、貴族の男は少年に対して出来得る限り距離を取っている様だった。
もっと言えば、貴族の男の表情も、何処か怯える様なものに変わっている。
原因としては、少年のスキル『不気味体質』が原因なのだろうが、それでなくとも彼は少年に怯えている様だった。
「あはは、そんなに怯えないでくれよ。僕はただのHランク冒険者だぜ?」
「ぐっ…………っ……!」
少年の言葉に、貴族の男は歯噛みする。
「えーと……オルバ公爵だっけ? 僕は貴族の偉さとか、格の大きさとか、良く分からないからさ……無礼は許してね?」
「…………貴様……何故あのガキに味方する……!」
「僕子供好きなんだよ。ほら、僕って保父さんに向いてるじゃない?」
「知らないが……」
「知っとけよ、相手の事くらい。あんな殺人鬼差し向けてくるくらいなんだからさ」
少年は飄々と、何が目的なのかも分からない様な口調で、まるでちょっと遊びに来たかの様な態度だ。本当に何をしに来たのかと、貴族の男は冷や汗を流す。
すると、少年は一歩ずつ貴族の男へと近づいてくる。その手に黒いナイフを生み出して、じりじりと近づいてくる。それに応じて、貴族の男の中の恐怖心が大きくなる。
「……く、来るな!」
「いやいや、公爵なんて大層な名前を持ってる人にこんな所で会うなんて幸運なわけだし、ゆっくりお話ししようよ」
「ッ……!」
「あはは、そう緊張しなくてもいいんだぜ? 僕は巷じゃフレンドリーな少年で通ってるんだよ、きっと仲良くなれるさ」
少年の言葉に、静観する少女は内心で思った。呼吸する様に嘘を吐くな、と。
「ほら、公爵の好きな色って何? え? 僕? 僕は……赤い色以外ならなんでも好きかな?」
そう言って、少年は黒いナイフを貴族の男に突き立てた。