殺人鬼
街まで戻って来る途中、今度こそ雑魚魔獣である狼数体に遭遇した。とりあえず瘴気に変えておいた。瘴気の量が増えた。
どうやら瘴気の量が増えても操作出来ないわけではないらしい。まぁ量が多い故に、全てを操作するのは少し難しいけれど、慣れれば適切な量を正確に操作出来る様になる筈だ。
だから、帰り道はずっと瘴気でバスケットボールを作ってバウンドさせていた。弾性はないから地面に手で落として、あたかも跳ね返って来るように操作するという操作練習だ。
とりあえずバウンドした状態じゃないと前に進まない、と自分の中でルールを決めてみた。最初の方は地面に付く前に引き上げてしまったり、地面に付いて形が崩れてしまったり……結局、僕が歩き出せる様になったのはそれを始めてから二時間後だった。
街に入ってから今も、宿までバウンド練習を続けている。おかげか、少しコツが掴めてきたようにも思える。
「でもまぁ、この状況は予想してなかったよ」
バウンドは続けている。いるが、僕の足はその場に停止していた。
何故なら、僕の目の前には一人の男が立っていたからだ。立ち塞がっていたからだ。全身黒ずくめの衣装に身を包みながら、不敵に笑っている。背は高く、その手には抜き身の剣を持っていた。今までに何人も斬って来たようで、その剣は使い込まれた跡がある。
そしてなにより、その瞳には人殺しの狂気が浮かんでいた。
「お前は―――俺が殺しても良い人間なんだってなァ?」
彼は、そう言って僕にその剣先を向けた。冒険者でも、騎士でもない、ただの殺人者が目の前で口を開いている。
僕はそんな彼を前に、『不気味体質』を発動する。完全に、話し合いの通用する相手でないことは明らかだし、街に入ったというのに周囲に誰もいない所を見れば、これが誰かの差し金であることは一目瞭然。僕に対してそんなことをしてくる奴と言えば、今の所オルバ公爵しか思いつかないな。
この男がオルバ公爵ということはないだろうけれど、関係者であることは間違いない。それにしたって随分と厄介な人間を送りこんできたものだよ。
でも、焦ったり怯えたりすることはない。僕にとって人間ほど恐怖の対象になりえない存在は無いよ。
「だって僕も人間だからね」
「お? なんだなんだァ? フンイキが変わったな……おもしれぇじゃねぇか、殺し甲斐があって良いじゃねぇの」
クハハ、と笑う男に対して、僕もいつもの薄ら笑いを浮かべる。そして、真っ黒い瘴気のナイフを作って、切っ先を男に向けた。
筋力が上がった今、もっと大きな武器も使いこなせるんだろうけど、やっぱり僕みたいな人間にはこのくらいの武器が丁度良い。手軽で、扱いやすいしね。
「君は何処の誰なのかな? 正直、僕は初対面だと記憶してるんだけど?」
「オイオイこの状況で随分と冷静じゃねぇの、情報だと大したことねぇ小物だって聞いてたんだけどな……まァ斬れんなら誰でもイイんだけどな」
「まぁ君よりもヤバい子を見てるからね、なんて言うのかな? その子に比べたら大したことなさそうだなぁと思って」
「俺よりやべぇって相当だな! クハハッ、お前……俺といいそのやべぇ奴といい、キチガイに好かれるんじゃねぇの?」
まぁ、レイラちゃんもこの男も、気は違ってるけどね。キチガイって漢字だと気狂いとも書く様だし、良い感じに狂ってるこの男やレイラちゃんにはもってこいの言葉だ。
それでも好かれたくはないけど、勇者気取り君や腹黒巫女もある意味頭おかしいし、否定出来ないのが悔しい所だね。
で、質問には答えてくれないのかな。
「俺の依頼主っつーの? そいつの話は出来ねぇけど……俺の名前は―――っと、これも駄目なんだったか……仕方ねぇな、偽名だけど俺の名前って事にしとけ」
「分かったよ」
「俺の名前は、ルディ……ってことにしとけや、取り敢えず今からお前を殺す奴だ」
◇ステータス◇
名前:レイス・ネス
性別:男 Lv78
筋力:7820
体力:9200
耐性:320:STOP!
敏捷:9500
魔力:2100
【称号】
『殺人鬼』
【スキル】
???
【固有スキル】
???
◇
「うん分かった、よろしくねレイス君」
「さり気なく本名言ってんじゃねぇよ」
「君の顔に書いてある」
「お前も大概気が狂ってるみてぇだ」
ステータスを見ただけだけど、僕としては君達と同列に並べられるのはちょっと嫌だ。僕はまともで健全な青少年だよ、確信して言えるね。
「まぁ素性が割れてんなら割れてるで良いや、殺す事には変わりねぇしな」
男……レイスが頭を掻きながらそう言う。こんな会話をしながらも、一切剣先がブレないのだからやはり高い実力が窺える。ステータスでスキルが見えない所を見ると、その部分は隠蔽関係のスキルが働いているのだろう。使徒ちゃんもそうだったし。
でも、僕もそう簡単に殺されてあげるわけにはいかないんだよね。ということで、帰って来る途中で思い付いた僕の新たな戦い方の実験台になって貰おう。
「それじゃ、僕は君を殺さず素通りすることにするよ」
「何?」
訝しげに眼を細めるレイス、僕の実力で言えば、彼を素通りするなんて到底出来ないんだろう―――でも、僕にはSランクの怪物が扱う最強最悪な武器がある。
初見殺しも、いいとこだ。
「じゃ、やろうか……そこを通して貰うぜ」
そう言って、僕はぱちんと指を鳴らした。
◇ ◇ ◇
レイス・ネスは、元々快楽殺人鬼として世間に名を轟かせた犯罪者だ。ちなみに、冒険者と同じく犯罪者にもその危険度でランクが付けられる。彼の場合、その危険度は最大のSランク。その理由としては、Aランクに値する実力と、無差別に人を殺す人格があげられる。
彼はその経歴上、記録に残っているだけでも1043人を殺害している凶悪殺人鬼だ。その出生や幼少期のことは謎に包まれているが、正確に分かっているだけでも、彼はおよそ12歳の頃から人を殺している。
おそらく、記録に残っていない数を含めればその殺害数は2000人を大きく越えるかもしれない。無差別に、毎日毎日、人を殺し続けた危険な男。
普通なら常軌を逸した精神なのだろうと思いきや、彼には存外正気だった。何人も殺している癖に、正常な精神を保って居られる強靭な精神力。
それは逆に危険な男として捉えられる要素になった。正常な精神のまま、人を殺すのだから。
彼は国から指名手配を受け、逃亡しながら、時に追手すら殺して逃げ回り、約10年間逃げ回った末に、国の依頼を受けたSランク冒険者によって捕らえられた。死ぬまで拘留される筈だった彼は、その5年後突如釈放された。
釈放を命じたのは、オルバ公爵。
彼は今でこそ黒ずくめの首まで隠した服装をしているが、その下には奴隷の証である『隷属の首輪』がある。契約上、命令違反を犯せば首を絞められ死んでしまうが、彼は用心棒として手元に置かれる為に釈放された。普通の奴隷とは違い、虐げられる様な扱いはされない。
オルバ公爵は強力な用心棒を得る、レイスも合法的に人を殺すことが出来る。利害が一致している故にレイスもオルバ公爵の傍にいるのだ。『隷属の首輪』は、凶悪犯罪者の彼に対する鎖というわけだ。
そして用心棒になってから、彼はオルバ公爵に反抗してきた人間を殺してきた。時には暗殺を企てていた者を事前に殺したこともある。
「お前に両眼の色が違い、黒い服を着た男を殺して貰いたい」
「了解だ」
だから、今回も人を殺す命令を即断即決で受け入れた。殺せるのなら、誰でもいい。
人を殺すことで悦楽を得るのが彼なのだ。人を殺す理由だって、気持ちいいからとしか言い様がない。
「まぁ報告によれば実力は大したことがない男らしい、お前には簡単な仕事だ」
「ふーん、まぁ殺せるなら誰でも良い、後始末はいつも通りそっちでやってくれよ?」
「ああ、周辺の人払いもやっておく」
「いつもながらありがたいことで」
今回はあまり歯応えのある標的ではないと聞いていた。でも、それでも良いと思っていた。どんな人間であれ、人である限りは中に赤い血が詰まっていて、温かい鼓動を持っている。
自分は熱い返り血を浴びたい。その鼓動を自分の手で止めたい。段々と死に近づいて行く人間の表情を、見下ろしたいのだ。殺人が趣味で、殺人が特技で、殺人が娯楽で、殺人が生き甲斐で、殺人が生きる意味で、殺人が自分自身なのだから。
でも、
「―――だって僕も人間だからね」
実際に標的と対峙してみて、今までにないナニカを感じた。
目の前に佇む少年は、黒い服に、両眼で色の違う瞳を持っている。報告で聞いた通りの人物。戦えば簡単に殺せそうないつも通りの、ただの人間だった。
でも、その時思った。
―――コイツ……本当に人間か?
一瞬、人間に見えなかった。人間の様な何かに見えた。人間は殺す為に存在すると思っていた最凶の快楽殺人鬼が、ただの少年に恐怖を抱いた。死神の様な死を感じさせる恐怖の威圧感を放っていた。
そして、何処に隠していたのか、いつのまにか真っ黒なナイフを構える少年。その武器も禍々しく、その黒さが絶対的な危険を感じさせる。
だが、それでも平常通りに振る舞い、殺す旨を告げると、彼は張りつけた様な薄ら笑いを浮かべながら、言う。
「それじゃ、僕は君を殺さず素通りすることにするよ」
「何?」
素通りすると言った。その言葉を証拠付けるように、恐怖を感じさせる威圧感を放っているのに、殺意がないことに気づく。
その言葉は、本気で言っていた。
「じゃ、やろうか……そこを通して貰うぜ」
何かある、と警戒心を高めながら、切っ先を少年に向けて視線を外さない。
そして彼の手がゆらり、と上げられ――――ぱちん、と気の抜ける様な音を鳴らす。
瞬間、少年の姿が消えた―――否、視界が真っ黒に塗りつぶされた。
あの黒いナイフと同じ、漆黒の、闇みたいな色が、視界を満たしている。光が全く存在しない世界に引き込まれた様だった。
驚愕したが、直ぐに我に返って少年の気配を探す。すると、少年の気配は自分の背後にあった。今も普通に歩く様なペースで、離れている。
「素通り…………って訳か……!」
文字通り、言葉通り、素通りだった。少年は自分の横を歩いて、通り過ぎたのだ。
振り返ってもやはり視界は真っ黒で、少年の姿は見えない。無意識に、歯噛みした。実力に自信がないと言えば、嘘になる。でも、自分の実力にプライドがあったわけでもなかった。
だから、自分を素通りしたことに怒りを覚えたわけでない。ただただ、興味を抱いた。
―――自分は狂っている。狂っていることを知っている。
故に、その狂気を前にして平然と薄ら笑いを浮かべる少年に、興味を抱いた。尚且つ素通りすると言った少年に、興味を抱いた。そして何より、その言葉を格上の自分相手に実現してみせた少年に、興味を抱いた。
「は、ハハ……クハハッ……! クハハハハッハハハハッハハハアハハハハ!!!」
笑いが溢れた。殺してみたい、殺してやりたい、殺したらどんな顔をするんだろう、あんな人間も、赤い血を出すのだろうか? そんな興味が溢れて仕方ない。
真っ黒な色が消え、元の街並みが戻ってきた。そして戻ってきた視界に映って来たのは―――
「……クハッ……随分とまぁ、えげつねぇことで」
―――少年の姿はなかった。
代わりに、全方向から取り囲むように、大量の真っ黒なナイフが切っ先を向けて宙に浮いていた。
またキチガイが寄ってきたようです。でも今度はきつね君大勝利。