下剋上
宿の名前は『柏陽宿』、話に聞いていた通りミニエラのエイラさん所と同じレベルの宿泊宿だった。お風呂はないけれど、なんだか温かい雰囲気の良い宿って印象があった。
リーシェちゃんが借りた部屋は二部屋、一人部屋と二人部屋を一つずつだった。今は二人部屋の方へ僕とリーシェちゃんとレイラちゃん、そして押し付けられた子供の四人が全員集まり、子供はベッドに寝かせ、僕達はもう一方のベッドに座りながらこれからどうするかを話し合っている。
まず第一に、押し付けられた子供のこと。
今の僕達はとりあえず次の街への足と荷物の準備が出来ている。明日にでも出発する事が可能だ。だからこそ、当面の問題を考えることが出来る。
「ミニエラでは、身寄りのない子供は騎士が保護し、然るべき手続きの後に何処かの施設へと預けられる。ある程度成長して働ける程に成長した時は、国が子供の身分を証明する手続きをし、一先ず働き先を見つけるまでは施設で預かるが、働き先を見つけた時は施設から出ることになるな。冒険者になる者もいれば、飲食店で給仕をする者、鍛冶屋に弟子入りする者もいる。まぁ働き先を見つけられずとも、成人すれば必ず施設を出て貰うんだけどな」
「へぇ、結構妥当な扱いなんだ」
ミニエラってあらゆる意味で温厚な国だよねぇ。まぁ成人したら施設を必ず出るって規則もあるみたいだけど、それだって無難な対応だ。成人した人間をいつまでも施設で預かってられないもんね。
施設から放り出した結果、そいつが死んだって仕方がない。この世界だって人が人に優しく出来る範囲にも限度があるんだから。
「じゃあこの街でもそうなるのかな?」
「いや、ここはミニエラの庇護下ではないからな。グランディール王国の対応が適用されるだろう」
「つまり?」
「弱肉強食、そういうことだよきつね君」
リーシェちゃんの表情には影が差し、言い辛そうな彼女に代わって、レイラちゃんがシンプルで分かりやすい答えをくれた。
つまり、この子供は騎士に預けた所でまともな対応はされないってことか。最悪処分される可能性もあるんだろう。
単純明快、あの腹黒巫女に勇者気取り君を思い出すね―――実に不愉快だ。
「じゃあこの子はどうするかな」
「私達は元々この街に寄っただけで、旅支度を整えたら明日にも出発する予定だったんだ……可哀想だが、やはりこの街のやり方で対応させるしかないんじゃないか?」
「あはは、結構残酷なことを言うね、リーシェちゃん。でもまぁ、理解出来なくはないよ」
「えーこの子捨てちゃうの? 連れていこーよ、勿体ないよ」
なんかリーシェちゃんと真面目に話しているのに、レイラちゃんのせいで全部台無しなんだけど。ちょっと大人しくなったと思ったらこれだ。大人しくなったとしても、レイラちゃんの自分勝手でマイペースな態度は変わらないようだ。
「レイラちゃん」
「なぁに?」
「ちょっと黙ってて」
「んんむッ!? ぷはっ……え? え? は……あ……ッッッ!? きゅ~……!」
なので、なんだか僕に触れようとするだけでドキドキしてしまうレイラちゃんにキスをお見舞い。約束だったし、二回やっても良いよって言った後も結局しなかったからね、この際一発かます位の心構えでやってみた。
唇を離すと、レイラちゃんは茫然とした表情を浮かべた後、見る見るうちに顔を林檎の様に真っ赤に染め、あわあわと目を回しながら、あまりの衝撃だったのか気を失って、ベッドに倒れ込んでしまった。
「きつね……その、なんだ……そういうことは人の目のない所でだな……」
「レイラちゃんがいると話が進まないんだよ。良くも悪くもこの子は自己中心的な子だから」
気絶して尚顔を真っ赤にしたままのレイラちゃんを見下ろしながら、彼女のふわふわとした白髪を梳くように頭を撫で、そう言った。
まぁ不本意だったけど、大分一緒に居たから分かる。彼女はトラブルメーカーで、ムードメーカーでもある。状況が悪化してても、自分を見失わずに我儘に振る舞う。だからフィニアちゃん達を失った今の僕も多少楽観的でいられるんだしね。
こういうところは彼女の美点だよ。時と場合によっては―――特に今みたいな真面目な話をしている時には邪魔なんだけどね。憎めない性格してるよこの子は。
「それで? きつねはこの子をどうするつもりなんだ? この街のやり方に任せるのか?」
「リーシェちゃん、この場合はね―――どのやり方に任せるかじゃない、どうしたいかで考えるんだよ」
「!」
薄ら笑いを浮かべながら立ちあがり、眠っている子供を見下ろす。
この街、というよりもグランディール王国という国はどうも、気に食わないことばかりだ。勇者気取りや腹黒巫女もそうだけれど、国を作る王族や権力者の敷いた常識と観念が特に気に食わない。
僕は弱い人間だから、弱肉強食の世界は生き辛くて敵わない。
「ステータス」
取り敢えず、僕は子供のステータスを覗く。名前も知りたかったことだし、僕も不本意だけどこの子を押し付けられた訳だし、手放した後に死なせたとなれば寝覚めが悪い。
◇ステータス◇
名前:ニコ・アークス
性別:女 Lv1
筋力:10
体力:20
耐性:10
敏捷:10
魔力:10
【称号】
なし
【スキル】
なし
【固有スキル】
???
◇
予想通り、見た目通り、ステータスは貧弱。スキルもない。確実にこの世界において、強者の肉にされる弱者だ。
だからこそ、護る価値がある。僕と同じ、弱者として生まれたこの子だからこそ、護る価値がある。
「―――下剋上だよ」
弱者が強者に勝てないなんて理屈はない。国家権力や弱肉強食がなんだ、全部ひっくるめて相手してやるよ。
生き延びるためじゃない、僕がそうしたいからそうするんだ。
「きつねがそう言うなら、従おう」
「それまた酔狂なことで」
「お前の背中を支えることが、仲間としての私の役目だ」
リーシェちゃんがなんだか格好良い。男前って言うのかな、こういう子のこと。でも女の子だし、姉御肌? 勝気なのは、僕的に買いだよ。
まぁ、それは別としても、僕に付いて来てくれる人がいるっていうのは―――それはきっと喜ばしいことなんだろうと思う。
◇ ◇ ◇
「ん……んぅ……はぁ………ん?」
「む、起きたかレイラ」
目を覚まして、ふかふかのベッドに手を付き起き上がる。すると、そこは私達の借りた部屋だった。椅子に座った紅い髪の子が私を見て笑みを浮かべている。隣のベッドにはきつね君が押し付けられた子供が寝ていて、きつね君の姿は無かった。
まだ寝起きでぼんやりしている思考で、私が意識を失う前のことを思い出そうとする。
確か、きつね君と一緒に買い物してて……そこの子に宿まで案内して貰って……それで……あっ、そうだ私確かきつね君に――――ッッ!
「はわ……はわわわ……ど、どうしよう……」
そうだ、私きつね君とちゅーしちゃったんだ。それで顔が熱くなって、胸が限界までドキドキして、頭の中真っ白でわけわかんなくなって、そしたらいつの間にか意識を失ってた。
だって仕方ないよ、あんなの不意打ちだよ。ずるい、ずるいずるい! きつね君ずるい!
「きつね君なんて……きつね君なんて……」
こうなったらやり返してやる、なんだかきつね君に負けた気分だし。
私はきつね君よりも強いし、ああいうことは私の方からやりたい。今はその、なんだかドキドキして出来ないけど、きつね君にやられて私が受け身なのはなんか納得いかない!
「ちょっときつね君の部屋に行ってくる!」
「え? あ、レイラ!?」
紅い髪の子が引き止める声を無視して、私はきつね君の部屋へと向かった。二人部屋と一人部屋は階が違うから、階段を下りて一人部屋の階に足を踏み入れる。
そして、そのままきつね君の部屋へと向かって行き、扉を開けた。中は二人部屋と比べてそこまで広くない。でも一人で過ごすには十分なスペースだね。
中に入ると、きつね君はいつも着ている黒い服を脱いで、下に着ていた半袖の服とズボンのままベッドに座って瘴気を弄ってた。操作する練習だと思う。
「きつね君!」
「あ、レイラちゃん。どうしたの?」
私はきつね君に話しかけた。きつね君は私に気が付いて、視線をこっちに向けながらそう言った。
「…………」
「ん?」
そういえば此処からどうしよう。何も考えてなかった。
仕返しをしようと思った訳だけど、ちゅーとか触れ合うのはやっぱり無理かも……考えるだけでドキドキする。恥ずかしいのかな……うん、恥ずかしいんだと思う。
もやもやする……あの白い子が来てからずっとだ。もやもやするもやもやする! こんな状態がいつまでも続くなんてやだ。きつね君と触れ合えないし、欲求不満が募るばっかりだもん。
「……もやもやする」
「え?」
「もやもやする! きつね君のせいで私はおかしくなったんだよ! 責任取って!」
そうだ、全部きつね君が悪い。きつね君に会ってから私はどこかおかしくなっちゃったんだ。きつね君が、私をおかしくしたんだ。だからきつね君が悪い、きつね君が美味し過ぎるのが悪い、可愛いのが悪い、面白いのが悪い、それに――――
『―――君は、僕が護るよ』
―――きつね君が、格好良いのが悪いんだ。どうして私の心を掻き乱すの? 私はきつね君に触れたいのに、出来なくされたんだ。
一体きつね君は私に何をしたの? 私が知らない間に何かしたんでしょ? 私がきつね君に触れようとすると出来なくなる様に、そんなに私に触れられたくなかったの? なんかちょっと胸がチクッとした。
「何言ってんのか分からないけど、つまりは欲求不満なの?」
「違っ……いや違わないけど……違うの!」
「あーはいはい、それで僕にどうしろと?」
なんだか投げやりなきつね君、どうしろって言われても……私はきつね君に何をして欲しいんだろう? ちゅー? それとも舐めさせて欲しい? どれも違う気がする。
「ん? レイラちゃん?」
「……もやもやする」
「え?」
「むずむずする」
「え、何?」
「胸の中がぐるぐるして、苦しいの……これ、なんとかしてよ……きつね君」
でも、私の口からは自然とそんな言葉が出た。きっと、きつね君なら何とかしてくれる。そう思えた。
だって、今までだってきつね君は色んな事をやってのけたもん。それに、こうなったのはきつね君のせいなんだから。なんとかすることだって出来る筈だもん。
「……レイラちゃんは、本当に僕のこと大好きだね」
「え?」
「仕方ないなぁ……ほら、そんな所に立ってないでこっちおいで」
きつね君が私に手招きする。また大きく胸が高鳴った。
少し躊躇しながら、私はベッドに座るきつね君に歩み寄る。すると、きつね君は私の手を取って引っ張ってきた。その力に引き寄せられる様に、私はベッドの上に腰を落とし、更にきつね君の太ももの上にぽすんと頭を乗せた。
目を丸くしながら、見上げた先にはきつね君の薄ら笑いを浮かべた顔がある。膝枕をされていると理解した時、私は少しだけ顔が熱くなるのを感じた。
でも、
「今夜は特別にずっとこうしててあげるから、そのまま寝るんだね。一晩寝ればすっきりするよ」
「…………うん」
ちょっとだけ、苦しかったもやもやが無くなった気がした。代わりに、なんだか身体の奥底からあったかい何かが、じんわりと胸の中に広がっていくのを感じる。
「―――おやすみレイラちゃん、中々素敵な告白だったぜ」
うとうとと眠気が襲って来て、意識が薄れて行く中……きつね君のそんな言葉が降って来たのを聞いた気がした。