心の変化
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
思わず、部屋から飛び出て来てしまった。
今日は色んな事が起こってて、心の中がぐちゃぐちゃだ。考えが纏まらなくて、身体が思うように動かなくて、やりたいことを躊躇してしまう。
あの勇者とかいう人間がフィニア達を連れて行ってしまった時、私は落ち込むきつね君を見て何も思わなかった。ああ、落ち込んでるなぁとしか思わなかった。だから何も言わなかったし、いつも通りに振る舞ってた。
それなのに、ちゅーしたり、舐めたり、そういう事がしたかった筈なのに、あの白いのと戦った時から身体の調子がおかしい。
きつね君に触れようとすると、なんだか躊躇してしまう。抱きつくなんて今まで簡単にやってた筈なのに、今ではどうやってたのか分からなくなっちゃった。
きつね君と話していると胸がドキドキする。夜でもないのに、顔が熱くなって、胸の奥がきゅうって締め付けられる様な感覚に苛まれる。私の身体、一体どうしちゃったんだろう? 少し怖い。
さっきだって、折角きつね君が2回もちゅーしていいって言ってくれたのに、眼を閉じたきつね君の顔に顔を近づけたら途端にドキドキが止まらなくなっちゃった。顔が熱くなって、ちゅーなんてしたらおかしくなりそうで、なんだかその場にじっとしていられなくなった。
だから逃げちゃった。ベッドから飛び退いて、扉を開けてそのまま廊下に飛び出してきた。
そんなに動いた訳でもないのに、息が乱れる。逸る心臓の鼓動が止まらない。顔が熱くて燃えてしまいそうになる。なんなの? じくじくと胸を掻き乱すこのもやもやした様な……切ないような感覚……私は知らない、こんなの知らない。
「うぅ……分かんない……」
頭の中がきつね君でいっぱい。私どうしちゃったのかな……?
結局、その夜私はきつね君の事でいっぱいになった思考と、もやもやしたような切ない感情を抑えきれず、一晩中外を走り回っては頭を抱えて過ごしていた。
そしてこの日は今まで生きてきた中で唯一、1秒だって欲情することはなかった。
◇ ◇ ◇
僕はレイラちゃんが出て行った後、もう一度眠りにつき、翌朝の今、目を覚ました。
少し身体が重いけれど、今度はちゃんと上体を起こすことが出来、部屋を見渡すとリーシェちゃんの姿は何処にも無く、レイラちゃんも帰っていない様だった。
一応リーシェちゃんの武器や荷物は置いてあるから、多分お風呂とかに行ってるんだろうけど、レイラちゃんは何処行ったのか分からないや。
とりあえず、と思いながらベッドから降りた。
「ん、んー……! っはぁ……さて、と」
一つ伸びを入れて、身体の調子を確かめる。疲労感は残っているものの、これはしばらく休めば元に戻る筈だ。
腕も足もちゃんと動くし、使徒ちゃんの打撃でかなりダメージを受けていた内臓器官も、『臨死体験』のおかげでなんら支障無く動いてくれている。万全、ではないが、通常通りに行動することは出来るだろう。
本当の意味で確かめるのは此処からだ。
『瘴気操作』でレイラちゃんと同様の瘴気を生み出し、ナイフを形成する。振るってみても崩れないし、切れ味もそこらの刀剣より良さそうだ。これは昨日も作ってみて分かる。イメージ通りに動いてくれるだけあって、中々使い勝手が良さそうだ。
次に瘴気を拡散させて部屋中に細かく散らしてみた。すると、眼を閉じていても部屋の中に何があるのか大体分かる。椅子やベッド、リーシェちゃんの武器、窓際に置かれた花瓶。
どういう色で、どういうデザインなのかは分からないけど、形だけは分かる。これが瘴気の索敵能力って訳か。レイラちゃんの言ってた通りだね。
「うん……レイラちゃんに聞けばもっと分かりそうだけど、かなり便利そうだ」
瘴気を消して、そう呟いた。
そして、今度は『先見の魔眼』を発動してみる。昨日はどうやら勝手に発動してしまったようだけど、意識したら発動を解除する事も出来た。
鏡を見てみたら発動時は翡翠色の虹彩になるんだけど、発動していない時はレイラちゃんと同じで赤い虹彩になる。どっちにしろ左眼を取り戻した僕は、発動してようがしてなかろうが、虹彩異色ということになるらしい。
うん、ちょっとカッコいいんじゃない?
中二病とか言われるけどさ、この世界には勇者気取り以外にそんなこと言う奴いないし、ぶっちゃけカッコいいと思うんだ僕。密かにレイラちゃんの赤い眼とかカッコいいなぁって思ってたんだよ僕。
「ふふふ、ビジュアル的に僕も成長したってことか」
そんなことを言いながら、僕は満足気に笑みを浮かべる。
「あ……きつね、おはよう」
「ん? リーシェちゃん、おはよう!」
すると、扉が開いて髪を濡らしたリーシェちゃんが帰ってきた。
やっぱりお風呂に行っていたらしく、しっとりと濡れた髪をタオルで纏めている所を見ると、やっぱりちょっと色っぽい。
でも、彼女の眼元はちょっと赤くなっていた。強く擦ったんだろうか? それとも、泣いていた……?
「……左眼、治ったんだな」
「うん、リーシェちゃんが気絶している間にちょっと色々あって」
「ああ……私が気絶している間に、な」
僕の言葉に、リーシェちゃんはなんだか自嘲気味にそう言った。
どうしたんだろうと思って首を傾げるけれど、リーシェちゃんはなんだか悲しげに俯くばかりだ。なんだなんだ? 元気ないなぁ、心配になるじゃないか。
「……なぁきつね、私は一体何のためにお前に付いて来たんだろうな」
「え?」
「お前に付いて来て、私は仲間の為に何が出来た……何も出来ていないじゃないか。フィニアとレイラが強いのは分かる……それでも、みすみすフィニアやルルを奪われて……お面だって取り戻すどころか動くことすら出来なかった。それなのに、いきなり何者かに襲撃されて気絶して……気が付いたらきつねとレイラがなんとかしていた…………私は私が情けない!」
自分を責める様にそういうリーシェちゃん。そういえばこの子対して役に立ってないね。まぁソレを言うなら僕は戦闘に参加してないから、リーシェちゃんの方が護衛依頼中役に立ってたと思うんだけど。
でもなんだか彼女は自分の必要性に迷っているようだ。敵を目の前に、仲間と戦えないというのは、彼女にとってさぞ悔しいことなんだろう。
まぁ知ったことではないけど。
「確かに君は役に立たないし、実力だってフィニアちゃんやレイラちゃんに比べれば随分劣っているし、ルルちゃんみたいに家族ってわけでもない。正直な所居る意味はあんまりないよね」
「う……分かっていたがはっきり言われるとかなり来るな……」
「でもさ、リーシェちゃん。僕は必要不必要で仲間を選んでないんだよ」
ぶっちゃけ、僕はリーシェちゃんみたいに自分の実力がないからって悩む様な考え方はしていない。弱いなら弱いで良い、それでも生き延びるために食らいつくのが僕だ。
その為ならあの勇者気取りにだって歯向かうし、魔王だって丸腰で倒しに行こう。レイラちゃんを相手にするのだってやぶさかじゃないし、なんならあの使徒ちゃんに喧嘩を売るのだって容易い。
「君が仲間をどういうモノだと考えてるのか知ったこっちゃないけど、僕はリーシェちゃんを頼りにしてる。それじゃ駄目なの?」
だから、仲間は必要なのか必要じゃないのかなんて考える関係じゃないし、僕は強い弱いで仲間を切り捨てない。僕より弱い奴なんて、このパーティにはいないしね。
命を預けるに足る相手だと信頼しているから仲間なんだ。例え勇者気取り並の実力を持つリーシェちゃんと1週間一緒に仕事したそれほど強くないリーシェちゃんのどっちを取るかと言われれば、僕は後者を取る。
強いだけの奴なんて、僕はいらないんだよ。
「……ああ、分かった」
「まだ仲間になって一週間も経ってない。これから頑張れば良いんだよ、僕も、君も」
「そうだな……うん、頑張るよ」
苦笑気味に微笑みを見せるリーシェちゃん。励ましになればいいけれど、まぁリーシェちゃん次第だよね。
さて、それじゃそろそろ動きますか。まずはレイラちゃんを探しに行こうかな。
◇ ◇ ◇
部屋を出て行くきつねの背中を見ながら、私も武器と荷物を持って部屋を出る。
彼の後ろを歩く私は、内心で彼に対する尊敬と感心を抱いていた。
私は元々、騎士としての可能性を見出せずにいて、父様にも騎士の皆にも見捨てられがちな状況だったのをきつねによって助けられた。まぁ助けられたというよりも、別の可能性を見出されたといった感じだったが、それでも私は感謝している。
2年間分からなかった、私が剣を振るえない理由をたった2時間程で見出してしまったその観察眼や、また格上に対して自分を押し通す胆力、勇者という権力的にも実力的にも格上である相手に対し、負けはしたものの精神的には押し勝っていた様だった。
彼の強さはその類い稀な精神力と、強敵に臆さない胆力にあるのだと思う。
今でこそフィニアやルルを取り戻す為に強くなることに貪欲さを見せているが、少し前までは強くなろうという意思は全くなかったのだ。
なのに、戦うことからは逃げていなかった。確かに彼は、父様の言う通り戦う術とは別の、何か違う強さを持っていると思う。
「ふんふんふーん……♪」
鼻歌を歌いながら前を歩くきつね。どうやら今日は機嫌が良いらしい。
彼と仲間になって短くも時間が経ったが、その短い時間の中でかなり濃い出来事が多くあった。レイラとの邂逅、勇者との戦い、そして謎の襲撃。
―――その全てで、私は何の役にも立てていない。
レイラとは何があったのか、私自身何も知らないのだが、それでも勇者の時や謎の襲撃のときは、結果的にどちらもきつねが一番前に出て重傷を負った。
仲間なのに、私は強者を前にして臆してしまったんだ。実力だって、私の方がきつねよりも強い筈なのに。
「なぁきつね、これからどうするんだ?」
「ん? ああうん、とりあえずこの国を出るよ。どうやら僕にぴったりな国があるみたいだから」
「そうか……」
廊下を歩きながら、そんな会話を交わす。会話は続かず、結局また沈黙してしまった。
きつねは私に、必要不必要で仲間を選んでいないと言った。彼にとっては、強い仲間はそれほど必要じゃないらしい。背中を預けられる、信頼出来る者が仲間なんだと、そう言った。
そして、何の役にも立てなかった私を、頼りにしていると、それじゃ駄目なのかと、そう言ってくれた。
「……きつね」
「ん? どうしたのリーシェちゃん」
その言葉は、私の心に染み入った。
ならば、きつねが私を頼りにしてくれているというのならば、強くなろう。勇者にも立ち向かえるように、誰よりも強くなろう。
「私は強くなるよ、約束だ」
だから、きつねは見ていてくれ。私はきっとお前の期待に応えてみせる。騎士では無くなってしまったけれど、私は私の剣に誓うよ。
きっと、強くなってみせる。
「え、いきなり何? 怖いんだけど」
台無しだよ。お前はいつも締まらないなぁ……全く。
少しづつ、成長すればいいのさ。リーシェちゃんも、レイラちゃんも。