生き延びた日
「とりあえず逃げるよフィニアちゃん!」
「え、逃げるの!?」
二体の怪物に挟まれた状況で、戦えるのはフィニアのみ。そんな状態で勝算を見出せるほど桔音も馬鹿じゃないし、戦闘において天才的でもない。結論を言えば、この状況下に置いて彼らが取れる有効な手段は『逃走』である。『闘争』も『逃走』も字は違えど読みは同じ、誇るべき戦法である。
「と、言い訳してみたりして……!」
「きつねさん足遅いね!」
「それ飛んでる君が言うの?」
桔音とフィニアは逃げる。無論、森の中で見つけた獲物を取り逃がす程弱肉強食の世界は甘くない。二体の怪物達は、我先にと桔音達を追い掛けて来る。背後から迫るプレッシャーは凄まじく、普段から足が遅いと自覚はしていたが、更に遅くなっている様な感覚に陥った。
故に、走りながら考える。あの二体の怪物を倒す……もしくは退ける方法を。
「はぁっ……はぁっ……! こんな時、物語なら凄く強い冒険者とか勇者とか来てくれるもんじゃないかな……!」
「絶望的な可能性に縋ってるね! まるで捨てられる前の女々しい男みたいだよ!」
「それ何処のゴールデ○ボン○ー?」
こんな会話をしてはいるが、状況は切迫している。桔音にとってはフィニアのこんな陽気さがありがたかった。
背後を一瞥して、二体の怪物の様子を窺う。見た所あの二体は人間である自分を狙っている所から肉食、なおかつ虫と狼ならば種族も大きく異なる筈だ。
「―――なら……イケる、かな?」
桔音は思考する。怪物とその周囲の状況、そして自分達の手札、諸々全ての情報を考慮して出来ることを考える。
「……フィニアちゃん」
「何かな、きつねさん!」
「―――少し、聞きたい事がある」
桔音は薄ら笑いを浮かべながら、そう言った。
◇ ◇ ◇
―――二体の怪物は、追っていた獲物を見失っていた。
この怪物たちは二体とも、桔音の予想した通り肉食の獣であり、この世界においてはそのどちらもが『魔獣』と呼ばれる生物だ。並の人間であれば遭遇した瞬間に死を覚悟しなければならない存在であり、魔獣は弱い部類でも一体いれば数十人の人間を食い殺す。そんな魔獣の中でも、この狼と蜘蛛は中堅クラスの存在だ。
狼の方は『溶焔狼』と呼ばれ、体内に持っている超高熱器官から炎を生み出し、炎で攻撃してくるのが特徴だ。その特徴から、皮膚や体内の熱耐性は凄まじいものがあり、例え煮え滾る溶岩の中でも悠々と泳ぐことが出来る。
蜘蛛の方は『暴喰蜘蛛』と呼ばれ、発見されているモノの中でも最大全長5mになる超巨大な魔獣だ。蜘蛛というだけあって、体内で生成した粘着性の糸で獲物を捉えることもあれば、自分自身で獲物を追走する場合もある。また咬まれた場合麻痺性の毒も持っているので、一度捕まったら逃げることは難しい。
勿論、この二体は仲間では無い。寧ろ同じ獲物を奪い合う敵同士だ。では何故この二体はお互いが近くにいるのに戦わないのか、それはお互いまずは獲物を確保しておくことを第一にしているからだ。
桔音という獲物を逃げられないよう確実に殺して、それから獲物を奪い合い、殺し合うのだ。
だが、今はその獲物を見失っている。その苛立ちは、目の前にいる敵に向かうのは仕方のないことだった。
「グルルルルル……!!」
「カロロロロロ……!!」
お互い、2mを超える巨体の持ち主同士が睨み合う。そして、地を蹴って衝突する――――瞬間だった。
「隙あり」
そんな声が聞こえた。魔獣達がその声の聞こえた方向へと振りむく前に、二体の魔獣は真横へとぶっとばされた。二体の魔獣が吹っ飛ばされながら自分達のいた場所を見る。そこには、切られた木の丸太が振り子のように揺れていた。あれが自分達の身体を真横から打ったのかと理解した。
二体とも空中で体勢を立て直し、着地する。
だが、
「隙だらけだよ!」
その方向には小さな声が待ち構えていた。思想種の妖精、フィニアである。彼女はその小さな両手を突き出し、この場所で溜めていた魔法を発動させた。今度は衝撃波の魔法といった下級魔法ではなく、高火力の高位魔法。無詠唱だが若干の溜めが必要な程の魔法だ。その魔法の名前は―――
「―――妖精の聖歌」
唄う様に響くその魔法の名前、その効果は『ほんの小さな白い炎を生み出す』というもの。見た目では全く派手でも怖くも無い魔法だが、その白く吹けば消えてしまいそうなほどの小さな炎が脅威の力を持っている。
フィニアはその小さな炎をあろうことか、溶焔狼に向かって放った。この魔獣は、炎に対して随一の耐性を持っているというのに。
「ガアアアアアア!!」
だからこそ、溶焔狼はその炎を避けなかった。この魔法の怖い所は、凄まじい力を持っているのにもかかわらず、その脅威を悟らせない儚さにある。
その証拠に、小さな白い焔をその大きな口で呑み込んだ狼は――――
「掛かったな頭の悪い犬め!!」
フィニアのそんな言葉と同時、体内から白い光と共に爆散した。白く燃えながら飛び散る血液と肉片が、べちゃべちゃと地面を赤く染め上げた。
「なんだ……この世界の生物も、血は赤いんだね」
そして、飛び散った血液を身体に浴びながら、桔音はそう呟いた。頭に掛けた狐のお面から赤い血液を滴らせ、薄ら笑いを浮かべる。その瞳は蜘蛛を見ていた。
「カ……ロロォ……!?」
その時初めて、蜘蛛は桔音に対して危険を感じた。プレッシャーは感じない、強者の匂いも感じない、桔音は弱者のままで危険の匂いだけを感じさせていた。無論、桔音に何か手がある訳ではない。桔音が何かをしている訳ではない。桔音はそこに立っていて、ただ返り血を浴びているだけだ。
だが、桔音には異世界に来る以前から一つの性質があった。
それは、『気味悪がられる性質』
同じ人間なのに、何故か排他された。だがそれは、理由があった訳じゃない。なんとなく、理由も無く、何故かそうなっていただけ。この世界ではそれが、魔獣にも適用されたのだ。
暴喰蜘蛛は、目の前の桔音を気味悪く思った。奇怪で正体の分からない気配。
「さて、次は君の番だ」
桔音がゆぅらり、と指を蜘蛛に向けた。蜘蛛はその行動だけで、一歩後ずさった。蜘蛛は思う、近づいて咬み付けば勝てる、確信があると。なのに近づけない、いや、近づきたくないとも思っていた。
先程までは違った、弱いだけの存在だと思っていた。だが、自分でも苦戦しそうな狼をこうも易々と殺してみせたではないか。それだけで十分脅威、下手すればここで死ぬ可能性も否定出来なかった。
故に蜘蛛は本能で判断する。蜘蛛は本来慎重な生き物だ、確実に勝てる状況でない限りは身を潜め、己が身を護る。桔音の正体が理解出来ない以上、蜘蛛は容易に接触しないことを選んだ。
「カロロロロロ……!」
撤退。蜘蛛はお尻から粘着性の糸を吐き出し、木々を渡って去って行った。桔音はそれを追わない。何故か分からないが、去ってくれたのなら深追いは不要だ。
「………ふぅ、ありがとフィニアちゃん」
「いいよ! それにしても、あんな穴だらけの作戦で良く生き延びたね! 奇跡だよ!」
真っ赤に染まった桔音は寄ってきたフィニアの言葉に苦笑する。
桔音の作戦はこうだ。フィニアの魔法で切り倒した丸太をそこかしこにぶら下がっている蔓に括りつけ、追ってきた怪物達にぶつける。そして後はフィニア任せ。正直な所、桔音はフィニアがどういう魔法を使うのかも知らなかった。
とりあえず結果オーライに収まったから良いものの、丸太が当たらなかったら、フィニアが仕留められなかったら、蜘蛛が退かなかったら、ちょっとしたことで桔音達はこうしていられなかったかもしれない。
「だって僕孔明じゃないんだし、そんな聡明な頭を持ってる訳でもないし、その場凌ぎの作戦なんだから穴だらけに決まってるじゃないか」
「うわー、きつねさん何処までも駄目人間だね!」
「君の笑顔で毒を吐く性格は誰譲りなのか気になって来たよ」
「私は私だよっ! これが私オリジナリティーなんだよ!」
桔音は笑う。なんとなくこの妖精の性格が分かってきたようだ。
そして、自分の姿を見て溜め息を吐いた。血塗れだ、このままじゃ自慢の学ランも血でカッサカサになってしまいそうだ。
「とりあえず、さっき言ってた川を目指そうか」
「うん! えーと……あっちだね!」
フィニアがまた上空へと飛んで方角を示す。桔音がその方向へ進むだすと、フィニアもゆっくり降下して桔音の隣を浮遊して進む。にぱっと笑うフィニアはそこはかとなく雰囲気を明るくしてくれた。
「うーん……なんか生臭いなぁ……」
桔音はそう言いながら、薄ら笑いを浮かべて足を進めるのだった。
◇ ◇ ◇
しばらく歩いて、川に辿り着いた桔音達は一休みしていた。案外、街は遠くとも川は近くにあったようで、直ぐに辿り着く事が出来た。今は学ランとズボンを川で洗って、干しているところだ。現在の桔音は中に来ていたTシャツとトランクスのみの状態で胡坐を掻いている。フィニアは疲れたのか桔音のお面の中に入って出てこない。
「……というか、お面の中入れるんだ……人間で言えば母親のおなかの中に入る様なもんだよね……そう考えるとやっぱファンタジー?」
誕生日で貰ったお面が、今自分の持っている最大のファンタジーだということを感慨深く思いながら、桔音は段々日が落ちていくのを感じる。それにつれて暗くなり始めた空を見上げた。
そして、今日一日で起こったことを振りかえる。
元の世界で死に、親友を泣かせた。
死んだと思ったら、異世界に来ていた。
大きな狼に襲われ、フィニアに出会った。
大きな狼と蜘蛛に襲われ、なんとか生き延びた。
川まで辿り着き、こうしてなんとか生きている。
今日は何度も死に掛けた。死んだあとなのに、何度も死に掛けた。今日を生き延びたけれど、明日を生きられるかは分からない。それを考えればまだまだ気は抜けられなかった。
「……これは元の世界に帰る云々言ってる場合じゃないかもしれないなぁ」
桔音はそう呟いて、まだ若干湿っているが学ランとズボンを着た。そしてお面を付け直し、隠れられる場所を探す。水辺は生き物の休憩所、此処にずっといれば先程の蜘蛛やその他の魔獣に襲われて死ぬ可能性もある。身を隠せる場所でないと寝ている間にいつの間にか死んでしまうだろう。
「はぁ……暗くなってきた……僕は夜型だから良いけど、森の中なんて初めてだぜ」
ため息交じりに、桔音はそう呟いた。