ルルの涙
桔音がギルドへ運び込まれた時、勇者の『希望の光』の効果範囲外へと出たのか、はたまた勇者が『希望の光』を解除したのか、桔音の『臨死体験』が発動した。
桔音を死なせまいと発動したそれは、桔音を死の寸前まで追い詰めた相手、勇者の筋力ステータスの倍の耐性を会得させる。そして勇者のステータスは総じてAランク相当、その倍ともなればレイラの時と同様にSランクの自己回復能力を手にする事になる。
レイラの時よりも酷い重傷ではあったが、数分で桔音の傷は全て完治した。肩の風穴は塞がり、腹を貫通した傷も塞がり、そして何度も殴られてぐしゃぐしゃになった顔や身体も元に戻った。
「あー死ぬかと思った」
桔音はそう言って身体を起こし、全回復した身体を動かす。
『臨死体験』というのは、発動した後は危険が去るまでその効果を持続させる。上がったステータスは、一時的に桔音本来のものとなるのだ。
そして効果を発動させたあと『臨死体験』は一度なりを潜め、危機が去った後再度ステータスを戻す為に発動する。
つまり発動と停止の間もずっと発動し続けている訳ではない。その間は機能していないのだ。
それが意味するのは、『臨死体験』は発動してしまえば戦闘が終わるまで――――『希望の光』の効果を受け付けないということだ。
「きつね君きつね君」
「なにかなレイラちゃん」
「これからどうするの?」
レイラが桔音にそう言ってくる。
桔音は薄ら笑いを浮かべ、ギルドの入口へと歩き出す。レイラもその後ろを追うように小走りで付いて行く。
「あの巫女ちゃんの目的は、フィニアちゃんを奪うこと。フィニアちゃんを見た時から、あの子の眼はずっとフィニアちゃんをどう仲間にするかを画策していたからね。だから利用した、勇者がルルちゃんを助けるとか言った時に思い付いたんだろうね」
「そうなの?」
「ねぇレイラちゃん、この国に居たなら知ってるんじゃないの? この国であんな勝負が認められているのかな?」
桔音はギルドの入り口から外へと出て、ルルを連れて去ろうとしている勇者と
巫女を見据えた。
「ううん、聞いたことない」
「だろうね……あんな勝負が認められたら、この国は戦争どころか内乱で崩壊してる」
レイラの答えに、更に歩きだし、嘲笑して桔音はそう言った。
そう、この国では決闘なんて制度は―――『ない』。
勇者の強い物が全てという言葉に対して、セシルは肯定した。だがそれは強者がなんでも奪って良いという話ではないのだ。
強者であることで多少得することがあり、多くの名声を得られるというだけの話である。今回の勝負はあの巫女、セシルが作りあげた、
――――決闘という名の、強奪の場だ。
桔音はそれを分かっていた。いや、正確には途中から気付いていた。だからこそ、最初は逃げようとした訳だが、そこから逃げ場を封じる様にセシルがあの光の輪を発動したのだ。
しかも予想外だったのは、勇者の『希望の光』だ。時間稼ぎをすればいずれ光の輪が解けると思っていたのだが、あのスキルのせいで時間稼ぎをする手段が全て封じられてしまったのだ。
故に負けてしまった。全てはあの巫女の掌の上だったのだ。
「気に入らないなぁ、やられっぱなしは趣味じゃない」
桔音はそう呟いて、立ちすくんでいたリーシェの隣に辿り着く。同時に、桔音のその言葉に反応して、去ろうとしていた勇者と巫女が驚愕の表情で振り向いた。連れていかれそうだったルルや、フィニアも同様に驚いている。
『臨死体験』の存在を知るのはレイラだけだ、無理はない。
「な……あんた、なんで」
「ああ君はもういいよ、はっきり言って君は僕の敵じゃない」
「なっ……」
勇者が話し掛けてきたが、桔音はそれを一蹴してぶった切った。
既に桔音にとって彼は眼中どころか意識の中にすら入っていない。敵にするには考えも行動も意思も覚悟も足りていない。ちょっと力を持っただけの虫を気にするほど、桔音も暇じゃないのだ。
桔音の視線は、お面を持った巫女の方へと向けられていた。
「……なんですか?」
「いや、良くやったもんだと思ってね……従者失格と言ったけど取り消すよ。お前、結構強かじゃないか」
「……どうも」
「でもさ、勇者の従者って言うなら……やっぱり従者失格だね。まぁそこの勇者気取りの従者ならお似合いか」
桔音は薄ら笑いを浮かべながらそう言った。巫女の眉がぴくりと動いた。
「でもまぁ、まんまと君の掌の上で転がされたわけだし、負けは負けだ……ルルちゃんもフィニアちゃんも、奪って行くなら奪えば良い」
そして続けて言う。自分達が何をしたのか、自分達が誰を敵に回したのか、それを思い知らせてやる。そう思いながら、『不気味体質』を発動させて巫女に向かって歩き出す。
どうやら『希望の光』は発動していないらしい。まぁ『不気味体質』が発動しているのが分かるのは、桔音とその対象のみ、勇者はそれに気が付く事が出来ない以上『希望の光』で阻害する事は出来ない。
「でも、僕は君を許さない」
「っ……!?」
鼻と鼻が触れ合う程に顔を近づけた桔音は、薄ら笑いを浮かべたままセシルに言う。『不気味体質』が発動していることもあって、セシルは逃げ出したいほどの恐怖に囚われ、身体がすくんで動けなかった。
「全力で逃げるんだね、僕はお前を追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて、最後は僕にしたことを後悔する位に叩きのめしてあげる。その綺麗なお顔を涙と鼻水で歪ませて、足腰立たない位の恐怖を与えて、子供みたいに失禁させて、最後は地面に頭を擦りつけながら必死に僕に許しを請わせてやる」
「な……あ……っ……!」
「おい、あんた!」
「何かな勇者気取り君?」
「っ……このッ!!!」
先程までは優勢だったのに、何故か桔音の言葉が二人を追い詰めていた。
しかし、勇者はその剣を抜いて桔音に切り掛かる。桔音はその速度を追えず、刀身なんて全く見えなかったけれど、
「ッ――――!?」
「残念、効かないよ。言っただろ、お前はもう僕の敵ですらない」
刃は鈍い音を立てて桔音の首に当たり、肉どころか皮膚すら切り裂けず止まった。
『臨死体験』で向上した耐性能力値は、Aランクの力ですら寄せ付けない。
「まぁ、これ位にしておくよ。これ以上やると、君達泣いちゃうでしょ?」
「くっ……!」
「ッ……!」
桔音は嘲笑しながらそう言って挑発し、セシルから二歩三歩と離れた。そして先程から言われっぱなしの二人は言い返せないストレスに歯噛みする。
だがもう桔音の視線は二人に向いていない。
「ルルちゃん、フィニアちゃん」
「きつねさん……」
「きつね様……」
どれだけ言おうが、負けは負け。どれだけ卑怯だったとしても、敗北した以上は何も言えないのだ。だからこそ、桔音はここで無様に足掻いたりしない。卑怯卑劣には全力を持ってして叩き伏せ、屈辱を味あわせてやる。
「ルルちゃんにはさっきも言ったね」
「……はい」
桔音は先程、ルルにも言ったことをもう一度、はっきりと言葉にする。取り返そうと思えば、今にでも取り戻せる。
しかし、今はそうしない。それは悪足掻きでしかないし、卑怯な勇者達と同じになってしまうから、そうしない。
あくまで正々堂々と、真正面から挑んで、取り戻す。
「待ってて……絶対に取り返すから」
だから今は少しだけ、待ってて欲しい。そういう思いを込めて、桔音はフィニア達にそう言った。
「うん……待ってる」
「はい……!」
フィニアとルルは、その思いを受け取ってそれを受け入れた。待っていれば必ず取り戻してくれると、そう約束してくれたのだから、信じて待つことにした。
桔音はルルとフィニアを抱きよせて、優しく抱きしめた。
また一つ、守らなければならない約束が増えた。
◇ ◇ ◇
それから、ルルちゃんとフィニアちゃんは勇者達に連れられて去って行った。どうやらこのまま国を出て魔王討伐の旅に出るらしい。
二人を連れ去られたのは納得出来ないけれど、フィニアちゃんがいればルルちゃんを護ってくれる筈だ。きっとまた会える。
「良かったのー? きつね君」
「何が?」
「フィニア達を行かせて、まぁ私は別にどうでもいいけど」
すると、レイラちゃんがそう聞いてきた。まぁ、良くはないけれど、ちゃんと取り戻すって言ったからね。約束は守るよ。
あの二人は本当に腹立たしいことばっかして行ったけれど、絶対いつか復讐する。泣きながら僕に頭を下げさせて、ごめんなさいって言わせる。
その為にはもっと強くならないとね。手っ取り早く強くなる為には、強い相手と戦えば良いんだし、今日からレイラちゃん相手にちょっと殺し合いでもしようかな。
「ルルちゃん達には少し辛い思いをさせるけど……ちゃんと取り戻すから大丈夫だよ」
「ふーん……うふふっ♪ そっかぁ……うんうん、きつね君らしくて良いんじゃないかな♡」
「だが、どうやって取り戻すつもりだ? 巫女はともかく、勇者の方はとてつもなく強いぞ?」
確かにそうなんだよねぇ。耐性ステータスをいくら上げたとしても、負けないだけで勝つ事は出来ない。まぁあんだけメンタルが弱いようなら言葉で滅多打ちにして心を圧し折るのも一つの手ではあるけれど、どうせならやられた分やり返してやりたい。
となれば、筋力とかをあげるのが最も効率が良いんだけど……僕の筋力値は限界値に達してるからどうしようもないよね。ただそうなると、もっと都合のいい戦闘スタイルを身に付けるしかないか。
「うん、なんにせよ……レベルをあげることが優先だね」
「まぁそうだろうけど……」
「なんにせよ、この国に居る意味はもうないわけだ……とっととこんな国出て行って、何処か別の所へ行こうよ。ミニエラに帰るのも良いし、他の場所へ行くのも良いし……」
どちらにせよ、グランディール王国は正直もう居たくない。勇者召喚した国だし、奴隷にシビアな国だし、僕に優しくないし。
それに城に侵入するのもあまり好ましくない。下手したら投獄させられてしまう。行動が制限される可能性がある以上、この国で何か行動を起こすのは不味い。
それに―――僕の『直感』スキルが、この場に留まるべきではないと告げている。
「もしかしたら、勇者以上のヤバい奴が来るかもしれないし……ね」
僕のその呟きに、リーシェちゃんもレイラちゃんも首を傾げた。
◇ ◇ ◇
その頃勇者達はというと、グランディール王国の入り口にいた。桔音から逃げる様にルルとフィニアを連れてあの場を去った二人だが、元々ギルドで一緒に旅をする仲間を待つ予定だったのを思い出し、入り口で待つことにしたのだ。
魔法使いのシルフィと剣士のジーク、旅する上で必ず力になってくれる二人だ。ギルドであんな騒ぎがあった後故に、後からやってきた二人なら誰かから話を聞いてきっと此処まで来るだろう。セシルはそう考えたのだ。
そして現在、セシルと勇者は桔音という存在の事を考えていた。
二人とも、決闘の結果勝ったというのに、全く嬉しくない心境だった。それどころか、桔音という存在を敵に回してしまったこと、これを悔いていた。無論ルルとフィニアを連れて来た事に対してではない、桔音が怖いと思ってしまったからこそ悔いているのだ。
出来ればもう二度と関わりたくない相手が、地の果てまで追い掛けてくる。それだけで顔が青褪めてしまう。それほどまでに、二人は桔音に恐怖を植え付けられたのだ。
「……セシル」
「……なんですか?」
「とりあえず気にしても仕方ないし、今すぐ追ってくるって訳じゃないだろ? 俺達の役目は魔王の討伐、こんな所で躓いている訳にはいかないんじゃないか?」
「そう、ですね……」
勇者、凪は自分に言い聞かせるようにそう言って、無理矢理作った様な笑みを浮かべた。セシルも、励ましてくれているのだろうと思ってなんとか気を取り直す。
そして、セシルがなんとか笑みを作ると、凪も重くなった空気を変えようと声を張り上げた。
「よーし! それじゃあ取り敢えず、折角の旅なんだ楽しんでいこうぜ!」
「楽しめるわけないでしょ、似非勇者」
「えっ……と……フィニア、だったっけ?」
「気易く名前を呼ばないでくれる?」
「そう怒らないでさ、仲良くしようぜ?」
「いや」
フィニアの全く心を開いてくれない態度に、凪は引き攣った笑みを浮かべる。完全に嫌われているということが分かった。これまでその正義感の強さと優しさ、そしてルックスもあってあまり人から嫌われる経験の少ない凪は、此処まであからさまな嫌悪に若干ショックを受ける。
だが、なんとか踏みとどまって今度はルルに視線を向ける。彼女は桔音との家族の絆である首輪に触れながら、会話には全く参加する気はなさそうだった。表情も何処か浮かない様子だ。
「えーと……ルルちゃん……だったか?」
「……はい」
「何処か怪我とかないか?」
「……大丈夫です」
「そ、そうか……」
会話のキャッチボールが成り立たないとはこのことだ。幾ら言葉を投げかけても、ルルは全て受け流してしまう。けして投げ返して来ないのがその証拠だ。
すると、凪はルルが首輪を弄っているのに気が付いた。
「それ、窮屈だろ? 取ってやるよ」
「え?」
すると、凪はここぞとばかりに剣を抜いて、その鍛え上げられた太刀筋を惜しげなく披露し―――
――――ルルの首輪を切り裂いた。
「あ……あああ……!」
切れた首輪はルルの首から外れ、地面へと音を立てて落ちた。
ルルと桔音が、家族になる為に二人を繋いだ首輪。勿論そんな物がなくともルルと桔音は心で繋がっている、首輪が無くなった所で家族でなくなることはない。
―――でも、ルルにとってはこの首輪が唯一の宝物だった。
それが今、非情な刃で斬り裂かれ、地面に落ちた。
「ルルちゃん!」
「あ、ああ……あああ……!」
ルルは地面にしゃがみ込み、バラバラになった首輪を必死に元に戻そうと掻き集める。いつしかぽろぽろと涙が溢れ、どうしたってくっつかない首輪を何度も何度もくっつけようと手を動かす。
しかし、どうした所で首輪は元には戻らない。
「あああ……ああああああ……!!」
ルルは涙を流す。首輪が壊れたことに対する悲しみにではない、桔音への罪の意識に涙を流す。彼と結んだ絆の証が壊されてしまった、申し訳なくて申し訳なくて、どうしていいか分からなかった。
「え、えっと……もしかして、首輪が好きだったのか? わ、悪い! 新しいのを―――」
「もういい」
「え?」
見当違いのことを言う勇者に、涙を流すルルの前に浮遊するフィニアが怒りの形相で言葉を遮る。ルルに近づくなとばかりに、勇者とルルの間に入って睨みつけた。
「貴方はもう私達に構わないで……きつねさんが言うから一緒に行動するのは我慢する、でも貴方は私達に何もしないで」
「っ……はぁ……分かった、悪かったよ」
凪はフィニアの言葉に、今はもう何を言っても裏目に出るだけだと思い、素直に身を引いた。
どうやらフィニア達の自分への好感度はマイナスを振りきっているみたいだ、と考えながら、肩を落とした。
第四章、終了です。勇者はホント駄目だな。いつかこの子には絶対痛い目見させます。