妖精と魔族
赤い夜ととりあえずケリを着けます。
一時的に、恐らく世界最強の防御力を手に入れた僕と、世界最強の感染力を持ったレイラちゃん、対峙した僕らの間には異なる空気が火花を散らし、一方は相手を手に入れようと、一方は相手を引き剥がそうと画策している。
正直なところ、今の僕達の相性は抜群に良いとも言えるし、抜群に悪いとも言えた。
何故なら、彼女の攻撃は全て僕には通用せず、僕の攻撃は全て彼女に通用しないからだ。お互いの攻撃がお互いにとって脅威でなくなった今、この勝負は終わりの見えない千日手の状態にもつれ込んだことになる。
それでも、彼女は僕の全てが欲しいし、僕は彼女の存在を遠ざけたい。
この二つの反発する思いは、やはり何処かで妥協点を見つけなければならない。実力が拮抗している今、通用するお互いの武器は……『言葉』だ。
「レイラちゃん」
「うふふっ、なぁに?」
「僕とお話しようぜ」
「また? うふふ、でも良いよ♪ 私の攻撃が通用しない今、それ位しか出来ないもんね♡」
僕の提案を、彼女は素直に受け入れた。どうやら先程までとは違って、僕のことが大好きで、発情した様子ではあるものの、冷静な思考を手に入れているらしい。素晴らしく厄介な相手になっている。彼女の精神状態が少しづつ、Sランクのそれへと成長している、それも急速に。きっと僕の存在が彼女の精神に良い影響を与えたんだろう。僕にとっては悪影響だけど。
もやもやと動く漆黒の瘴気を操って、彼女は器用にも黒いベンチを作りあげた。どうやらあの瘴気、様々な物体に変化させることが出来るらしい。しおりちゃんの顔もきっとあの瘴気を顔に張り付けてたんだろう。となると、色も変化出来るってことか。変幻自在だな、羨ましい。
「ほらほら、きつね君も座って座って♪」
「……じゃあ失礼するよ」
ベンチの中心に座るレイラちゃんが、自分の隣をぽんぽんと叩く。さっきも僕の隣に座って来たし、きっと僕が何処に座ろうとひっついてくるだろう。だから僕はもう諦めて彼女の隣に腰を下ろした。
すると、嬉しそうに彼女は僕に密着してくる。予想通り僕の匂いを嗅ぐように顔を腕に擦りつけて来て、手を取って舐め始めた。話をするって言ってんだろこの子は。
「止めなさい」
「あぁ……」
手を引いて舐めさせないようにすると、途端に眉を切なそうにハの字にし、心底残念そうな声をあげた。そんなことをする為に座ったんじゃないんだよ、一回お話って単語を調べてこい。
「ねぇレイラちゃん、僕はそろそろ帰って寝たいんだよね」
「あ♡ じゃあ続きはきつね君の部屋でする?」
「付いてくるつもりかよ」
「一緒にいれば良いってきつね君言ったもん♪」
くそ、気絶する前に言ったことが全部裏目に出ている。そう言えば好きなだけ舐めてればいいとかも言ったっけ……これは不味いな。形勢は完全に僕が不利だ。言質を取られている。話し合いに持ち込んだのは良いものの、このままじゃ僕の言葉を盾にずっとくっついてきそうだなぁ。困った困った。
「……そういえばレイラちゃん。もう一回言うけど、僕を食べないで欲しいって要求は通る?」
「んー……好きな時に好きなだけ舐めさせてくれるなら、良いよ?」
「え、良いの?」
予想外! 要求が通っただと!?
いやでも待て、好きな時好きなだけ舐めさせるってなんだ。でも拒否したらそれこそ取った言質を使ってきそうだなぁ。というかそれって僕とずっと一緒にいるって事でしょ? それはちょっと嫌だなぁ、それにこの子魔族じゃん。
それに、常時発情してるこの子のことだ、四六時中舐め続けるに決まってる。好きな時ってつまり一日中ってことだし、フィニアちゃん達もいるんだからずっと構ってやることなんて出来ない。それに周囲の人達にどう説明すれば良いんだ、自分の身体を舐めさせてる男と恍惚と舐めてる女、何プレイだよ。
でもその要求を通さない限り、この子は引かないだろう。
となると、はぁ……説明が面倒になりそうだ。
「分かった……でも好きな時にってのは諦めて頂戴。僕にだって生活がある、君にばかり構ってはいられないんだ」
「えー、やだよ。私だけを見てよ、私は貴方が大好きなんだからいいでしょ?」
「お前すげぇ自分勝手だな、逆に尊敬するよ」
「えへへー♪ やった」
「褒めてない、皮肉位分かってくれない?」
「何それ、美味しそうな名前だね!」
皮と肉か、確かに美味しそう―――そうじゃねぇよ!
「あー……それじゃ止めて欲しいって言った時に止めてくれれば後は好きにして良いから」
「んー………………分かった♪ じゃあ一日1回ちゅーしてちゅー♡ そしたらそうしてあげるぅ♡」
「お前凄まじく厚かましいな」
ちゅーって、そういえばこの子僕のファーストキス奪ったよな。強引だったよなぁ、思いだしたら苛々してきた。
あれ? でもキス出来ず天寿を全うする人もいるし、恵まれてるのかな。いやでも相手は美少女とはいえ怪物だし、バイオハザードの感染源みたいなものだよ? 病原菌を好き好んで吸い込む様なものか、やっぱり損だな。
うーん……恍惚とした発情顔で僕を見上げるレイラちゃんの顔は、それはもうエロエロで思わず見惚れちゃうような魅力があるけれど、それでも彼女は魔族で、僕は人間。
そして僕の身体を文字通り食べたい欲求を持っていて、僕は食べられたくないと思っている、それだけで寧ろ怖いよ。彼女がどれ程魅力的な表情を見せたとしても。
でも、これが僕が『赤い夜』を前に生き延びるための唯一の道ならば、
「……分かった、交渉成立だ」
「うふふっ♡」
良いだろう、進んでやる。僕は死ぬわけにはいかないんだ、生きられるなら進んでやるよ。
例えその道が、真っ赤に染まった『死』と、常に隣り合わせの薄氷の道だとしても。
「でもレイラちゃん、フィニアちゃん達を傷付けるようなら僕は君を許さない。どんな手を使ってでも殺してやる」
「あははっ♪ いいよいいよぉ……♡ その眼、ぞくぞくするぅ……♡ やっぱりきつね君さいっこう……! 好き、大好き、好き好き、超愛してるよぉ……えへへ、ねぇねぇちゅーしてちゅー♡」
「駄目、今日は昼の勝負でもう1回したでしょ。我慢しなさい」
「えー……だってもう私限界だよぉ……お腹の下辺りがきゅんきゅん疼いて仕方ないんだもん……ちゅー、して? じゃないと食べちゃうよ……♡」
こいつ、約束護れないタイプの人間だ。何ガチで発情してんのこの子、最早愛とか恋とか超越して依存だろこれ。
でも、食べられるのは嫌なので、昼間のはノーカンにしてキスしてやった。ほっぺたに。口と口とは言ってない、そのまま悶え死んでくれれば僕的には万々歳だな。
「さて、僕はそろそろ帰るね」
「ああんっ……待ってよぉ……腰が抜けちゃったぁ……♡ うふ、うふふ……きつね君大好きぃ……! 絶頂だよ……っ……♡♡♡」
「もう色々飛び越えて気持ち悪いよこの子」
僕はとりあえずレイラちゃんを無視して帰ることにした。良かった死なずに済んで。フィニアちゃんとの約束はちゃんと守れそうだ。
後ろで嬌声をあげているレイラちゃんだけど、これからどうしようかなぁ。多分史上初じゃないかな、Sランク魔族を連れてる冒険者って。『赤い夜』が特殊なのかもしれないけど。
「きつねくぅん♡」
「うわっ……」
自分が動けないからって瘴気の上に乗って飛んでくるとか卑怯だ。どんどん反則染みてくるなこの子。
あーあ、本当……生きるのってしんどいなぁ……この世界は。
そんなことを思いながら、僕は宿へと歩を進めた。
◇ ◇ ◇
きつねさんが出て行ってからしばらくして、疲れた様子のきつねさんはふらふらと帰ってきた。
すぐに飛んで近づいたけど、きつねさんはなにも言わず、すぐにルルちゃんを避けるようにベッドに飛び込んで、死んだように眠っちゃった。
びっくりしたけど、きつねさんが無事に帰って来たことが嬉しかった。心配でずっと部屋を飛び出したかったけど、きつねさんが帰るって言ったから信じて待ってた。
だから、きつねさんが帰ってきた瞬間に全身の力が抜けちゃった。
でも、
開いた扉から、黒い瘴気と一緒に、あの赤い瞳の化け物が入ってきた瞬間、私の身体は信じられない位に速く動いていた。
私も自負する小さな身体を魔力が包み込んで、部屋を満たした。赤い瞳の怪物は、同じ位赤く染まった頬を吊り上げて、おぞましく笑った。
「―――『妖精の聖歌』!!!」
眠っているきつねさんを起こしてしまうことも厭わず、魔法の呪文を叫ぶ。手に集まった魔力が白く、小さな炎を生みだす。一つだけでは無く、十数個もの白い炎を、そしてそれらは目の前の怪物の周囲を浮遊する黒い瘴気とぶつかって、相殺される。
白と黒の光が部屋を乱反射して、部屋の中に混沌とした空間を作りあげた。
「あはっ、虫の癖に凄い凄い♡ もしかして貴女、思想種ね!」
虫、彼女は私をそう呼んだ。私の眼が大きく見開かれ、驚愕に言葉を失う。まさかまさか、そう思って彼女を見ると、黒い瘴気と白い炎の隙間から顔が見えた。
白い髪、上気した顔、怪しい光を宿した赤い瞳、でも見間違うことはない。その顔は、貴女は、レイラ・ヴァーミリオン。きつねさんに嫌らしい眼を向けてた発情猫! 貴女が『赤い夜』!
「きつね君、本当におもしろぉい♪ 珍しい思想種まで連れてるなんて……♡ どれだけ私を興奮させれば気が済むのぉ……うふ、うふふふ♡」
白い炎と瘴気の衝突が終わり、部屋に元の薄暗い光が戻る。危険な相手、きつねさんの左眼を、私の力不足で奪わせてしまった相手。私が、倒さないといけないきつねさんの敵。
きっときつねさんは彼女から逃げて来たんだ。そして部屋まで命からがら逃げて来て、力尽きて眠ってしまった。だったら、私が護らないと。私はその為に強くなったんだから!
「でもだーめ♡ きつね君に貴女を傷付けちゃダメって言われちゃったから……私は貴女と戦わない」
「っ!? きつねさんが……?」
「そう、本当はきつね君を食べる為に呼び出したんだけど……惚れさせられちゃった♡ だから話し合いで食べない代わりに一緒に居させてもらうことにしたの♪」
両手を頬に当てて、恥ずかしいとばかりにそう言う怪物。人間みたいなことを言うこの怪物が、私には凄く気味が悪く思えた。
本当にきつねさんがこの怪物の言う通り一緒にいることを認めたっていうの? だってだって、この怪物はきつねさんの左眼を奪ったんだよ? なのに良いの?
「信じてくれないのは仕方ないよねー、でも本当のこと♡ だって私はきつね君のことが大好きだもん!」
「うるさい! 私の方が大好きだもん!」
「あはっ♪ 虫が何を言っても無駄だよ、貴女はきつね君の眼球の味を知ってる? きつね君の血の味を知ってる? きつね君とちゅーする時の快感を知ってる? 知らないよね? 私だけだもん! 貴女と私じゃきつね君への好きが違うの♡」
この子何言ってるのか分かんない。きつねさんの眼球の味を知る代わりにきつねさんからの好感度を著しく下げてることに気が付いてないの? ちゅーだって無理矢理奪ったくせに。頭がおかしいよ。絶対きつねさんも同じこと思ったと思う。
「……もう良いから出てって、此処は私ときつねさんとルルちゃんの部屋なの、貴女の入るスペースはないのっ!」
魔族なら魔族らしく森へ帰ればいい。発情した顔を見るだけで不愉快だよ。
すると、彼女は勝ち誇った様な笑みを浮かべて、予想外に素直に部屋を出て行った。何この気持ち、物凄く苛々する。あの勝ち誇った顔を殴ってやりたい。多分きつねさんも同じ気持ちだと思う。絶対そうだよ。
扉が閉まって、部屋の中には私ときつねさん、そしてルルちゃんが残される。ふと、急な脱力感と疲労感に襲われて、私はふらふらとベッドの上に降り立つ。きつねさんと隣で眠るルルちゃんの顔を見て、大きく息を吐いた。
そして、ルルちゃんの隣に寝転がってシーツに身体を埋めた。
「……何が何だか分からない」
呟いて、眼を閉じる。睡眠が必要ない妖精の私だけど、なんだか眠たくなった。きつねさんが帰ってきた安心感と『赤い夜』が去った脱力感がきっと眠気を誘ったんだろう。
深呼吸して、意識を深く沈めていく。そしてもう少しで眠りの世界へと入っていく――――
瞬間、
私の隣で、変化が起こった。
「!?」
眼を開けて、視界に飛び込んできたのは―――真っ白な光だった。
赤い夜との一件が終息して、間髪入れずに別の話。