番外編 屍音の苦悩
―――転校生の屍音ちゃんは、かなり我儘な子です。
この四月、遂に最上級生である六年生になった私たちのクラスに一人の転校生がやってきた。正確には同学年に二人やってきたみたいだけど、一人は別のクラスで、私たちのクラスに来たのはもう一人の方。
名前は薙刀屍音ちゃん。
頭に王冠の付いたミニハットを付けた子で、不機嫌なのを隠さない仏頂面でその子は登場した。それでもとっても可愛らしい顔立ちをした子で、男子たちのどよめきが彼女の容姿が整っていることを証明している。
ここまでの五年間、私たちの担任として一緒に過ごしてきた三井先生――渾名はミッチー――が彼女に自己紹介を促すと、彼女はとても面倒くさそうな表情を浮かべてからしばらく黙ったのち、重々しく口を開いた。
私たちはその声が発せられるまでのコンマ数秒の間で、一気に正体不明の緊張感に囚われる。
「私の名前は屍音、じゃれ合う気はないから、話しかけないでね」
そして声を聞いた瞬間、私たちはその言葉に支配されるような感覚を覚えた。
自分たちとは全く別世界の人間、格上の人間であると思わされるその感覚は、小学生である私たちには少し苦しく感じる。口元を抑えている子もいた。
ミッチーもその空気の重さに気がついたようで、すぐさま屍音ちゃんに声を掛ける。
「じゃ、じゃあ屍音さんの席はあそこの空いている席ね」
「あー、めんどくさぁ……」
屍音ちゃんの席は、私の隣。
しかも窓際最後尾なので、必然的に彼女の隣は私だけ。つまり、彼女がこれから何か必要な時にコミュニケーションを取る相手は私である可能性が高いということだ。
コツコツと足音を立てて私の隣までやってくる屍音ちゃん。クラスの視線を一身に浴びて尚悠然としていて、堂々とした佇まいはとても絵になっている。イメージとは全く違うけれど、まるでお姫様の様な触れ難さがあった。
「そこのアナタ、椅子を引いて」
「は、はい!」
歩きながら自分の席の隣にいた私を見ると、当然とばかりに命令してくる。
私はその命令にムッとすることもなく従い、慌てて彼女の椅子を引いた。彼女は私の引いた椅子に腰を下ろし、彼女の膝の動きに合わせて私は椅子を前に戻す。慣れない動きだったからか、屍音ちゃん自身で軽く位置調整をしていたけれど、特に何も言われなかった。
ホッと胸を撫で下ろし、私も席に座る。
「はい、それでは屍音さんも何かわからないことがあれば皆に訊いてね!」
すると、ミッチーがそう言って空気を変えるように手を鳴らした。
皆も呼吸を忘れていたようにハッと我に返り、教室を包んでいた重い緊張感から解放される。私も、一気に身体が軽くなった様に感じた。
ともかく、これが私たちと転校生の屍音ちゃんとの出会い。
仲良くなれるのか、これからどうなるのか、少しの不安を抱えながらも……私たちは今日も一日授業を受けるのだった。
◇ ◇ ◇
それから一月もすれば、段々と屍音ちゃんのいる日常にも慣れてきた。
未だに彼女の持つ格の差というか、自分たちよりも上位の存在感は健在だけれど、彼女がいる日常の過ごし方がわかってきた感じだ。
基本的に、屍音ちゃんは必要な時以外は誰とも話さない。
いつも退屈そうに窓の外を眺めていて、先生に当てられてもガン無視。授業中は大抵寝ていたり、家から持ってきたのか最近はルービックキューブやパズルをやっていたり、かなり自分勝手な態度を貫いている。
たまに隣からチラ見しているけれど、ルービックキューブは数秒で全面揃えていたし、パズルなんて柄無しの真っ白い奴だった。ピース数も多め。一時間目が終わるころには完成していたけど。
どうやら屍音ちゃんは頭の回転も凄いらしい。
「あの、屍音ちゃん、宿題集めてるん、だけど……」
「何それ? ……ああ、この前の紙切れか……机に入れっぱなしだったっけ、はい」
「は、白紙……」
クラスの委員長が屍音ちゃんに宿題の提出を求めるも、屍音ちゃんは机の中に入れっぱなしにしていたらしいプリントを渡してくる。当然、白紙である。
かなり綺麗な状態のままだから、多分机の中に教科書なども入っていないのだろう。パズルやルービックキューブなどの玩具を入れてくるのだから、カバンの中にもないのだろうけど。
本当に自由で我儘な子だと思う。見ていて面白いけれど。
「あの、宿題はやらなきゃだめ、だよ?」
「宿に持って帰ってないんだから、私に宿題なんて出てないよ」
「あう……」
こういう時、屍音ちゃんは口も回る。
委員長は元々気の強いタイプではないから、屍音ちゃんと目が合うとすぐに逸らしてしまった。そして白紙のプリントを受け取ろうと、震える手を伸ばす。
すると、その時――
「……迷惑を掛けてはいけません」
――教室の扉の方から、そんな声が聞こえてきた。
クラスの皆が目を向けると、そこには癖のある薄いブラウンの髪に翡翠色の瞳を持った女子がいた。一月前、屍音ちゃんと同時期に転校してきた子だ。
名前は確か、ルルさん。
屍音ちゃんのお姉さんだって聞いたけれど、全然似ていない。髪の色も、瞳の色も、顔立ちも似ていない姉妹だと思う。それに、性格も真反対らしい。
屍音ちゃんはこんなにも我儘で自分勝手なのに、ルルさんは温和で優しく、皆から好かれるお姉さんなのだそう。羨ましい。
「げ……なにしにきたの」
「貴女がクラスの方々に迷惑を掛けていると聞いたので」
「おにーさんの奴隷だったくせに、もうお姉さん面するの?」
「私がきつね様の奴隷だったことは一度もありません、出会ったあの日から……私はきつね様の家族です」
「うぇ~……おにーさんといい、アナタといい、そういう時だけ都合いいんだよね」
「宿題はきちんとやるべきです」
「めんどくさい……もういい、帰る」
屍音ちゃんはルルさんの登場によって分が悪いと判断したのか、転校してきた時の様な仏頂面のまま立ち上がり、スタスタと帰ってしまう。
ルルさんはそんな屍音ちゃんの様子を見て溜息を付くと、私たちに向かって一つぺこりと頭を下げて教室を出ていった。
あの屍音ちゃんを退ける人がいるとは思わなかったので、少々びっくりした。
我儘なお姫様だった屍音ちゃんだったけれど、ルルさんは同年代とは思えないくらい雰囲気が大人っぽくて格好良い。なのに見た目は凄く可愛らしいから、そのギャップにちょっとクラッときてしまった。
流石は屍音ちゃんのお姉さん、只者じゃない。
「はぁ~……怖かった」
「あはは、委員長……大変だったね」
「屍音ちゃんを前にすると、なんとなく緊張しちゃって」
「でも、屍音ちゃん……ルルさんの前だとあんな感じなんだね」
「確かに……ちょっと子供っぽくて可愛かったかも」
「ね! 実はそんなに怖くないのかも!」
ルルさんの登場は、私たちに屍音ちゃんの別の一面を見せた。
気高く、自分たちとは住む世界の違うお姫様かと思っていたら、意外に存在した屍音ちゃんの子供っぽい一面。私たちと同じ小学生らしい一面が、彼女にもあった。
これはもしかしたら、屍音ちゃんと私たちの間にあった壁を壊すきっかけになるのかもしれない。
「……明日、屍音ちゃんに話しかけてみようかな」
「え!?」
私の呟きに、委員長が驚いた声をあげる。
それもそうだろう、屍音ちゃんは最初の自己紹介で言ったように話しかけられるのを嫌う。委員長やミッチーが必要な時に声を掛けること以外で、彼女が誰かと話すことはこの一月一度もなかったのだ。
話し掛けてはいけない――そういう暗黙の了解の中で、誰も動くことができなかったこの一月。
ついに、屍音ちゃんに話しかけようとしている。
私はそんなにコミュニケーション能力が高いわけではない。どちらかといえば、一歩下がって見守っている方が性に合っているし、面倒な人や怖そうな人には近づこうとも思わない。
それでも屍音ちゃんに声を掛けようと思っている私は、正しくおかしいのだろう。少なくとも、今までの私からは想像も付かない私が生まれている。
「……そっか、私……屍音ちゃんと仲良くなりたいのかも」
「……そうなんだ」
委員長が、微笑みを浮かべながら私を見ている。
意外に思われたからだろうか? いや、委員長はそういう人ではない。きっと私が少し違う道に踏み出そうとしているのを応援してくれているのだろう。気の強さではなく、こういう人に寄り添おうとする部分が、委員長の委員長足らしめているところだろう。
少し照れくさくなって、私は屍音ちゃんのように窓の方へと視線を向けるのだった。
◇ ◇ ◇
「やぁ屍音ちゃん、ご機嫌ナナメだね」
「おにーさん……何? ご飯の時間?」
「僕は君のお母さんか。いいや、いつもよりも不機嫌そうだからつついてみようと思って」
「悪趣味ぃ……そういうところがムカつくんだよね、死んでよ」
「君が死ね」
「いや、おにーさんが死ね」
「自己中」
「キモイ」
「キモイって結構心傷付くんだからね?」
「キモイキモイキモイキモイキモイキモイ……」
「こいつ鬼の首取ったりとばかりに……」
早退し自宅で不貞腐れていた屍音に声を掛けたのは、次に帰ってきた桔音だった。
いつもよりも不機嫌な様子の屍音を見て桔音は声を掛けたのだが、屍音はいつも通り桔音を罵倒するのみ。耳を塞いでキモイとだけ言い続ける屍音に、桔音は溜め息をつく。
すると、桔音の後ろから違う人影がひょっこり顔を出した。
「お邪魔しまーす♪ きつね君、この挨拶合ってる?」
「合ってるよ」
「……また意味分かんないのがきた」
顔を出したのはレイラだった。
彼女はこの世界にやってきてからというもの、その性格とは裏腹に聡明な頭でこの世界に順応していた。この世界の常識に沿って、自分の立ち居振る舞いをすぐに変えることができたのだ。
そして今では、白髪に赤い瞳という特殊な見た目ながら、異世界のクレデール王国の学院で人気を得たように、この世界でも同じような人気を得ている。
もちろん、レイラの桔音への思いは周知の事実なので、その上での人気だ。レイラの立ち回りが如何に上手いかがわかる。
「で? 学校で何かあったのかな?」
「うっさいなぁ」
「まぁ、いいけど……」
「そもそも、私はこっちの世界にくるつもりはなかったのに連れてこられたんだから、不満があるに決まってるじゃん」
「そんな理屈は僕には通用しないよ、僕だってあの世界にいくつもりはなかったのに連れていかれて、君や色んなものに殺されかけた……君がそうならないなんて都合の良いことは思ってないでしょ? 君が僕にしたことが、今君にも来てるだけだよ」
「ぐぬぬ……この世界は窮屈なんだよ、向こうと違って人を殺せば面倒なことになるし、そもそもこっちに来てから私の力のほとんどがなくなってるし」
「そう? わかりやすいと思うよこの世界は……一番であることが、わかりやすく賞賛される世界だからね」
桔音の言葉に、屍音は首を傾げた。
一番であることが、わかりやすく賞賛される世界。そんな世界には思えないというのに、何を言っているのかと屍音は思った。けれど、桔音は屍音に向かって更に続ける。
「誰よりも足が速ければ賞賛される、誰よりも力が強ければ賞賛される、誰よりも頭が良ければ賞賛される……此処はそういう世界だよ」
「……へぇ、面白いことを聞いた……どういうことかな?」
「向こうの世界にはないけれど、こっちの世界には単純にそういったものを競う場があるってことさ。オリンピック、ノーベル賞、色々な場所で人の一番が賞賛される……それは一番であれば誰だって己を証明することができる」
「……」
「やってみれば? 小学生からなら、余裕で間に合うからね」
屍音は、桔音の言葉に面白そうなものを見つけたと目を煌めかせた。
たった一つ、一番になれば賞賛される世界。
屍音は向こうの世界で持っていたスキルをほとんどを失っているし、身体能力も大幅に落ちたが、それでも現時点で並のアスリートを凌駕する身体能力を保有しているのだ。
少しチートかもしれないが、異世界ファンタジーでチート能力を持って無双するよりは幾分健全だろう。魔獣や魔族、命のやりとりがないのだから。
「明日も学校行きなよ」
「……いいよ、おにーさんに乗せられてあげる」
「ま、その為にはある程度人と仲良くなることを覚えないといけないけどね?」
「え」
桔音はハハハ、と笑いながら部屋へと戻っていく。屍音が視線をそちらに移せば、丁度レイラが桔音に付いて姿を消すところだった。
何かで一番になれば賞賛される世界。
けれど、その為にはある程度人と仲良くなる必要がある。
「やっぱりこの世界、クソだ!!」
そしてこの翌日から、屍音は人と仲良くなるために悪戦苦闘することになった。
都合よく、隣の席の少女が声を掛けてくるのだが……それに上手く返せたかどうかは、またどこかで語られることだろう。
MerryChristmas!
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親友を守り異世界へと消えた桔音は、親友の元へ帰るために危険な異世界で手がかりを探す‼︎
チート無し!超危険な異世界で彼を待ち受けるものとは⁉︎
加筆修正をして、Web版とは少し変わっている部分もありますので、是非お手に取っていただければと思います!
よろしくお願いいたします。
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