ただいま
目が覚めた時、桔音は久しぶりに感じるベッドの柔らかさを感じた。
異世界の技術では固いベッドの感触しかなかったからか、化学の技術で作られた柔らかな寝具のスプリングに違和感を感じてしまう。それだけで、元の世界に戻って来たのだと実感出来た。
身体を起こして見渡せば、元の世界の日用品や家具で整理された部屋ではあるが、自分の部屋ではないことが分かった。
そもそも元々の桔音の部屋にベッドはなかった。それもそうだ。碌でもない母親に養われていたのだから、彼の寝具は薄っぺらな布団だったし、家具だって充実してはいなかった。
どういうことだろうか、と桔音は考えるが―――よくよく考えてみれば神が環境を弄ったのだろうと納得した。
「……戻ってきた、でいいのかな?」
やけに真新しいカーテンを開けて、その奥にあった窓から外を見る。
そこには見覚えのある住宅街の風景があった。場所も今まで桔音の家があった場所のようだが、どうやら家の構造や質まで変化しているらしい。
部屋の中を見渡せば、真新しい勉強机や壁に掛けられた馴染みのある学ラン、本棚に収納された何冊かの本やクローゼット等々、見覚えのない家具が幾つかある。大事な桔音のお面は勉強机の上に置かれていた。
「……」
お面を手に取り裏返したり叩いたりするも、フィニアが出てきたりはしない。
元の世界に戻って来たのは良いものの、無事に仲間達は全員こちらの世界にやってきているのだろうか。それが気掛かりだった。
「ん? なんか良い匂い……?」
「おーい、きつねー! 起きろー学校だぞ!」
桔音がふと食事の匂いを感じ取ると、部屋の外から自分を呼ぶ男の声がした。
男? と思いながら、桔音は首を傾げる。
自分の父親はいなくなって顔も知らないし、そもそも自分を起こすような親しい男性なんてこちらの世界には一人もいない。
ただ、少し懐かしさを感じさせる声色。
桔音は部屋の扉を開けて廊下へと出た。窓を見た時にも思ったが、どうやら二階建てのようで桔音は匂いを辿って階段を下りていく。
「……随分綺麗な家になったなぁ」
そうして一階へと辿り着き、桔音は一階の廊下を歩いていく。
此処がリビングなのかな、と思いながら一つの扉を開くと、そこは予想通り広めのリビング。六人ほどが座れそうなテーブルには数人分の朝食が並べられており、既に座っている人物が三人。キッチンに立っているのが一人いた。
桔音はそこに座っている人物達を見て、驚きに目を剥く。特に、気まずそうに頬を掻く男性がいることが、桔音にとって驚きだった。
なぜなら、
「ドラン、さん?」
「えーと……よう、久しぶりだな、きつね」
そこには、異世界で死別した仲間――ドランがいたからだ。
「私たちも驚いたよ、気が付いたら見知らぬ家に居て、ドランさんが甦ってるんだからな」
「というか折角成長したのに元通りってどういうことなの?」
「おはようございます、きつね様」
「リーシェちゃん、屍音ちゃん、ルルちゃん……」
更にそこには桔音の仲間である、リーシェとルル、幼い身体に戻っているが、屍音までいる。
どういう組み合わせなんだと思わざるを得ない。キッチンに立っているのがリーシェだから、料理を作ったのもリーシェなのだろうが、現代科学で出来ているキッチンを使いこなせていることも疑問を感じてしまう。
困惑している桔音を見て、ドランが口を開いた。
「いやな……俺も困惑してるんだけど、どうやら俺達は桔音の家族としてこの世界に存在しているらしい。こっちで目が覚めた時に、一気にこの世界での記憶っつーか、そういう風になっているって認識が流れ込んできてな……こっちの文化とか最低限の常識とかも一緒に頭に叩き込まれたみたいだ」
「家族……?」
「つまり、私たちはこっちの世界ではおにーさんの家族として生まれたってことになってるんだってさ……なんで私が妹なのか理解出来ないけど……」
ドランと屍音の話を聞くところによると、どうやらドランは桔音の保護者、屍音とルルは桔音の妹、リーシェは同い年の姉としてこの世界に生まれたことになっているらしい。
屍音とルルの見た目が完全に人間になっているのを見ると、どうやらドランを除き、肉体的にも血の繋がった家族になっているようだ。
とはいえ、ルルの獣耳や尻尾、屍音の尖り耳が無くなっただけで、それ以外の見た目や色は全く変わっていないので、家族にしては全然似ていない。
ドランが生き返ったのは、おそらく桔音が神に対し『仲間全員』と言ったからじゃないかとドランは述べた。
なんにせよ、この世界において目の前に居る彼らが桔音の家族になったということらしい。となると母親はどうなったのだろうか、と考えが過ぎる。
「ちなみにお前の母親が重度のアルコール依存、薬物依存、精神疾患で治療施設に入ったから、残されたお前達を親戚の俺が引き取ったってことになってるらしい」
「なるほど」
元から酒に溺れ、桔音のせいで精神的にも病んでいた母親だ。桔音の知らない所で薬に手を出していてもおかしくはない。神がその辺を利用して母親を治療施設に入れたのだろう。
完治して戻って来た時どうなるかは分からないが、その辺は追々考えていけばいいことだろう。
とりあえず、桔音は現状とこの場に居るメンバーの関係性を把握した。
「ルルちゃんと屍音ちゃんは見た感じ人間になったみたいだけど、身体に異常はない?」
「はい、以前より五感が鈍ったり、身体が重く感じたりはありますが、健康的には問題ないと思います」
「スキルや魔力も使えなくなってるから、大分不便。というか、私はこっちに来るなんて言ってないんだけど?」
どうやら完全に人間の肉体になっているらしい。
スキルや魔力などは使えなくなり、身体能力も以前に比べればやや落ちるものの、健康的には問題ないようだ。とはいえ、能力が下がったといっても、この世界での身体能力はかなりのものだろう。
戦い方も身に沁みついているだろうから、暴漢に襲われたとて彼女達なら問題なさそうだ。桔音もこちらの世界で比較すれば、誰が相手だろうと確実に勝てる位には強いのだから。
当たり前だろう。桔音の最初のステータスが健康な男子高校生の数値だったのだ、最終的な能力値が多少劣化しようと、男子高校生数十人分の身体能力が備わっている。ルルたちに至ってはそれ以上――力の使い方は気を付けなければならないだろう。
「まぁ、仲間全員って言っちゃったから、屍音ちゃんも含まれたんじゃない? というか、あの神なら分かっててもやりそう」
「おにーさんと関わると碌なことがない!」
「ま、それはいいとして早く飯食っちまえよ。今日は新学期みたいだしな」
新学期? と桔音は時計の日付を見る。
そこには4月5日と書かれていた。桔音の学校の始業式の日だ。
どうやら、桔音の高校三年生をやり直すという要望を叶えてくれているらしい。自分が殺されたのは今日から三ヵ月後の放課後、しおりが転校してきたのも今日のことだから、既に隣の家に引っ越してきていると見て間違いないだろう。
桔音はリーシェにお礼を言って、彼女の作った朝食を食べ始めた。
見ればリーシェも桔音と同じ学校の女子制服を着ている。どうやら同じ学校に通っているということらしい。となるとルルと屍音は小学校にでも行くのだろうか。
「にしても、まさか異世界で転生するとは思わなかったぜ」
「ああ、そうか。ドランさんにとってはそういうことになるのか」
「上手くやっていけるか不安だが、まぁ幸い力は有り余ってるからな……なんとか頑張ってみるさ」
ドランの身体能力であれば、どこであろうと引っ張りだこになりそうなものだが。そうでなくとも器用な彼のことだ、この社会でも上手く立ち回れるだろうと、桔音は苦笑した。
すると、不意にインターホンが鳴った。
「お? こんな朝から誰か尋ねてくるものなんだな。というか、やっぱりこの科学ってのは便利だな……」
「僕出て来るよ」
桔音は科学の力に感動しているドランを置いて、玄関の方へと向かった。
訪ねてきた人物は、なんとなく想像が付いている。
桔音の足取りは軽かった。
◇ ◇ ◇
目が覚めると、私の日常に大きな変化が出ていることに気が付いて、一気に目が覚めた。というのも、私の身体にもある変化が起こっていたからだ。私の中に、大事なものが戻って来たような、そんな感覚。
その感覚に従って、勢い良く布団を蹴り飛ばして身体を起こす。直ぐに日付を確認しに部屋の電子時計へと飛びついた。
電子時計の日付は4月5日を示していて、ソレはこの世界に変化が起こっているのだと確信させてくれた。既に片付いていた筈の引っ越しの荷物だって、殆どが段ボールに収まったままの状態で置かれている。
紛れも無い証拠だった。
私はすぐにベッドから飛び下りて、身支度を整える。
おそらくは昨日の内に用意してハンガーに掛けておいた真新しい白黒のセーラー服。
もう慣れた手付きで着替えるも、慌てているからか、靴下を履く際にバランスを崩して尻餅をついてしまった。
綺麗に着られたかどうかすら構わず、鞄も持たず、鏡すら見ずに寝起きの頭で部屋を飛び出した。
あまり早起きが得意ではないからか、お母さんが驚いている声が後ろから聞こえる。
でも気にせず私は玄関から外へと飛び出した。靴を履き忘れたけど、そんなことは関係ない。
飛び出してすぐに隣の家が視界に入る。その家が記憶のものよりも大きく綺麗になっているけれど、私はそんなの気にすることなくインターホンを押した。
心臓が驚くほど速く鼓動しているのが分かる。
突然世界が変わったのだから当たり前だろうけれど、その変化が何を示しているのか分かってしまえば、これ以上ないくらい心が逸る。
だって、もう会えないと思っていたから。
それでも、また会えると言ってくれたから。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ……」
緊張しているのか、興奮しているのか、荒い息を飲みこむように、無意識に唾をごくりと飲み込むのを感じる。
さっきは心のままにインターホンを押してしまったけれど、これで別人が出てきたらどうしようと今になって不安が生まれてきた。
でも、この時間の逆行はそういうことだとしか思えない。
それに私の身に起きているこの現象も、そうだと言ってる。こみ上げてくる全てが私の心を満たしてくれている。
だから――
ガチャ
ドクン、と寝惚けた心臓が破裂したんじゃないかと思う位高鳴った。
何百年と止まっていたんじゃないかと思う位、初めて動き出したんじゃないかと思う位、その高鳴りを全身で感じた。
インターホンに出るまでもなく、いきなり扉が開いたのだから当然だ。まるで誰が来たのか確認するまでもないみたいに、約束していた相手が来たとばかりに。
ゆっくりと扉が開いていく。
そして、扉の向こう側から姿を現したのは、
「あぁ……あはは、……」
以前より少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がするね。
私を見る眼差しが、とても柔らかくて暖かい。
でも、その暖かさは前からあったようにも思う……いつだって堂々としてて、いつだって強かった貴方の心の奥。自分を押し殺すような怯えが、今はもう感じられない。
私の一番の親友。
私の一番大切な人。
「……ただいま、しおりちゃん」
「ッ……おかえり! きつねさん!」
そして私の、大好きな人―――きつねさん。
訪ねてきた側がおかえりと言って、迎える側がただいまと言うなんて、なんだかおかしな光景だ。でも、これはきっと私達にしか分からない。
―――良かったね!
そんな声が私の心の奥で響いた気がする。
そう、私の心の中で彼女も笑っていた。彼女は私の大切な感情――向こうでずっときつねさんを守ってくれていたもう一人の私。
きっときつねさんが変われたのは、もう一人の私も含めて、向こうで出来た大切なものがあったから。きつねさんの凍っていた心を溶かして、温めてくれた誰かがいたから。
それは少しだけ、悔しいな。
「約束……遊園地、ちゃんと連れて行ってね」
「勿論、その為に帰って来たんだよ」
それでも、きつねさんが最後まで私との約束を大切にしてくれていたこと。その為に必死に戦ってきてくれたこと。私の知らない沢山のきつねさんを、私が教えてくれている。
この膨れ上がる気持ちをどうしたらいいのか分からないくらい、胸が苦しくて堪らないよ。分かっている、これはきっと私の感情と私の感情が一つになったからだ。
でも、この気持ちだけは誰にも負けたくはない。
向こうでどれだけ大切なものが出来たのかは、私は分からないよ。
だけどきつねさんと一緒に過ごして、きつねさんを好きになって、きつねさんが死んじゃってからもずっときつねさんを想って過ごしてきた。
片時だって、忘れたことはない。この想いだけは、誰にも負けはしない。
「きつねさん」
「ん?」
「大好き」
私ときつねさんの間に、距離はなくなった。
きつねさんの鼓動と、息遣いを感じる。この温もりが、きつねさんの生きている証。
今まで離れていたんだから、これくらいは許してほしい……いなくなって伝えられないのは辛いから、一人きりは苦しいから、死んでしまいたいくらい悲しいから。
だから、これからいっぱい伝えるんだ。
そう、この気持ちを言葉にするのなら、それはきっと、
―――"愛"だよ。
完結!と言いたいところですが、後一話!後日談で完結になります!
最後までお付き合いください!




