納得
―――よくぞ来たな勇者よー、ここまで辿り着くとは見事だー。
再びやってきた真白な空間で、神は開口一番そう言った。
周りを見渡せば、やはり白い空間というしかない程に何もない空間だったが、以前と違って部屋の概念を持った場所になっていた。
白い壁紙、天井に床、窓はあるがその外側も白一色の光景が広がっており、部屋の中心には高い喫茶店にでもありそうな白いテーブルに椅子が二つ。
神は二つの椅子の内の一つに座り、両手を広げながら愉快そうに笑みを浮かべている。
全知全能を自称する神にとっては、桔音が此処に来ることも承知済みの出来事だったのだろう。テーブルセットまで完備でお出迎えまでされれば、そう思うのも仕方のないことだ。
「勇者じゃないけどね」
「いやいや、まさしく主人公の様なストーリーを見せてくれたからねぇ。中々面白かったよ? わざわざ君を異世界に送り込んだ甲斐があったというものだ」
他人の人生で遊ぶような物言いに、若干の不満を抱かずにはいられないが、桔音は黙ってテーブルに付いた。
目的はこの神の言葉遊びに付き合うことではない。
「さて、桔音ちゃん――とうとうここまでやって来た訳だけども……君には選択肢が二つある」
「選択肢?」
余計な事前説明は不要、とばかりに神は話を本題へと移行させた。
今まで桔音のことを見ていたというのなら、ここまでやって来た経緯は全て把握済みなのだろう。二本の指を立てて、尚も愉快に笑みを浮かべる神は選択肢を提示してきた。
桔音はその言葉に疑問を返す。
元の世界に帰る為にこの場所にやって来たというのに、帰る以外の選択肢があるというのもおかしな話だろう。桔音の目的を知っているのなら尚更だ。
神は立てた指を一本ずつ折り曲げながら、その説明を始める。
「一つ目は、このまま元の世界に帰還することだ」
「まぁ、そうだね」
「勿論、死んだことはなかったことにして、好きな状態で帰還を許そう。死んだ直後の時間軸で帰還出来るし、大切なしおりちゃんの記憶は残したまま、周囲の人間の記憶や認識を改竄した状態で戻してあげられる。これ以上ないくらい都合の良い選択肢だ」
好条件におまけをくっつけた様な選択肢に、桔音は目を剥く。
この神が、そんなお人好しなサービス精神を見せてくれるとは到底思えないからだ。人を人とも思っていないような、他人の生き死にを自分の娯楽の為に使うような存在に、そんな信用は微塵も存在しない。
桔音は何か裏があるのではないかと思案するも、愉快気ににやつく神の表情からはその裏が探れない。
神は追撃するようにもう一本指を折り曲げて、二つ目の選択肢を話し出す。
「二つ目は、異世界に戻ってそこで暮らすことだ」
「!」
「その場合、君の『異世界人』の称号効果は消してあげよう。今後君の命を奪うような敵の襲来はありえないし、ついでに君のお仲間の無事も保証してあげるよ。皆で幸せに異世界スローライフを送ると良い……まぁこの場合私にとっては、ハイファンタジーストーリーがほのぼの異世界スローライフストーリーに変わるだけだから、それはそれで楽しませてもらうけどね」
それはそれで楽しませてもらうと公言する神だが、その選択肢もまた桔音にとって良い待遇であった。
「……」
「おや、足りないかな? なんなら、どちらの選択肢でもありがちなテンプレ特典を付けてあげても良いけど?」
ただ、そのどちらの選択肢でも、桔音の欲するものが得られない。
桔音は全部欲しいのだ。此処まで得てきた大切な物を、何か一つでも失いたくない。
一つ目の選択肢を選べば、しおりとの約束を果たすことが出来る。その上母親ともおさらばするなど、諸々環境を整えて都合の良い状態で帰ることが出来るだろう。
そして既に気持ちを知り合っているしおりと共に、幸福な青春を送ることが出来る。
――だが、そこにはフィニア達が居ない。
二つ目の選択肢を選べば、フィニア達と何の脅威に怯えることなく幸せなスローライフを送ることが出来る。特典能力を貰えば、また冒険者として生活費を稼ぐことくらいは出来るようになるだろうから、他の皆と一緒に冒険出来るし、また幸福な時間が過ごせる。
――だが、それではしおりとの約束が果たせない。
どちらも大切で、どちらも失いたくないから、桔音はどの選択肢も選ぶことが出来ない。
だから、桔音は笑みを崩さない神を見据え、首を横に振った。
「おや、お気に召さないかな?」
「おふざけはおしまいにしようよ。どうせ僕の希望は分かってるんだろう?」
「わはは、そりゃあ私は神様だからね」
桔音はこのくそったれめ、と思いながらも真っ直ぐにその要望を口にする。
「僕の要望はたった一つ」
神の口端が吊り上がるのを感じながら。
「僕と僕の仲間を、全員―――僕の元の世界に送れ」
それは、他人の人生を全て自分の希望に沿わせるという最大の我儘。
桔音がフィニア達に願ったこと。
そしてその願いをフィニア達は承諾してくれた。桔音がそう願うのなら、ソレを叶えてあげたいと思ってくれた。
だからこそ、桔音は神にそれを要求する。
お前の出す選択肢では足りないと、全て寄越せと、そう要求してみせた。
「ぷっ、はははは! 分かってはいたけれど、本当にそんな荒唐無稽な要求をするとはね……でも、それを私が受け入れると思っているのかな?」
「出来ない、とは言わないわけだね」
「そりゃ勿論出来るさ。私には出来ないことはないからね……君達全員を元の世界に送ることは出来る――ただ、」
笑いを堪えるようにして話していた神が、不意に不敵な笑みを浮かべながら人差し指を立てた。
「私は気分屋であって、真面目な働き者ではないんだよ」
「……どういう意味かな?」
「世界に干渉して、色んな人間の認識を弄ったり、環境を変えたりするのはそれ相応に労力が必要だってことさ……私にとっては大した労力ではないけれど、やる必要のない労力に手を回すほど私は気の良い存在じゃない」
つまり、桔音一人くらいであればその周囲の環境を弄るくらいはしてもいい。
しかし何人も送り込むのであれば、それ相応に操作しなければならないものが増えるから面倒くさい、ということだ。
元々存在しない人間を異世界に送り込むなら、それを成立させるだけの操作が必要。存在しない魔族や妖精、獣人を人間に変化させたり、送り込んだ存在の過去や戸籍などを創ったり、元々存在していた桔音と違ってやらなければならないものが多くなる。
つまり、神はそれに払う労力に見合うだけの、対価はあるのかと言いたいのだ。
「さぁ、桔音ちゃん――君は私にそれをさせるだけの何かを払うことが出来るのかな?」
神は、最後にもっと面白いものを見せてみろと言わんばかりに笑ってそう言った。
◇
元々、考えなかったわけじゃない。
何故僕が選ばれて、何故異世界に送り込まれたのか。
以前対峙した時には案に暇だからとあの神は言ったけれど、それにしては送り込んだ後もなにかと監視していたり、干渉してきたりもしていた。暇潰しにしては中々手の込んだことをしている。
それに、元の世界にいた僕に干渉したということは、僕が異世界に来るより以前から僕のことを見ていたってことだ。
ソレが何時頃からなのかは分からないけれど、もしも僕が生まれた時からだったするならば――僕の人生にも何かしらの干渉をしていたのかもしれない。
「それ、正解ですよ」
「!」
僕の思考を読むように誰かが言葉を挟んできた。
視線を向けると、そこには以前僕を異世界に戻した案内人――アイちゃんがいた。
「おや、何しに来たの?」
「うるせーです。お茶とお菓子持って来いって言ったのは自分じゃねーですか」
アイちゃんはカチャカチャと音を立てながらも、テーブルの上にこれまた真っ白なカップを二つとお茶菓子を置いた。カップの中身が牛乳なのは何故だ。白いからか。
とはいえ、さっきの僕の思考にその通りだと彼女は言った。思考を読む力でもあるのかは分からないけれど、彼女は僕の表情からその疑問を汲み取ったのか、溜息を漏らしながらも口を開く。
「はぁ……あんまりこの人の言葉を真に受けない方がいいですよ。それに、きつねさんの考えた通り、きつねさんの人生もこの人最初から弄りやがってますから」
「……というと?」
「きつねさんの生まれは、そもそもこの人が弄ったからそうなったんですよ。生まれてから死ぬ瞬間まで、きつねさんの人生で遊んでたんですよこの人は」
アイちゃんの言葉を聞いて、神の方を見る。
すると神はカップを口に付けながらその視線に気づき、まるで肯定するようにウインクをしてきた。殴りたくなった。
とはいえ、なんとなく可能性としては考えていた事だ。
不幸自慢するわけじゃないけど、あの人生に起こった理不尽な虐めや迫害の数々、生まれの環境まで神の仕組んだことなら、納得もいく。
「本当にカスだな……」
「わはは、あの頃は不幸過ぎる主人公がヒロインに出会って強く成長していくハートフルラブストーリーに嵌ってたから、そうならないかなーって弄ってたんだよね」
「は?」
「まぁ、私がやったのは君の生まれを丁度良く可哀想な感じにしただけなんだけど、君ってば……ぷふっ……本当、面白いくらい不幸だったよねー」
心の底からコイツを殺したいと思った。
「ま、桔音ちゃんが不幸にも虐待を受け、最終的に殺されるに至ったのも偶然だけど、母親にレイプ魔差し向けて孕ませたのは私の仕組んだことだよ」
「お前……」
怒りが募るものの、まぁそれは良いとしよう。本題はそこじゃない。
母親がどうしようもなかったのは元々だし、生まれてから僕が受けてきた不幸も偶然だったみたいだしね。
まぁ、生まれてからずっと監視されていたっぽいのは気に食わないけども。
さて、話が逸れたけど僕の要求をどうにかして通さないといけない訳だ。
でもこの分じゃ、この神は納得してはくれないだろう。元々は僕の人生を覗いて楽しんでいたような存在だからね。何か得、もしくは娯楽になるようなものがない限りは、僕を含めて他の皆を送り込むなんてことは絶対しない。
「本題に戻ろうか――それで、桔音ちゃん。考えはまとまったかな?」
ならば、僕も腹を括ろう。
この神を納得させるには、何も失わないで意見を通すのは不可能だ。僕も何かしらの代償を支払う必要がある。でも、ソレで僕の欲しいものが全て手に入るというのなら、やってやる。
―――この神を言い包めてやる。
「……お前は僕の人生を見て楽しんでいたんだよね?」
「まぁ、そうだね。君みたいに歪みながらも真っ直ぐでいられる人間は中々いないからね……退屈はしなかったよ」
相も変わらず愉快気に笑みを浮かべるこの神に要求を呑ませる代償。魂? 記憶? そんな身を削るようなことはしない。僕はただ妥協するだけで良い。
神の横暴、我儘、僕の人生の監視、そんなものは屁でもない。精々勝手にすればいい。
「じゃ、これからも僕の人生を覗くんだよね? さっき二つ目の選択肢の時もそんなこと言っていたし」
僕がそう言った瞬間、神はきょとんとした表情を浮かべた。
全知全能とはいえ、この神は面白いことを求めている。目の前に居る僕が何を言い出すつもりなのか、期待している。
だから、アイちゃんがやったように思考を読んだり、今後の展開を読んだりもしていない。純粋に、新鮮なものとして僕の言葉を待っている。この反応でソレが分かった。
ならばこそ、
「んー……まぁ、そうするかも? なんだかんだ面白かったし、暇だしね」
ここが突き崩す場所だ。
僕の人生を娯楽品として見ている神にとって、どちらかの選択肢を選んだうえで、惰性で続くスローライフよりも刺激的で、面白いストーリーを用意してやればいい。
そしてその登場人物は、より多く、より個性的なメンバーでなくてならない。そうだろう?
「なら、今度は元の世界で青春学園ストーリーを見るのもいいんじゃないかな?」
「どういうことかな?」
「僕は一つ目の選択肢で元の世界に帰るよ。僕は色々環境を弄ってさながらハーレム物の主人公みたいな環境にするね。そしてしおりちゃんの記憶は残したまま、高校三年目をやり直す……それで学園青春ストーリーさながらな学園生活を送るっていうのはどう?」
僕が選択肢を選んだことで、少し期待外れの様な表情を浮かべる神だが、僕の投げかけに少しだけ怪訝な表情を浮かべる。
異世界転生なんて果ての見えない冒険ストーリーではなく、現代で個性的な登場人物達と過ごす、卒業までの時間制限付きだからこそ輝く学園青春ストーリー。
どちらが見ていて楽しいのか、それは好き好きだろう。だけど、今の今まで異世界転生物のストーリーを見ていた神にとって、似た様な世界観のスローライフを見たいかどうか。それが鍵だ。
「自堕落な異世界スローライフと、刺激的な学園青春ラブコメ、どっちが見たいかなんて今の君には明白だよね?」
今の神ならば、どちらを選ぶかなんて明白だ。
「……なるほどね、でも君が元の世界に戻って環境を弄った所で、君のいた学校に個性的な登場人物なんていないじゃないか。精々普通なモブ高校生がいっぱいいる程度の学校だよ? まさか、青春学園ストーリーを見せてやるから、それも私がサービスして創れとかいうつもりかい?」
そう、僕はその言葉が欲しかった。
「いるじゃないか―――個性的な登場人物なら」
創り上げる必要なんてない。
もう登場人物はいる。これ以上ないくらいにうってつけの人物たちが。
「そんなのどこに……っ! ……あぁ、そういうことか!」
「理解して貰えたかな?」
そう、僕の仲間達はこれ以上ないくらい個性的だ。
それこそ、クレデール学園では学園のアイドルとまで呼ばれたレイラちゃんや、姉後肌のリーシェちゃん、マスコットポジションのルルちゃんという実績を持つメンバーもいる。
これ以上ないくらい適任な存在だろう。
「個性的な人間を作り上げて、その違和感を消す作業と、もともと存在している僕の仲間を送り込んでその違和感を消す作業……どっちが楽かな?」
そんなのは決まっている。
「ッハハハ! ―――お見事、グッドアイデアだね」
神は初めて困った様な笑みを浮かべ、三回の拍手を鳴らした。
「分かった、それなら面白いモノが見られそうだ。君の要求を呑んであげる」
「本当に?」
「但し、なんだか癪だから、環境の操作は私の勝手にするのでよろしく」
「え」
ちょ、それはおかしくないかな。
待ったをかけようとした僕の言葉を遮るように、神は指を鳴らした。
瞬間、僕の視界が真っ白に染まる。
意識が落ちていき、白い視界が黒く沈んでいくのを感じながら、僕は最後に神の言葉を聞いた。
―――君の勝ちだ、また素敵な物語を期待してるよ。
意識を失った僕の身体は、暗闇の中へと落ちていった。
次回か次々回、完結です!




