死の選択肢
レイラちゃん、というか赤い夜の正体
『赤い夜』に関わらず、魔族という存在は大概が魔獣とは一線を画した容姿をしている。その多くが人間と同じような姿で、しかしその構造は魔獣寄り、ステータスにおいて、どんなに才能があっても絶対に到達出来ない程の高い数値を獲得する事が出来る。
だが、その中でも更に特殊な魔族が存在する。それが、『赤い夜』を含んだ『魔貴族』達だ。文字としては魔の貴族となっているが、最初は『魔奇族』と呼ばれ、特殊な魔族を表す名前だった。
ここでは『赤い夜』を例に出してみる。
現在の『赤い夜』、彼女の名乗ったレイラ・ヴァーミリオンという名前は、本名ではない。否、本名ではあるが、『赤い夜』と化した彼女の名前では、もうないのだ。
本当のレイラ・ヴァーミリオンという少女の精神は、もうこの世には存在しないのだから。
『赤い夜』というのは、『病の魔族』である。
その正体は桔音が黒い瘴気と称した瘴気であり、レイラ・ヴァーミリオンという少女の肉体自体は正真正銘、人間だ。
言ってしまえば、『赤い夜』というのは魔族の名前というよりも、病名と言っていい。
―――人間を魔族へ変貌させるウイルス
それが『赤い夜』の正体だ。
それに罹った人間は、精神を破壊され、肉体の構造を魔族のソレへと変化してしまう。そして、持ち得る欲求が爆発的に増大し、人間を襲う怪物となる。
レイラが良い例だが、『赤い夜』と化した人間は、人間を美味しいと感じるようになり、また生物を喰らうことで大きな快感を得られるのだ。もっと言えばその欲求は『毎晩』爆発的に高まる。故に俗世では夜行性の魔族として知られているのだ。
また、瘴気によって肉体が隠される故に誰も中身を見たことがない―――つまり、中身の肉体が変わっていても誰も気が付かない。
魔族の身体とはいえ元は人間、寿命は人間と同じ。人間の肉体が死ねば、ウイルスである『赤い夜』は外へと出て、また別の人間の肉体へと空気感染しに行くのだ。
だからこそ、この魔族は強い。それこそ魔王ですら殺し切れない程に強い。ウイルス医療に関して桔音の元の世界よりもレベルが低いこの世界では、『赤い夜』は無敵なのだ。
―――ウイルスとバレていない上に、バレても対処出来る者がいないのだから。
だが、今回のレイラ・ヴァーミリオンは少し違う。
ウイルスは生物の中に入ると変質することがある。今までの『赤い夜』はその性質の強さ故に変質することはなかったのだが、レイラという少女の『赤い夜』に対する適性の高さ、そして桔音という爆発的に極大化した欲求を満たす存在の登場により、『赤い夜』は今までにない変化を遂げたのだ。
これにより、レイラの身体を基に『赤い夜』は完全な魔族と化した。
瘴気に感染し、暴走した魔族の様な人間、ではない。
瘴気を操る魔族、となったのだ。
その危険度は―――天災級を越えて、世界崩壊級の領域へと足を踏み入れる。
それもそうだ、ウイルスを操れる……つまり今までは1体しかいなかった『赤い夜』を、世界感染によって量産する事が出来るのだから。
分かるだろうか? その危険度が。意図的に感染させ、同類を増やし、世界中を赤く染め上げられる存在、全ての人間がAランクの魔族へと変えられる存在の危険性が。
そして今、それが為されない唯一の抑止力が薙刀桔音という存在。
彼に夢中になっているからこそ、彼女はたった1体の化け物のままでいる。彼に恋焦がれているからこそ、彼女は自分の危険性を内包したままでいる。
ならばもしも桔音が彼女によって殺されたのならば、
その時は―――――世界が、終わるだろう。
満身創痍の桔音と、狂気の笑みを浮かべるレイラ。世界の終わりが、秒読みで此処に存在していた。
◇ ◇ ◇
―――どうする、かなぁ……。
目の前で発情しているレイラちゃん、まだこの世界に来てから一週間と少ししか経っていないのに、なんでこの怪物は執拗に僕を狙ってくるんだよ。あぁ、本当に気に入らない。
打開策も全然見当たらないし、どうしたものかなぁ……とりあえずステータスでも見ておこうか。
「………ス……テー…タ…ス」
僕の脳裏に目の前の怪物のステータスが浮かんだ。
◇ステータス◇
名前:赤い夜
性別:女 Lv1
種族:瘴気の魔貴族
筋力:25200
体力:38400
耐性:850
敏捷:26560
魔力:19820
称号:『赤い夜』『瘴気の魔貴族』
スキル:『剣術Lv6』『身体強化Lv5』『暴喰』『瘴気操作Lv8』『魔力操作Lv3』『暴淫暴喰』『陶酔』『淫蕩精神』
固有スキル:『瘴気操作』『淫蕩精神』
◇
マジで化け物だなこのステータス……あのオジサマのステータスを倍にしても太刀打ち出来ないじゃないか……おおよそオジサマの5倍位? 魔王もこの位だとしたら、あはは……確かに無理だ。倒せやしないよこんな奴。
それに、剣術を習得している所を見れば人間の持っている技術も取り入れているということか。随分とまぁ、怪物要素が見つかるなぁ……それにウイルスを操る魔族って……あの瘴気か。
てことは、『赤い夜』って病気なの? 感染すんの? 何それ、世界感染でも目指すの? その気になれば喰らい手並に数を増やせるってこと? そんなの……どう倒せってんだよ。
「は、はは……!」
「ん、んんん? どうしたのきつね君? 諦めた? もう駄目!? 倒れちゃう!?」
嬉しそうにテンション上げるな化け物め。発情し過ぎて周りの瘴気が気持ち悪く動いてるよ、静まりなさい。それに、諦めた訳じゃない。
「いやいや……まだ諦められないよ……まだその顔、殴ってないからね」
「むぅ……だから殴っても良いよって言ってるじゃない、それにその腕じゃもう出来ないでしょ?」
核心衝いてくるなこの子。ホント僕のこと大好きだな、でも恋愛感情じゃないだろソレ、美味しい物にハマっちゃったとか、珍しい物に興味を惹かれたとか、新しい玩具を貰ったとか、そういう新鮮さに惹かれただけだろ。そんなのは、恋とか、愛とか、言わないんだよ。
「ねぇレイラちゃん……」
「んんんッ……あはぁ……名前呼んでくれたぁ……♡ なぁに? きつね君♪」
「僕と……お話、しようぜ」
「え? 今、なんて言ったの? お話? あはっ☆ 嬉しいな嬉しいなぁ! そうだよね、愛し合うにはお互いのことを知るのが大事だよね!」
狂ってるくせに純愛っぽいこと言うなよ、恋に恋しただけの人肉嗜食者の癖に。
でも、乗ってくれるなら好都合。そろそろ、立ってるのも限界だったからね。座ってお話ししようか。僕の予想が正しくなくとも、僕は戦闘じゃ君に適わない……だからこのお話で君に僕を……『見逃して』貰う。出来なきゃまぁ、その時はその時だ。
約束したからね、しおりちゃんと。約束したからね、フィニアちゃんと。
遊園地に行くって、生きて帰るって。
「じゃ……何から話そうか」
僕が尻もちを着くように座ると、彼女は僕の隣にひっついてくるようにして座った。くんくんと僕の匂いを嗅いでいる音が聞こえる。凄く苛々するけど、我慢しなければならない。
―――此処が僕の正念場だ!! ……こら僕の腕を舐めるな
レイラちゃんはお話をするという前提を作ってやったからか、僕の身体を食べようとはしない。というか舐めているだけでかなり恍惚とした表情を浮かべている。
正直凄くエロい顔をしているけど、今の僕にとっては素晴らしく腹立つ顔だ。しおりちゃんの顔に此処まで腹が立つとは思わなかったよ。つくづく癇に障るなこの子。死ねばいいのに。
「ねぇねぇきつね君、きつね君ってどんな女の子が好き? 私頑張るよ? きつね君が好きになってくれるように、いっぱい頑張るよ?」
「君じゃない子」
「…………」
ああ……ついつい、言っちまったぜ。これ僕死ぬんじゃない? 一歩目で地雷を踏み抜いた気がする。かなーり歪んだ食事嗜好の子だけど、その気持ちは本物、一種のヤンデレみたいなものだ。
ただのヤンデレの子でさえ拒絶したら背中から刺してくるって話なのに、こんな完全に終わってる子を拒絶したら気が付いたら死んでるってことになりそうだよ。
おそるおそる、彼女の方に視線を向ける。すると、彼女は僕の学ランをぎゅぅっと握り締めて身体を震わせていた。顔は俯き、表情は見えない。怒ってる気がする。謝るべきだろうか。
「くっ……ふっ……っ……!」
「レイラちゃん……?」
「んんっ……! 駄目だよぉ……燃え上がっちゃうからぁ……♡」
何がだ、そのまま燃え尽きて消えてしまえ。
どうやら彼女は僕に名前を呼ばれると発情するらしい。というか腰砕けになっている。どんだけの愛だよ、重すぎて僕潰れちゃいそうだよ。
て、待てよ……確かさっき彼女のステータスに気になるスキルが有ったな。
―――『淫蕩精神』
これのせいじゃないかな、この子のこの状態。それに確か『陶酔』ってスキルもあった気がする。
想像してみるに、この『陶酔』ってのは僕に対する異常なまでの執着心から生まれたんじゃないだろうか。僕に陶酔しちゃったってこと? うわ、凄い迷惑な話だな。
それに、『淫蕩精神』っていうのは多分僕に触れたり舐めたり名前を呼ばれたりすると快感を感じちゃうってことなんじゃないかな。精神的な喜びを肉体の快感に変換するスキル、みたいな?
ハッキリ言おう――――ただの発情魔じゃないか!
て事はこの子ヤンデレより性質が悪い。拒絶しても余計に僕のことを好きになるだけってことじゃないか。殴っても良いよって言ってたからきっと、叩いたり殴ったり蹴ったりしても余計に僕のことを好きになる。暴言吐いても余計に僕のことを好きになる。フィニアちゃんを例にすれば、他の子に近づけば顔を変えて来るし、嫌いになるって選択肢が彼女の中にはないのか。
まとめてみると、Sランクのステータスを持ってて、世界をバイオハザードに陥れることが出来て、人肉嗜食者で、僕が好き過ぎて発情して、僕が何をしようが嫌いになることがない、そして今の彼女は僕を愛しまくって食べたい、と。
「……レイラちゃん」
「ああんッ……!」
「面倒だなぁ……もう」
「はぁはぁ……なぁに?」
「……僕のこと……食べないで、欲しいんだけど……」
「やー♡」
感じ過ぎて幼児退行してんのかこの子。最初に会った頃のレイラちゃんの天真爛漫だけどちゃんと会話出来てた頃がもう随分と昔のことのように思えて来た。どうあっても僕を喰らう気か。さて……どうするかなぁ……身体、力入らないし。
この子を僕の下から引き剥がすのは多分もう無理だ。きっとこの子は地獄の果てまで付いてくるだろう。例え出来たとしても、そうなれば今度は世界中が『赤い夜』で埋め尽くされることになる。どっちにしても僕は死ぬ。
「……なんで……僕のことが好きなの?」
「えへへ、だってきつね君は私の欲求を満たしてくれるんだもん、いつもいつも予想を越えてくるから飽きないし」
駄目だ、この子僕の何処が好きとかじゃない。僕そのものが好きなんだ。僕は生きているだけでこの子の好意を買うんだ。退路が……ない。
あとはもうフィニアちゃんが此処に来るのを待つ位しか手がないけど、ルルちゃんを放って此処に来る気がしない。少なくとも空が白んでくるまであと4時間位あるし、駄目だろうなぁ……それに血の流し過ぎか意識が霞んできたし。
空を見上げ、なんだかもうどうでもいい感覚になってきた。思考が纏まらない、考えが浮かばない。腕を舐め続ける彼女を見て、もう手札が残っていないことを理解する。
「……あー……じゃあもういいや」
「え?」
「レイラちゃん……僕と一緒にいれば良いよ……好きなだけ舐めてればいいよ……もうどうでもいいや」
瞼が落ちていく、身体が揺れる。駄目だ、身体に力が入らない……倒れる。多分もう目を覚ますことはないだろう。きっと倒れたら僕の身体を彼女がぐちゃぐちゃと食べていくんだろう。痛みがないことは唯一の幸運だったかも。
あーあ、こんな化け物……どうしようもないよなぁ……。
僕は薄れゆく意識の中、喜色満面な表情のレイラちゃんを見た。
でも、次の瞬間、僕の意識はスイッチを切るように、落ちて行った。
どうやって倒せってんだよこんな奴。