意趣返し
「それからというもの――事態はトントン拍子に進んだよ。メアリーとステラという駒を手に入れた私は、次々に異世界人を捕え、それを私の駒へと変えていった……」
異世界人というものは、等しく同じ『異世界人』の称号を得る。
それは桔音と同じで、残酷過ぎる程の運命を背負うということ。世界によって仕組まれた排斥の刃が次々に襲い掛かり、それは命を奪われるまで終わらない。
故に、玖珂という男に捕えられ、異世界人としての肉体や魂を弄られた者達は、まさしく仕組まれた通りの残酷な運命に呑み込まれたと言える。
「だが同時に私は、彼女らをその運命から救ったとも言える」
「……異世界人を、異世界人ではなくしたからかな?」
「そう、私の手によって彼女達は最早異世界人ではなく、この世界で生まれ変わった新たな存在に成った……それは十分この世界の住人足りえる事実だろう?」
「腐ってるなぁ……」
元々、桔音の方が稀少なケースだったのだ。
異世界人といえど、勇者と違って特殊な能力を持ってやってくるわけではない。桔音のケースと同じで、全ての異世界人は元の身体能力のままこの世界にやってくるのだ。
桔音の様に偶々生き延びることが出来て、偶然得られた力があったわけではない。何の力も持たない高校生がこの残酷な世界を生き延びるには、それこそ奇跡でも起きない限り無理というものだ。
偶々フィニアに助けられ、偶々『赤い夜』と相性の良い体質で、偶々『耐性値』の伸びしろを得られて――そう言った偶然が、桔音を生かし、そしてついには魔王や玖珂達と戦えるだけの力を身に付けられただけ。
端的に言ってしまえば、"運が悪かった"――それだけのこと。
「いやはや……僕は随分運が良かったみたいだね」
「ククク、やはり君は面白い。これだけの事実を聞いて尚、平静を保っていられるなんてね」
「まぁ、過去は過去さ。今は僕の大切なパーティだからね……でも」
桔音はだから、不快になれこそすれ、動揺も焦りもなかった。
ノエルやレイラ、ルルにとっては衝撃の事実だろう。動揺もあれば、悲しみや絶望感といった感情も少なからず抱いているのは言うまでもない。
周囲を見渡せば、いつもの調子ではいられないノエルが俯いているし、レイラも人間に戻されて食人衝動が薄れたのか表情を曇らせているし、ルルもどうしていいか分からないという表情で瞳を揺らしている。
フィニアやリーシェだって、そんな仲間の姿と過去を知れば内心穏やかではいられないだろう。
一度瞼を閉じて、桔音は一つ溜息を吐く。目を開いた。
「――あまり調子に乗るなよ」
でも、それは桔音にとってなんら関係ない。
桔音は足元に転がっていた真っ二つの『死神の手』を足で蹴り上げ、空中で掴み取る。即座に『初心渡り』で修復すると同時に、『初神』を発動した。
足を大きく一歩、後ろに下げると、そのまま俯いているレイラの身体を切る。そしてその勢いのままに前へと駆けると、玖珂の斜め前に立っていた人物の懐へと踏み込んだ。
「なっ……!」
「僕達はいつだって同じさ――」
レイラの身体が元の魔族の物へと戻っていき、その場に居た全員が急変した状況に気付く――瞬間、その場の空間が全て桔音の生み出した瘴気で埋め尽くされ、全員の視界が塞がれた。
桔音は自分が作り上げた僅かな硬直時間で『初心渡り』を発動、
世界の時間を止める―――!!
凍り付いた世界で、桔音は『死神の手』を上空に放り投げる。
そしてそのまま振り上げた両手に二振りのナイフを作り出すと、その二つのナイフが形を成した次の瞬間には、目の前で目を見開いて停止している人物の、両目に突き刺した。
「どれだけ過去が残酷でも、分かってて一緒にいたんだ」
序列第五位『聖母』マリア、その両の魔眼……それを潰した。それはつまり、レイラ達の失われていた記憶がすべて戻ってくることを示している。
ルルもレイラもフィニアも、記憶がないから自分自身を、そしてお互いを信じられない。そんな状況でこんな真実が告げられれば、それは動けなくなるというものだ。
フィニアもルルもレイラも、桔音が大切だということしか思い出せないのだから。
お互いのことなど知らない。桔音に付いていく中で、初対面も同じ相手と一緒のパーティになっていただけ。
桔音の為に、仲間として振る舞い合ったけれど、そこに信頼など得られるはずもない。
桔音は気付いていた。記憶がないことではなく、彼女達の中に生まれていた違和感と、お互いに向ける瞳の中の温もりが、消えていたことに。
桔音の手を離れたことで空中に停止した『死神の手』を取りながら、桔音は止まることなく発動した『瘴神』の刃で、マリアの身体を斜めに斬り下ろす。
「だから……」
世界が少しづつ動き出そうとしている。だがもう少し……桔音は身体に走る激痛に耐え、ほんの数秒、止まった時間を伸ばす。
「―――」
そして駆け、跳んだ。跳んだ先には、空中に浮かんだまま停止しているメアリーの姿。
桔音は跳んだ勢いのままにメアリーに迫り、その胸ぐらを掴んで地面に叩き付けた。息つく間もなく仰向けに倒れたメアリーの腹を足で抑え付ける。
世界が動き出す。
全員が自分の時間を取り戻し、視界が真っ暗な瘴気に包まれているのに気付いた瞬間、
「ぁぁぁぁあああアあああ˝ぁ˝ぁぁァ˝ア˝あ˝!!!??!?!?」
「がッ……ぁぁッ!!?」
二つの場所から悲鳴が上がったのを聞いた。
すると瘴気が消えていき、視界が少しづつ晴れていく。
そして全員が見た光景。そこには、
血の海に沈み両の目から夥しい血を流して呻くマリアと、
全員の中心で桔音に抑え付けられたメアリーが、『死神』を突き立てられ、叫び声をあげる姿があった。
数秒の後声をあげることもなくなり、意識を飛ばしたメアリーから桔音は足を退け、その大鎌を消す。
「きつね君……!」
「思い、出した……」
誰も言葉を発せず訪れた沈黙の空間に、レイラとフィニアの声が響く。
黒髪だったレイラは、その姿を元の長い白髪、そして濡れた赤い瞳に変えている。フィニアやルルも、ようやく戻ってきた己の大切な記憶に――肩を震わせた。
「僕は……皆が大好きなんだ」
桔音の零したその言葉が、全てだ。
メアリーとマリアを一挙に行動不能に陥れ、唖然としたままの玖珂達には分からなかったが、フィニア達にはその言葉に込められた思いがひしひしと伝わっていた。
桔音は異世界人。
たった一つの約束を果たす為だけにその運命に抗い、いつだって死にもの狂いで、生きて元の世界に帰るためになんだってやってきた。
そして、生まれたからずっと居場所のなかった彼に、初めて仲間が出来た。
フィニアから始まって、ルルやリーシェと出会い、途中でレイラに襲われて、なんだかんだドランが支えてくれて、よく分からないままにノエルがくっ付いて来て、気付けば屍音とも打ち解けて――。
色んなものを失いながら、必死になって生きて、それでもその両手に残った大事な物。
だから桔音にとって、彼女達の過去がどうだろうと関係ない。
大好きで、大切なのだ、彼女達が。
「だから、君みたいな変態が手を出して良い子達じゃないんだよ」
桔音はその身から不気味な威圧感を発しながら、呆気に取られていた玖珂に薄ら笑いを向けた。
一歩、玖珂の足が下がる。
「な、っ……く、はは……なんだ、平静かと思えば、存外そうでもなかったらしいね」
「さて……」
一歩、また一歩と桔音が玖珂に向かって歩いていく。
「そろそろ、その口永遠に閉じて貰おうか」
「どうやら私は、死神を怒らせたらしい」
死神と狂気の科学者は、お互いに笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
少し時間が戻り、桔音が玖珂の居る島へと到着した頃――
この世界の異変に気がついた人間もまた、事態の収拾を図るべく動き出していた。
その最たる人物といえば、当然『超越者』であり、直前まで桔音と共にいた大魔法使い、アシュリーだろう。
彼女は同じ『超越者』である最強の冒険者、最強ちゃんに桔音の救援を依頼した。
メティスによって滅ぼされたクレデール王国から、ルークスハイド王国へ向かうことになったは良いものの、出発には些か時間が掛かる。その合間を縫って彼女を探したのだ。
桔音には色々と面倒を掛けられたものの、彼がこの世界の異変の中心にいるのは間違いない。そうなると、クレデール王国の一件を考えて桔音にだけ任せてはおけないと考えたのである。
「久しぶりね」
「アシュリー……なに?」
探し当てるには少々時間を要したものの、そこは流石の『超越者』というべきか、持ちうる魔法をふんだんに使って彼女の下へと辿り着く。幸いにも、第一候補で考えていたグランディール王国で見つけることが出来た。
また唐突に表れたアシュリーに対して冷静でいる最強ちゃんも最強ちゃんというべきか。
気の知れた仲なのか、無駄のない会話故、スムーズに本題に入る。
「貴女、きつねについては知ってるかしら? Sランク冒険者の」
「……私の方が強い、さいきょー、だから」
「ええ、相変わらずでなにより。そして話が早くていいわね……彼、どうやら『超越者』になったみたいよ」
「!」
アシュリーの言葉に、最強ちゃんは興味を示す。
「貴女も気付いているでしょ? 最近の刺すような空気を……原因の中心には、そのきつねがいるわ。どうやら貴女も好きな強そうなのがいっぱいいるみたいだし、ついでで良いから事態の収拾に協力してくれないかしら」
「……? アシュリーは話が長い、どういうこと?」
「あー……強いのがいっぱいいるとこに送るから、ついでにきつねのこと助けて来てくれない?」
長々と語ると半分も聞き取ってくれない最強ちゃんに、頭を抑えるアシュリーだが、とりあえず出来るだけ短く伝える。
すると、最強ちゃんは顎に手をやって少し考える様子を見せると、ふと思い出したかのようにアシュリーに答えた。
「……良いよ、元々そのつもりだった」
何、とアシュリーは首を傾げる。
桔音と最近まで共に居たアシュリーならまだしも、何故最強ちゃんが桔音の現状を知っているのか疑問に思ったからだ。
すると、そんなアシュリーの疑問に気付いたのか知らないが、最強ちゃんはポケットからくしゃくしゃになった紙を二枚取り出してアシュリーに差し出した。
アシュリーはそれを受け取り、魔法で紙を綺麗な状態にする。魔法の無駄遣いだ。
「何々……これ、指名依頼ね。しかも複数枚なんて……」
「グランディール、と……ルークスハイドの王家、から……ギルドでご飯食べてたら……勇者が持ってきた」
読むと、その内容はどちらも『Sランク冒険者きつねの救援』だった。
どうやらルークスハイド王国の王女達は、クレデール王国に『神姫』が現れたのを知り、桔音がその国に向かったのもあって援助を求めたらしい。流石桔音のことを良く知っている、『神姫』が現れれば十中八九桔音が巻き込まれることになると予想しているようだ。
グランディール王国の方は、どうやら勇者の方からの働きかけの様だ。内容は同じ、『神姫』の出現を受けての救援らしい。勇者達の方は桔音の力になればという思いでの依頼の様だ。
「成程ね……じゃあ私が言うまでもなかったか」
「いや…………さっきまで忘れてたから、良かった……ありがと」
「忘れちゃ駄目じゃない……」
「丁度良かった、送って」
「自由か」
相変わらずマイペースだ、と最強ちゃんに対して思ったアシュリーだが、目的が果たされるのなら問題ない。
別に桔音に恩を売る訳ではないが、この世界がどうにかなるのは困るのだ。
「じゃ、お願いね。何か干渉出来ない場所みたいだから、桔音の居る場所に直接は無理みたい。近くに送ることにするわ」
「十分、ばいばい」
軽く言うと、最強ちゃんの姿が消えた。
「さて……帰るか」
そしてアシュリーの姿も消える。
だが、近くに送るといっても桔音が向かったのは島――その近くに送れば必然、転移した最強ちゃんが海へと落ちる。
唐突に水中に叩き込まれた最強ちゃんが、襲い来る魔獣を水中にも関わらず俊敏な動きで皆殺しながら、こう思った。
――アシュリー……怒った。
ほんのり背筋が凍った気がするアシュリーだった。
◇ ◇ ◇
最強ちゃんは桔音達の動向を暫し見守っていたが、桔音が動いたことでそれも終わりにするつもりだった。
時間を止めた桔音の行動は、最強ちゃんには見えていた。時間を止められていた故に行動は出来なかったものの、その優れた超直感と『超越者』としての格によって、時間停止中も意識を止めずにいられたのだ。
同じ『超越者』である桔音の実力を確かに確認し、彼女は世界が動き出すと同時に優先順位を定める。
彼女の見立てでは、この場において強いかもと判断出来るのは桔音とエルフリーデ、玖珂だ。故に、まずは桔音を援助するという依頼の方から取り掛かり、そのあとでその三人と戦えれば十分かと考えた。
そして考えが落ち着いたと同時、
「最強ちゃん――?」
「話は、早い方が……良い」
最強ちゃんは桔音の横に立っていた。
「きつね……何をどうすれば、私と……してくれる?」
「あ、じゃあとりあえずあそこにいるあの子とあの子を動けなくして貰っていい?」
「……あれは?」
「玖珂は僕がやる」
「分かった……」
そして桔音と短く言葉を交わし、やるべきことを決める。
すると最強ちゃんにジッと視線を向けられたことで身構えたステラ達だったが、ようやく玖珂がそこで口を開いた。
「Fantastic!! 良いだろう! ステラ、エルフリーデ、此処は私に任せて最強の冒険者の相手をしてくるといい」
「良いのかい博士」
「yes、大丈夫さ。メアリーはもう使えないし、この分ではマリアも動けない……だが、まだメティスもいる……起きろメティス」
玖珂の言葉で今まで玖珂の傍で眠らされていたメティスが起きる。
何をどうしたのかは分からないが、メティスの姿は既に元の『神姫』モードに変貌している。水色の瞳がゆっくりと姿を現し、それに応じて彼女の頭がゆっくりと起き上がった。
それを見た二人はお互いにアイコンタクトを交わすと、
「じゃあ表に出ようか……えーと、最強ちゃんだったか、付いてきてくれるかな」
「必要ない」
「え?」
瞬間、最強ちゃんがその姿を消した。
遅れて神殿の天井が破壊される音と共に、エルフリーデとステラの姿が消える。先程まで二人がいた場所で最強ちゃんが何かを投擲した様な体勢を取っているのを見ると、どうやら二人を掴んで外へ投げ飛ばしたらしい。
それを見た桔音と軽く視線を交わした後、最強ちゃんもソレを追って天井の穴から出ていった。
そうした後、轟音で完全に目が覚めたのか、メティスが周囲を見渡して怯えた様な表情に変わった。
「な、なに……どういう、状況……怖いよ……」
「おはようメティス……すまないが手を貸してくれ、君の力が必要だ」
「は、博士……」
玖珂がメティスの傍にしゃがみ、まるで子供に言い聞かせるようにゆっくりと語り掛けている。
だがその姿はまるで洗脳のようで、メティスの臆病癖はこうして洗脳して植え付けられたものなのかもしれないと思う桔音。
するとメティスがゆっくりと立ち上がり、それに合わせて愉快そうに玖珂も立ち上がった。二人して桔音の姿をその眼に収めると、メティスが一歩前に出た。
レイラ達はそれに対して身構える。桔音とフィニアとリア、そしてノエルしか彼女のことを知らない故に、警戒してしまうのは仕方がないことだ。
だがその警戒は意味を成さない。
彼女の神葬武装『叛逆の罪姫』は、同士討ちの力を持った攻防一体の武装。如何に警戒し、高い戦闘能力を持っていようが、桔音のように抵抗出来なければ防ぐすべなどないのだ。
しかし、玖珂は知らない。
「あっ、きつねちゃん……! 良かったぁ……きつねちゃん、怪我はない? 私、き、きつねちゃんに刺されたと思うんだけど……あ、ううん、勿論嫌だったわけじゃないよ……」
メティスが既に臆病を克服し、桔音依存症のヤンデレ少女と化していること、そして、
「あれ……きつねちゃん、私のあげたウサギは……?」
「人にあげた、ダメだった?」
「ううん……でも代わりに私をあげる……あ、あと、き、きつねちゃん、息が苦しくなってきたから……呼吸させてね……んー」
「んー」
メティスの神葬武装『叛逆の罪姫』は既に、桔音の手によってこの場に存在しないということを。
想定外だったのかまたもや唖然としている玖珂を見て、桔音はにやりと笑い散々語ってくれた意趣返しも兼ねてこう言った。
「残念だったね―――メティスちゃんは既に僕の虜だ」
何も言えない玖珂の代わりに、レイラとフィニアがメティスに飛び掛かった。




