甦る時間
ふと、私が目を覚ました時、身体の痛みは消えていた。
普通に起き上がることが出来たから、状態を起こす。すると、はらりと視界に黒い髪が揺れ、自分自身の身に起きたことを思い出す。少しだけ、気持ちが暗くなった。
けれど、身体が動くようになり、行動するのにコレといった支障もなさそうだったので、今度は両足にぐっと力を入れて立ち上がる。魔族ではなくなり身体能力が落ちたからか、今までに比べてガクンと身体が重く感じた。
それでも、なんだか空っぽになった気分で、少しだけ肩の荷が下りたような喪失感が、矛盾しているけれど――少し気を楽にしてくれた。
自分では見えないけれど、青く染まった瞳で周囲を見る。
自分はきつね君に運ばれていたはずだけれど、私がこうして地面に立っている以上きつね君達に何か起こったのかもしれない。それこそ、護っていた筈の私をこうして手放してしまう程度には、事態は変わったのだろう。
「?」
視界に移るのは、森ばかり。来た時と一緒で、此処には見覚えもない木々が青々と生い茂っている。空も青く、それ程時間は経っていないようだった。とはいえ、日を跨いでいるなんてことだったらかなり時間が経っていてもおかしくはないけれど。
それにしても、なんだか頭が透き通ってる感覚がある。今までよりもずっと冷静に、物事が見れている気がする。前までの私じゃ、状況を把握しようとすらせず、きつね君を探した筈だった。
もしかしたら、瘴気や人食衝動のせいで一種の思考妨害が起こっていたのだとしたら、それが力と一緒に無くなって、まともに物が考えられるようになったのかもしれない。
もしもそうだとすると、力を失ったばかりではないのかもね。
「さて―――ッ!?」
くるり、と踵を返した、その瞬間だった。
私の両の目に飛び込んできたのは、まさしく驚愕の光景。この時ばかりは冷静に物事を考えられる頭が、少し嫌になってしまう。
「なに……これ……?」
そこには、背後にある、最初に視界を緑に染めた木々はなかった。
代わりにあったのはともすれば地形が変わるのではないかと思う程に、抉れた地面。所々黒い瘴気が残響の様に揺れていて、操り手を失ったように漂っていた。
今瘴気スキルの保有者は、力を失った私を除けばきつね君だけだ。
此処までくれば明白だろう。
此処で、きつね君達は戦闘になり、そして私を手放さざるを得ない程に追い詰められた。
そして死体がない以上、きっと此処で決着は付かなかった。戦闘の場所を移動したか、もしくは何か特殊なスキルや魔法で、別空間かそれに準ずる場所へ連れていかれたかだ。
瘴気が消えていない以上、きつね君は死んでいない筈。けれど、生み出した瘴気を操る、もしくは消す余裕がないくらいに切迫した状況であることは確か。
「何処に行ったの……きつね君……」
私は自分の両手を見て、何の力もなくなった事実を確認してから――
「今行くよ――きつね君」
――進むことを決めた。
私の言動は、もう以前の様な軽快さを失っていると思う。媚びた様な猫撫で声でもなければ、狂気染みた雰囲気も失せている。人間らしい、冷静で、平静で、普通の思考、願望、言動が出来る。
けれど、お願い。今だけは、『赤い夜』の勇気を頂戴。
「助けるよ……―――私は、きつね君が大好きだもん♪」
そうして私は、かつての『赤い夜』を身に纏う。
その足を踏み出し、彼らを探し始めた。
◇ ◇ ◇
――レイラが目覚める数十分前、桔音達はやはり彼女達から逃げていた。
しかし、アリアナ達の思った通り、桔音達はこの島から出られない。それ故に、アリアナとステラには追い付かれてしまった。
雷の槍と、端正な装飾がなされた聖剣を持つ二人。行く手を塞ぐように二人は桔音達を挟み撃ちに立っている。
「もう逃げられないわよ、観念しなさい」
アリアナが剣先を桔音に向けてそう言った。
「全く……君達は本当に僕のことが大好きなんだね」
「恋愛対象という意味なら、好きではないですが……」
「そうよ、寧ろ嫌いの部類に入るわ」
「おい、僕なら何言っても良いと思うなよ」
折角言い放った皮肉を真剣なトーンで返され、桔音は若干凹んだ。玖珂に何を言われても平気だったけれど、桔音にとって美少女に嫌いと言われると、思春期真っただ中の青少年としては中々心に来るものがあったようだ。
だがそんな様子を見せながら、桔音は何気ない動作で瘴気のナイフを作り上げた。そのあまりにも自然な動作に、臨戦態勢を整える行為を阻止するタイミングを失ってしまった二人。
やはり、桔音の一挙手一投足を見逃してはいけないと、二人は警戒心を高めた。
「それで? さっき分かったよね、君達の自慢の神葬武装は僕に通用しないって」
「まぁ、アンタの頑丈さには正直恐れ入ったわ。ステラの『神葬ノ雷』じゃ、第二開放でも傷を負わせるのは無理そうね」
「私の神葬武装は、能力的に言って、超高火力の物理防御無効化武器というだけですから……アリアナの言う通りですね。貴方がそこまで強くなるとは、予想外でした」
桔音の言葉に肯定で返す二人だが、その言葉になんとなく――桔音は首を傾げた。
「その言い方だと、アリアナちゃんの神葬武装なら僕に通用するって言っているように聞こえるけど」
「そう言ってるのよ」
アリアナは、自信満々にそう言い放つ。聖剣の切っ先は、彼女の性格と一緒で、今も真っ直ぐに桔音の喉元へと向けられていた。
「試してみる?」
「……まぁ、どうせやるんでしょ? 掛かっておいでよ」
「……ステラ、桔音はアタシが貰うわ。他の子達はアンタが相手して」
「了解しました。お任せします」
ステラが一歩下がって、アリアナが前に出た。
「さぁ、始めましょう―――ほら、起きなさい、"神壊ノ剣"」
そして、己の剣に語り掛けた瞬間、その聖剣は純白に輝いた。
その輝きが桔音の身体をうっすらと照らした瞬間、桔音は背筋に走るその悪寒に気が付いた。まるで魂に直接触れられた様な、以前にも感じたこともあるようなその感覚――恐ろしくも、強大な存在感。
それが何なのか、思い出しそうになったその時だ。
ざくり、という音を立てて桔音の身体に一太刀の切り傷が生まれた。
「なっ……!?」
「ほら、まずは一太刀……博士から殺すなと言われてるし、命までは奪わない……アタシも別に何の恨みもないしね」
「……」
「でも、これで分かったでしょう? アタシの神葬武装『神壊ノ剣』は、アンタの身体を貫けるってことが」
原理は分からない。けれど、あの聖剣が直接振るわれたわけじゃないのに、いきなり切り傷が生まれるなどありえた話ではない。
これはメアリーの神葬武装と同じく、何かが"起こった結果"生まれた傷だ。所謂概念武装、というタイプの武器かもしれない。
しかし第二開放ではなく、最初の段階でこの力――桔音にとって本当に相性の悪い神葬武装ということになる。詳細は分からずとも、超越者である彼の身体を傷付けられるのは、同じ次元の存在でないと出来ないはずなのだ。
「怖いねぇ、君達の持つ神葬武装って本当反則だね。まるで勝てる気がしない」
「馬鹿なこと言わないでよ、勝つ気もないくせに」
「良く分かってるじゃないか、僕にまともさを求めた奴は……皆自滅していったんだぜ」
とはいえ、桔音はソレでも構わない。己が傷つくことなど、彼にとっては日常茶飯事だ。そもそも防御力自体、彼にとっては元々なかったものだ。無いなら無いで、それでいいものなのだ。
彼のやることに、なんら変わりはないのである。
「その武器がどんな力を持っているかは定かではないけれど……まぁいいよ、やろっか。殺す気がないなら都合が良い――大丈夫、僕はちゃんと殺す気でやるから」
「アンタ、本当に最低ね」
そう言った後、二人は違う意味での笑みを浮かべて、駆け出す。
そして、まばたき程の時間の後、ぶつかった。
◇
桔音とアリアナが衝突し、レイラが目覚めるまでにあった時間は、たった十分。
その十分の間で、桔音とアリアナの戦いは一旦終わりを迎えた。
桔音の放った瘴気のナイフ、その数およそ三百以上。
それはアリアナの剣捌きによって全て薙ぎ払われたものの、しかして桔音の攻撃は全て奇襲レベル。三百の刃に隠れて飛び込んだ桔音の手で、直接振るわれたその刃がアリアナを襲った。
そしてその刃は真っ直ぐにアリアナの腕を傷付ける。一太刀入ったその傷が、アリアナの腕から一筋の赤い線を流した。
だが、その瞬間に桔音は気付く。
―――お腹の傷が……ない?
桔音が逃亡時に付けた、アリアナの腹部に斬りつけたあの傷が、無くなっていた。
ステラが治した可能性はある――けれど、服まで治る治療など聞いたことがない。そんな力は、桔音の『初心渡り』くらいのものだ。
そしてそこまで考えて、気付く。気付いて、しまったと思った。
そうして見た先、たった今付けたその切り傷が、綺麗さっぱり消え失せていた。流れ落ちた血も、切り裂かれた服も、皮膚も、肉も、最初からなかったように消えている。
「もう気付くなんて――本当に油断ならない奴」
「君の神葬武装の力は……まさか!?」
桔音はその場から大きく飛び退き、距離を取る。
「残念、もう遅いのよ」
だが、アリアナがそう言った次の瞬間には、もう決着が付いていた。
「ごぶっ……!?」
桔音が飛び退いて着地した時、右肩口から左の横腹まで一直線に切り傷が付いた。その傷はかなり深く、致命傷になる一歩手前の手心が加えられていることが分かる。
膝を着き、力が抜ける身体に桔音は歯噛みした。
アリアナが一歩ずつ近づいてくる。その聖剣は血の一滴すら付いておらず、その輝きを放ち続けていた。
「……ごほっ……君のその剣、聖剣なんて謳ってる割にえげつない力だね」
「驚いた、まだ笑ってられるのね……痛みを感じてないのかしら? まぁいいわ、それで? アタシの剣の力が分かったようね」
桔音の目の前で止まったアリアナは、桔音を試す様に見下ろしてくる。その切っ先が、不意に桔音の首筋に添えられた。
「その剣の力は……"時間跳躍"、君の剣は現実の僕ではなく……過去に存在していた僕を斬ったって訳だ」
「本当、アンタの頭の中はどうなってんのかしら。普通分からないでしょ」
桔音の答えを言外に肯定したアリアナ。その表情には、どこか呆れた様な色を感じさせていた。
「その通り、アタシの剣は時間を無視してその斬撃を相手を届かせる。正確にいえば、斬る対象の過去にこの剣による斬撃を挟み込むの……アンタがどんだけ堅いかは知らないけれど、少なくともステラと戦った時のアンタは今ほどの防御力はなかった。それこそ、今の私でも切り裂けるくらいには」
「まさか、君自身が立ち会っていない過去にまで干渉出来るなんてね……」
「ネタばらししちゃえば……神葬武装を持っている子が関わった過去に挟み込めるの。つまりアンタが出会った、ステラ、メアリー、メティス、マリア、エルフリーデ、そしてアタシ……この全員と関わっていた時間、全ての過去にアタシの剣は届く」
なんて力だ、と桔音は驚愕する。
それはつまり、『鬼神』を発動した副作用で弱体化した時期の桔音にも、彼女の剣は届くということだ。今の桔音には絶対に傷を付けられない。だが超越者になる以前の桔音になら、その剣は容易く傷を付けられるのである。
ある意味、メアリー以上の概念武装。時間を超えた攻撃など、如何に防御力が優れていようと防げるものではない。
これほど強力な力だ。
おそらく、ステラ達の関わった時間にしか干渉出来ないという制限以外の他にも、なにかしらの制限がある筈だろう。
とはいえ、桔音がその力の正体に逸早く気付くことが出来たのは、単に桔音が『初心渡り』という時間操作系の概念干渉スキルを使っていたことがあるからだ。
先程感じた悪寒、身体に走った感覚は、まさしく『初心渡り』で身体を直した時の感覚と同様の物だった。そして服ごと傷を治したという事実。
それが故に、気付くことが出来たのである。
「その力……どうやら防御にも使えるみたいだね」
「ええ、アタシが受けた傷も、その攻撃が放たれた過去にこの剣の存在を挟み込めば、防ぐことが出来る。過去にあった攻撃を防げば、現在の身体にダメージは発生しない」
「まさしく攻防一体……セーブ&ロードが現実に出来る能力とか、超羨ましいね」
時間干渉系の能力は、それこそ異常なまでに強力無比な力だ。
「! ……アンタ、傷が……」
「でも、それくらいなら僕もやったことあるんだ」
しかし、それはアリアナだけの専売特許ではない。
アリアナはその力を振るうことで、桔音にとあるスキルを使う感覚を思い起こさせた。実際に体感することで、桔音はあのスキルを使う感覚を掴むことが出来たのだ。
故に、桔音の傷は次の瞬間無かったように消え去っていた。
まるで時間が巻き戻った様な現象。
それは、まさしく桔音の持っていた、桔音が元々持っていた唯一無二の固有スキル。
全てを巻き戻し、時としてその力は魔王さえも無力化してみせた。あらゆる致命傷を無傷へと回帰させ、あらゆる事象を無の状態へと帰してみせる回帰の力。
アリアナの聖剣が歴史を変革する時間改竄の力ならば、桔音の力は歴史そのものを無かったことのように消却させる時間回帰の力。
「さぁ、第二ラウンドといこうか―――永久に終わらない鼬ごっこと行こうじゃないか」
冠するその名は―――"初心渡り"といった。
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