滅亡の果て
どさり。
桔音の漆黒の刃によってその細い腹部を貫かれたメティスが、地面に倒れた音である。引き抜かれた刃につられて、彼女のお腹からドバドバと大量の赤い血が流れ出す。止め処なく溢れ続けるその血液は、おそらく致命傷と言っても差し支えない程の量だろう。桔音の刃は、メティスが完全に桔音を信じ切っていたこともあって、正確に急所を貫いた。下から抉る様に差し込まれた刃は、腹部から斜め上に突き刺さっており、その先端が見事に肝臓を貫いている。おそらく外に溢れ出る血とは別に、体内に広がる血の量も相当なものになっているだろう。
メティスは全く訳が分からないと言った表情で、自分のお腹に触れた手を顔の前に持ってくる。真っ赤に濡れた両手、薄らいでいく意識、走る激痛、そして自分を見下ろしている桔音。彼女が、自分は桔音に刺されたのだと理解するまでそう時間は掛からなかった。
どうして、とは思わない。
彼女は桔音に刺されたことを知って、怒るでも、泣くでも、嘆くでも、憎むでも、恨むでもなく、ただ――笑った。桔音に刺されたということは、最早思考の中を桔音一色に染め上げた彼女にとってはそれほど大事ではないのだ。
寧ろ、桔音が自分に初めて自分からしてくれたことだと、歓喜に心がいっぱいになっていた。だから心の底からとても嬉しいと思っているのが分かる程、穏やかに笑った。見下ろす無表情の桔音に、笑い掛けた。
そして、段々と死に近づいて行く中で、凍える様に震えた言葉を紡ぐ。
「……――あり、がとう……ね」
その言葉に、桔音は驚愕の表情を浮かべた。この状況で出てくる言葉が、感謝であることが驚きだった。同時に、恐怖だった。何故そんなに穏やかな表情を浮かべる事が出来るのだと、桔音は内心疑問でいっぱいになっていた。
自身を殺した相手、自身を裏切った相手、信じていたのに、殺された。愛していたのに、拒絶された。それなのにまだ、彼女は桔音の事が好きだった。
どれほど狂って崩壊して壊れて歪であろうと、愛は愛。行き過ぎていても好きは好きだった。
彼女の中では、桔音は何があっても愛し恐怖する事の出来ない存在になってしまっている。勘違いでも、思いこみでも、そうなってしまっている。
だから、彼女は自分を殺した桔音は、尚も愛したのだ。
殺してくれてありがとう。そう言ってのけるほどに、彼女は桔音が大事になっていたのだ。
そして何より、そんな桔音に命を奪って貰える。それだけで彼女にとっては感無量と言えるほどに嬉しい。何故ならこれで、死ぬことでようやく――
「ああ……―――もう怖くないや」
――恐怖から解放される。死ぬことが怖かった、けれど桔音に殺されるのなら怖くない。そして死んでしまえるのなら、もう何もかもに怯える事はしなくていい。やっと重荷を下ろせたような気分だった。
メティスはただの少女である。神葬武装を持っただけの、ただの人間である。世界一の臆病者であっただけの、少し頭が狂ってしまっただけの、ただの人間である。狂って、恐怖して、逃避し続けた先で出会った桔音を、何より愛しただけの、ただの人間である。
桔音はそんなメティスを見て、憐れだと思った。悲し過ぎるなと思った。
彼女に良い事があったのだろうか。幸せがあったのだろうか。
もしも彼女がアシュリーの言う通り異世界人で、この世界に連れて来られた被害者で、この世界の理不尽に晒され生き抜いて来ただけの少女であったら――これ程悲しいことはない。
最後の最後がこんな、歪で思い込みの愛で手に入れただけの偽りの幸福だなんて、悲し過ぎる。
刺し貫いたのは、確かに桔音自身だった。
しかし、桔音はメティスのそんな姿が自分の未来だと思うと――そのまま死なせる訳にはいかないと思った。そんな言葉を吐かせたまま、死なせる訳にはいかなかった。不幸を幸福と勘違いしたまま、死なせる訳にはいかなかった。
『きつねちゃん?』
「――『初神』」
だから、桔音は死ぬ直前でソレを施した。
メティスが狂って、自分に依存して、挙句ソレを愛だと言って背負われようとしていたから殺した。しかし、死ぬと分かって尚ソレを受け入れ、桔音をそれでも愛そうとしていたから、死なせなかった。
ここでメティスが死にたくないとか、桔音に怒りを向けてきたりすれば、容赦なくそのまま殺したのだろうが、そうしなかったのは単に同情である。
桔音はメティスの時間をありったけ戻した。桔音と出会う前、そしてメアリー達と過ごした分の時間も、異世界人だとすればこの世界にやってきたばかりの―――一番最初まで。
すると、メティスの姿が変わる。
白紫色の髪が日本人のような黒髪へと変質していき、青白い肌も健康的な肌色へと変わっていく。水色だった瞳も黒くなっていき、最終的に出来上がったのは――メティスの面影を残した地球の少女だった。黒髪黒目、肌の色も黄色人種のアジア人である。
時間を戻されたことで既に意識は無くなっている彼女だが、桔音は自分と同じ黒髪黒目の少女となったメティスを見て確信する。
「……やっぱり、メティスちゃん達は異世界人だったんだね」
「……きつねさん」
「ん、フィニアちゃん。大丈夫?」
「うん……ちょっと頭痛が残ってるけど、問題ないよ!」
と、メティスが倒されたからだろうか、フィニアが精神干渉から解放された様に桔音の肩の上に座った。まだ頭を抑えて苦い表情をしていることから、精神干渉による頭痛が多少残っているらしい。まぁそれもいずれ収まるだろう。
今はメティスだ。
彼女が異世界人であったのは目の前の姿を見ても確実だろう。ならば、何故あの様な姿になってしまったのか、だ。白紫色の髪に、水色の瞳、青白い肌に、病的な雰囲気、どう考えても自然にああなったとは思えない。
となれば、必ずそこに手を加えた者が存在する。おそらくは彼女の上に立っていた異世界人の仕業だろうが、桔音は何故そんなことをする必要があったのか分からない。ステラもメアリーも、メティスと同じ様に異世界人として此方に来たのなら、おそらく何らかの改造を受けてあの姿になった可能性がある。メアリーの天使の輪や翼も、ステラの白髪や露草色の瞳、固有魔法の体質も、改造によって手に入ったものだとしたら――その異世界人は相当、頭がおかしい。
仮にメアリー達全員が異世界人だとして、何故異世界人ばかり集めてそんなことをしたのか。異世界人がメティスだけだとしても、そもそもそいつは何をしようとして彼女達を集めたのか。ソレがさっぱり分からない。
全てはメティス達の拠点にあるのだろうが、桔音は彼女達の拠点を知らない。メアリーはもうこの国から消滅してしまったし、メティスはもう『神姫』でもなければ、ステラ達の仲間でもない。この世界に来たばかりの、ただの異世界人である。戦うことも、何も出来ないだろう。
この戦いにおける『神姫』メティスは、死んだのだ。
「……」
『それで……その子はどうするの?』
「ん、まぁ連れていくよ。自分の置かれている状況をある程度説明してから……アシュリーちゃんの所へ連れていく」
桔音は気を失ったメティス――本名はメティスではないだろうが、同じ異世界人である彼女を背負い上げると、そのまま会議室を後にする。騎士団詰所の中を歩いて行き、そして騎士達の死体が転がっている中庭を悠々と歩いて行く。
メティスの支配は既に解除されている。同士討ちの力はもう働いていない筈だ。ならば既に事態は収拾されているだろうし、桔音が学園に帰ればアシュリーの方も結界を解くだろう。
桔音はメティスを止めた。事態も収拾した。
しかし、止めるには少々――遅すぎた。
歩く街並みには、普段はなかった死体が幾つも転がっている。包丁やナイフ、鈍器によってお互いを殺し合ったのだろう。生きている者が見当たらず、ただ大量の死体が道となってそこに存在していた。
そう、アシュリーの護っている学園を除いて、この国に生きていた人々のほとんどが死んだのだ。メティスの神葬武装は今桔音の手の中にあるが、この兎のぬいぐるみのおかげで国はほぼ壊滅状態に陥った。メティスの思惑は、ほぼ達成されたも当然だ。
「……はぁ、ついに国を滅ぼしちゃったよ僕。人を殺したりあれやこれや戦って来たけど、こんな規模の被害は出した事無かったんだけどなぁ……」
歩きながら、桔音はがっくりと肩を落とす。ついでにメティスを落としそうになって、軽く体勢を立て直した。死体を踏み越え、既に滅びた国の中を歩く。いや、人が死んだ国を国と呼べるのかは分からないが。
桔音は、学園に戻ってどう説明したものかと考える。アシュリーには、この騒動をどうにかしてくれと言われたし、この国に滅びられると困ると言われていた。だが結果が壊滅だ。言い訳のしようもない。
学園に戻るまでに、桔音は言い訳を考える。うんうんと唸りながら、桔音は頭を抱えた。
だが、その瞬間だ―――見たことのある青白い光の柱が学園のある所を襲った。
「……な、ッ……!?」
轟音と轟風、そして飛んでくる衝撃波。桔音は背中のメティスを落としそうになったが、目を丸くしながら足を踏ん張った。そして青白い光の柱を見て、すぐにあの人物を思い浮かべる。
序列第2位『使徒』ステラ。
彼女がすぐそこにいるとなれば、桔音も少々警戒せざるを得ない。あの光の柱は彼女の固有魔法の特性故に、防御貫徹の性質を持っている。アシュリーの結界も今は拮抗しているが、おそらくいずれ破壊されて学園はあの光の柱に蹂躙されるだろう。
桔音はすぐに地面を蹴って駆け出した。あの光の柱をどうにかするためには、ステラ本人をどうにかする必要がある。とはいえ、ステラが何処にいるのか分からない以上、どうしたらいいか分からない。瘴気の空間把握が使えればその限りではないだろうが――今はスキルが使えないのだ。
「どうする……!」
走った桔音は、すぐに学園へと辿り着く。
結界には既に大きな罅が入っており、今にも壊れそうだ。『超越者』であるアシュリーの魔法結界を打ち破ろうとしているというのは凄まじいが、今はそうも言っていられない。
学園の外周を走りまわり、桔音は遠目にステラの姿を捉えた。
『きつねちゃん! あそこ!』
「分かってる……!」
より一層蹴る力を増して、ステラの下へと辿り着く。彼女の手には以前にも見た雷の槍があり、彼女の服装もドレスの上から白いコートを着ている形に変わっていた。そして彼女の瞳が桔音を捉えた瞬間、白い光の柱が消える。桔音を前に無防備な姿を晒しておく程馬鹿でもないということなのだろう。
桔音の背に背負われているメティスを見た彼女は、少しだけ驚いた様な空気を見せたが、しかしすぐに平静を取り戻す。
「……お久しぶりですね、きつね」
「そうだね……ステラちゃん」
「メアリーが消滅したので、様子を見に来たのですが……どうやらメティスも敗北したのですね」
「うん……それで、どうする?」
桔音の言葉に、ステラは雷の槍を軽く一つ薙ぐ。そしてそれを消すと、平静な口調でこう言った。
「貴方を私達の拠点へと招待しましょう。どうやら、貴方は私では手に負えなくなってしまったようですから」




