事は起こった
翌日、起きて早々に研究室から叩き出された桔音。どうやら昨晩ベッドに寝転がって匂いを嗅いだのを根に持っているらしく、アシュリーは無言で桔音を蹴り出したのだ。まぁ、図書室の鍵が開かれる時間に叩き出したのを見れば、まだ良心的なのかもしれないが。
ともかく、桔音は一晩なんとか乗り切ったということで図書館を出ると、そのまま教材等何も持たずに登校することにする。もともと教材など貰った時から手を付けていないのだし、桔音にとっては身一つあれば十分授業に臨む事が出来る。
さて、桔音は床で寝たことで少々寝違えた様な感覚に身体を解しながら、学校に向かって歩き出した。
『今日はどうするの? 授業に出るの?』
「んー、どうしようかなぁ……僕の予想だとそろそろメアリーちゃんとかがやらかしてくるような気がするんだよねー……それもかなりくだらない理由で」
『ふーん……例えば?』
「ケーキを譲ったメティスちゃんに、子供扱いすんな的な癇癪起こしたメアリーちゃんが辺り一帯切り裂き始めるとか?」
『くだらなっ!?』
ノエルとそんなことを話す桔音だが、その表情はあまり芳しくは無い。というのも、本当にそう思っているからだ。メアリーとメティス、あの2人とはかなりフレンドリーに会話をしていた桔音であったが、彼女達は元々災害レベルの脅威的な力を振るう化け物だ。この国に放置しておいて良い存在ではない。
出会ってからおよそ2日程が経ったが、桔音は今にも彼女達が暴れ始めたとしてもおかしくは無いと思っている。特にメアリーに関しては、人を殺すことを悪い事だと思っていないのだから尚更不安になる。
とはいえ、桔音には彼女達の動向は分からないし、今何処に居て何をしているのかも分からない。そもそもメティスを探しにメアリーはこの国に来ているのだ。ならば、メアリーまで帰って来なかった場合別の人材が派遣される可能性も高い。ステラが来ればなんとか話し合いは出来るものの、もしもマリアやその他の面々が来た場合―――桔音では少々対応が難しい。
流石に神葬武装を3つ以上同時に相手取るのは、桔音でなくとも避けたいところだろう。今の組み合わせだけでも、仲間無しのタイマンでメアリーを相手取らねばらないのだから、余程だ。
「おはよー! きつねさん!」
「ん、おはようフィニアちゃん。ごめんね、お面の中に居て貰って」
「良いよ! 別に窮屈じゃないし、飛ぶのもそれなりに疲れるから!」
「そっか……それにしても、リアちゃんの方は全然出て来ないね。寝てるのかな?」
「分かんない! 同じ思想種でも他人の想いの媒体には入れないし」
にゅっと顔を出したフィニアに、桔音は挨拶を返した。学園に居る間は基本的にお面の中に入っていて貰っているのだが、フィニアはたまにこうして顔を出す。勿論、周りに誰もいないことをお面の中でも確認してから出て来ているらしい。会話は出来なくとも、周囲の視界はしっかり共有出来るようだ。
だが、桔音は首に提げた指輪を見て、最近フィニアと同じ思想種の妖精である狂気の妖精、リアの姿を見ていないことを気に掛ける。寝ているのかもしれないが、指輪に入ったっきり全く出て来ていない。具体的には、入学試験の辺りからだろうか? となると、1ヵ月程ずっと引き籠り状態ということになる。流石に飲食睡眠要らずの妖精だからといって、心配にはなるだろう。
指輪をつんつんと突いて揺らし、リアに呼び掛けるも――やはり反応は無かった。まるで外に出たくないと言っている様だ。出て来なければ来ないで特に問題は無いのだが、リアが何故こうなったのか少々気になる所ではある。
しかし、目先の問題はリアではなくメアリー達だ。彼女達が近くに居る以上、この国は最早安全とは言い切れない。ならば、メアリー達に命を狙われる立場でもある桔音はソレをどうにかしたいと思う。
「……じゃあまぁ、メアリーちゃん達を探して――」
故に、桔音は授業をサボることにした。もう一度サボっているのだから、今更二度、三度とサボった所で痛くも痒くもない。寧ろ自分の安全を確保する為に動くのなら、メアリーはこれ以上なくサボる理由になる。
だが、桔音がその決断を言葉にしようとしたその瞬間だ。
『今日は緊急により休校となりました!! 生徒達は寮に戻って下さい!!! 速やかに!!』
「……なんだ?」
朝早くから、それも寮から生徒達が出て来始める様な早い時間に、そんな大声が響き渡った。拡声機でも使った様な声。まるで校内放送の様だ。
しかしそんな機械は存在していないこの世界だ。おそらく、そういう魔法具かそういう魔法なのだろう。
だが唐突に休校とは穏やかじゃない。しかも緊急と言っている。もしかしなくても何か生徒に危険が及ぶような事態が起こったのかもしれない。見た所大きな破壊音等々は聞こえてこないし、空気的にもピリッとしている様な気はしない。
現在進行形で起こったのかは定かではないが、桔音は直感的に既に起こった後だと思った。何かが起こって、その一件で危険を感じた教師達が外出を禁止した。そんな感じではないだろうかと。
「……んー、そうだなぁ……よし、とりあえずギルドに行こうかな。もしかしたら冒険者ギルドにバルドゥルの時みたいな緊急依頼が出ているかもしれないし」
「ああ、成程!」
「じゃあ行こう―――」
「待ちなさい」
「――っと……アシュリーちゃん? 何? どうかしたの?」
方向性を決めて冒険者ギルドへと歩き出そうとして、またも別の声に制止された。図書館の前に居たことから、彼の後ろから現れたのは大魔法使いアシュリー。先程桔音を研究室から叩き出しておいて、自分も出て来たらしい。橙と黒で彩られた魔法使いっぽい服装はいつも通り、クリーム色の髪は寝起き時よりは整えられており、朱色の瞳に眠気はなかった。
普段は転移で色々な場所に移動する彼女だが、こうして図書館の外へ自分の足を使って出てくるのはかなり珍しい。何故わざわざ、と考えれば――そこに桔音がいたからに他ならない。
そう、同じ『超越者』である桔音が。
「冒険者ギルドに行くのなら、私が連れて行ってあげる。まぁ正直起こったことは私が説明してあげてもいいんだけど……貴方は冒険者だからね、緊急依頼も出てるだろうし、それを受けて事に当たる権利を得た方が何かと都合が良いわ」
「……へぇ、やっぱり何か起こったんだ?」
「ええ、起こったわ――貴方の危惧している通り、『天使』と『神姫』が暴れ出したみたいよ」
やっぱりか、なんて思いながら桔音は肩を落とす。予想はしていたが、面倒事は少々避けたい気分でもあった。しかし、そういう訳にも行かないらしい。ステータスをぶち抜いたおかげで、称号の効果も消えたのではないかと淡い期待もしていたのだが――やはりスキルが残っている以上称号だけ消える事は無かったようだ。
アシュリーは研究室内でどうやら何かしらの一報を受けたようで、起こった事の内容を知っているらしい。桔音と学園長の悪口を聞き付けたこともあった位だ。遠くから報せを受けることくらい出来るのだろう。
さて、その内容だが、
「無論、当事者達は『天使』や『神姫』の存在は知らないわ。でも起こった事から逆算すれば、彼女達が元凶であるのは明白ね」
「ふーん」
「そうね、なんて言うべきかしら……内乱、内争、色々あるけれど―――やっぱりこれは"侵略"というべきね」
侵略――相手の主権を中心に、全てを略奪する行為。
ソレがこの国を襲っている事態なのだとしたら、今メアリー達はこの国の全てを奪い去る様な暴走をしているということだ。だが彼女達に政治的な何かが出来る様な気はしない。ならば武力行使による侵略だろう。
何百という人を殺しに掛かったのか、それともこの国で上に立っている人間達を殺したのか、それともこの国に存在するもの全てを破壊していっているのか、ソレは分からない。
しかし生徒達が危険に晒される程なら、ある程度無差別的な事が行われているのだろうと考える。
「で、何が起こったのかな?」
「内乱よ」
桔音の問いに、アシュリーはさらりとそう言った。
内乱が起こったということは、それはつまりこの国が保有する武力がお互いに矛を向けたということ。騎士達が騎士達同士で殺し合い、魔法使いが魔法使い同士で魔法を打ち合い、冒険者達もおそらく同じ。もしかしたら一般国民も同様に殺し合いをしているのかもしれない。
生徒達が未だその力に晒されていないというのは僥倖だが、冒険者ギルドへ行けるというのなら冒険者達もそれほど影響を受けていないのかもしれないが――油断は禁物だろう。
「まぁいいや、事は目で見て確認するとしよう」
「そう……まぁ私は諸事情でこの学園を離れるわけにはいかないから、送るだけ送らせて貰うわ。本当なら私が出る様な事態なんでしょうが、貴方が居るから任せる。彼女達を止めて頂戴……正直この国が無くなるのはちょっと困るから」
「自分勝手だねぇ」
「その辺もほら、超越したから」
「打ち明けたからってオープンにネタにしてくんな」
アシュリーが笑いながらそう言ってきたので、桔音はとりあえずツッコミながら苦笑する。
そして、アシュリーが転移させる為に桔音の肩へと手を乗せると、桔音は最初に出会った時の事を思い出した。あの時は散々な目にあったが、今回はそうならないことを祈るばかりである。
桔音はアシュリーの朱色の瞳とその漆黒の瞳を合わせ、不気味な薄ら笑いを浮かべた。やっても良いぞと視線で伝え、それはアシュリーに伝わる。
瞬間、アシュリーの身体から溢れんばかりの魔力が発され――桔音はその場から姿を消す。
残されたのはアシュリーただ1人であり、桔音が消えた後はその魔力もなりを潜めている。橙色の服が微風に揺れ、クリーム色の髪も少々靡いた。そして、桔音が無事に冒険者ギルドの前に転移した感触を掴むと、すぐに図書館の中へと戻っていく。彼女は彼女でやることがあるのだろう。
だが、この時アシュリーは想像していなかった。
―――今自分が事の中心に送り込んだ桔音が、問題を更に大きくしてしまう存在であることを。
◇ ◇ ◇
そして冒険者ギルドへと飛んだ桔音は、フィニアとノエルが傍に居ることを確認してからギルドの中へと入る。中ではバルドゥルの時の様に慌ただしくしている冒険者達がいた。受付嬢も慌てており、冒険者達は依頼書の前で騒々しくしている。
さてどうするかと思うが、まずは現状を把握するために依頼書の前に立つ。不気味な気配を放ちながら桔音は薄ら笑い。依頼書の前に立つと、騒々しかった冒険者達がしんと静まり返る。視線が桔音に集中するが、桔音はそれをスルーした。
見ると、依頼書にはどうやら事の顛末が書かれてあった。
◇
緊急依頼
昨晩、クレデール王国騎士団詰所内にいた騎士達全員が殺し合いをしたように殺されていた。そして冒険者の内にも数名騎士達と似たような形で死んでいるのが今朝発見される。騎士団長殺害の一件と現場状況が似ていることから、ギルドはこれを何者かの殺害と判断。
犯行は単独か複数かは分からないが、騎士団長を殺したことからAランク以上の実力を持っていると推定。以後その犯人をAランク犯罪者として追うことを、王家の方が決定。ギルドにも捜索、排除の依頼が王家の方から下りて来たので、各冒険者達にも犯人を追っていただきたい。
犯人の拘束は生死問わず。報酬は白金貨50枚である。
おそらく犯人には何らかの方法で同士討ちさせる力があると推測出来る。対抗する際には1対1の状況が最適と見て、捜索にランクは設けないものの、受けるのならBランク以上の冒険者であることをすすめる。
◇
「へぇ、騎士達がほぼ全滅……その上冒険者も数名やられたんだ。やるねぇその犯人ってのも」
桔音はそれを読んでぽつりとそう呟く。となると先程騒々しかったのは、その死んだ冒険者の仲間達が騒いでいたのかもしれない。今は何故か静まり返っているが、桔音はそういえば寝起きだったと思い至り、ぐいーっと身体を伸ばす。
「あれ……『きつね』だよな?」
「死神の……」
「Sランク冒険者がなんでこんな所に……?」
ぼそぼそと、冒険者達が桔音を見て内緒話を始める。
どうやら桔音のことは、容姿を見ずとも分かる程度には伝わっているらしい。まぁ、桔音の不気味な雰囲気や黒い学ラン、狐のお面だけでも十分特徴としては分かりやすい筈だ。
桔音はとりあえずその緊急依頼を受けることにして、ポケットからずるずると『死神の手』を出した。状況としては、事が起こった後ではあるものの、現在進行形で進んでいる事件でもある。
ならば都合よく休校になったところで、メアリー達を早々に捜索して打倒する事に集中しよう。
「ふぅ、今回は僕達だけでやることになるようだね」
「久しぶりに二人っきりだね!」
「そうだね、頼りにしてるよフィニアちゃん」
「まっかせてよ!」
本当はノエルちゃんもいるけどね、なんて思いつつ、ふひひと笑う幽霊を背後に桔音はギルドを出ていった。




